2015/09/20 - 2015/09/20
94位(同エリア390件中)
義臣さん
群馬県桐生市新里町の 雑木林の中に
まさか 思いもよらない、石器時代の通説を覆した
相沢忠洋氏の記念館が有るとは。
相沢忠洋記念館
http://www15.plala.or.jp/Aizawa-Tadahiro/
広沢山大雄院
http://www.guntabi.com/kiryu/daiyuuin.html
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
彼岸も近い土曜日 叔父 叔母の眠る
桐生市の大雄院へ 幸い天気も良く。
高速道は渋滞のようなので、館林までは利用しましたが
以前はここから一般道で行きましたので
思いだし一般道 懐かし道を走って
桐生市広沢町の大雄院へ。。到着、、 -
池の周りに 付近にも
彼岸花が咲いていました。 -
-
平成の三重塔
-
古くからの歴史的な
桐生市指定重要文化財 山門 -
本堂から
-
-
上州 名刹 鐘楼。
-
赤城山 秋景
-
織物の街 桐生 マンホール
-
桐生へ来たのだから
岩宿遺跡へ?、、
地図を見れば 相沢忠洋氏の記念館がある、
カーナビを頼りに、、此処が、、と 思うほど、の 所に
細い雑木林をこわごわ行けば。 -
確かに、、有りました。
丁度 父子の親子が出てきた所。 -
正面の伝説の自転車
もう 夢中 DVDで 説明、、そこそこに。
広くは有りません。 公営ではないので
豪華さは有りませんが
物好きには夢中になれる記念館でした、
20歳の青年納豆の行商 この自転車で 赤城山麓を歩き
岩宿のローム層で三個の石剥片をみつける -
縄文時代以前の関東ローム層に石剥片
当時の歴史では 縄文時代からで
石器時代には日本人の歴史はりませんでした、
彼の学歴は夜間小学校のみ
石の解明と調査を始める
当然の事ながら生活の為の仕事は止めませんでしたが。
保存されてた 書籍展示 -
使用したカメラ 懐かしいのが有る。
-
岩宿遺跡と発見現場の地図
-
展示、、
中央に 相沢忠洋氏の嬉しそうなお顔の写真。 -
この竹の篭も懐かしい自転車で
この スーパーカブに跨り、、相沢氏が出てきそう
自転車で仕事に研究に調査に東京までも 走る。。
、昭和24年 理解ある 学生さん芹沢長介氏に出会い
共に 旧石器時代の重要性と発見に尽くすようになりました。
その後の芹沢氏は旧石器の世界の第一人者になりました。 -
素朴、、相沢忠洋記念館の入り口
-
日本の学会でなかなか認められなく
昭和31年 5月
マリンガー氏により
「アントロポス」「マン」などの考古雑誌で発表 紹介され世界に認められる、 -
撮影禁止の札が見えた お詫びを
お出での方が
、「私は見て居ませんので」
軽く言われ、それ以上は写せませんでした
初めて発見された 三個の石削片を笑顔を写すのは止めました
日本の旧石器時代の発見の石 本物です。
博物館へ時折 出張も有るそうですが
国宝にも文化財にも指定されていないそうです
何故でしょう。。日本の文化行政、の不思議です。 -
帰り道
見送る ワン君 寂しそう。 -
この 表情。。良いですね。。
平成元年5月22日7時30分 永遠の眠りに
合掌
夜間小学校と聞くと 内容は大きく違いますが
亡き父も 小僧奉公時代は通ったと聞いています。 -
略歴
大正15年6月21日 東京府羽田の漁師町で生まれる
昭和12年 群馬県桐生市に父と共に転居 11歳
8月 浅草花川戸のお店へ 小僧奉公
帝室博物館守衛数野氏と知遇
昭和19年 5月 横須賀武山海兵団志願 18歳
昭和21年 11月 笠懸村の稲荷山の切通しにて
関東ローム層中に石剥片を発見(岩宿)、
注目以後この解明と調査にあたる 20歳
-
記念館かこちら
群馬県桐生市新里町奥沢537
電話 0277−74−3342 -
終わり
もう一度、、訪問したい、、説明してくださった方
副館長さんかと思います。
お話の様子でも一緒に行動された方お見受けいたしました。
久々の感激の時間。。まだ 余韻が残っています。
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