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 韓国では、2015年百済と扶余が世界文化遺産に登録されました。<br /> 私は溯ること3年前に仏教伝来のあった百済の地を訪れたいと考え2012年10月5日から高速バスを使って扶余に行ってきました。<br /> この旅行記は、その時のものです。<br /><br />  3ヶ月くらい前にANAの早割を使って航空機を予約していたが、あっというまに月日が過ぎ、今年2回目となる韓国の旅をしてきた。<br /><br /> 宿泊の施設は、明洞にも近い乙支路4街・ウルチロサガにある現代レジデンスで地下鉄の駅からは7分くらいの所に位置しており、家具屋さんと印刷屋さんの多い町である。<br /> <br /> ホテルから直ぐの所には中部市場がありありとあらゆる食料品が安く購入でき、朝早くから活気のある街だ。<br /><br /> 宿泊のホテルは、タワー型の高層タイプで15階のペントハウスを抜けると屋上ガーデンがあり、ここからはソウルタワーやソウルの中心部が一望できるロケーションの良い所だ。<br /><br /> 忠清南道扶余には、2日目の朝早く出発した。扶余には鉄道がなく高速バスのみだということで、往きは南部高速バスターミナルから帰りは地下鉄3号線のある高速バスターミナルに戻った。<br /><br /> 韓国の高速バスは、座席の間が広く取られていてとても快適だ。高速道路を中心にノンストップで扶余まで2時間30分あまりで到着した。高速道路は大量輸送するバスの特権として専用レーンをガンガン飛ばして行く。<br /><br /> お昼は百済コウルのヌルンジペクスクというお焦げとサムゲタン風鴨の郷土料理を食べることとした。携帯電話でバスの車内から予約をして貰った。2時半までに必ず来いとのことで、タクシーを飛ばして何とか間に合った。<br /><br /> 焦げ目のあるヌルンジペクスクは、期待した通り美味しかった。日本のコメも美味しいが扶余のご飯がおいしい。<br /> 鴨の肉は栗や朝鮮人参、もち米が入って十分煮込まれ蕩けるような柔らかさだ。お客は食事時が過ぎたため閑散としていて貸切状態で食べることが出来た。<br /><br /> 食事も終わり、荷物を預ける意味で、扶余で一泊する某有名リゾートホテルに向かった。途中のロータリーでは、唐・新羅戦で武勲を立てたケベック将軍の銅像があった。<br /><br /> ホテルで荷物を預け、蓮で有名なクンナンチに向かった。残念ながら蓮は終わり花を見ることは出来なかった。<br />水車のくみ上げ体験やブランコ乗りの施設があり、散策と合わせて結構楽しむことが出来た。<br /><br /> お昼の鴨料理が消化されないため、夕飯はカルグックス・うどんにした。タクシーの運転手から教えて貰ったもので、これが美味しい。鍋にうどんがセットされただけの物なのに出汁が効いて美味しかった。<br /><br /> ホテルは、竣工して2年くらいしか経っておらずツインの部屋でもかなり余裕があった。夕方から百済祭りのイベントが開催されると聞いてナイトクルージングをした。百済文化団地では太鼓の演奏が行われ、ホテルの円形車寄せはステージになっていてペクチェの姫たちによる踊りと軽業師によるショーが繰り広げられた。<br /><br /> 前百済は、三国時代、高句麗、新羅、百済と扶余族が開祖したとされている。大和朝廷とは友好関係にあり、仏教や陶器、仏像等を伝えたといわれていて古事記にも記されているらしい。日本の仏教伝来は538年である。<br /><br /> 翌日、8時頃ホテルを出て、白馬江・ペンマガン、クドレ港から遊覧船に乗り扶蘇山城・プソサンソン、落花岩・ナックワアムに向かった。<br /><br /> ナックワアムは、百済王朝の女官の悲劇の場所である。唐と新羅軍に攻め込まれ、敗北濃厚と知った3千人の女官たちは辱めを受ける前に60メートルの高さから身を投げて貞操を守ったという、涙ぐましい物語である。<br /><br /> 身を投げた場所は、落花岩として後世に語り継がれている。通路が狭く3千人目の女官に回るまで相当時間が掛かったかも等つまらないことを考えたりした。 <br /><br /> <br /> クドレ港の堤防には、扶余の祭りとして、大百済祭り<br />が行われ色々な出し物があり愉しめた。<br /><br /> 昼ご飯は、港に近い場所で郷土料理を出してくれる店に入り、鴨肉と釜飯の定食を食べた。<br /><br /> 午後は、定林寺址・チョンリンサジに行き博物館と五重塔を見学した。唐・新羅連合軍の戦いで唯一残った建造物である。発掘作業も済んでいていずれは復元されることになると思われる。<br /><br /> 博物館では日本との交易の関係や、唐・新羅の戦いで日本に避難したことなどが図解で説明されている。<br /><br /> 定林寺址を見学した後、再び高速バスでソウルに戻ることにした。帰りは、地下鉄3号線にある高速バスターミナルに到着した。<br /><br /> 忠清南道扶余の旅、長年胸の内に温めてきたが念願がやっとかなった。<br /><br /> 学生時代、歴史で百済から仏教が渡ってきたことを学んだ。<br /> 今回、扶余の街を散策して我々日本人の先祖が通った道を自分自身が置くことで一体感を得ることが出来た。<br /> 韓国を訪れ韓国語が日本語に近いことにも興味があり、日本文化のルーツを辿る旅としてとても感慨深いものがあった。

韓国ソウルから高速バスで扶余・百済の旅

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2012/10/05 - 2012/10/08

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ヨヘンジャ

ヨヘンジャさん

 韓国では、2015年百済と扶余が世界文化遺産に登録されました。
 私は溯ること3年前に仏教伝来のあった百済の地を訪れたいと考え2012年10月5日から高速バスを使って扶余に行ってきました。
 この旅行記は、その時のものです。

  3ヶ月くらい前にANAの早割を使って航空機を予約していたが、あっというまに月日が過ぎ、今年2回目となる韓国の旅をしてきた。

 宿泊の施設は、明洞にも近い乙支路4街・ウルチロサガにある現代レジデンスで地下鉄の駅からは7分くらいの所に位置しており、家具屋さんと印刷屋さんの多い町である。
 
 ホテルから直ぐの所には中部市場がありありとあらゆる食料品が安く購入でき、朝早くから活気のある街だ。

 宿泊のホテルは、タワー型の高層タイプで15階のペントハウスを抜けると屋上ガーデンがあり、ここからはソウルタワーやソウルの中心部が一望できるロケーションの良い所だ。

 忠清南道扶余には、2日目の朝早く出発した。扶余には鉄道がなく高速バスのみだということで、往きは南部高速バスターミナルから帰りは地下鉄3号線のある高速バスターミナルに戻った。

 韓国の高速バスは、座席の間が広く取られていてとても快適だ。高速道路を中心にノンストップで扶余まで2時間30分あまりで到着した。高速道路は大量輸送するバスの特権として専用レーンをガンガン飛ばして行く。

 お昼は百済コウルのヌルンジペクスクというお焦げとサムゲタン風鴨の郷土料理を食べることとした。携帯電話でバスの車内から予約をして貰った。2時半までに必ず来いとのことで、タクシーを飛ばして何とか間に合った。

 焦げ目のあるヌルンジペクスクは、期待した通り美味しかった。日本のコメも美味しいが扶余のご飯がおいしい。
 鴨の肉は栗や朝鮮人参、もち米が入って十分煮込まれ蕩けるような柔らかさだ。お客は食事時が過ぎたため閑散としていて貸切状態で食べることが出来た。

 食事も終わり、荷物を預ける意味で、扶余で一泊する某有名リゾートホテルに向かった。途中のロータリーでは、唐・新羅戦で武勲を立てたケベック将軍の銅像があった。

 ホテルで荷物を預け、蓮で有名なクンナンチに向かった。残念ながら蓮は終わり花を見ることは出来なかった。
水車のくみ上げ体験やブランコ乗りの施設があり、散策と合わせて結構楽しむことが出来た。

 お昼の鴨料理が消化されないため、夕飯はカルグックス・うどんにした。タクシーの運転手から教えて貰ったもので、これが美味しい。鍋にうどんがセットされただけの物なのに出汁が効いて美味しかった。

 ホテルは、竣工して2年くらいしか経っておらずツインの部屋でもかなり余裕があった。夕方から百済祭りのイベントが開催されると聞いてナイトクルージングをした。百済文化団地では太鼓の演奏が行われ、ホテルの円形車寄せはステージになっていてペクチェの姫たちによる踊りと軽業師によるショーが繰り広げられた。

 前百済は、三国時代、高句麗、新羅、百済と扶余族が開祖したとされている。大和朝廷とは友好関係にあり、仏教や陶器、仏像等を伝えたといわれていて古事記にも記されているらしい。日本の仏教伝来は538年である。

 翌日、8時頃ホテルを出て、白馬江・ペンマガン、クドレ港から遊覧船に乗り扶蘇山城・プソサンソン、落花岩・ナックワアムに向かった。

 ナックワアムは、百済王朝の女官の悲劇の場所である。唐と新羅軍に攻め込まれ、敗北濃厚と知った3千人の女官たちは辱めを受ける前に60メートルの高さから身を投げて貞操を守ったという、涙ぐましい物語である。

 身を投げた場所は、落花岩として後世に語り継がれている。通路が狭く3千人目の女官に回るまで相当時間が掛かったかも等つまらないことを考えたりした。 

 
 クドレ港の堤防には、扶余の祭りとして、大百済祭り
が行われ色々な出し物があり愉しめた。

 昼ご飯は、港に近い場所で郷土料理を出してくれる店に入り、鴨肉と釜飯の定食を食べた。

 午後は、定林寺址・チョンリンサジに行き博物館と五重塔を見学した。唐・新羅連合軍の戦いで唯一残った建造物である。発掘作業も済んでいていずれは復元されることになると思われる。

 博物館では日本との交易の関係や、唐・新羅の戦いで日本に避難したことなどが図解で説明されている。

 定林寺址を見学した後、再び高速バスでソウルに戻ることにした。帰りは、地下鉄3号線にある高速バスターミナルに到着した。

 忠清南道扶余の旅、長年胸の内に温めてきたが念願がやっとかなった。

 学生時代、歴史で百済から仏教が渡ってきたことを学んだ。
 今回、扶余の街を散策して我々日本人の先祖が通った道を自分自身が置くことで一体感を得ることが出来た。
 韓国を訪れ韓国語が日本語に近いことにも興味があり、日本文化のルーツを辿る旅としてとても感慨深いものがあった。

旅行の満足度
4.5
観光
4.0
ホテル
5.0
グルメ
4.5
ショッピング
3.5
交通
4.0
同行者
家族旅行
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配

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  • ホテルの車寄せ。

    ホテルの車寄せ。

  • 扶余は、蓮の料理が有名。おこげと鴨料理のレストラン。

    扶余は、蓮の料理が有名。おこげと鴨料理のレストラン。

  • 百済王朝、ケッベック将軍の像。

    百済王朝、ケッベック将軍の像。

  • 百済王朝の再現建物がライトアップされる。

    百済王朝の再現建物がライトアップされる。

  • 白馬江の船着き場。

    白馬江の船着き場。

  • 落花岩断崖の船着き場

    落花岩断崖の船着き場

  • 落花岩。百済王朝に仕える3千人の女官が投身自殺を図った場所と言われる。

    落花岩。百済王朝に仕える3千人の女官が投身自殺を図った場所と言われる。

  • 白馬江・ペンマガンを航行する遊覧船。

    白馬江・ペンマガンを航行する遊覧船。

  • 扶余の郷土料理。おこげ料理と鴨肉焼肉料理。

    扶余の郷土料理。おこげ料理と鴨肉焼肉料理。

  • 定林寺址五十塔。石造りの塔。

    定林寺址五十塔。石造りの塔。

  • 夕飯のカルグッス。

    夕飯のカルグッス。

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