2011/12/06 - 2011/12/07
341位(同エリア727件中)
ミズ旅撮る人さん
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これは、少し古い2011年12月の旅行記です。
最近人気が出てきたのか、バルト3国のツアーを良く見かけるようになりましたが、当時はほぼ初めて見つけました。既に中欧・ドイツのクリスマスを訪れたので、目新しい国に行きたくて、ほとんど国の名前も知らないバルト3国へ行きました。
南からリトアニア・ラトヴィア・エストニアの順です。
3国の中で一番大きな国ですが、それでも北海道の8割ほどの大きさ。標高差の少ない地形で、国内最高地点が292mしかありません。
キリスト教徒が8割を占めるリトアニア。どんなクリスマスが待っているのでしょう。
なお、2011年当時の通貨はリタスでしたが、2015年にユーロを導入しました。旅行記での料金はリタスになります。
1は、表紙の聖ペテロ&パウロ教会が中心の旅行記です。
ここだけで、大層写真が多くなってしまったので、予定外ですが2分割することになりました。
後半は、ゲディミナス城や旧市街を散策します。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
2011年12月6日の成田空港でのレートです。
ユーロが108円、米ドルが80円でした。
おかげで8日間のツアー代金が15万円。おお安いと思ったら、燃油サーチャージが5万円でした。これでもいい方で、高い航空会社だと7万円近くすることもありました。 -
成田、正午発のJALと共同運航便フィンランド航空でヘルシンキに向かい、1時間の乗り継ぎで再びフィンランド航空でヴィリニュスへ。
バルト3国、特にエストニアのタリンは、フィンランド湾を挟んで対岸に位置するので、ヘルシンキからのアプローチが理想的です。 -
ヴィリニュス空港は小さな空港です。
荷物を受け取って自動ドアが開いた時、正直、びっくりしました。
駅の待合室かと思った、というのが感想です。
天井はとても高くて、ホテルのロビーのような装飾やシャンデリアがあったのですが、それで全部なのだとすぐにわかりました。ビリニュス空港 (VNO) 空港
-
空港内の銀行でリトアニアの通貨リタスに両替します。
ここは、日本円からの両替が出来ました(2015年ユーロに変わりました)。
100円が約3リタス、およそ1リタス30円という感覚です。 -
飛行機が着いたのが17:30なので、既に真っ暗になっていました。
ヴィリニュスの日没は15:55です。 -
ヴィリニュスの宿は「LE MERIDIEN VILNIUS」でした。
郊外のゴルフクラブのように広いホテルです。
明るくなると、うっすら雪が積もっているのがわかりました。
冬は大体、一日中氷点下くらいですが、北海道よりはるか北にあるにしては、暖かい気候です。
緯度が高いので日の出が遅く8時30分くらいです。ヴィリニュス北部郊外にある広大な敷地を持つゆったりとしたホテルです。 by ミズ旅撮る人さんヴィリニュス グランド リゾート ホテル
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ホテルからバスで出発して、ヴィリニュスの町に入りました。
そして、この町がこれまで私が訪れた中欧やドイツとはまったく違う趣の町であることに気が付きました。
「見て、おもしろくない。楽しくない」簡素で質実剛健一点張りの建物。
カメラを向ける気になる対象があまりにも少ない。
旅行2日目の朝にして、既にじわじわと失望感が生まれて来ました。
天気が雪混じりで暗いことも影響しました。 -
広くて平たいヴィリニュスの町には、約54万人が住んでいます。
そのほとんどがリトアニア人ですが、1990年にソ連から独立した際に、国籍を与えられたロシア人も住んでいます。
バルト3国の中で、リトアニアだけがロシア人に国籍を与えたそうですが、ロシアに帰ることも出来ずに留まったロシア人は、以後、この国の自殺率を世界一にまで押し上げました。
現在の一位は隣のベラルーシだそうです。 -
ネリス川の向こうに旧市街が見えて来ました。
首都ヴィリニュスは、国の南東に偏った位置にあります。これは、かつての領土が黒海沿岸にまで広がっていた名残です。
中世から近隣諸国と領土争いをしていたリトアニアは、その時々で姿を変えました。
時には首都がポーランド領となったために、カウナスに遷都するということもありました。
バルト3国がかつてはソ連領だったことは知っていましたが、もっと以前からドイツやポーランドなどと激しい領土争いをしていたことは、初めて知りました。 -
さすがに旧市街は雰囲気のいい建物が並んでいます。
「ヴィリニュス歴史地区」は、1994年世界遺産に登録されています。
薄暗い天気と、味気ない建物に鬱々としていた気分が、幾分か持ち直してきました。 -
「Mindaugo Tiltas」という橋です。
対岸には、リトアニア国立博物館やゲディミナス城が見えます。 -
ゲディミナス城は、丘の上には塔と「丘の上の城博物館」が、下には大聖堂や武器庫を改築した博物館があります。
真中には簡単なリフトもありますが、歩いて上ることも出来ます。
ここには、後で立ち寄ります。ゲディミナス城 城・宮殿
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ようやくバスから出て、綺麗な建物を撮ることが出来ました。
雪は止んだようですが、はやり空はどんよりしています。
この空は、ずっと晴れることがないとは、まだ知りませんでした。 -
聖ペテロ&パウロ教会です。1668年から7年掛けて建てられました。
ところが、その内装には30年も掛かったというのです。
見たところ、バロック様式のなかなかいい形にまとまった教会に見えます。
リトアニアはドイツの影響がないので、ゴシックの権威主義的な外観の教会はありません。聖ペテロ & パウロ (ペトロ イル ポヴィロ)教会 寺院・教会
-
聖ペテロ&パウロ教会のファサードです。
玄関の上部には精密な彫刻がありました。
ようやく、興味が湧いてきました。 -
玄関の右側に大きな石碑があります。
これは、建設費を出した将軍パツァスのものです。
当時は、自分の廟として立派な教会を建てることが尊ばれたようです。
石碑の前に立っているのがリトアニアのガイドさんです。 -
聖ペテロ&パウロ教会の中です。
内部に入ってみて、何故、内装に30年も掛かったのかわかりました。
教会全体が白い漆喰の彫刻で満たされているのです。 -
漆喰なので、なんとなく柔らかい感じがあります。
彫りやすいからか、どの彫刻もおそろしく細かいです。
ただ、よく見ると、ガイコツだったり、怖い顔だったりが多いので、もう少し美しいものにして欲しかったなと思います。 -
壁から天井まで、見事な彫刻が見下ろしています。
もともと寄贈者の廟・墓として建築されたからなのか、見た目の美しさは抜きん出ていますが、祝福を与える印象はありません。 -
この像は、男が幼子イエスを抱えています。
以前、どこかの国でこんな逸話を聞きました。ある男が、川を渡して欲しいと頼まれ、抱えて歩くとどんどん重くなっていきます。
苦労して渡り終えると、それはキリストでした。以来、男は川の守護神となりました。
同じ人かどうかわかりませんが、そんな姿に見えます。 -
聖ペテロ&パウロ教会は、内部が白一色なので、写真を撮るのが難しいです。
コンパクトデジカメだと、画面が粗くなってしまいました。まだISO400なのですが・・・。
一眼レフのままで撮れば良かった。 -
外が暗いので、教会内部に光が届かなくて、予想以上にアンダーな写真になります。
これを克服できるような腕が欲しい。 -
漆喰彫刻というものは、あまり見かけないですが、なかなかおもしろそうですね。
ちょっと、やってみたくなります。 -
くるんと巻いた羊歯の葉が、柔らかそうで、触りたくなります。
葉のカーブの内側は、どうなっているんでしょう?そもそも、どうやって作るの? -
天井に文字が書かれています。「カペラ 兵士 殉教者」。
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どこを見ても、真っ白な芸術品。彫刻の数は2,000を超えるといいます。
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ウルスラのチャペルと呼ばれる部分です。ここには4体の聖女像があります。
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珍しく色彩のあるマリア像が置かれています。
背後の柱には、白菜のような羊歯?から、竹が生えているようです。
その隣の女性BARBARAは、なぜか塔を持っています。どういった役割なのでしょう。
調べてみると「聖バルバラ」は、「建築家や石工、砲手、消防士、鉱夫、囚人の守護聖人である。3つの窓をもつ塔、棕櫚の枝、孔雀の羽根、剣、聖杯、稲妻、本などと共に描かれる。記念日は12月4日」とありました。
父によって塔に閉じ込められたバルバラは、塔に三つの窓を作るよう依頼し、それが三位一体を表すことからキリスト教信仰者であることが発覚しました。
異教徒の父は娘を殺そうとしましたが、いくつもの奇跡が起きて難を逃れます。しかし、ついに12月4日に殉教するのです。
彼女が抱えているのは、自分が閉じ込められた塔だったんですね。窓が三つあるかはわかりませんが。
ちなみに、アメリカのサンタバーバラは宣教師が、聖バルバラにちなんで名付けました。 -
こちらは「聖マリア・マグダレナ」。「マグダラのマリア」として知られています。
彼女はキリストの遺体に香油を塗るために、壺を持った姿で描かれます。
キリスト復活の証人として、また香油を塗る「携香女」(けいこうじょ)として敬われています。
メシア(救世主)とは「油を注がれし者」という意味があり、キリストに香油を塗る行為は、その祝福と喪葬を暗示します。
「マグダラのマリア」は娼婦だったという話を聞いたことがありますが、現在では別の「罪深い女」であるとされています。
さて、この像だけは、衣装がはっきり異なっています。これは、彫刻家が妻を描いたからだと言われています。
マグダラのマリアが娼婦だったら、そんなことはしないですよね。 -
「聖アポロニア」です。
聞いたことがなかったのですが、なにやら手に「やっとこ」のようなものを持っています。調べてみると、それは歯を抜くペンチでした。
アポロニアは、ローマ帝国時代のアレクサンドリアで殉教しました。キリスト教徒が暴徒に襲われ、彼女は歯を全部折るか抜かれてしまいました。
挙句に信仰を捨てるように強要され、自ら炎の中に飛び込んで殉死しました。
自殺を認めないカトリックでも、この場合は殉教に値するとされています。それにしても、怖い話です。 -
教会のドームの真中から船の形のものが吊り下げられています。
シャンデリアではないようなので、香を炊くものでしょうか。 -
内装の彫刻には、イタリアから招かれた彫刻家が携わったということですが、この説教壇の天使像などを見ると、なるほどイタリアらしさを感じます。
それにしても、自分が白黒写真を撮っているんじゃないかと錯覚し始めました。 -
白黒の世界に、ちょこっと金ぴかの聖画がありました。
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こちらの絵は、新しいような気がします。
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壁一面が絵画のような祭壇。
少しだけ、金色がありますが、そろそろ色のある世界が恋しくなってきました。 -
パイプオルガンの周りには、絵画もありました。
この教会はバロックの「凍れる音楽」と呼ばれているそうです。どんな音楽を奏でるのでしょう。
余談ですが、日本にも「凍れる音楽」と呼ばれる場所があります。奈良・薬師寺の東塔です。
他に類を見ない「裳階(もこし)」を備えた美しい三重塔で、明治時代にフェノロサが言ったとされていますが、それには疑問があるようです。 -
第264代ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の碑がありました。
1993年9月4日にバルト3国を訪れた時の記念のようです。
ヨハネ・パウロ2世は26年という長い在位期間を勤め、2005年4月2日に亡くなりました。次の法王を選ぶ「コンクラーベ」というおもしろい名前の会議を覚えている人も多いでしょう。
ヨハネ・パウロ2世はポーランド人で、455年ぶりのイタリア人以外の法王です。
1964年のコンクラーベで、ヨハネ・パウロ1世が選出された際に参加していましたが、1世がわずか33日で急死し、同年、2世として法王に選出されました。
以来、精力的に世界各国を訪問し、「空飛ぶ法王(教皇)」とも呼ばれました。
日本にも1981年に訪れていて、長崎の大浦天主堂にその記念碑があります。
旅行記「長崎3(大浦天主堂周辺)」にて、紹介しています。 -
「SANCTI CASIMIRI」と書かれたお堂です。
リトアニア唯一の守護聖者「聖カシミール」です。
彼はリトアニア大公国の王で、1458年に聖人に列せられました。500年後の1958年には、バチカン市国で記念切手が発行されました。
その切手には、彼の肖像とゲディミニス城と彼が埋葬されている大聖堂が描かれています。
旧市街には聖カシミール教会もあります。 -
「聖カシミール」のお堂の正面祭壇です。
この中は、茶色の大理石が多用され、荘厳な雰囲気があります。 -
角の柱を辿って上を見ると、絵画がはみ出しています。まるで、合成写真みたい。
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反対側の角です。こちらのはみ出しぶりは、少々控えめ。
しかし、何故こんな風に描いたんでしょう? -
天使が持っている垂れ幕に「私は毎日マリアに伝えます」という意味のラテン語らしきものが書かれています。
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祭壇には、大きな漆喰の壁画が置かれていました。
とても線が柔らかく、中央の聖母子が生き生きとしたポーズで描かれています。 -
教会の入り口付近には、死神もいました。
彼に引き止められないうちに、色彩に溢れた生者の世界へ帰りましょう。 -
移動しているバスの中から、聖ヨハネ教会の塔と、その右手にロシア正教会が見えました。
聖ヨハネ教会の塔は旧市街で最も高い63mで、ヴィリニュス大学の中にあります。
1387年にキリスト教が認められた当初に建てられましたが、1737年に火災に遭い、再建されました。
先ほどの聖ペテロ&パウロ教会と同じバロック様式の教会なので、外観が似ています。 -
「夜明けの門(Ausros Vartai)」。
ヴィリニュスにかつて城壁があったころ、9つあった城門のうち最後に残った唯一の門です。
旧市街の南端に位置しています。夜明けの門 史跡・遺跡
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「夜明けの門」から真っ直ぐ南に伸びる道は、国鉄のガードをくぐります。
このすぐ右手にヴィリニュス駅があり、ちょうど赤と銀色の列車が通過して行きました。 -
さあ、「夜明けの門」をくぐって旧市街へと入りましょう。
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門をくぐってすぐ右手に、またヨハネ・パウロ2世の碑がありました。
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「夜明けの門」の内側2階部分は礼拝所になっています。
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望遠で中を覗いてみました。聖母マリアのイコンが見えます。
中に入るのは自由に出来ますが、私達は団体なので遠慮しました。 -
せっかく旧市街に足を踏み入れたのですが、また門から出て、バスに戻ります。
今度は北上してゲディミナス城を目指します。 -
車窓を流れる旧市街には、バロック様式の教会が多く見られます。
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またロシア正教会が見えて来ました。今度は真横を通ります。
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ロシア正教会の真後ろを通るヴィリニャ川が大きく蛇行して半島のような土地を作り出しています。そこがウジュピスです。
中世に労働者の住む地域としてリトアニアの中心部にありながら、隔絶された下町でした。
20世紀ころから独特の雰囲気に味わいがあると訪れる人が増え、芸術家が集まるようになりました。
「芸術共和国」として独立宣言もなされ、毎年4月1日の独立記念日には「入国」審査が行われます。
入国するには、このような5つの橋を渡ります。ウジュピオ カフェ
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「聖ベルナルディン教会」。
画面左側にある「聖アンナ教会」の方が有名なために、ちょっと割を食っている感があります。
上半分がまったく違うのは修復されたからでしょうか。ベルナルディン教会 寺院・教会
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ふと見上げた丘の上に白い十字架が立っていました。「3つの十字架の丘」です。
昔、この丘で3人の僧侶が磔にされました。それを悼んで十字架が建てられましたが、ソ連の占領下で破壊されてしまい、独立前年の1989年に再建されました。
リトアニア人は、十字架を立てるのが好きらしく、この後訪れる北部のシャウレイには、おびただしい数の十字架で埋め尽くされ、尚且つ今だに増え続けているという「十字架の丘」があります。
あと少しで、ゲディミナス城ですが、長くなってしまうので、ここで分割します。3つの十字架の丘 モニュメント・記念碑
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