2015/07/01 - 2015/07/20
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2013tomoさん
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7月15日は
途中でシャンソンが得意なエチチェンさんと一緒に歩いた。
7月14日のフランス独立記念日に
私が彼に国歌のラ・マルセイーズを
リクエストしても彼が歌わなかった理由が分かった。
彼は元軍人で今は赤十字で働いている。
私は巡礼路の途中にお墓があれば黙礼をささげるようにしている。
15日も巡礼路の村のはずれにお墓があったので
黙礼をささげようとして近づくと
石碑があった。
そこには村の人間で戦場で命を失った人の名前が
3段に記載されていた。
1段目は第1次世界大戦の戦死者名
2段目は第2次世界大戦の戦死者名
3段目はアルジェリア戦争の戦死者名
の名前であった。
よく見ると同じ姓の名前もあるので
何代かにわたって戦死者を出した
家族もあったのであろう。
私が石碑に黙礼をささげていると
後ろからエチチェンさんがやって、
「Tomo何をしているの?」と聞く。
私は
「戦場で命を失った若者に礼をささげているんだ。」と答えた。
すると彼は「そうか・・・。」と言いながら
軍隊式の敬礼を石碑にささげて
小さな霊園の中に静かに入って行った。
後で彼と話しているとき
「僕は巡礼をしながら戦没者のお参りをしているんだ。
この若者たちはラ・マルセイーズを
歌いながら死んでいったと思うと
あの歌を簡単には歌えないんだ。」と説明してくれた。
その後巡礼路で何回かお墓や教会を尋ねたが、
そこには両大戦やアルジェリア内戦で
戦没した人たちの名前を書いた
石碑や銅板が掲示されていた。
今、平和に巡礼しているこの道も
少し前には悲しい歴史を刻んでいたのだ
ということを認識した。
写真は巡礼路の緑のトンネルを抜けると
立っていた十字架であるが最初は何か
わからなかった。
私が緑のトンネルを抜けると
目に飛び込んできたので
「ハッ。」と驚いて
帽子を脱いで黙礼をささげた。
17日はNavarrenxからUhart-Mixeまでの約40?を歩いた。
予定していた町の宿泊先が
町全体の行事等で満員状態のため
さらに足を進めた結果である。
巡礼仲間はフランス人カップルの
ステファンさんとセシリアさんの二人
ドイツ人の大男のルドルフ、そして私の4人であった。
グループ全体のスピードに合わせて歩くのは大変であったが
やればできるのだという自信もついた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
エチチェンさんとの話の続きになるが、
彼から
「Tomo、ラストサムライという映画を見たことがあるか?」と質問された。
「日本の明治維新のころの物語で、
アメリカの元騎兵隊がサムライを助けて
新政府と戦った映画だね。」と私は答えた。
彼は「あの映画では戦ったのはアメリカの軍人だが、
歴史の真実はフランスの軍人が
旧政府(幕府)のサムライたちと一緒に明治新政府に対して
最後まで戦ったんだ。
僕はそれを誇りに思っている。」と言っていた。
ジュール・ブリュネのことだ。
彼はフランス陸軍の士官で、
江戸幕府陸軍の近代化を支援するため
派遣されたフランス軍事顧問団の一員として来日して、
榎本武揚が率いる旧幕府軍に
参加して函館の五稜郭で
最後まで旧幕府軍と一緒に明治政府軍に対して戦った
フランスの軍人のことである。
エチチェンさんから
「フランス人と日本人は友人としての長い歴史を持っている
ことを覚えておいてほしい。」という説明があった。
歴史という時間の流れの中に
私も生きていることを認識した1日であった。
巡礼路の途中でエチチェンさんは口笛で木々の中にいる小鳥たちと
会話するという才能を見せてくれた。
かつてのフランス軍の鬼軍曹は小鳥と心を通わせるこころの優しい
赤十字隊員であった。 -
写真左側は高校で数学を教えている
フランス人のセシリアさんで
やはり高校でコンピューターを教えている
ステファンさんと二人で巡礼路を歩いている。
私はNavarrenxから約28?歩いたところにあるSaint-Palaisの町で宿泊する
予定(予約なし)でいた。
ところが町の行事も重なって
どの宿泊先も満員状況であった(パリから来た
マリとジェロームは事前に予約して宿泊していた)。
どうしようかと迷っていると
フランス人のステファンさん、
セシリアさんのカップルと
ドイツ人の
ルドルフたちが追いついてきた。
宿泊先を聞いてみるとそこから
14?程歩いたところにあるジットを
予約しているという。
私も宿泊することが出来るかどうかを
ステファンさんの携帯で聞いてもらい
追加予約をしてもらった。
ステファンさんとセシリアはさんは
14日のジットで夕食を一緒にしていたので
既に面識があった。
しかしドイツ人のルドルフとは
巡礼路であいさつ程度しかしていなかった。
(途中でリンゴをかじっている彼を見かけたので
「朝食かい?」と声をかけると
鋭い目でジッロとにらまれたことがあったので敬遠していた)
途中で彼から私に話しかけてきた。
「お前は犬を飼っているのか?」
「いや、飼っていないよ。」
「家が小さいから飼えないのか?」
(「いやなことをいうやつだなあ」と思って)
「そうだよ。僕はホビット族の出身だから体も家も小さいんだ。
君はオーク一族だから大きな家に住んで
シェパードを買っているのだろう。」
と言うと、
「おれは犬は飼っていない。」と答えて
「ウヒャ。ウヒャ。」とドイツ語発音で笑っている。
その時は、愛想の悪い男だなあと思ったが
後でこの認識を改めることになった。
大男のルドルフは大股で歩いて一人で前に進んで行った。
私はフランス人カップルと一緒に歩いた。 -
写真左側はフランス人のステファンさん。
温厚な紳士である。
私とフランス人カップルが
ヘトヘトになってジットに到着すると
ルドルフは既にテーブルに
座って冷たいビールを飲んでいた。
このジットの名前は"L'Escargot-Bar"で
私のフランス巡礼路でのあだ名が
「ムッシュー・エスカルゴ」であり
同名なので直ぐに気に入った。
お値段も泊まりが15ユーロ、夕食が17ユーロ(ワイン代込)、朝食が5ユーロで
お手頃な値段であった。
夕食の会話で私がフランス語で
「我歩く 故に我あり」とか話していると、
ルドルフが
「おまえは哲学が好きだなあ。おれは哲学はあまりわからないんだ。」
と言うので
「何を言っているんだ。君の国は哲学の国だろ。
我々日本人は君の国から哲学を学んだんだ。
カントとか、ヘーゲルとか、
マルクスとか有名な哲学者はほとんどが
ドイツ人だぞ。」と説明した。
すると彼は
「確かにそうだ。ヘーゲルとマルクスは関係があったな。
”弁証法(独:Dialektik)”は学んだことがある。」とうなづいた。
「そうだよ我々の巡礼も日常生活をテーゼとすると
巡礼路を始めることは日常生活の否定、すなわち
アンチテーゼといえる。
歩き続けることでアウフヘーベン(止揚)を体験し
更に高次な生活である
ジンテーゼに到達することが出来ると思うんだ。」
と私がさも弁証法を
よく知っているようなふりをして
いい加減な説明をした。
ルドルフは
「そうかもしれない。おれはこの巡礼路を歩くことで新しい自分を
みつけることが出来るかもしれないな。」と深く考え始めた。
最初の印象と違い、
思ったより素直な男かもしれないと思うとともに
みんな何か課題を持って
この巡礼路を歩いているのだということを再認識した。
-
写真はジットの奥さんの手料理でどれも美味しく
ボリュームがあった。
私はワイン以外にビール(これは有料)も注文した。
テーブルの上座にはもう一人ドイツ人が座っていた。
(年齢は私と同じか少し上くらい)
杖を小脇に抱えて威風堂々と歩いている姿は
かつてのチュートン騎士団の末裔かと思う
ような近づきがたい威厳のある佇まいである。
※チュートン(ドイツ)騎士団
ドイツ騎士団は、十字軍の時代にエルサレム王国の港湾都市アッコンで
設立され た騎士修道会(軍事力を備えたカトリック修道会)。
聖ヨハネ騎士団・テンプル騎士団と並んで、三大騎士修道会のひとつ
に数えられていた。
日本語では「チュートン騎士団」とも表記される。
しかし彼はフランス語も英語も話せないようで
ルドルフとだけドイツ語で話していた。
彼とも巡礼路で何度か前後して歩くことになった。 -
その日の夜から天候が崩れてきた。
夜中には風も強くなり明け方には雷鳴とともに
強い雨も降ってきた。
明日は大丈夫かなあ。 -
Uhart-Mixeからフランス巡礼路の最終目的地であるSaint-Jean-Pied-de-Portまで
あと約27?である。
朝は6:30に朝食を食べ7:00に出発した。
ゆっくり歩いても夕方5時ごろには到着する予定だ。
しかし写真のように空は灰色の雲に覆われている。 -
曇り空から漏れてくる弱い朝日が私の影を
薄く道路に映す。
私自身の影が薄いわけではないが最後の日なのに
不安な気持ちが湧いてくる。 -
巡礼路は木の多い森の中に入って行く。
遠くから雷鳴が聞こえてくるので大きな木の下
は避けて足早に通り過ぎることにした。 -
空の雲がますます厚くなってきた。
遠くの雨雲の下で強い雨が降っている
のが見える。
もうすぐこちらも雨が降り始めるはずだと
雨具の準備を始めた。 -
森の中に入るとまもなく強い雨が降り出し、
雷も頭上で大きな雷鳴とともに閃いている。
落雷の心配がしてきたので杖を地面に突き立て
金具部分を地中に隠し、
私はだいぶ離れた木の下で雨宿りすることにした。 -
するとステファンさんとセシリアさんの二人が追いついて来て
私が木の下で雨宿りをしているのを見ると、
「Tomoどうしたの。
杖を持っていないけどなくしたの?」と聞くので
「落雷が心配で雷が遠のくまで離れているのです。」と説明した。
二人は笑いながら前に進んで行った。
さらにチュートン騎士団末裔の
ドイツ人が赤いポンチョをぬらしながら
私を「ちらり」と横目で見ながら
無言で通り過ぎて行った。
私は「日本男児が雷が怖くて
こんなところで雨宿りなんかしておれるか!」と
勇気を出して杖を地面から引き抜いて
雨に打たれながら歩き始めた。 -
森を抜けてしばらく歩いていると雨が上がり始め
雷鳴も遠くなっていった。
濡れた雨具は着たままで乾かしながら歩いていく。 -
途中でドイツ人のルドルフが追いついてきた。
二人の間で面白い言葉のやり取りが発生した。
私が大きなミミズを見つけて写真を撮っていると
かれが「これは○○○だ。」と言う。
「それはなんだ」と聞くと、
「ラテン語でこう呼ぶんだ。」と答えた。
「ルドルフ、君はラテン語を話すのか?」と聞くと、
彼は「Veni,vidi,vici.(ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー)
『来た、見た、勝った』」とカエサルの言葉を返してきた。
私が「Cogito ergo sum.(コーギトー、エルゴー、スム)
『われ思う、ゆえに我あり』)とやり返す。
直ぐに彼が「Jacta alea est(ヤクタ、アレア、エスト)
『賽は投げられた』)と返してくる。
私が「Tempus edax, homo edacior
(テンプス エダックス ホモ エダキオール)
『時はどん欲だが、人間はさらにそうだ』とヴィクトル・ユゴーの言葉を返した。
すると彼は「その言葉は知らないなあ。」と言って
「ウヒャ、ウヒャ」とドイツ語発音で笑いながら前に進んで行った。
言葉によるストリートファイティングはどうやら引き分けに終わった。
※私は実はもう一つ質問を隠していました。
それは
「Quo vadis?(クォー ウァディス)『主よどこへ行くのですか?
(パウロがローマで殉教する直前に発した言葉)』です。
ルドルフの回答が「ローマへ(Romam eo)。」であれば「道が違うぞ。」で返し、
「コンポステーラへ。」であれば「ウルトレーヤ(頑張って行こう)。」
と返すつもりでした。
昨夜から彼の私に対する態度が少し変わってきたようだ。 -
雨に濡れた巡礼路はまっすぐ続いていた。
空が曇っているので比較的涼しくて歩きやすい。
私は他の仲間に追い越され一人で歩いていた。 -
山道に差し掛かるとまた緑のトンネルがまた現れた。
不思議な気持ちになる。 -
緑のトンネルを通り抜けると十字架が私を待っていた。
何かがあると感じていたが不意を突かれてしまった。
帽子を脱ぎ静かに黙礼して巡礼の無事を感謝してその場を
立ち去って前に進んで行った。
あの十字架は何を意味していたのだろうか。
前に進むことばかりを考えるのではなく、時には立ち止まって考えることも
必要であることを示唆していたのだろうか。
その意味は日本に帰国後もゆっくり考えてみたい。 -
昼からは天気が回復してきた。
巡礼路の道端に休憩所があったので立ち寄った。
中ではチュートン騎士団末裔のドイツ人が静かにコーヒー
を飲んでいた。
何とか会話をしようとして話しかけてみる。
「英語は話しますか?」「Nein.(いいえ)」
「フランス語は話しますか?」「Nein.(いいえ)」
「スペイン語は話しますか?」「Nein.(いいえ)」
「どこまで(Zu wo?)?」 「コンポステーラまで(行く)。」
彼はドイツ語だけでスペイン巡礼路の目的地、コンポステーラまで
歩いていくつもりです。
彼の泰然自若とした佇まいにある種の覚悟のようなものを感じました。
別れるときに
「巡礼は『わが闘争(Mein Kampf)』ですね。」と言うと
彼はニヤッと笑って力強い握手を求めてきた。
※『わが闘争(Mein Kampf)』
ナチス党指導者のアドルフ・ ヒトラーの著作の題名
ようやくお互いに通ずるところがあったようである。 -
Saint-Jean-Pied-de-Portの前10?付近でまた道を間違えたようである。
左に曲がる標識を見落としたためどこまで歩いても
一般道路を歩くことになってしまった。
天気が回復したのは良かったがまた炎熱の巡礼路が始まる。
特に一般道路は照り返しがあるので
上下からの熱で朦朧としながら歩く。
この道をあるいてもあと6?程だからそのまま歩くことにした。
水も2L以上あるので大丈夫だ。
しかし、暑い、熱射病になりそうだ。
途中で道路標識を確認するため立ち止まった。
すると横から乗用車がスッと止まった。
中から初老の男性が
「巡礼さん。何処まで行くの?」と尋ねる。
「Saint-Jean-Pied-de-Portまでです。」
と答えると
「今日はとても暑いから私が車で送って行ってあげようか。」と
言うではないか。
一瞬、大丈夫かなと思ったが
彼の親切そうな顔を見て
「ご親切ありがとうございます。」と
言って車に乗り込んだ。
車の中は冷房が効いていて天国のようだった。 -
車で送っていただく途中でルドルフが歩いているのが見えた。
「私の友人が歩いているので止めてくれますか。
彼もいっしょに送っていただけますか?」と言って
車を止めてもらい、
「ルドルフ、僕だよ。よかったら一緒に乗っけてもらおうか?」
と尋ねた。
ルドルフは
「おれはいいよ。」といって
「ウヒャ。ウヒャ。」とドイツ語発音で笑いながら前に進んで行った。
私は自分が「我歩く 故に我あり」と彼に言った手前
後ろめたい気持ちがした。 -
車はやはり早い。
たちまちSaint-Jean-Pied-de-Portの巡礼路の入口門まで
送っていただいた。
まだ昼過ぎである。
車を降りてフランス語で
「メルシー、ボクー とてもありがとうございます。」と
言おうとしたがどうしたことか
声に出てこない。
思わず日本語で
「本当にありがとうございます。とても助かりました。
本当に感謝いたします」
と言いながら合掌すると思わず涙がこぼれてきた。
頭を深く下げて男性が運転する車を見送った。
この時、私のフランス巡礼路が終わったのだと気が付いた。
そしてピレネーを越えてスペイン巡礼路が始まるのだった。
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