2015/07/20 - 2015/07/20
733位(同エリア1228件中)
滝山氏照さん
JR東海道線沼津駅から徒歩で約15分、千本山・乗運寺(じょううんじ、静岡県沼津市出口町)は徳川家康と小田原北条氏康との敵対関係のなか狩野川対岸に築かれた小田原北条氏の出城である戸倉城に備えて天正10年(1582)、家康が送り込んだ事実上の三枚橋城主である松平康親(まつだいら・やすちか、1521~1583)の菩提寺です。また江戸時代中期にあたる安永6年(1777)、水野忠友(みずの・ただとも、1731~1802)が沼津藩主として入封以来水野家の菩提寺でもあります。
境内には乗運寺を説明するもの見当たらず代わりに沼津市による紹介記事を次により転載します。
「 乗 運 寺
増誉上人(長円)の開基で、千本山と号する。浄土宗京都知恩院の末寺で三枚橋城主松平康親、沼津城主水野忠友の菩提寺でもある。
伝えられるところによると、合戦によって荒れはてたこの地に、旅の僧(長円)がやって来て、土地の人々が潮風の害に苦しんでいる姿を見て、お経を唱えながら松苗を植え続けたという。人々はこの長円の行いとその徳をたたえ、草庵を建ててそこに住んでもらうようにした。時に天文6年(1537)という。庵は始め成鳴寺と称したが、乗運寺と変わり、現在に至っている。
天正8年(1580)武田勝頼が北条氏政と対峙するため、兵を率いて浮島原に本陣を置き、北条方の伏兵に備えて千本松原の松を伐り倒せたため、土地の人々が被害を受け難儀していたのを、巡錫中の長円が心を動かされて松苗を植えたという説もある。ただ、伝えられる増誉上人の没年(天正8年)から考えると、増誉上人の植樹と関係のある合戦は、天文6~23年(1537~54)にこの地域で繰り広げられた、後北条氏と今川・武田氏による「河東一乱」と考えられる。
寺にはこのほか、千本松原をこよなく愛した歌人・若山牧水の墓、寺内で「斯道会」という寛文の講座を開いたという池谷観海の碑などもある。」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- JRローカル
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乗運寺・山門
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乗運寺・境景
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乗運寺・鐘楼堂
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乗運寺・境内
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乗運寺・本堂玄関
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乗運寺・本堂
正式には千本山・乗運寺(せんぼんざん・じょううんじ)と称する浄土宗の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来となります。 -
乗運寺・境内築山
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乗運寺・墓地
松平康親及び水野忠友の菩提寺ということで墓地内を探しますが見当たりません。とうとう探し出せず断念! -
増誉長円上人墓石
墓地の一角に増誉長円上人の墓石が歴代上人と共に在ります。 -
若山牧水廟
酒・旅・自然をこよなく愛した歌人である若山牧水が最期は(と言っても44歳の若さで死去)沼津で過ごしたとは知りませんでした。 -
若山牧水墓石
調べてみると昭和3年9月17日に44歳で死亡、当寺に埋葬されたそうです。 -
牧水の歌碑
「聞きいつつたのしくもあるか松風の今は夢ともうつつともきこゆ」 -
乗運寺外壁
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