2015/06/03 - 2015/06/04
4位(同エリア370件中)
akikoさん
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ボスニア・ヘルツェゴビナの首都・サラエボは、今回の旅の最終訪問地。大きな期待は持たず訪れたのですが、足を踏み入れると、かつてオスマン・トルコやオーストリア・ハンガリー帝国等の支配者たちの文化の影響を受けてきたために、様々な歴史的な建造物や宗教施設が残っていて、モスクと教会が同居する不思議で興味深い町だということがわかりました。
ただ残念なことに観光情報が少なく、どこを見て歩こうと迷っていると、思いがけず、『食べて、祈って、恋をして』というウォーキングツアーに参加することに・・・恋はしませんでしたが、とても印象に残る数時間を過ごすことができました♪
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モスタルを訪れたあと、帰国便に乗るためにサラエボにやって来ました。
サラエボは、ほとんど予備知識なしで訪れました。
さて、1日どう街歩きをしようかと思案していた時、宿の主人が「近くに"insider"というツーリスト・インフォメーションがある」と教えてくれたので行ってみました。 -
橋の向こうの i のマークがあるところです。
そこではたくさん面白そうなツアーが用意されていました。まず私が目をつけたのは、"ISLAM YOU DID NOT KNOW(あなたが知らないイスラムの世界)"という1時間の街歩きツアーでした。モスタルでイスラムの世界を垣間見て、ここでももっとイスラムについて知りたいと思ったのですが・・・2人以上申し込まないと催行できないと断られました。
それでは「2、3時間で参加できるツアーは?」と尋ねると、"EAT, PLAY, LOVE(食べて、祈って、恋をして)"というジュリア・ロバーツの映画のタイトルのようなツアーならOK、との答え。「それ、参加します!」と即申込みです。1時間後にスタートなので、少し前にここに戻ってくることになりました。 -
1時間、歩いてすぐの旧市街のバシュチャルシヤに行ってみることに・・・
"バシュチャルシヤ"は、もともとトルコ語で"主要な市場"を意味する語だそうで、旧市街のお店が集まっている地域、または職人街のことを指すようです。
平屋または二階建ての低層の長屋風の家並みが続いていて、興味津々です。 -
通りにテーブル席を出しているレストランやカフェのようなお店がたくさんあります。
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まだ午前中だというのに、多くの人が飲み物片手にあちこちで歓談する姿が見られます。
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この通りは、カラフルなショールやストールなど織物製品が売られています。
どれどれ?パシュミナのショールが10KM!兌換マルクと呼ばれるボスニアの通貨で、ほぼユーロの半分の相当します。ということは、日本円にすると690円くらい?? これだけ安いと少々怪しい気がします。
そう言いながら、実は手に取ってみたい気持ちはすごくありました(笑) -
ショール以外にもテーブルランナーやクロスなど、時間があればじっくり見たい気がするお店がたくさん並んでいます。
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ここでは、銅製のトルコ様式の食器類などが売られています。オスマン朝時代の名残で、コーヒーと言えばトルコ式のボスニアン・コーヒーなのだそう。
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バシチャルシヤ広場にやってきました。
広場中央にはエメラルドの屋根を付けた水飲み場があります。
あとでセビリ(Sebilj)と呼ばれていることを知ったのですが、ここに次々と人が水を飲みに来ていました。 -
バシチャルシヤ広場には、鳩が何十羽もいて、子どもたちがエサをやったりする平和な日常の景色が見られます。
モスタルでも一瞬自分がどこにいるか戸惑うことがありましたが、サラエボでもまるで映画のセットの中にいるような不思議な気持ちになりました。 -
広場に面してオープンテラスのカフェのようなお店があったので、ちょっと勇気を出して座ってみることにしました。
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お店の中に入って、コーヒーと陳列ケースにあったお菓子を指差し注文しました。
こういう広場にあるお店だから値段は高いだろうと思いましたが、拍子抜けするくらい安くて、しかも無料でwifiを使用することができるのです。 -
コーヒーには可愛い絵が描かれていて、思わず笑顔になりました。
そして、のんびり20分くらい家族に近況報告しながら過ごしました。 -
この地区には、新旧入り混じり、このようなポップなピザ屋さんがあったり・・・
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今風のデザインのクッションを並べた昔のハンと呼ばれる隊商宿を改造したカフェがあったり・・・
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5角形のストゥールを並べた昔ながらのお店があったり、バラエティーに富んだお店を見て歩くだけでも楽しい街歩きです。
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50分ほどたったので、insiderに戻ってきました。
11時から始まる"EAT PRAY LOVE"ウォーキングツアーに人が集まる気配がしません。中でさらに15分ほど待っていると・・・若いキュートな女性が私に「予約していたドイツ人たちが来ないの。今日はあなたと二人のプライベートツアーよ。」と・・・
え、ええ?二人っきり??日本語でも二人だけだと気を使うのに、英語で3時間も二人きり〜〜〜??一瞬戸惑ったけれど、今さら断るわけにもいかず・・・"Sure!"と言ってしまいました^^;
「わ・た・し・は、ミーナ・と・いい・ます」と照れながら日本語で自己紹介してくれ、早速プライベートツアーが始まりました。 -
まず立ち止まったのは、insiderの斜め前にある博物館の窓の前です。ここで「サラエボ事件」の説明を聞きます。
第一次世界大戦の引き金となった、かのサラエボ事件のことです。1914年にオーストリアの皇太子フランツ・ヨーゼフ夫妻がセルビア人青年ガブリエロ・プリンツィプにより暗殺されました。場所は、このすぐそばにある「ラテン橋」の袂。当日運転手が本来通るはずであった道を間違え、この橋のあたりで車の方向を変えようとした時に、プリンツィプが群衆に紛れて橋の袂から馬車に乗っていた夫妻に銃を発射したのだそうです。ちょうど1枚前の写真のあたりだったとそうです。 -
この橋は、一時犯人の名前をつけて「プリンツィプ橋」と呼ばれたこともあったそうですが、今では「ラテン橋」または「ラティンスキー橋」と呼ばれ、観光名所になっているそうです。
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続いてバシュチャルシヤのほうに向かいました。
サラエボはミリャツカ川の両岸に開けた町で、古くから人が住んでいたそうです。15世紀にオスマントルコが侵入してきてここをボスニアの州都にしたそう。知事のイサク・ベグがモスクや宮殿、隊商と呼ばれる列をなす商人の集団のための宿のハン、トルコ風の浴場のハマムや学校を次々と建てていったそうです。 -
サラエボは、トルコとヨーロッパの間にあり、かつて隊商(キャラバン隊)がここに集まり、荷を積み下ろしをしたといいます。種々の原材料が運び込まれて、それを使って職人が住み込み加工した商品を作りました。
銅製品など金属を加工する金物屋通り、銀通り、絹や布を使うシルク通り、カーペット通りなどの専門の通りができていったそうです。 -
ここは、1530年に世界で初めてできた公衆トイレだそうです。
WCのマークがついています。オスマントルコの時代は、公衆トイレや公衆風呂が世界に先駆けてできて、衛生面に非常に気を使っていたらしい。 -
ガジ・フスレヴ・ベイ・モスクにやって来ました。
このモスクは、1531年に統治者ガジフスレヴベイ (Gazi Husrev BeyまたはGazi Husrev-Beg ) によって建てられた、ボスニア・ヘルツェゴビナで最も重要なイスラム寺院だそうです。 -
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のとき、モスクはボシュニャク人の象徴として攻撃対象とされ、サラエヴォ包囲ではガジ・フスレヴ=ベグ・モスクも大きく損傷を受けたのだそうです。壁の一部がまだ未修復のままになっています。
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モスクの前には、素晴らしい造りの東屋があり、身を清めるための泉があります。
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案内所でスカーフを借りて巻いてもらいました。
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本来は一般の者は簡単に入れないみたいですが、信者のミーナと一緒に入れてもらいます。
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モスクの内部です。
ここで、ミーナはイスラムの教えについていろいろ話してくれました。
キリスト教・ユダヤ教・イスラム教は、神の呼び名は違うだけで同じ唯一神で、根は同じ。キリスト教は、旧約聖書にイエスの生涯と教えを中心に編纂された「新約聖書」が加えられ、本当の神のメッセージから離れていった。それを危惧したモハメッド(ムハマンド)は、これが本当で最後の神からのメッセージとして、コーランを残したのだそうです。
ミーナ自身スカーフは普段していないけど、イスラム教信者だそうです。イスラム教徒は次の5つのことを実践しているそうです。
1つ目は信仰の告白。「アッラーの他に神はなし。ムハンマドはアッラーの使徒である」と唱えること。
2つ目は、1日に5回礼拝(お祈り)をすること。
3つ目は、断食。1年に1ヶ月間ラマダン月に断食を行う。日の出から日の入りまで飲食禁止。食べられない人の苦しみを経験する。
4つ目は、喜捨。社会制度とは別にお互い助け合う仕組み。喜捨をした人は善行をしたことになり天国に近づくことになるそう。
5つ目は巡礼。聖地メッカに一生に一度巡礼に行くこと。
だそうです。イスラム教は富める者は貧しい者へという考えのもと、助け合って生きているのだそうです。
私は、「過激派組織"イスラム国"についてどう思う?」と聞くと、「彼らはイスラム教の教義の一部を都合がいいように解釈し悪用しているだけ。イスラム教を信じない者を殺してよいなんてどこにも書いていない。兵士のほとんどは教育をまともに受けていない人たちで、洗脳されているの。・・・」など悲しそうな顔で話してくれました。 -
衝立がありました。前が男性、後ろが女性にセパレートされています。
ミーナが言うには、公の場で異性との接触は避けるようになっている。また女性が、かがんでお祈りする際、男性に後ろから覗かれないためにも後ろがいいそうです。
お祈りの究極の目的は、神様に気に入られて死後に楽園に行くこと。楽園には複数の階層があり、なるべく上の階層に近づくように日々お祈りするのだそう。1日に5回もお祈りするのは大変なのではと聞くと、礼拝は食事のように当たり前のこと。礼拝によって心の平安が得られるそうです。 -
私は今までこのようにムスリムの人と話したことがなかったので、ミーナの話は興味深く、宗教を知るとても良い機会でした。
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これはモスクの向かいにある、16世紀に創設されたイスラム神学校です。
かつては、生徒がここに下宿しながら学んだそうです。 -
門から中を見ると、このようになっています。
昔は、水が流れ花が咲き乱れていたそうです。 -
ここは、かつて東西交易路を隊を組んで旅する商人の一団の「隊商」または「キャラバン隊」用の宿であったところを利用したレストラン"モリチャ・ハン"。中庭で観光客が食事をしていました。
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二階部分に上がってきました。回廊両側はキャラバン隊の宿(隊商宿)となっていたそう。天井が高くて、夏涼しく冬暖かい構造になっているのだとか・・・また当時からセントラルヒーティングが使われていたそうです。
ここがそうだったか忘れましたが、サラエボには今でも貧しい人のために無料宿があり、44部屋が無料で提供されていて、3日間食べ物も無料なのだそうです。 -
次にボスニア式コーヒーを紹介するわ、ということでカフェにきました。
コーヒーはイスラム世界が産み出したものだそうで、とてもシンプルに濃いめのコーヒーを飲むのだそうです。 -
モスタルでも飲みましたが、ミーナがコーヒーの飲み方を説明してくれます。「まずカップに入ったロクムというお菓子を食べて、その後この銅製の柄のついた“ジャズベ”に入ったコーヒーの上澄み液を注いで飲むの。少しコーヒーの粉が口に入るかもしれないけど、気にしないで!私たちはこうしてコーヒーを飲みながら友人とお話をするのが大事な時間なの。1日に5回は飲むわ。」と話してくれました。
飲んだあとのカップに残るコーヒーの粉を受け皿に移し、その模様で占いをしたりもするそうです。 -
ティーブレイクの後、バシュチャルシヤ広場にやってきました。
広場の中心に木製の六角形の水飲み場は"セビリ"と呼ばれていて、昔から設置されていたそうです。誰でもここで水を汲んだり飲んだりできて、手を清めたりする場所だったそうです。今では待ち合わせ場所としても使われているということです。 -
セビリ前でポーズを決めたミーナの写真を1枚!
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バシュチャルシヤ広場の脇道に金物屋通りがあります。
通りの先には、大きな水差しのオブジェが・・・ -
店先には、いろんな物が置いてあります。
よく見ると、銃弾(薬莢)製のペンも売られています。 -
銅製品を扱うお店の中に連れて行ってくれました。
店内には、ずらりといろんな品物が並んでいます。 -
1階はお店になっていて、地下は博物館のようになっています。
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これはセラミックの暖炉です。保温性が高く、これがあると寒い冬でもずっと暖かく居られるそう。
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さらに奥に作業場があります。
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掛けられたいた昔の服を着て・・・
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「こうして作業していたの」となりきって見せてくれます。
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このようにして出来上がったアクセサリーがラックにかかっています。
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次に薬莢で作られたボールペンや砲弾で作られた置物について話してくれました。
「このような物を売っているのは、変だと思うでしょ。bulletは昔、"人を殺す"ものだったけど、今 ”役にたつもの”になっています。悪いものが良いものに・・・人の心も同じ。昔憎み合った心も分かり合える。過去の過ちは正せるということよ。」とても興味深い言葉でした。 -
最後に1階に戻って、職人の方が銅のブレスレットを加工するところを見せてくれました。
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次にミリャツカ川方面にある国会図書館に行きました。
これは、オーストリア・ハンガリー帝国時代(1894年)に「市庁舎」として建設された建物で、イスラム様式とビザンティン様式とが融合した、横ストライプの黄色の美しい建物です。
1949年より、国立図書館として数々の貴重な書物が保存されていたが、ボスニア紛争開始直後の1992年、砲撃を受けて炎上、貴重な蔵書も大きな被害を受けたそうです。 -
ずっと復元作業が続いていたそうですが、22年後の2014年5月9日に完成したそうです。日本からの資金援助もたくさんあったらしいです。
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"DO NOT FORGET" パネルが柱に掲げられ、「1992年8月25〜26日の夜にセルビア犯が国立大学図書館に放火し200万冊以上の蔵書や書類が焼失した。」と書かれています。
ミーナは「建物は何とか復元できたけれど、非常に貴重な本や書類は戻ってこない!」と悲しそうに言っていました。 -
玄関上のドーム状天井のデザイン画もオリジナルを真似ているけれど、本当はもっと精密で豪華だったそうです。
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オーストリア-ハンガリー帝国がボスニアヘルツェゴビナを占領し、ミリャツカ川の右側に帝国の力を誇示するためサラエボで前に見たことがない巨大な市庁舎(現国立図書館のこと)を立てようとした時のこと・・・
そこにある老人の家があったそうです。 彼は立ち退きを拒否しましたが、脅迫を受けるようになり 長い交渉の末、ボスニア気質の頑固な老人は最終的に川の反対側に家を壊さず煉瓦を一つ一つ移動し再建するなら、と承諾したそうです。結局そのやり方で対岸のここに再建されました。
建物は、その後改築が繰り返されたけれど元の建築の価値があり、所有者が変わり現在「遺恨の家」を意味する「イナト・クチャ」(Inat kuća)の名でレストランとして営業しているのだそうです。 -
再び、旧市街のほうに戻ります。
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ブルサ・ベジスタンバザール(屋内バザール)にやってきました。
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屋内バザールには、約50もの服、アクセサリー、土産品等を扱った小さな店が軒を連ねているらしい。
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アクセサリーや衣類を扱うお店、土産物屋もありました。
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天井を見ると歴史を感じます。
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屋根付きベジスタン(Bezistan=バザールのこと)横に、遺跡のようなものがあります。
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これはキャラバン隊の宿のハンの一つタスリハン(Taslihan)の跡。このハンは最も代表的な施設で、1540年〜43年に他とは違い石造りで建てられました。そして他の旅館とは違って、宿泊は無料でした。90名まで収容できたそうです。
1878年にはサラエボで50ものハンがあったものの、このタスリハンも数回の火災にあい、1879年に破壊されてしまったのだそうです。 -
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次に"フェルハディア通り"にやってきました。ここは歩行者天国の通りです。
ミーナが「この線何の線かわかる?」と聞いてきました。
見ると、白線に"SARAJEVO MEETING OF CULTURE"と書いてあります。それと方位磁石の模様が入っています。
「この線は、ここから東はオスマントルコの影響が残された街並みが、ここから西がオーストリア・ハンガリー帝国の影響を受けた街並みが残っているの。」との説明。なるほど、ここを歩けば「イスタンブールからウィーンまで旅行した気分になれる」ということは、そういうことだったんだ、と納得。まさに東西文化が交わる場所だったのです! -
こちらはイスラム風の町並みが残っています。
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そして、こちらは西欧風の町並みです。
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このカトリック教会の大聖堂は、正式名称を「イエスの聖心大聖堂」といい、ボスニア・ヘルツェゴビナで最大のカトリックの大聖堂だそう。
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建築家ヨシップヴァンツァシュがパリのノートルダム大聖堂をモデルにゴシック様式でデザインし、1884年から1889年にかけて建造されたそうです。
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美しいステンドグラスが見られます。
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カトリック大聖堂の裏に、16世紀頃にできた公衆浴場、"ハマム"がありました。
イスラムの教えでは「清潔は信仰の半分」と記されていらしく、常に体を清潔に保つことに気をつけるのだそうです。
かつては、長旅で疲れた体をここで休め、きれいにしていたのでしょうね。 -
サラエボはボシュニャク人(イスラム教の南スラブ系民族)とセルビア人、クロアチア人が共存していたのですが、旧ユーゴスラビアはセルビア人主体だったため、多民族のボスニア・ヘルツェゴビナでは独立するかユーゴスラビアに残るかで内戦に陥ったのだそうです。1992年に紛争が勃発し、3年半以上にわたり各民族が全土で覇権を争って戦闘を繰り広げ・・・その結果、死者20万、難民・避難民200万と言われるほどの悲惨なことに至り、戦後欧州で最悪の紛争となったのだそうです。
この建物はその内戦で破壊されたままで修復されず、そのまま残されています。 -
紛争中に受けた路上の砲撃跡に赤ペンキが塗られた"サラエボのバラ"が、紛争の悲劇を忘れないために残されています。ミーナは子どもたちが撃たれて亡くなった場所にこれが残されていると言っていました。
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歩いてそう遠くない所に「セルビア正教会」がありました。
これは、サラエボで最大のセルビア正教会の大聖堂であり、バルカン半島全体でも最大級の聖堂。大聖堂は、聖母マリアの誕生を記念したもので1863年から1868年にかけて建造されたそうです。
黄色を基調とした外観は、とても美しい姿です。 -
中を覗かせてもらうと、やはりカトリック聖堂とは違い、金を多用した独特な造りになっています。
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正教会の横に公園があり、大きいチェスの駒を使いチェスを楽しんでいる老人たちがいました。
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これは、一見、博物館のように見えますが、マーケットホールです。
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中は屋内市場になっていて、チーズや肉、肉の加工品などのお店がありました。
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次に見たものは、あるビルの窓に掲げられた刻々と変化する数字板と時計でした。
ミーナは、「これはね、この国の政治家たちが"スティール"(盗んで)いる金額を表示しているのよ!」と説明してくれます。ミーナによると、「国家財政の70%が政治家たちに渡っている」といいます。「微妙に民族が対立するように仕向けていて、自分たちの立場・地位・身分を守っている。」そして「40%以上の若者に職がない。」と憤慨しているようでした。数字の真偽のほどはわかりませんが、若者の失業率が40%以上とは、本当に異常です・・・
帰国後、とても気になったので書かれていた文の意味を調べてみました。"BROJAC BUDZETSKE POTROSNJE BiM"は、「カウンター」「予算」「支出」「イメージを確認できる設計手法」という意味でした。つまり、国家財政の予算執行額がこの数字板で表示されているようです。市民たちは、それを政治家たちがきちんと必要なところにお金を使わず、かなりの部分が政治家の懐に入っていると考えているので、政治家が盗んでいる金額と説明したのだということがわかりました。 -
これは、フェルハディヤ通りとマーシャル・チトー通りの交わるところにある「永遠の火」です。
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第二次世界大戦の犠牲者をともらう「永遠の灯」なのだそう。
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次に訪れたのは、写真の薄緑色のホテル、hotel Aeccoの展望台です。
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景色を楽しむことができるカフェが展望台にあります。
私たちは眼下に見える景色を楽しみます。こちらは西方面です。ヨーロッパを思わせる建築物が並んでいます。 -
こちらは反対側の東方面です。
セルビア正教会の鐘楼が顔を出しています。 -
カトリック教会そして正教会の鐘楼、モスクのミナレットなどが、狭い範囲に混在しているのがわかります。
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ツアーには、ランチも含まれていました。お腹がすいてきたので、この"OLINPIK"というお店に入りました。
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これは、ピタ(Pita)というパイのような食べ物です。
大きな鉄板の上で、ピタがグルグル巻きで焼かれています。
注文すると、グルグル巻きのピタをカットしてくれます。 -
「ピタ」は 中に肉(Burek)またはほうれん草(Zeljanica)、チーズ(sirnica)が包まれています。ヨーグルトソースを好みでかけて食べます。
ミーナはほうれん草を、私はミートを注文しました。ピタは、ボスニアの庶民の味で朝食、昼食でも、おやつでも食べるそうです。味は、日本人の口にも合う美味しさでした♪ -
次にやってきたのは、「スブルソの家(Svrzina kuća)」。
オスマン帝国支配時代のボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける代表的な住居の一つ。今は博物館になっていて18世紀末〜19世紀にかけてのライフスタイルを見ることができるということで、案内してもらいました。 -
面白いのは、この屋敷は"selamluk"と "haremluk"という二つの空間に分かれていること。
"selamluk"には男性客を迎え、おもてなしする空間で・・・そして"haremluk"は家族の私的な空間となっているそうです。
これは家の女性たちが主人以外の男性と顔を合わせることがないようにするためなのだそうです。とてもイスラム的な考えで驚きました。
ちなみにここは、男性客用の庭なのだそうです。 -
スブルゾ氏は商人で、よく商売相手など客人を家に招きもてなしたそうで、これは応接間のような部屋です。
中央におかれているのは火鉢で、まるく突き出した部分にコーヒーカップを置き
コーヒーがさめないようにしていたのだそう。 -
これは、また別の部屋です。
部屋の間に沿ってコの字型に多くの人が座れるようになっています。 -
この部屋には、子ども用の布団が敷かれていました。
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娘さんは、住み込みの家庭教師から教育を受けていたそうです。
刺繍が好きで、この部屋で刺繍をしたり手作りのものを作ったりしていたという。
娘たちは家のどこでも行けるわけではなく、キャラバン隊の客人と顔を合わすことがないよう、隔離されていたそうです。 -
これは娘たちがくつろげる庭で、かつては花がたくさん咲いていたそうです。
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これは、昔のお手洗いです。
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奥にある"haremluk"は家族の私的な空間となっています。2階の通路は2つの部分を繋いでいます。
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シャワールームです。
「昔は、ここを引いて温水を出していたの。」と実演してくれます。 -
家族の部屋、台所や子供たちの部屋や使用人の部屋などがあります。
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ここは、うろ覚えですが、確か家族の部屋だったと思います。
部屋の一面の家具には、素晴らしいレリーフが施されています。 -
女性用の空間の一つ。奥に台所があります
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アイロンをかける場所、食べ物を貯蔵する場所などもあり・・・
上流階級の暮らしが垣間見ることができました。 -
スヴルゾの家の見学を終えて、このツアーは終了です。
このツアーのURLは次の通りです。
< http://www.sarajevoinsider.com/tours/eat-pray-love2.html>
(『食べて、祈って、恋をして』ツアーの詳細がエラーになっていたら、コンテンツの左から3つ目TOURSの一番上をクリックすると出てくると思います)
この地図は、今回訪れたところをマークしてあります。
ミーナは、もっと日本の旅行者にサラエボに来てもらいたいと言っていました。
興味のある方はラテン橋近くのinsiderの案内所まで問い合わせてください。
<追記>
また、hornets.homeunix.orgさんの旅行記は、詳しい地図入りでサラエボ観光でとても参考になりました。http://4travel.jp/travelogue/11016564 -
ミーナと別れ、あとは自分でもう少しだけ街歩きをします。
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道沿いにずっとローマ法王の写真がならんでいます。
ミーナに聞くと、「来週法王が来るのよ。とても嬉しいわ!」との答え。イスラム教もキリスト教も元は同じで、キリスト教徒のみならず、イスラム教徒も歓迎しているようでした。
帰国後、次のような報道がありました。
「ローマ法王フランシスコは6月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボを訪問した。イスラム教徒とセルビア系、クロアチア系の3勢力による激しい内戦の終結から今年で20年となり、民族の融和と宗教間の対話を促し、平和と共存を訴えた。
法王は野外ミサで、世界各地で紛争が続く状況は「第3次世界大戦のようだ」と憂慮。「戦争の空気が広がり、それをあおる者もいる」と不正な武器の取引などを批判した。1990年代の民族紛争で多数が犠牲となり苦しみを味わった国民に対し、多様性を尊重し和解の努力を続けるよう呼び掛けた。」
ローマ法王の言葉は、まさに今の世界情勢を的確に言い表されていて、その通りだと思いました。 -
川沿いには、このような立派な家も見かけられます。
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ラテン橋を渡り、歩いているときれいなイタリアン・ローズ色の教会がありました。
St.Anthony's教会&Franciscan修道院でした。 -
入口には、ピエタ像があり、奥には聖母子と修道士の像がありました。
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祭壇の背景に美しい青を基調とする聖画やその上にステンドグラスがありました。
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皇帝モスクも見学したあと、もう一度、中心部まで歩いてみることにしました。
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セビリ(水飲み場)の奥の大通りには、ひっきりなしにレトロな感じの路面電車が通ります。
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サラエヴォはヨーロッパでは初めて終日運行される路面電車が導入された都市だそうで、開業は1885年だったそう。当時、オーストリア・ハンガリー帝国のウィーンで馬車軌道からウィーンに路面電車を導入するための試験的な意味合いもあったということです。
車両は、昔のチェコ製、近年ではアムステルダムやウィーンの車両も使われているそうで、いろんな色や形状があって見ていて面白いです。 -
最後に、お土産を探していると・・・ちょっと気になるスイーツショップ発見しました。
お店の名前は"SZTR BUTIK BADEM" Abadziluk通り 12番にあります。
スイーツと言っても、ローカルフードのスイーツで、「ロクム」というお菓子。
ミーナとコーヒーを飲んだ時にお茶うけについてきたお菓子です。 -
「ロクム」は、砂糖にデンプンとナッツ(クルミ、ピスタチオ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、ココナッツ)を加えて作るお菓子で、英語ではターキッシュ・ディライトと呼ばれるそう。食感は柔らかく弾力があって、ちょっと美味しい♪
いろんな種類があって、迷いますが"Mix,please."で通じました。お値段はいっぱい入って9.36KMプラス税17%で700円弱でした。サラエボというよりトルコっぽいかもしれないですが、お土産にオススメです。 -
セビリ近くのカフェで残りの時間を過ごしました。
この日は、今回の旅行の最終日でした。夜便でイスタンブール経由で関西空港まで戻ることになっていました。 -
最後の訪問地サラエボは、予備知識を持たないで訪れた町でした。
それが、思いがけずミーナと出会い、案内してもらい大変印象に残る町になりました。
今回、スロヴェニアのリュブリャナから旅を始め、美しかったブレッド湖からクロアチアの首都ザグレブ、明るい港町ロヴィニ、スプリット、シベニク、トロギール、そしてオレンジ色の屋根瓦とアドリア海の紺碧のコントラストが美しかったドゥブロヴニクを周り、そして最後にボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルとサラエボを訪れました。
旧ユーゴスラビアの3国を巡ったのですが、それぞれの国は個性があり、旅の楽しみも場所場所で違っていたけれど、どの街も魅力的で思い出に残る場所でした♪
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この旅行記へのコメント (12)
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- aquamarine_324さん 2016/01/24 22:10:03
- はじめまして
- akikoさん
サラエボの旅行記を楽しく拝見しました。『食べて、祈って、恋をして』というフレーズに惹かれて。それってジュリア・ロバーツじゃないっけ?と思ったら、やっぱりそうでしたね笑。
私も昨年9月にサラエボへ行ったのですが、水飲み場のセビリは周辺が大規模工事中で、なんだかオフシーズンみたいでした。
ミーナさんがポーズを決めている写真を見るとセビリの周りに観光客や地元っ子が群がっていて、ああいう雰囲気は私が行った時はなかったので、ちょっと羨ましいです。
私もあのSarajevo Insiderを利用しました(27ユーロのサラエボ包囲ツアー)。トリップアドバイザーとかでもレビューが非常に高く、世界中の旅行者から評判の良い旅行会社みたいです。
でも『食べて、祈って、恋をして』というツアーの存在は初耳です。。
私は2泊したので時間はたくさんあったのですが、バシチャルシァで行ってない場所がたくさん旅行記に出てきてちょっとショックです。。私もミーナさんにガイドしてもらえばよかったなぁ。。
ただ、あまり行く前はイメージがなかったのに行ってみて凄く思い出深い場所になったというのは全く同感です!
リュブリャーナやザグレブ、プリトヴィッツェへは近いうちに必ず行く!と決めているので、予習も兼ねてまた旅行記拝見します。
ちなみに、昨年9月の旅行記はだいぶ遅れて今少しずつアップしているところで、サラエボ編は今週末か週明けぐらいにアップできると思いますので、宜しければご覧ください。
aquamarine_324
- akikoさん からの返信 2016/01/25 15:32:02
- RE: はじめまして
- aquamarine_324さん
こんにちは〜
メッセージありがとうございます!
> サラエボの旅行記を楽しく拝見しました。『食べて、祈って、恋をして』というフレーズに惹かれて。それってジュリア・ロバーツじゃないっけ?と思ったら、やっぱりそうでしたね笑。
そうなんですよ。なかなかうまいネーミングですよね。映画とは行き先は違うけれど、確かに食べて、祈りの場を見て、サラエボの街に恋したことは間違いないです(笑)
> 私も昨年9月にサラエボへ行ったのですが、水飲み場のセビリは周辺が大規模工事中で、なんだかオフシーズンみたいでした。
> ミーナさんがポーズを決めている写真を見るとセビリの周りに観光客や地元っ子が群がっていて、ああいう雰囲気は私が行った時はなかったので、ちょっと羨ましいです。
そうでしたか。あそこはサラエボの象徴的な場所の一つだから工事中で残念でしたね!工事が控えているなんて全く知りませんでした。
> 私もあのSarajevo Insiderを利用しました(27ユーロのサラエボ包囲ツアー)。トリップアドバイザーとかでもレビューが非常に高く、世界中の旅行者から評判の良い旅行会社みたいです。
そうだったんですね。私はたまたますぐ近くの宿だったので行ったのですが、ラッキーでした。
> でも『食べて、祈って、恋をして』というツアーの存在は初耳です。。
> 私は2泊したので時間はたくさんあったのですが、バシチャルシァで行ってない場所がたくさん旅行記に出てきてちょっとショックです。。私もミーナさんにガイドしてもらえばよかったなぁ。。
ミーナは毎日あのツアーと午後の別のツアーを担当しているようでした。ツアー紹介のリーフレットにも"Eat,pray,love"も出ていたと思うのですが、ミーナは一生懸命サラエボの良さを伝えようとしてくれましたし、内容の濃いオススメできるツアーでした。でも、aquamarine_324さんの参加された"サラエボ包囲ツアー"も興味深かったのではないですか?
> リュブリャーナやザグレブ、プリトヴィッツェへは近いうちに必ず行く!と決めているので、予習も兼ねてまた旅行記拝見します。
是非、また見に来てくださいね〜 日程の関係でプリトヴィッツェはパスし、その代わりにロヴィニに行きました。ロヴィニも良かったので、チェックしてみてくださいね。
> ちなみに、昨年9月の旅行記はだいぶ遅れて今少しずつアップしているところで、サラエボ編は今週末か週明けぐらいにアップできると思いますので、宜しければご覧ください。
喜んで見せてもらいますね。楽しみにしています♪
akiko
-
- yokoさん 2015/08/05 19:08:58
- サラエボに恋しそうです♪
- akikoさんこんにちは!
私が南フランスに行っている間に、旅行記が進み焦ってしまいましたが、我が家のPCの調子が悪く(私の旅行に使うお金はあるのに、PCを買い換える余裕はなく・・・)旅行記の更新やお返事が遅くなり、申し訳ありません。
モスタルやサラエボは、ツアーだからの悲しさで行っていませんでした。(スーパーだけ物価の安さで立ち寄ったような・・・)素晴らしいですね♪♪
モスタルの夕暮れや朝の風景、素敵です!!(ご存知とは思いますが、私もほとんどの街で見に行きます)
ネレトヴァ川の緑色、失礼!コバルトグリーンの川の色とスターリ・モストの石の橋を挟んで営まれるムスリム人とクロアチア人の暮らしに思いを馳せながら、見せていただきました。
いつもながら、ベストな選択のホテルの最上階からの教会の鐘楼も素敵です♪
そして、サラエボの旅行記のネーミング「食べて、祈って、恋をして」を見て、ご主人を置いての旅行で(私もそうですが・・)ついに恋に陥ったかと、自分のことのように心配しましたが、読んでいくうちに安心しました(o^^o)♪
ミーナと二人で行くことになったツアーは大正解でしたね!もし、男の人なら成立しなかったことでしょう。きっとakikoさんも強運の持ち主と思います!!
私もハプニング続きではありましたが、人に救われ楽しい旅行ができました♪♪
これからもお互い楽しい旅ができたらいいですね(^O^)
yoko
- akikoさん からの返信 2015/08/05 23:33:39
- RE: サラエボに恋しそうです♪
- yokoさん、こんにちは〜
帰国されてまだお忙しいでしょう?それにPCの調子が悪いなかコメントどうもありがとう〜〜( ^ω^ )
> モスタルやサラエボは、ツアーだからの悲しさで行っていませんでした。(スーパーだけ物価の安さで立ち寄ったような・・・)素晴らしいですね♪♪
モスタルやサラエボは大人気の街ではないので、ツアーではあまり行かないみたいですね。
私もドゥブロヴニクから帰国しようと思ったんですが、モスタルがクロアチアの街とは全然風景が違っていて、スターリモストの橋も見たかったこともあり、行くことにしました。
> モスタルの夕暮れや朝の風景、素敵です!!(ご存知とは思いますが、私もほとんどの街で見に行きます)
そうですよね。yokoさんもホテルの部屋をそうっと出て、早朝に街歩きに出かけるタイプですよね。私も同じ!朝焼け・夕焼けが好きなのも同じですよね〜 今回の私の旅は、思っていた以上に観光客が多くてどの町も昼間は写真を撮っても人・人・人でした。その点早朝や夜は、人が少なくゆっくり街歩きを楽しむことができました。やっぱり早朝・夕方は見逃せないですよね(^_−)−☆
> ネレトヴァ川の緑色、失礼!コバルトグリーンの川の色とスターリ・モストの石の橋を挟んで営まれるムスリム人とクロアチア人の暮らしに思いを馳せながら、見せていただきました。
宗教が違うと価値観も違って対立しがちだと思うんですが、今はお互いを尊重し合い、希望の橋を行き来し、うまく共存できているようでした。橋が復元されて本当に良かったわ^^
> そして、サラエボの旅行記のネーミング「食べて、祈って、恋をして」を見て、ご主人を置いての旅行で(私もそうですが・・)ついに恋に陥ったかと、自分のことのように心配しましたが、読んでいくうちに安心しました(o^^o)♪
ふふふ、旅先で恋に落ちる・・・ロマンチックですね〜〜 「実はね〜」と言いたいところですが、ナイナイ(笑)いつも、せっかく遠くまで来たのだから、と素敵な景色を探して歩きまわり、ホテルに戻ると疲れてバタンキューの旅行パターンで、隙は全くナシ。きれいな景色に出会えるだけで大満足なの。心配してくれてありがとう〜〜♪
> ミーナと二人で行くことになったツアーは大正解でしたね!もし、男の人なら成立しなかったことでしょう。きっとakikoさんも強運の持ち主と思います!!
そうですよね〜最初、乗り継ぎ便がキャンセルになった不運があったけど、それが帳消し以上になった 気がします。サラエボは一番期待していなかったのに、ミーナと出会えて一番心に残った街になりました。
> 私もハプニング続きではありましたが、人に救われ楽しい旅行ができました♪♪
yokoさんの旅もハプニングが結構あったのですね?でもそのような時に助けてもらうと、本当にありがたく、心に残りますよね。ハプニングも旅の楽しみなのかもしれません。
> これからもお互い楽しい旅ができたらいいですね(^O^)
本当に!旅っていいですね〜♪
yokoさんの旅の続きを見せてもらいに行きますね。
akiko
-
- ukigumoさん 2015/07/27 15:13:03
- "Eat, Pray, Love"!!
- akikoさん
こんにちは♪
サラエボも異国情緒たっぷりの素敵な街ですね。
ほんとに映画のセットみたいですね。
ツアーのガイドのミーナさんとプライベートツアーいいですね!!
写真にもちょこっと登場していますが、可愛らしい方ですね。
イスラム国について、実際にイスラム教徒の方からしてもやり切れないという思いが伝わってきました。
ビルの数字板を見てミーナさんが言ったように、政治家達ばかりが私腹を肥やすのではなくて、若者の教育や仕事にもたくさんの機会が与えられるようになるといいですね。
コーヒーと一緒に食べたお菓子ですが、ロクムというのですね。
モスタルの宿でお土産に貰ったのを思い出して写真を見たら箱にロクムと書いていました。
ちょっと甘過ぎかなと思いますがモチモチして美味しいですよね。
そして、歩行者天国の通りのラインの左右で街並みががらっと変わるのにはびっくりでした。
まだユーゴ紛争の悲劇が残されているのも心痛みますね。
未来ある子供達が犠牲になったことは忘れてはいけないことですね。
でも、これからの未来が見えるような平和な街になってきているのが街角のあちこちから垣間見れて良かったです。
公園の大きなチェスは私もチューリッヒで見ました!
ツアーはほんと充実の内容でしたね。
恋をしてはakikoさんはないとおっしゃっていましたが、このサラエボという街に恋をしたのではないでしょうか?
街の素敵な魅力が旅行記から伝わってきましたー♪♪
また次はどんなakikoさんの旅したヨーロッパが見れるのか、楽しみにしていますね(^o^)
ukigumo
- akikoさん からの返信 2015/07/27 21:30:32
- RE: "Eat, Pray, Love"!!
- ukigumoさん、こんにちは
コメントどうもありがとうございます♪
> サラエボも異国情緒たっぷりの素敵な街ですね。
> ほんとに映画のセットみたいですね。
そうなんです。モスタルとまた違う雰囲気で、タイムマシンでひと昔のトルコの町にきたような気もしたんです。
> ツアーのガイドのミーナさんとプライベートツアーいいですね!!
> 写真にもちょこっと登場していますが、可愛らしい方ですね。
私も最初見た時、モデルさんみたいだと思いました。ふだんは6〜8人のグループを担当しているらしく、この日はいろいろプライベートなことまで話してくれました。最初二人で困ったなと思ったけれど、結果的にはドイツ人が現れなくて良かったです(^_^)v
> イスラム国について、実際にイスラム教徒の方からしてもやり切れないという思いが伝わってきました。
ムスリムの人たちは、みなさんとても真面目に宗教と向き合っている印象を受けました。ミーナは「ISのせいでイスラム教を信じている人たちは恐いとか困った人たちというイメージが持たれるのは、とても辛い!」とも話してくれました。ムスリムの人たちには本当に迷惑な話ですよね。
> ビルの数字板を見てミーナさんが言ったように、政治家達ばかりが私腹を肥やすのではなくて、若者の教育や仕事にもたくさんの機会が与えられるようになるといいですね。
本当にそう思います。経済的な停滞や政府汚職に対する大規模な反政府デモがよく起きているみたいで、独立はしたものの残念ながら完全に民主化はされていないみたいです。ukigumoさんの言う通り、これから国を背負っていく若者に教育や仕事について何よりも優先して施策を考えてもらいたい、なんてほんのちょっと旅行しただけで偉そうですが、思いました。
> コーヒーと一緒に食べたお菓子ですが、ロクムというのですね。
> モスタルの宿でお土産に貰ったのを思い出して写真を見たら箱にロクムと書いていました。
> ちょっと甘過ぎかなと思いますがモチモチして美味しいですよね。
むふふ( ^ω^ )ukigumoさんもロクムファンクラブに入りませんか(笑)
> そして、歩行者天国の通りのラインの左右で街並みががらっと変わるのにはびっくりでした。
そうそう。あの白線興味深いでしょう。私も驚きました。線が引けるほど街の区画がスパッと分けられているんです。
> まだユーゴ紛争の悲劇が残されているのも心痛みますね。
> 未来ある子供達が犠牲になったことは忘れてはいけないことですね。
> でも、これからの未来が見えるような平和な街になってきているのが街角のあちこちから垣間見れて良かったです。
道路に赤くペンキが塗られた"サラエボのバラ"も二度と戦争を起こしたらいけないという意思表示だと理解しました。薬莢で作られたペンも「私たちの心は悪から正へと矯正できる」という意味を持つと聞きました。住民の人たちのこのような考えを知ることができてよかったです。
> 公園の大きなチェスは私もチューリッヒで見ました!
ヨーロッパの人たちはチェスが好きなんですね〜〜
> ツアーはほんと充実の内容でしたね。
> 恋をしてはakikoさんはないとおっしゃっていましたが、このサラエボという街に恋をしたのではないでしょうか?
そうかもしれません。サラエボは、景色が美しくて居るだけで幸せになれる街とは程遠いところです。でも正直なところ、今回の旅のなかで一番心に残った街かもしれません。現地の人とまわったせいかもしれないのですが、不思議な魅力がある街だと思いました。
> 街の素敵な魅力が旅行記から伝わってきましたー♪♪
ukigumoさん、優くてとても丁寧なコメントを寄せてもらってとてもうれしいです。
本当にありがとうございました(*^^*)
akiko
-
- yume-chanさん 2015/07/25 23:25:13
- 実のある良い観光でしたね〜!
- 旅行記のUPお疲れ様です。
あまり馴染みのない国、近年悲惨な紛争?戦争があった国のイメージですが、今は本当に落ち着いて素敵な国になっているんですね。
とても興味深く拝見しました。
バシュチャルシヤの写真を見て、トルコのサフランボルにそっくりだと思いました。町もお土産物も同じ様な感じです。
スヴルゾ氏の家は、サフランボルの民家そのままです。
読み進んで行くと、やはりオスマントルコ時代の影響が大きかったんですね。
コーヒーも同じ、ロクムもサフランボルで作られています。私も大好きで、特にピスタチオ入りがお気に入りです。
白線で分かれた街並み、面白いですね。
オスマントルコ、オーストリアとハンガリー帝国・・・
昔から他国の攻めで苦境苦難にあって来た国なんですね。
「サラエボのバラ」「永遠の灯」には心が打たれます。
ヨーロッパは国同士が隣り合っている分、宗教問題も含め領土争いも多かったんですね。
歴史を知ると、知識も積まれ旅も有意義になりますね。
特に現地でのガイドはリアルです。
私も歴史を知る旅がしたい・・・
余談ですが、たまたま昨日世界史の参考本を買ってしまいました。
「最新世界史図説 タペストリー」これでちよっと世界史の復習をしてみようと思っていますww
- akikoさん からの返信 2015/07/26 17:43:50
- RE: 実のある良い観光でしたね〜!
- yumeさん、こんにちは♪
サラエボで今回の旅の旅行記完了しました。
> あまり馴染みのない国、近年悲惨な紛争?戦争があった国のイメージですが、今は本当に落ち着いて素敵な国になっているんですね。
私もクロアチア紛争やボスニア内戦のことは聞いてはいたのですが、よく知らない遠い国のことでした。今回旅して、今なお残る傷痕を見て地元の人の話を聞いて、民族間の悲惨な争いについて知りました。今では、ガイドのミーナも言ってましたが和解してお互い尊重しあって暮らしているようでした。町も落ち着いて、東西文化双方見ることができるという観光資源がある魅力的な都市になっています。
> バシュチャルシヤの写真を見て、トルコのサフランボルにそっくりだと思いました。町もお土産物も同じ様な感じです。
> スヴルゾ氏の家は、サフランボルの民家そのままです。
yumeさんのトルコの旅行記でサフランボルの町を見せてもらいました。確かに良く似ていますね!おっしゃるようにオスマントルコ時代が長く、その影響が大きかったようです。
> コーヒーも同じ、ロクムもサフランボルで作られています。私も大好きで、特にピスタチオ入りがお気に入りです。
ロクム、yumeさんも好きですか?私も気に入ってもっと買ってくればよかったと後悔しています。cooさんも好きみたいなので、ロクムファンクラブ作りましょうか(笑)
> 白線で分かれた街並み、面白いですね。
> オスマントルコ、オーストリアとハンガリー帝国・・・
> 昔から他国の攻めで苦境苦難にあって来た国なんですね。
あの白線で街並みが変わるって面白いでしょう?下を注意して見ていないと見逃してしまう線なのですが、サラエボを知るには、欠かせないポイントだと思いました。日本は島国で陸に国境線がないから他国からの侵略されることはほとんどなかったですが、ヨーロッパなど大陸は侵略に次ぐ侵略で、様々な苦難があったのでしょうね。
> 「サラエボのバラ」「永遠の灯」には心が打たれます。
> ヨーロッパは国同士が隣り合っている分、宗教問題も含め領土争いも多かったんですね。
本当にそうだったんだろうと思います。自分勝手な言い方ですが、日本に生まれて感謝します。
> 歴史を知ると、知識も積まれ旅も有意義になりますね。
> 特に現地でのガイドはリアルです。
歴史を知った上で訪れるのと、知らないで訪れるのとでは大違いですね。今回、歴史はあまり知らなかったのですが、ガイドさんに助けられ、いろいろ知ることができ良かったです。
> 余談ですが、たまたま昨日世界史の参考本を買ってしまいました。
> 「最新世界史図説 タペストリー」これでちよっと世界史の復習をしてみようと思っていますww
学生の頃は試験勉強のために世界史を勉強していましたが、今は自分からもっと知りたいと思うようになりました。私も同じです〜〜
yumeさんはまだ旅行記続くのですね。またお邪魔しますね。
akiko
-
- cooさん 2015/07/25 21:58:53
- こんばんは
- akikoさん、続編楽しみにしていました。
偶然に知ったツーリストでまた偶然に1対1でガイドしてもらえるなんて、本当に旅って面白いですよね、この偶然というか予期せぬ出来事が楽しいんですよね。
全く知らない街のことなのに読んでいる方までいろいろ学べて読み応えのある旅行記でした。お天気もずっと良くて素敵な写真のオンパレードでしたね。
ありがとうございました。
coo
PS:ロクムは私もトルコでお土産に買いましたよ♪
- akikoさん からの返信 2015/07/25 22:27:06
- RE: こんばんは
- cooさ〜ん、いつもありがとうございます^ ^
> 偶然に知ったツーリストでまた偶然に1対1でガイドしてもらえるなんて、本当に旅って面白いですよね、この偶然というか予期せぬ出来事が楽しいんですよね。
本当にそうです。insiderの方が一人なのによく催行してくれたと感謝しています。もし人が集まらなかったのでと断わられていたら、こんなにサラエボで濃い体験はできなかったと思います。一人旅にはハプニングがつきものですが、これはうれしいハプニングでした。
> 全く知らない街のことなのに読んでいる方までいろいろ学べて読み応えのある旅行記でした。お天気もずっと良くて素敵な写真のオンパレードでしたね。
そう言ってもらえて、なによりうれしいです。ありがとうございます〜〜
> PS:ロクムは私もトルコでお土産に買いましたよ♪
cooさんも買われましたか?食感もいいですし、ちょっと美味しいですよね!お値段も安くてロクムファンになりました(笑)日本でも手に入らないかしら〜
最後まで見ていただいてありがとうございました。
akiko
-
- マリアンヌさん 2015/07/25 11:49:24
- サラエボ♪
- akikoさん、こんにちわ。
サラエボにも行かれたなんてスゴイですね。
先の戦争の映像が頭をよぎりますが、ずい分普通の生活に戻っているんですね。そして想像以上にブルガリア・トルコっぽいのに驚きました。
もう少し(サラエボ事件もあたように)ハプスブルグ家の感じがあるのかなぁと思ってました。
それにしてもツアー、いいですね!
akikoさん、英語堪能でいらっしゃるんですね。
私だったら残念ながら、説明がわかんないです(笑)
ボスニア・ヘルツェゴビナというとサッカーの元監督オシム氏や現監督のハリル・ホジッチ氏を思いだします。
私的には、戦争の含め故国で苦労されたその精神力に指導力を期待しています。
勉強不足ですが、旧ユーゴの中では、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボなどが一番民族が入り混じり複雑な内情なのではないでしようか。
いつか私も訪れてみたいです。
珍しい街にご案内いただきありがとうございました。
マリアンヌ
- akikoさん からの返信 2015/07/25 21:51:25
- RE: サラエボ♪
- マリアンヌさん
見ていただいてありがとうございます♪
> サラエボにも行かれたなんてスゴイですね。
サラエボは観光というより、サラエボ空港から帰国するために訪れた町だったんです。
あまり期待していなかったのですが、サラエボを知ることができて本当に良かったです!
> 先の戦争の映像が頭をよぎりますが、ずい分普通の生活に戻っているんですね。そして想像以上にブルガリア・トルコっぽいのに驚きました。
> もう少し(サラエボ事件もあたように)ハプスブルグ家の感じがあるのかなぁと思ってました。
一部分、内戦で破壊された建物や弾痕の痕、サラエボのバラなどが残っていたりしますが、生活は普通で、平和だと思いました。ブルガリアはわかりませんが、トルコの影響は色濃く残っているようでした。私の見た限りでは、ハプスブルグ家を想起させる建物はありましたが、色濃く残る町並みはなかったような・・・見てないだけかもしれませんが。
> それにしてもツアー、いいですね!
"EAT PRAY LOVE"ってネーミングに惹かれました(笑)最初は2人っきりのツアーでどうなることやら、と思いましたが、地元の人でないと行けないところも案内してもらい、とても良い体験をさせてもらいました。英語は堪能ではないんですよ。ガイドのミーナさんは英語のネイティブスピーカーでないので、聞き取りやすかった気がします。一生懸命わかるように説明してくれたのがありがたかったです。
> ボスニア・ヘルツェゴビナというとサッカーの元監督オシム氏や現監督のハリル・ホジッチ氏を思いだします。
> 私的には、戦争の含め故国で苦労されたその精神力に指導力を期待しています。
マリアンヌさんはサッカーファンなのですね。オシムさんは、かつて、家族がいる故郷サラエボを攻める勢力の敵軍セルビアのチームの監督を続けたそうですね。プロ中のプロです!現監督もボスニア出身だということで、偶然なのか、サッカー監督はボスニア・ヘルツェゴビナに縁がありますね。
> 勉強不足ですが、旧ユーゴの中では、ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボなどが一番民族が入り混じり複雑な内情なのではないでしようか。
> いつか私も訪れてみたいです。
私もお恥ずかしい話、訪れる前は旧ユーゴの民族問題はほとんど知りませんでした。でも、実際旅してみて、スロベニア・クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナは雰囲気が全然違っていました。民族問題にプラス宗教が加わり、余計に複雑なのでしょうね。コソボも同様だと思います。
ローマ法皇が先日、内戦終結20周年の記念野外ミサで、「多様性を尊重し和解の努力を続けるよう」に呼び掛けたそうですが、違いを排除するのではなく違いを認めてお互い暮らしていって欲しいですね。
コメントどうもありがとうございました♪
akiko
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