2015/05/08 - 2015/05/08
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
本日3か所目のサンタ・プディンツィアーナ教会は、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の後陣が面しているエスクィリーノ広場から歩いて2、3分。プディンツィアーナはプラッセーデの姉妹ですが、実在人物かどうかは。今もって確認されていません。プラッセーデについては、こちらを読んでくださいね。http://4travel.jp/travelogue/11031090
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
サンタ・プディンツィアーナ教会にやってきました。色落ちしてみすぼらしいオレンジ色の壁、かつてはフレスコ画が描かれていたという痕跡程度しか残っていない2階の壁と三角形のペディメントを一目見て気に入りました。
元は2世紀にテルマエ・ノヴァエという浴場として使われ、4世紀の原始キリスト教時代から今日に至るまで破壊を免れてきたローマでも最古の建物の一つです。伝説上の殉教者プディンツィアーナに捧げられています。 -
伝説によれば、最初の教会(あるいは礼拝堂)は、ここにあった住宅の庭に教皇ピウス1世(在位142年?〜155年?)の時代に作られたと言われています。後にここはプデンテのティトルス(教会)と呼ばれるようになったのですが、プデンテ(プラッセーデとプディンツィアーナの父)は単にその家の元所有者だったというだけかもしれません。
現在の教会は、1870年にアントニオ・マンノによりオリジナルの建物に沿った様式で復元されたものです。現在殆ど消えかかっている聖母子のフレスコ画もマンノの作品。 -
1階屋根の三角部分「ピラスター」には損傷の激しい聖母子像が描かれています。その下のエンタブラチュア(ギリシャ・ローマ建築で、柱で支えられる水平部分のこと)の細かい装飾が素晴らしい!
5つの円形(トンド)の彫刻は神の羊を中心に、両脇には、プデンテの姉妹(男に見えるけれど!)が、殉教者の血で満たされた壺を掲げています。左がプディンツィアーナ。右がプラッセーデ。一番左の人物がプデンテ、そして右端がサン・パストーレ?だそうです。サン・パストーレという人については、全く資料がありません。 -
サンタ・プディンツィアーナ教会の中に入りました。身廊は7つずつアーチのあるアーケードで仕切られています。
天井はシンプルなバレルアーチ型。金ぴかのサンタ・マリア・マッジョーレの後だけに、とても粗末に見えました。 -
天井でただ一つ目を引いたのが、こちらの枢機卿エンリコ・カエターニ(1550 年〜1599年)の紋章。紋章は8本のリボンのついたリースで囲まれていました。彼はシクストゥス5世時代の枢機卿で、外交官としても活躍しました。
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床は煉瓦を組み合わせたようなデザインで、こちらでも目立っていたのは枢機卿アルベルト・ディ・ジョリオ(1884年〜1979年)の紋章。この紋章、教会の外壁右にも、2枚前の写真の「勝利の門」中央にもでーんと目立っていました。
彼は別名「ヴァチカンの銀行」と呼ばれていて、ヴァチカンの富を一挙に増やした原動力でした。この教会に沢山寄付してくれたのかな??? -
ご覧のように、両側のアーケードの中が、そのまま礼拝堂となっています。
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19世紀初頭に作られた主祭壇は、後陣の壁に取り付けられ、2本のイオニア式柱で支えられています。
祭壇画は、1803年にベルナルディーノ・ノッチが描いた「サンタ・プディンツィアーナの神格化」。左上で、大きく両手を広げているのがプディンツィアーナです。両側の絵画は同じ画家によるサン・ティモテウス(左)とサン・ノヴァトゥス(右)。誰だと思います?
なんとプディンツィアーナとプラッセーデの兄弟なんですって。父親の存在が否定されているのに、これで登場人物は全部で5人。全て聖人の称号を持っていますが、実在しなかったとされています。なんのこっちゃ??? -
ほぉ〜 こちらの教会のドームは円形ではなくて楕円形です。フランチェスコ・カプリアーニ・ダボルテラによって設計されたこのドームの内側は、ポマランチオ作のフレスコ画で飾られています。そこはまさに極楽浄土・・・じゃなかった、天国で、キリストは天使たちや楽器を奏でる人々の歓待を受けています。
ドームには四つの窓がついており、窓と窓の間には全部で10人の聖人が描かれています。 -
早くもこの教会のハイライトに到達してしまいました。
後陣のモザイクです。
比較的新しいものに見えるでしょう? ところがどっこい、このモザイクはが作られたのは390年ごろ。ローマで最も古く、最も重要とされているモザイクなのです。キリストが彼の使徒たちをアーチのある中庭へと導いている場面が描かれています。 -
見る限りにおいては、使徒の数は全部で10名。2名欠けています。
キリストの左隣にはサン・ピエトロ、右隣にはサン・パオロ。使徒たちの後ろにいる女性2人については、プディンツィアーナとプラッセーデとみなされがちですが、これについては色々と意見があって、確信はありません。(姉妹だとする意見の場合には、右側の女性がプディンツィアーナだとしています。)
不思議だなあと思ったのは、右の女性は確かにリース(花輪)を携えていますが、左の花輪を持つのは、女性ではないように見えるところ。よ〜く見てください。腕の角度が不自然だと思いませんか? にょきっと腕が生えているみたいに見えます。 -
もう一度後陣全体像をどうぞ。
モザイクの上部には大きな十字架。そして四人の福音記者のシンボル、左からマタイ= 人(天使)、マルコ= 獅子、ルカ= 雄牛、ヨハネ= 鷲が描かれています。両端が欠けているように見えますが、こちらも行方不明の使徒2人とともに「消された」のでしょうか?
謎めいたモザイクですが、人物の描写、表情等が巧みで、本当に4世紀?と思ってしまいました。 -
こちらは、サンタ・プディンツィアーナ教会で一番派手だった入り口左脇にあるカエターニ家礼拝堂。デザインはフランチェスコ・ヴォルテッラによるものですが、彼の死後はカルロ・マデルノに引き継がれました。そう、あのサン・ピエトロ大聖堂のファサードを手掛けた人です。
まさにバロック全盛といった色遣いと賑やかな装飾ですね。 -
身廊のアーチにそのままはめ込まれたような記念碑がありました。こちらは、枢機卿ルチアナ・ボナパルトのモニュメントです。彼は19世紀にこの教会の修復を手掛けた人です。上部にはアヴィラの聖テレサと幼いキリストを描いた絵が飾られています。
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上の記念碑と対になっているようなこちらは、ウクライナ生まれの枢機卿Włodzimierz Czackiのモニュメントです。1887年にピウス・ウェロンスキによって作られました。(墓の部分は写していません。)
奇妙なのは、上部に飾られた絵です。この修道女は、蝋燭の蝋をとかして自分の手に落としているように見えます。一体何のために? 彼女の名前は調べても出てこないし、不思議です。
苦行? それともマゾ? まさか!!
なぜ追悼メモリアルにこの絵が必要なのかも結局わからず仕舞いでした。 -
最後に紹介するのは、この教会には、プディンツィアーナとプラッセーデの姉妹が、3000人もの殉教者の遺体を隠し、遺体からこぼれた血をぬぐって流し込んだという「聖なる井戸」があるのですが、これは、その井戸のそばにあった絵です。
美しい姉妹が沈着冷静な面持ちで行っている作業を見ると・・・!!!
この絵の作者は定かではありませんが、アントニオ・タナーリが1700年頃に描いたのではと言われています。 -
色々な謎が解決できないまま、教会を立ち去ります。最期まで殆ど人気のない教会でした。伝説の人物なのに、プラッセーデ教会にも(井戸の跡だけ)、そしてここプディンツィアーナ教会にも井戸は実在したんですよね。まあ、井戸ならどこの住宅でもあるっていえばそれまでですがね。
この教会には、地下に古代の住宅の遺跡がそのままの形で残されているそうです。見学はできないそうですが、調査の結果、豪華な邸宅で、おそらく紀元前50年〜200年の間の時代に建てられたものだということです。もしかしたら、プデンテ一族の謎を解明できる手がかりが見つかるかもしれませんね。 -
いつの間にか正面の扉は閉められていて、帰りは左側に見える扉から出てきました。
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正面に向かって右側には、古ぼけた色が何とも魅力的な中庭がありました。修復の歴史を感じさせる建物ですね。
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古い壺を用いたディスプレイがなかなか味のあるものになっています。観葉植物がご覧の通り、たくさん置かれていました。
細長い壺は交易用のアンフォラといって、ワインなどを船で運ぶ際に穴のあいた台に挿したりして使っていたもののようです。上手に再利用!! -
中庭から塀越しに教会の建物を見上げると、細かい装飾がびっしりと施されているのがわかります。
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教会正面の庭から見上げると、かなり高いところを道路が通っています。これは、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に向かう道を整備した際に、かさ上げした結果のようですが、見た時は、古代ローマは地下に埋もれているんだなと勝手に想像してしまいました。
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1160年に建てられたという形の良い鐘楼はロマネスク様式。五層に分かれていて、一番下層のみ二つのアーチ。ほかは三つのアーチで、上層三層には、白い大理石の柱がはめ込まれています。
塔のてっぺん近くにある四角や丸の飾りが太陽に反射してキラキラ光っていました。 -
これで午前の部終了。これからテルミニ駅に向かいます。
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オベリスクがそびえる、サンタ・マリア・マッジョーレ後陣前のエスクィリーノ広場を抜けて・・・
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テルミニ駅からは地下鉄B線を利用します。
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レビッビア行に乗り込んで、終点の一つ手前、ポンテ・マンモーロで下車。改札口の階にあるタバッキで、Cotral社のティヴォリ行きの乗車券を往復ゲット。ティヴォリ行のバスターミナルは、そこからエスカレーターで、もう1階分上がったところにあります。
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ポンテ・マンモーロ→ティヴォリ間のバス運賃は2.2ユーロでした。行きはティブルティーナという町(テルミニとポンテ・マンモーロの間にある同名の地下鉄の駅がある町で、これならティブルティーナから乗れば良かったと思ったのを覚えています。)経由だったので1時間以上かかりましたが、帰りは高速道路経由で、その半分くらいの時間で着いたので、経由地を確かめてから乗った方が良いと思います。
この季節、途中の草原という草原は、この赤いケシのような花が咲き乱れていて、大変美しかったです。東京でもよく見かけるオレンジのケシの花の仲間で、要は雑草なんでしょうが、5月のローマを形容するにふさわしい色という気がしました。 -
「ヴィッラ・デステならここだよ!」と大きな声をあげて教えてくれた男性のおかげで、無事ラルゴ・ナツィオーニ・ウニテで下車。勿論バス停のアナウンスはないので、気を付けてはいたんですが、下りそこなうところでした。
ローマからのバスが停まる場所から少し離れた道路の同じ側に小さなインフォメーションがあったので、ここで地図やバスの時刻表をもらうとよいと思います。ハドリアヌス帝の別荘に行くためのバス乗り場は、道路の反対側。切符はタバッキで購入しました。(片道1ユーロ)
この写真は、バス停から道を渡ったところにある公園からの眺め。 -
上の写真を拡大したものです。いつの間にか、こんなに上ってきたようです。ティヴォリはローマの東約30km。古くから保養地として知られている町で、ハドリアヌス帝がここに別荘の建設に着手したのは118年のこと。そして、枢機卿イッポリート2世・デステがローマ教皇の座を巡る争いに敗れ、引退して引き籠ったティヴォリで別荘を建て始めたのが1549年のこと。
現在この二つの別荘はともに世界遺産に登録されていて、それらを見にやってきたというわけです。見晴らしの良い公園から眺めると、正面に見える小高い丘には、てっぺんまで住宅が立ち並んでいるのがわかります。 -
広場の向こうには、ロッカ・ピアという古いお城が見えました。地球の〇き方にも掲載がないお城です。ロッカは岩、ピアは城を作るよう命じた教皇ピウス2世(ヒューマニストとして知られています)の名前に由来しています。「ピウスの岩」というような意味ですね。政党間の争い、貴族たちの内部抗争などが立て続けに起こっていたティヴォリの町を教皇自らが掌握し、反乱や暴力を未然に防止するために1461年に建設されたそうです。
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左の教会は、ティヴォリの町にもあった「サンタ・マリア・マッジョーレ」教会。その右側に見えるのが、エステ家の別荘「ヴィッラ・デステ」の入り口です。
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お腹がすいたので、別荘に入る前に、別荘前の広場のカフェで軽食を取りました。
こちらは、サンタ・マリア・マッジョーレ教会から広場を挟んで反対側にあった建物です。 -
広場にあった、下半分だけの顔の噴水。目がないのに、涙が滴り落ちていました。
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さて、教会マニアとしては、まずこの教会にちょっとだけお邪魔することにしましょう。
サンタ・マリア・マッジョーレ(ティヴォリ)教会は、町の重要な宗教施設の一つで、ベネディクト会により運営されてきました。ティヴォリ出身の教皇聖シンプリチオ(在位468年〜483年)が紀元前1世紀のローマの歴史家Gaius Crispus Sallustの住居跡に教会を建てたのが始まりとされています。とても印象的なバラ窓が作られたのは13世紀末、鐘楼は1590年、ヴィッラ・デステも手掛けた建築家アルベルト・フェッラーラによって作られました。 -
教会の内部です。三廊式で、壁に固定されたものと吊り下げられたシャンデリア型のものがある沢山の燭台が、まず目を引きます。
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祭壇も11個のシャンデリア型燭台で縁取られています。中央には、1592年に作られた聖母子の絵画がはめ込まれた祭壇があります。
しかし、この・・・周りで飛び回っている天使は、はっきり言ってない方が良いなあ・・・ -
ドームの天井です。左右の壁に描かれているのはサン・フランチェスコでしょうか?
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コスマーティ様式の床は、13世紀のもので、レオ・ボニーニの妻マリアによるもの。女性の制作者の名前が残されているのは、珍しいことです。
この床も大変美しかったのですが、写真が下手すぎますね・・・ -
聖歌隊席のフェンス、イコノスタスで使われていたオリジナルのコスマーティ様式の一部が残っていて、ロビーに展示してありました。
左側のデザインは初めて見る物。大変豪華で美しいデザインです。イコノスタスというのは、正教会で使われるイコンで覆われた壁のことですが、昔はカトリックにもそうした仕切りがあったということなのかしら? -
こちらは、左側廊にあったサン・フランチェスコ礼拝堂です。
左の女性はサンタ・キアラ(聖フランチェスコに最初に帰依した一人)、右はパドヴァの聖人サン・タントリオ。この人は、いつも子供を抱いています。 -
写真がへぼで少し見にくいですが、この礼拝堂の左右の壁には、フェデリコ・ツッカリ派によるフレスコ画が残されていました。(16世紀半ばの作成)
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こちらは左側の壁。蛇が巻き付いているようなねじれた柱が特徴的です。
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サンタ・マリア・マッジョーレ教会祭壇付近から身廊後部を撮った写真です。13世紀末のバラ窓が目立っていますね。
さあ、ではいよいよ、ヴィッラ・デステに入場します。元々、別荘はこの教会に併設されている修道院でした。イッポーリト2世・デステは、修道院を改装して自らの住み家とし、その周囲に巨大な庭園を造らせたのです。
この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その9 ティヴォリ(2)ヴィッラ デステで!
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