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フィリピンをあちこち旅行していると、偶然にも日本との関わりを示す記念碑を見つけることがある。例えば、このタイトル・ページの「高山右近像」のような記念碑がマニラにあり、これなど案外知られていないようである。<br /><br />また太平洋戦争に関する記念碑や博物館なども各地にある。小生が主に訪れたところはルソン島 ( 首都マニラがある島 )であるが、この島には日本軍が最後まで戦った戦場や降伏した場所などが残されている。ただ、他のレイテ島やコレヒドール島のような初期の激戦地とは異なリ、もう最後のみじめな逃避行のようなところばかりである。<br /><br />このような場所には多くの日本兵の遺骨が残されていて、未だに収集されていないものがたくさんある。日本政府は手をこまねいている状態で、大きな成果を上げていないようだ。

フィリピンと日本との関わりを求めて

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2015/05/01 - 2015/07/30

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Weiwojing

Weiwojingさん

フィリピンをあちこち旅行していると、偶然にも日本との関わりを示す記念碑を見つけることがある。例えば、このタイトル・ページの「高山右近像」のような記念碑がマニラにあり、これなど案外知られていないようである。

また太平洋戦争に関する記念碑や博物館なども各地にある。小生が主に訪れたところはルソン島 ( 首都マニラがある島 )であるが、この島には日本軍が最後まで戦った戦場や降伏した場所などが残されている。ただ、他のレイテ島やコレヒドール島のような初期の激戦地とは異なリ、もう最後のみじめな逃避行のようなところばかりである。

このような場所には多くの日本兵の遺骨が残されていて、未だに収集されていないものがたくさんある。日本政府は手をこまねいている状態で、大きな成果を上げていないようだ。

旅行の満足度
4.0
  • マニラのディラオ広場にキリシタン大名・高山右近の銅像が建っている。<br /><br />高山右近がキリスト教の信仰故にマニラに流刑になったのは1614年(慶長20)であった。徳川家康のキリシタン国外追放によって、長崎から家族やともに追放された内藤如安等と12月にマニラに到着した。<br /><br />スペイン総督のファン・デ・シルバ等から大歓迎を受けたが、船旅の疲れや慣れない気候のために老齢の右近はすぐに病に倒れ、翌年1月8日に亡くなった。享年64歳であった。 <br /><br />葬儀は総督の指示によりインストラムスの中にある聖アンナ教会で盛大に執り行こなわれた。彼の死後、家族は日本への帰国を許され、戻ることが出来た。<br />

    マニラのディラオ広場にキリシタン大名・高山右近の銅像が建っている。

    高山右近がキリスト教の信仰故にマニラに流刑になったのは1614年(慶長20)であった。徳川家康のキリシタン国外追放によって、長崎から家族やともに追放された内藤如安等と12月にマニラに到着した。

    スペイン総督のファン・デ・シルバ等から大歓迎を受けたが、船旅の疲れや慣れない気候のために老齢の右近はすぐに病に倒れ、翌年1月8日に亡くなった。享年64歳であった。 

    葬儀は総督の指示によりインストラムスの中にある聖アンナ教会で盛大に執り行こなわれた。彼の死後、家族は日本への帰国を許され、戻ることが出来た。

  • 着ているものにやや違和感を覚えるが、屹然とした姿に畏敬の念を覚える彫像である。

    着ているものにやや違和感を覚えるが、屹然とした姿に畏敬の念を覚える彫像である。

  • 小生はこの方向から見た右近像が好きである。十字架を手にし、はるかかなたの日本を見るようなまなざしは、もう日本へ帰ることが出来ないつらい思いと異国での生活に立ち向かおうとする勇気を表しているような気がする。<br /><br />

    小生はこの方向から見た右近像が好きである。十字架を手にし、はるかかなたの日本を見るようなまなざしは、もう日本へ帰ることが出来ないつらい思いと異国での生活に立ち向かおうとする勇気を表しているような気がする。

  • この右近像がある一角は比日友好公園となっていて、かってはこのあたりに日本人町があったそうである。

    この右近像がある一角は比日友好公園となっていて、かってはこのあたりに日本人町があったそうである。

  • 右近を紹介している文とこの公園についての由来が書かれた記念板がある。

    右近を紹介している文とこの公園についての由来が書かれた記念板がある。

  • この公園にはもう一つ記念碑がある。最初気が付かなかったが、公園内を歩いていて、このようなものがあるのを見つけた。大きなモニュメントの下にある石に刻まれた2つの記念碑と墓石である。

    この公園にはもう一つ記念碑がある。最初気が付かなかったが、公園内を歩いていて、このようなものがあるのを見つけた。大きなモニュメントの下にある石に刻まれた2つの記念碑と墓石である。

  • 「日本人移民100周年記念 日比友好の塔」とあり、その下に「両国が今後一層友好を深めることを願う」と微かに読むことが出来る。赤いペンキが塗られているので、よく判読できない部分がある。

    「日本人移民100周年記念 日比友好の塔」とあり、その下に「両国が今後一層友好を深めることを願う」と微かに読むことが出来る。赤いペンキが塗られているので、よく判読できない部分がある。

  • こちらは一体何なのかと思いよく見ると、“Philippines-Japan Mutual friendship Tower”と書かれていて、上の写真の英語版である。同じ内容のことが書かれている。

    こちらは一体何なのかと思いよく見ると、“Philippines-Japan Mutual friendship Tower”と書かれていて、上の写真の英語版である。同じ内容のことが書かれている。

  • 「原田利一之墓」と刻まれた墓石がある。一体どんな人物なのだろうかと、同じ場所に置かれている記念碑をよく見ると、原田利一と書かれた名前があった。彼はこの友好の塔の建設に携わった人物だったようだ。

    「原田利一之墓」と刻まれた墓石がある。一体どんな人物なのだろうかと、同じ場所に置かれている記念碑をよく見ると、原田利一と書かれた名前があった。彼はこの友好の塔の建設に携わった人物だったようだ。

  • フィリピン各地にかつての日本とアメリカの激戦が行われた地が各地にある。そこには多数の日本人兵士がなくなったことを示す慰霊碑が建っている。<br /><br />この記念碑はルソン島中部の Dagupan(ダーグパン)近くの海岸にあり、かなり立派な碑であるが、しかし、中には朽ちかけて倒れたり、地中に埋もれてしまったようなものもある。

    フィリピン各地にかつての日本とアメリカの激戦が行われた地が各地にある。そこには多数の日本人兵士がなくなったことを示す慰霊碑が建っている。

    この記念碑はルソン島中部の Dagupan(ダーグパン)近くの海岸にあり、かなり立派な碑であるが、しかし、中には朽ちかけて倒れたり、地中に埋もれてしまったようなものもある。

  • この碑には「第二次世界大戦 戦没者慰霊碑」と書かれている。

    この碑には「第二次世界大戦 戦没者慰霊碑」と書かれている。

  • リンガエンの海岸ではかつて日米両軍が死闘を繰り広げたところで、この絵に見るように凄まじいものであった(国立美術館収蔵品から)。

    リンガエンの海岸ではかつて日米両軍が死闘を繰り広げたところで、この絵に見るように凄まじいものであった(国立美術館収蔵品から)。

  • かつてこの海では日本軍とアメリカ軍が激しい戦闘を繰り返していた場所であるが、今は何ごともないように静かに、穏やかに時を刻んでる。<br /><br />ここは地元の子供たちの遊び場で、70年前の出来事を知ることもなく、いつも真裸の子供たちが遊んでいる。平和のありがたさをしみじみと感じることが出来る場所である。

    かつてこの海では日本軍とアメリカ軍が激しい戦闘を繰り返していた場所であるが、今は何ごともないように静かに、穏やかに時を刻んでる。

    ここは地元の子供たちの遊び場で、70年前の出来事を知ることもなく、いつも真裸の子供たちが遊んでいる。平和のありがたさをしみじみと感じることが出来る場所である。

  • こちらは San Favian( サン・ファビン )という町の海岸にある慰霊碑で、海辺には多くの海水浴客がいても、この碑には誰も訪れる人はおらず、ひっそりとしていた。<br /><br />ここには地元在住の日本人の方に案内していただいたもので、そうでなければ全然分からず、訪れることも出来なかったと思う。<br /><br />碑に十字架が刻まれているが、これは建設当時まだ対日感情がよくない時期だったので日本人関係のものだとわかると、壊される可能性があるので、わざと十字架の形を入れたそうである。

    こちらは San Favian( サン・ファビン )という町の海岸にある慰霊碑で、海辺には多くの海水浴客がいても、この碑には誰も訪れる人はおらず、ひっそりとしていた。

    ここには地元在住の日本人の方に案内していただいたもので、そうでなければ全然分からず、訪れることも出来なかったと思う。

    碑に十字架が刻まれているが、これは建設当時まだ対日感情がよくない時期だったので日本人関係のものだとわかると、壊される可能性があるので、わざと十字架の形を入れたそうである。

  • 昭和57年3月16日と刻まれた「慰霊之碑」の文字が見えるが、ここでは鹿児島県歩兵第71連隊の兵士たちが玉砕されたようで、遺族の方や関係者が建立したものである。しかし、時間の経過と共に訪れる人はなく、忘れ去られてしまうのかもしれない。

    昭和57年3月16日と刻まれた「慰霊之碑」の文字が見えるが、ここでは鹿児島県歩兵第71連隊の兵士たちが玉砕されたようで、遺族の方や関係者が建立したものである。しかし、時間の経過と共に訪れる人はなく、忘れ去られてしまうのかもしれない。

  • ここには数人の仲間と来て、まず周囲のごみや碑の上に堆積して砂などを取り除き、その後お酒や食べ物などを供えた。

    ここには数人の仲間と来て、まず周囲のごみや碑の上に堆積して砂などを取り除き、その後お酒や食べ物などを供えた。

  • 慰霊碑のある海岸は今はのどかな海水浴場となり、地元の人々で賑わっているが、70年数年前はこの海岸で日米両国が死闘の戦いを繰り広げたところである。そのようなことがあったなどとは想像も出来ない。

    慰霊碑のある海岸は今はのどかな海水浴場となり、地元の人々で賑わっているが、70年数年前はこの海岸で日米両国が死闘の戦いを繰り広げたところである。そのようなことがあったなどとは想像も出来ない。

  • バギオで開催された「比島戦没者慰霊会」(2月11日)に参列した。この日は(毎年同じ日に)大阪のあるお寺から僧侶と慰霊団が来られて、慰霊会が行われた。

    バギオで開催された「比島戦没者慰霊会」(2月11日)に参列した。この日は(毎年同じ日に)大阪のあるお寺から僧侶と慰霊団が来られて、慰霊会が行われた。

  • 「英霊悼追碑」と書かれた文字があり、下に英語で“Filipino-Japanse Friendship Memorial Shrine”と書かれている。

    「英霊悼追碑」と書かれた文字があり、下に英語で“Filipino-Japanse Friendship Memorial Shrine”と書かれている。

  • 僧侶が碑の前で読経を挙げている。参加者はおよそ40人位であったものと思われる。日本から来られた方々はいずれも高齢の人ばかりで、毎年これが最後と来ているのだとある人が語られていた。

    僧侶が碑の前で読経を挙げている。参加者はおよそ40人位であったものと思われる。日本から来られた方々はいずれも高齢の人ばかりで、毎年これが最後と来ているのだとある人が語られていた。

  • 小生が住んでいる La Union 州の San Fernando (サン・フェルナンド ) の街を歩いていたら、ふとこのような記念碑を見っけた。やはり日本との関わりを示す碑である。<br /><br />

    小生が住んでいる La Union 州の San Fernando (サン・フェルナンド ) の街を歩いていたら、ふとこのような記念碑を見っけた。やはり日本との関わりを示す碑である。

  • 記念碑の近くにシテイ・ホール ( 市役所 )があり、第二次世界大戦終結70周年記念した”UN-VEILING AND BLESSING OF THE VETERANS&#39; WALL &amp; WORLD WAR ? EXHIBIT“という展覧会があった 。

    記念碑の近くにシテイ・ホール ( 市役所 )があり、第二次世界大戦終結70周年記念した”UN-VEILING AND BLESSING OF THE VETERANS' WALL & WORLD WAR ? EXHIBIT“という展覧会があった 。

  • 展覧会をのぞいてみた。日本軍の軍刀が展示されているのには驚いた。ひとつひとつ手に持ってみると、かなり重たく、彼らが常にこのような刀を帯刀していたとは、想像以上の驚きであった。

    展覧会をのぞいてみた。日本軍の軍刀が展示されているのには驚いた。ひとつひとつ手に持ってみると、かなり重たく、彼らが常にこのような刀を帯刀していたとは、想像以上の驚きであった。

  • 日本政府が発行した紙幣が何枚も展示されている。これはそのうちの1枚であるが、初めて見るものである。

    日本政府が発行した紙幣が何枚も展示されている。これはそのうちの1枚であるが、初めて見るものである。

  • 日本兵の遺留品がたくさん残されていて、飯盒炊飯や水筒等が展示されている。

    日本兵の遺留品がたくさん残されていて、飯盒炊飯や水筒等が展示されている。

  • これらも日本兵が使っていた水筒である。このようなものがたくさん残されているのにはいささか驚かされた。

    これらも日本兵が使っていた水筒である。このようなものがたくさん残されているのにはいささか驚かされた。

  • アメリカ軍関係のものも展示されている。

    アメリカ軍関係のものも展示されている。

  • 戦前のサン・フェルナンドには日本が作った港があり、日本とフィリピンの間を多くの船が行き来していた。

    戦前のサン・フェルナンドには日本が作った港があり、日本とフィリピンの間を多くの船が行き来していた。

  • 現在のサン・フェルナンド港の一部。

    現在のサン・フェルナンド港の一部。

  • “School in San Fernando”と書かれた当時の写真が展示されている。日本が統治下していた頃の写真である。

    “School in San Fernando”と書かれた当時の写真が展示されている。日本が統治下していた頃の写真である。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • もっくさん 2018/09/14 15:05:06
    フィリピンの戦跡を探しておりましたところ
    先日バギオの英霊追悼碑に行ってきました。 確認ですが、ここに記載されている、サン・フェルナンド港 とは、リンガエン湾にあるところだと思われますが、マニラ湾にあるサンフェルナンドではないですよね。
    また、シティーホールに展示されていた戦争遺品展示場は期間限定にも読め、あと、鹿児島県歩兵第71連隊記念碑「慰霊之碑」の、両方の正確な場所を知りたいので、お教えいただけないでしょうか? 

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2018/09/14 18:02:22
    Re: フィリピンの戦跡を探しておりましたところ
    もぐろさん

    メッセージをありがとうございます。フィリピンにおける日本人関係の戦跡はあちこちにあります。全部を訪ねることは出来ませんが、以前私んが住んでいたルソン島北部にあるいくつかを滞在中に回りました。

    お尋ねのサン・フェルナンドはリンガエン湾にあるのではなくルソン島の北部のLa Union 州にあり、サン・フェルナンド湾に面しています。ここは戦前日本からフィリピンに来る船は先ずここに来る港で、そのため市役所で展覧会が開かれて日本軍関係のものが展示紹介されました。恐らくこれはこの時期だけのものだと思われますが、しかし、常時展示されているものもあるようです。また街の中には日本人が作った植物園もあり、いろいろな日本人とのかかわりを示す記念碑などもあります。飛行場もあったようです。

    ルソン島にはもう一つ同じ名前のサン・フェルナンドというところがありますが、こちらはマニラ湾には面していません。内陸部になります。

    鹿児島歩兵第7連隊記念碑「慰霊之碑」はサン・ファビアン(リンガエン湾に近い)にあり、場所はPTA Beach Hotel 敷地内の海岸にあります。しかし、ほとんど砂に埋もれているような状態なので、見つけるのは難しいです。ただ、海岸に出れば地元の人がたくさんおり、誰かに聞けば教えてくれます。ここに関しては次の2の旅行記に詳しいく書いています。

    私の次の2つの旅行記はご覧になりましたか。もしまだでしたらご覧ください。

     1.「太平洋戦争時の最後の日米両国の激戦地コレヒドール島上陸記」     (http://4travel.jp/travelogue/11053344)

    2. 「フィリピン・バギオで「比島戦没者慰霊祭」に参加して」
           (http://4travel.jp/travelogue/10982818)


    何かご質問があればまたお寄せください。

    Tamegai





  • 元カニ族さん 2015/08/11 23:09:03
    日比友好に努められているTamegaiさんのご活躍を祈っています。
    私がフィリピンに駐在していたのは、1968年5月から1970年1月まででした。

    当時は日本の賠償金で、道路整備が進んでいるところでした。
    私は主にミンダナオ島の木材伐採現場や、船積港を回っていましたが、まだまだ貧しい時代でした。

    Tamegaiさんの写真を見ていると、あれから45年が経ち、街には豊かさと落ち着きが見られるように思います。
    戦跡や慰霊碑も整備されて、喜ばしい限りです。

    日比友好に努められているTamegaiさんのご活躍を祈っています。

    元カニ族

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2015/08/12 13:22:30
    RE: 日比友好に努められているTamegaiさんのご活躍を祈っています。
    元カニ族様

    こんにちは。メッセージをありがとうございます。

    私は特別そんなに日比友好に努めているわけではありませんが、大きな関心は持っています。日本ではほとんど知られていないような両国間の小さな出来事や友好事業などを紹介できれば幸いだと思い、努めています。

    元カニ族さんは約45年前にフイリピンで、主として、ミンダナオでお仕事をされていたのですか。約半世紀前ですから、何もかも大きく変わりましたね。その後はフィリピンに出かけたことはあるのですか。

    今後そんなに長くフィリピンにいるわけではないので、今のう内にいろいろなものを見たり、出かけたり、体験したいと考えています。

    これからも見ていただけると嬉しく存じます。ありがとうございました。

    Tamegai
  • ドク金魚さん 2015/08/10 11:42:48
    戦後を振り返って
     Tamegaiさま 

    フィリピンの気候が、じんわりと伝わってきました。
    本当ににほんと関わりの強い国ですね。

    マニラの激戦の傷跡(マニラだけでは有りませんが)は
    残るものの、現在両国の関係は、良好なんで本当に幸いです。

    時折・・ホセ・リサールを題材に日本でドラマ化出来ないかな〜
    と思う事が有ります。
    役者は誰にしようかな? とか(笑)

    歴史深く、ドラマチックな島 フィリピンを今後も旅行記から
    楽しませて頂きます。


    ドク金魚

    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2015/08/10 19:34:47
    RE: 戦後を振り返って

    ドク金魚様

    日本とフィリピンは本当に関係が深く、友好関係を保っています。ただ、どこへ行っても戦争の傷跡がいまだに残っていて、そうしたものを見ると、心が痛みますね。

    太平洋戦争もフィリピンを戦場にして日本とアメリカ(フィリピンではなく)が戦い、日米両国の兵士だけでなく多くのフィリピン人が犠牲になりました。

    私が住んでいるサン・フェルナンドという地方都市でも今まで全然気が付きませんでしたが、ここでも戦闘があリ、多くの人が亡くなっています。

    ホセ・リサールはフィリピンの映画ではよく登場しているようですが、日本のドラマででも登場するといいですね。日本の俳優だと誰がいいでしょうかね。何人かの俳優を思い浮かべますが、まだイメージがわきません。東京の日比谷公園内に彼の銅像が建っていますので、東京に来られた際はご覧になるとよいでしょう。

    これからもフィリピン旅行記を見ていただけると(又ご投票も)うれしいです。では、これで。

    Tamegai

    ドク金魚

    ドク金魚さん からの返信 2015/08/10 20:29:01
    RE: RE: 戦後を振り返って
     Tamegaiさま

    そうですね。
    10万人のマニラ市民が、巻き添えの犠牲になったそうですね。

    教会?美術館ですかね? 日本兵の蛮行の絵が、旅行記で
    紹介されていましたね。
    フィリピンの絵画は、メキシコの絵画の様に躍動感が有ります。
    真相は分かりませんが、フィリピン人には忘れがたい悲劇の歴史です。

    先月 バンコク4日間 を楽しんできました。
    帰国したら札幌も夏本番でした。

    しかし街路樹のナナカマドの実が、ほんのり赤かったです。
    冬が長いので、旅先は暑いトコが好きですね。

    お邪魔しました ドク金魚


    Weiwojing

    Weiwojingさん からの返信 2015/08/11 23:29:38
    RE: RE: RE: 戦後を振り返って

    ドク金魚様

    そうですね。太平洋戦争では何の罪もないマニラの一般市民が多数犠牲になり、街も破壊が凄まじいほどでした。そうした時の日本軍の蛮行が美術面でも見ることが出来ます。国立美術館にそうしたものが多数あります。

    中国や韓国も日本の戦争の犠牲になりましたが、同じようにフィリピンも同じ体験をしました。しかし、対日感情が全然違いますね。これはどうしてなのか分かりませんが、興味あることですね。

    最近、バンコクに行かれたのですね。私も何度か行ったことがありますが、喧噪と混乱の街は大変魅了的ですが、しばらくいると、頭が痛くなるような感じで、むしろチェンマイのような地方都市が好きです。

    これで、失礼します。

    Tamegai

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