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④裏磐梯~磐梯町<br /><br />磐梯朝日国立公園、桧原湖-レンゲ沼、中瀬沼ハイキングコース-慧日寺<br /><br />

弾丸行 福島~群馬 その4 (裏磐梯~磐梯町) 

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2015/07/05 - 2015/07/05

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Wind99

Wind99さん

④裏磐梯~磐梯町

磐梯朝日国立公園、桧原湖-レンゲ沼、中瀬沼ハイキングコース-慧日寺

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • 雄国沼に行く途中で、そば畑に出会った。<br /><br /><br />雄国沼はまだ10km先とわかり、先を急ぐので、Uターンした。

    雄国沼に行く途中で、そば畑に出会った。


    雄国沼はまだ10km先とわかり、先を急ぐので、Uターンした。

  • 磐梯朝日国立公園、桧原湖。<br /><br />

    磐梯朝日国立公園、桧原湖。

  • この遊覧船乗り場からの眺めがGood。

    この遊覧船乗り場からの眺めがGood。

  • 裏磐梯地区、レンゲ沼、中瀬沼ハイキングコースを歩いてみた。<br /><br />入り口には、熊注意。

    裏磐梯地区、レンゲ沼、中瀬沼ハイキングコースを歩いてみた。

    入り口には、熊注意。

  • 歩き始めてはじめの右折で姫沼を見る。

    歩き始めてはじめの右折で姫沼を見る。

  • 途中、ゴムボートを担いだ2人組にすれ違い、駐車場に戻っていく。<br /><br />

    途中、ゴムボートを担いだ2人組にすれ違い、駐車場に戻っていく。

  • 中瀬沼展望台に着く。<br /><br />ここでは中瀬沼が遠く、あのゴムボートはどこで使ったのだろう。<br /><br />見晴らしが良ければ、磐梯山の絶景が見える場所だ。

    中瀬沼展望台に着く。

    ここでは中瀬沼が遠く、あのゴムボートはどこで使ったのだろう。

    見晴らしが良ければ、磐梯山の絶景が見える場所だ。

  • わずかに野鳥のさえずりの声だけの静寂さがまわりを支配する。

    わずかに野鳥のさえずりの声だけの静寂さがまわりを支配する。

  • 姫沼〜中瀬沼〜レンゲ沼〜駐車場と、一周しても2km程度だろうか。

    姫沼〜中瀬沼〜レンゲ沼〜駐車場と、一周しても2km程度だろうか。

  • 中瀬沼からレンゲ沼を廻る。

    中瀬沼からレンゲ沼を廻る。

  • 中瀬沼、レンゲ沼探勝路で出会ったのは、2組だけ。<br /><br />

    中瀬沼、レンゲ沼探勝路で出会ったのは、2組だけ。

  • 磐梯山ゴールドラインで、裏磐梯から会津へ下る。<br /><br />途中、磐梯山が1部見えた。滝見の駐車場もいくつかあるが、先を急ぐ。

    磐梯山ゴールドラインで、裏磐梯から会津へ下る。

    途中、磐梯山が1部見えた。滝見の駐車場もいくつかあるが、先を急ぐ。

  • 昨年は旧本坊だけを見ただけ。<br /><br />慧日寺(えにちじ)。平安時代初め、807年、名僧・徳一が開基した会津仏教文化発祥の地だ。

    昨年は旧本坊だけを見ただけ。

    慧日寺(えにちじ)。平安時代初め、807年、名僧・徳一が開基した会津仏教文化発祥の地だ。

  • 手前の中門と、奥の金堂が2008年に再建されている。<br /><br />会津が五大仏都となったのは、この徳一が布教のため会津に来たからだ。<br />

    手前の中門と、奥の金堂が2008年に再建されている。

    会津が五大仏都となったのは、この徳一が布教のため会津に来たからだ。

  • 金堂に入ると、お、でかいと思ったが、よく見ると等身大に印刷された仏様であった。

    金堂に入ると、お、でかいと思ったが、よく見ると等身大に印刷された仏様であった。

  • 徳一は、天台宗の最澄と「三一権実論争」とよばれる大論争を繰り広げたり、真言宗の空海に「真言宗未決文」を送るなどをしていた名僧だ。<br /><br />この頃の慧日寺は寺僧300、僧兵数千、子院3,800を数えるほどの隆盛を誇っていたとう。

    徳一は、天台宗の最澄と「三一権実論争」とよばれる大論争を繰り広げたり、真言宗の空海に「真言宗未決文」を送るなどをしていた名僧だ。

    この頃の慧日寺は寺僧300、僧兵数千、子院3,800を数えるほどの隆盛を誇っていたとう。

  • 境内には、発掘調査の遺構が多く残っている。

    境内には、発掘調査の遺構が多く残っている。

  • 徳一廟<br /><br />さらに奥に行くと徳一の墓と言われる平安時代に五重の石塔あった。覆堂は昭和の時代に設けた。<br /><br />さらに離れたところに磐梯山慧日寺資料館があり、そこを見学し群馬県へ移動した。

    徳一廟

    さらに奥に行くと徳一の墓と言われる平安時代に五重の石塔あった。覆堂は昭和の時代に設けた。

    さらに離れたところに磐梯山慧日寺資料館があり、そこを見学し群馬県へ移動した。

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