2015/05/03 - 2015/05/03
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TOMISLAVさん
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「未承認国家」なんと蠱惑的な響きだろうか。
そこには私たちが知らないクニがある。だから行きたくなる。全然、自然な感情ではないか。
2015年GW。
まずは、モルドバ、キシナウに入ったが、キシナウに来たからには、当然この未承認国家(日本が)
沿ドニエストル(ロシア語ではПриднестровье プリド二エストローヴィエというらしい)共和国へ行くしかない。
また、この国は、モルドバやルーマニアへの対抗上のためか、ソ連の一員で「あった」、否、いまでも一員で「ある」という矜持を持ち続け、いまでは最もソ連らしさを残す国だという。
これは行くしかない!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
PR
-
キシナウ のバスターミナルにて。
13番乗り場から、客が集まり次第、写真のようなバス(というかバン)で出発する。
切符も、総合窓口ではなく、この13番乗り場のそばの「専門の」小さい小屋のようなところで購入する。これから、道を「外れる」のだと実感する。 -
「ТИРАСПОЛЬ」(ティラスポリ)行きのバスだ。
乗客のほとんどは、沿ドニエストルの親戚訪問か、同国の自宅に戻る感じの人々ばかりで、東洋人の私は場違いな乗客だ。 -
キシナウを出発して約1時間半弱。スマホの地図でみると、そろそろ「国境」に近づく。国境の近くは、写真のようにひたすら草原や林が続く。どうやら、モルドバ側の「制限武装地帯」のようなものだと思われる。
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まずは、モルドバを「出国する」。モルドバは、沿ドニエストルの独立を認めていないため、モルドバ的にはこの先もモルドバ「国内」という扱い。当然、「出国検査」はなし。
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赤い門は、沿ドニエストル共和国の「出入国」ゲート。日本はこの国を承認していないため、この先私は、国際法的な保護は受けられなくなる。
当然ドキドキする。ワイロを強要されたら、10ユーロ札をだして交渉か…。 -
沿ドニエストル側の入国ゲートをに着いたら、バスを降りて、「入国管理事務所」入る。
私だけ別室に導かれて、「ここを通りたければ通行料払いやがれ」と言われるではと、ドキドキしながら入る。
中は、郵便局の受付みたいなところで、中年の男性係員と若い男性係員の二人が受付をしていた。
私は若い係員にパスポートを提出したが、彼はいかにも面倒くさそうな顔をした。「これはワイロはないかも」と直感的に思った。私は「厄介な東洋人」「面倒くさい奴」として扱われるからだ!
若い係員さん、ロシア語らしい言葉でなにか聞いてくるも、私はロシア語はわからず、「What?」と繰り返すしかない。横で手続きしていたチェコ人男性(彼のパスポートのエンブレムからそう判断)が仲介してくれて、「旅行の目的は?ってきいてるよ」と英語で教えて下さった。慌てて、サイトシーイングと連呼したら、この方が訳してくれて、めでたく写真のような入国許可証が発給される。別室なし、ワイロなし。この紙を手にしたときは、安堵で体の力が抜けた。
パスポートには、入国スタンプは押されずに、出国時にこの入国許可証が回収されて、パスポートには沿ドニエストル共和国に入った痕跡は残らない。某チョソン国の出入国と似た方式だ。
日本人だけでなくチェコ人も来たがるある意味ネタ国家なのだから、ワイロはとらずに、入境手数料として、一律10ユーロ徴収という方式のほうが、国の収入になるし、旅行者にとっても明朗だと思うのだが、なかなかそうもいかないのでしょうな。 -
出入国ゲートを過ぎると、沿ドニエストル共和国唯一のドニエストル川の西岸の領地 ベンデル(ティギナ)を通過する。写真は車中から撮った、ベンデルの教会。
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ベンデルを過ぎ、ドニエストル川にかかる橋をわたり、いよいよティラスポリへ入る。
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バスは、一路ティラスポリ駅へ向かうが、その道すがら車中から撮った写真。サイクリングサークルでしょうか。
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バスは、写真のティラスポリ駅前で停まる。無事、ティラスポリに到着。なお、ティラスポリの駅前には、民警のような男が数人いて、東洋人である私をチラチラと見ていて、駅前では写真が撮りずらい。
そのためこんなに離れて、しかもスマホで撮影。荒い写真ご容赦されたし。 -
新しい国に入ったら、まずは、その国で有効な通貨を入手しなければならない。ということで、15モルドバレイ≒1000円を沿ドニエストルルーブルに両替する。
貨幣の肖像画は、ロシア帝国のスヴォーロフ将軍。彼は、トルコと戦い勝利し、その結果、ヤシ条約で今の沿ドニエストル共和国のあたりのトランスニストリア地方が、めでたくロシアに割譲された。いわば、沿ドニエストルの地をロシアと結びつけた「建国の父」という扱いのようだ。 -
旅行で大変なのは、目的地に着くことではなく、目的地から撤退し出発地点に無事退却することだと、私は思う。
貨幣入手の次のすることは、帰りのバスの時間を確認し、切符を入手することだ。鉄道駅の中になぜか、バスの切符売り場があり、早速切符を購入。写真は、その売り場内にあった、沿ドニエストル共和国の地図。 -
バスの出発時間の表。
Кишинёв(キシナウ)行は頻発しているようだ。 -
早速、ティラスポリ市内を散策。
駅から街へ歩いていく途中にあった、教会の門らしきもの。 -
街中で見かけた広告。
「Всё」は「良い」という意味で、「суши」は「スシ」と読むから、
「うまい寿司」という意味だろう。 -
メインストリートの「10月25日通り」を歩いてみる。
ショッピングセンターのようです。 -
ベンチにいた三毛ちゃん。沿ドニエストルの誇る美人さんの一匹かしら。
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「10月25日通り」にある政庁らしき建物。
国旗らしきものが掲げられていますが、ソ連を表す「鎌とハンマー」のマークがないではないですか!
「最後のソ連」としての矜持はどこに。これでは、あんこのないまんじゅうを食わされた気分である。
沿ドニエストル共和国は、旧共産圏の親分ロシアを後ろ盾に独立を保っているわけですが、とはいうものの一方で、モルドバやルーマニアやウクライナとも融和しつつ生き残りを模索しているのでしょう。
でも、いまさら鎌とハンマーを外して文字通り旗色をごまかすのはやめましょうよ、日和るのやめましょうよ、沿ドニさん。 -
ХАЙТЕК(ハイテク)いう名前の電気店。
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パナソニックの蒸し釜?の広告。
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南オセチア共和国(右側の三色旗)の旗とアブハジア共和国(左の手のある旗)の旗が掲げられていた。
両者とも、ロシアを後ろ盾にジョージア(グルジア)から独立したが、ほとんどの国から承認されていないクニ。沿ドニエストルの仲間だ。仲間同士寄り添っていくということか。 -
ちょうど5月上旬のためか、ソ連の大祖国戦争(対独戦争)勝利のポスターが、商店などのいたるところに貼られていた。
ドイツ降伏が、1945年5月8日のため、70年記念といったところか。
ロシア同様に、いやそれ以上に、ドイツと戦って打ちのめしたということは誇りに感じているのでしょう。
沿ドニちゃんはやはりこうでなくっちゃ。 -
大祖国戦争を戦った「英雄」たちを称えているのでしょう。50人くらいありました。
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通りには、沿ドニエストルの略旗(奥)とロシアの略旗(手前)。
「ロシアのアニキ〜。どこまでもついて行きまっせ(はぁ〜と)。だから見捨てちゃイヤン。」ということか。 -
ドニエストル川にたたずみ。流れは緩やかだ。
対岸は、モルドバだ。 -
同様に、ドニエストル川にて。対岸はやはりモルドバ。
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10月25日通りにある、戦車のモニュメント。
大祖国戦争で活躍したT-34戦車だ。 -
戦車の砲塔に、
「ЗА РОДИНУ!」(読みは、「ザ、ロディーヌ」かな?)
と書かれている。
「祖国のために!」という兵士たちの合言葉だ。 -
T-34戦車の奥にある、無名戦士をたたえる廟(?)のようなものあった。
廟の右翼に
「アフガニスタン戦役 1979年〜1989年」の戦死者の名前が刻まれていた。
悪名高いアフガニスタン戦役を称えるとは、なかなか珍しいが、それだけソ連への帰属意識が高かった、否、いまでも高いということか。 -
廟の右翼と真ん中は、モルドバからの分離のための戦い
「トランスニストニア戦争(1990年〜1992年)」の戦死者の名前が刻まれていた。 -
10月25日通りの対面に政府庁舎っぽい建物があり、その前に「ご本尊」が立っていました。
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政府庁舎っぽい建物。党本部かな?
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上の建物の右手にあった看板。沿ドニエストル共和国を示しているようです。1990年に一応モルドバから分離(独立)。独立から25年ということですね。
ソ連マーク(鎌とハンマー)がイカす。
稲穂を見ていると五円玉を連想する。 -
こちらは、ティラスポリ市の看板のようですね。
1792年は、先ほどの紙幣にのっていたロシア帝国のスヴォーロフ将軍のおかげで、1792年にトルコからロシアへ割譲されたということでしょう。
右上が工業を示し、左下は名物ブドウ→ワインを示しているのでしょう。真ん中は、ドニエストル川でしょう。 -
スヴォーロフ将軍の像。
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10月25日通りから北上し、駅方面へ戻る。
途中、「緑広場」という名の園芸用品を売る市場のようなところを通り抜ける。
ティラスポリの中では比較的大きな市場のようで、人が集まっていた。 -
緑広場の北、カルル・リエブクネクト通りを歩いていた時に見かけた教会。
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カルル・リエブクネクト通りにある
「ШЕРИФ(シェリフ)」という名のスーパー。中は、ぴかぴかしたお店でした。
沿ドニエストルなのに、「シェリフ」なんてらしくない名前などとこのときは思っていました。帰国後ネットでさっと調べたら、この「シェリフグループ」は、沿ドニエストル共和国の建国の父といえるスミルノフ前大統領の息子が経営する財閥らしい。 -
お腹も減ったし、シェリフストアーにて、残った沿ドニエストルルーブルで、パンを買う。
右のセサミパンは硬いがなかなかおいしかった。 -
予め、13時発のキシナウ行のバス(バン)の切符を買ってあったので、
13時5分前に、ティラスポリ駅前のバス乗り場に着いておく。
ティラスポリに着いたのが11時だから、2時間弱でティラスポリの街中をぶらついた恰好だ。
沿ドニエストル出国の際も、ワイロ請求はなく、上記の入国許可証を回収されただけで終わり。帰りも約2時間くらいで、無事、モルドバ キシナウに戻る。
最後のソ連に行ってきたが、あっけなく入出国できた。よしとしよう。
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