2015/05/11 - 2015/05/14
76位(同エリア126件中)
サンフランさん
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5月11日
京都三条を出てから8日目、太田宿から細久手から先を考えて刻むことに? 御高まで
5月12日
9日目、御嵩から一気に大井宿まで行きたいところですが、
1日休んで5月14日、10日目は台風が近づいています。午後は雨に降られて、結局大久手までで、...
5月14日
11日目、中津川に達しました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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太田宿を出発
美濃太田駅 駅
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嘗て江戸時代は太田の渡しがあった。現在は太田橋を渡る。
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木曽川を渡りました。対岸は日本ラインの観光船の発着所のようですが、人影はない。
美濃太田駅 駅
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太田の渡し跡
上の地図だとここではない! -
ここは可児です。
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可児の市内で道を間違える。
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2時間の大きな時間ロス! マイッタ!
この先で旧道に入る。美濃太田駅 駅
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中山道の道しるべ
国道の旧道に入ってきました。中山道史跡の案内板で安心できる。しかし御嵩町のものだ! 伏見宿は飛ばしてしまったのだろうか? -
上恵土神社
美濃太田駅 駅
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ようやく伏見宿に着きました。
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伏見宿
1本松公園 -
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比衣の1里塚跡
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鬼の首塚
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中山道は次の交差点で右
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御嵩宿わいわい館
今日はこれまで、16時になりました。2時間のミスコースがひびいた。 -
前には願興寺、別名蟹薬師
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5月12日
御嵩宿を出発
台風が来ています。今日は細久手まで? できれば、一気に大井宿まで行きたいところです。大井(恵那)まで30Km もあります。しかも山道、でも尾根道のはずです。 -
もう見慣れた町屋ですが、....
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御嵩宿を出て、和泉式部廟所
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タバコ屋の角を左へ、県道358号へ
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中山道の道しるべに従って進む。
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牛の鼻欠け坂
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次は耳神社
再び車道へ出る。 -
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ここは右? 間道へ入る
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中山道は謡坂の石畳に
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謡坂一里塚跡
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十本木立場跡
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少し上がったところに唄清水
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坂を上りきったところに、御殿場
御殿場は皇女和宮の下向の際に休憩用の御殿を設置した場所とされている。 -
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ここは左であろうか?
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ここはどっち?
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ありがたい東海自然道の道しるべがある。
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左上は、山内嘉介屋敷跡
石垣が残っているようだ。 -
鴨の巣一里塚
形を残している一里塚ですね! 江戸までまだまだ93里! -
反対側の木は、最近植えたもののようだ。復元か?
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秋葉坂にかかり、三尊石窟
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細久手坂の穴観音
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和宮使用の井戸
和宮は細久手で昼食をとったそうです。但し、当時、細久手は大火の後で、和宮一行は大久手で泊まらています」(中山道ぎふ17宿歩き旅事務局の編纂資料) -
日吉や
「格子戸の残る商家、かつての宿場の様子を物語る貴重な建物です。」(中山道ぎふ17宿歩き旅事務局の編纂資料) -
細久手宿本陣跡
「中山道は、その昔、徳川幕府が、その成立と同時に重要道路として造られ、出来たのが慶長8年、東は大漱、西は御嵩で、其の聞が少し遠すぎるため、その後、7年遅れて細久手宿が設けられた。江戸から数えて48番目の宿である。此のあたりは尾張藩の領地で大黒屋は尾張藩指定の本陣である。少し下手に公儀の本陣・脇本陣があったけれども、今はもう、跡形もない。安政5年に起きた3回目の大火で、細久手宿は一軒を残して、あとは焼けてしまった。」(晩秋の細久手宿、晩秋の細久手宿
酒井房子) -
大黒やさんです。江戸時代からの旅籠です。今も旅籠として営業されている細久手で一軒の宿泊施設です。建物はもちろん歴史的建造物でしょう。
「かねがね、私の家は何年に建ったのかな、と恩っていた矢先、大修理の時、縁の下から安政6年12月吉目米九合清七」と書いた木片が出てきたので、築後約150年と云うことが、はっきりした訳である。きっちり建て混んでいた町並み、宿場風情を残す重々しい格手戸ある家も、次々壌されて、もう、大黒屋だけになってしまった。
文化10年の記録によると、1日の通行人が550人、宿屋の25軒とあるので、往時の賑やかさを想像することが出来る。現在は、約60軒、人口180人と滅ってしまい、このありさまは、現在の社会情勢を反映して寂しい限リである。」(晩秋の細久手宿
酒井房子) -
大黒やさんの前に座っていた妙齢の女性から「晩秋の細久手宿」と「大黒やの人々」の短文コピーをいただいた。どうやらこの方は大黒やさんの大女将だったようだ。
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こちらにも細久手宿の歴史が立て札に書かれている。江戸までまだまだ、93里もある!
「細久手宿は本陣、脇本陣がやや手狭で尾州家が合い宿の際に領主に迷惑になることを避けて尾州家本陣としたいた。内部には細久手出身で尾張徳川家の絵師となった小木曽文洲の掛け軸があります」(中山道ぎふ17宿歩き旅事務局の編纂資料) -
茶屋の根は広重が細久手宿を描いた場所だそうで、茶屋があったらしい。この辺が、江戸方からの入り口であったようだ。
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その近くにある赤い社は遠く京都の祇園信仰のよるものとされています。「天王さま」とかかれています。
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細久手から歩くこと約10分、瑞浪の1里塚
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弁財天の池
今日は台風の余波で雨の予報ですが、そろそろ降りだしました。 -
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北野神社
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この里山の風景は、大久手が近い?
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石畳です。
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びわ峠の石畳
この辺りの石畳は原形をとどめているらしい。「昭和45年に確認された石畳などには、峠を開削したノミの跡のある岩や土留め側溝なども残されています。平成9年度から12年にかけて石畳の整備を行い、江戸時代当時の琵琶峠に復元しました」(岐阜県教育委員会) -
車道に下りてきました。
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大同の馬頭観音
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そのまえに立てられている大久手宿の案内板
大久手宿は皇女和宮が泊まられたことで有名なのだそうだ。町並みには期待できるのであろうか? -
高札場は復元のようだ。
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左に神明神社
大久手宿の鎮守として慶長13年(1603)に建立されました。ご神木は樹齢1300年で高さ60mの大木です。(中山道ぎふ17宿歩き旅事務局の編纂資料) -
文化財のようですが、少し痛みがひどいようで、....
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脇本陣の門やお庭が残っているようです。雨模様で先を急ぐ。
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おもだかや
無料休憩所とありますが、閉まっているみたいだ。その先のコミュニティセンタで雨宿りになりました。 -
大久手宿のコミュニティセンタにはたくさんの資料が置かれています。
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高札が残されています。
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皇女和宮関係の資料
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台風の影響で大雨になりました。
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翌々日(5/14) 9時、大久手宿を出発、台風一過ですばらしい天気です。
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本陣跡
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皇女和宮の歌碑が小学校の校庭に立っています。和宮の泊まられた部屋は隣の土岐市の個人宅に移築されているそうです。
結局、大久手にはあまり残っていない! -
大久手宿を出て、十三峠にかかります。寺坂の途中にある石仏群
「宿の東の鬼門除けで宿が一望できる位置に建っています。1713年の観音菩薩像や古い馬頭観音像が。宿内の無事と十三峠の道中の安全を見守っています」(中山道ぎふ17宿歩き旅事務局の編纂資料) -
[十三峠は大久手宿から東の大井宿までの3里半の間に「十三峠におまけが7つ」と言われて20余りの山坂道がつづく難所です。] (中山道ぎふ17宿歩き旅事務局の編纂資料)
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八丁坂(しゃれこ坂)
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むかしの水場に地蔵尊
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三十三所観音石窟
何体かの石仏が祠の中にあるようです。 -
阿波屋の茶屋跡
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権現山の1里塚
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このへんから石畳が始まります。復元ではないような自然の石畳です。
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炭焼立場跡
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大久保の観音堂
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中山道は観音坂にかかります。
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下鹿切場あと
歴史の道 中山道の道標もある。 -
ばばが茶屋跡
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草萱立場跡
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高札場が復元されている。
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中山道は右へ
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石畳に
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紅坂の一里塚
江戸へ89里 -
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竹折村高札場跡のミニ標識
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乱れ坂を下り、乱れ橋に
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茶屋、伊勢神宮の遥拝場があったようだ。伊勢までいけない人が遥拝したそうだ!
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槙が根の一里塚
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大井宿は近い?
石畳が続く -
石畳に車も
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中山道と大井宿の説明がされている。
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宿の中央に下りてきました。大井銀座3丁目! 今は地名が恵那に変わっている。
ホテルルートイン恵那 宿・ホテル
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現代の高札場?
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この辺は枡形の道路構造になっている。
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タバコ屋さんの店頭にレトロな郵便ポスト
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恵那峡弘法大師像
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市神神社
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大井村庄屋、古屋家
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明治の宿の写真が壁に!
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明治天皇御在所
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大井宿問屋場跡
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この界隈は、宿の雰囲気が残っています。
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本陣跡
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五妙坂の高札場
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寺坂の上宿石仏群
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馬頭観音をみて、階段を上がる。
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中山道は甚平坂へ
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岡瀬沢の永代灯
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中仙道、茄子川焼きの窯場
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中山道、茄子川の説明板
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明治天皇茄子川御小休み所
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篠原家がその任に当たった。
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こちらは坂本立場跡
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将監塚
この立て札の奥にあるのだろうか? -
坂本神社に
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6地蔵石灯籠
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中仙道は階段を上がる
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国道19号脇に、千旦林村の説明されています。
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小石塚の立場跡
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中津の一里塚に
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苗木道との分かれ道
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中山道はこての木坂へ
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駒場の高札場跡
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レトロ郵便ポスト
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津島神社の参道に歴史の道、中山道の標識
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夕暮れの中津川
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下町に
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ここが西の入り口だった。
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この前にある本屋のおじさんの話だと、この細い道が中山道だったとのこと。もっとも橋の位置は動いていると思う。
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中津川の西口の辺りは酒造り屋さんが!
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庄屋跡
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中津川宿に到着。中津川本陣跡
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中津川宿資料館
5時になりました。大久手宿を朝9時に出発、8時間近い歩きでした。今日はここまでで中津川駅 駅
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