2015/05/24 - 2015/05/24
2565位(同エリア5542件中)
ひま人さん
神戸市西区、都会と隣接したこの地に、元正天皇の勅願で藤原宇合が建立したという古刹・太山寺(たいさんじ)が、国宝の大きな本堂や国重文の仁王門などの伽藍をそびやかしています。また、その西側には飛鳥時代の大化元年に伝説のインド僧・法道上人が地蔵菩薩と毘沙門天を祀ったという如意寺があり、こちらも国重文の阿弥陀堂や三重塔が残されています。福聚律院はその如意寺の塔頭であったと伝えられますが、寺歴や規模の大きさは、本寺である如意寺の当時の格式と豪壮さを想像させます。そんな名刹を謳われた二ケ寺を拝観し、『源氏物語』明石の君の舞台を訪ね、岡之館へと足を伸ばしました。
写真は太山寺三重塔です。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
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太山寺・新西国二十五碑。
当寺は天台宗です。天延元年(973年)12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には藤原鎌足公の子、定恵和尚の開山、霊亀2年(716年)公の孫である宇合(不比等の子)の建立と伝える。宇合が明石浦摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が出現した。薬師如来は、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があり定恵和尚は願望を果たせず寂したところ、宇合はその教示に従い七堂伽藍を整備し薬師如来の尊像を安置したという。
元正天皇(715〜723年)の勅願寺として、歴代天皇をはじめ一般民衆に至るまで広く信仰を集めました。 -
太山寺仁王門(国重文・室町中期)。もともと重層の楼門であったが、上層部を撤去したときに大幅に改築、現在は入母屋造・本瓦葺・棟高8mの八脚門です。
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太山寺山門。
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本堂(国宝・鎌倉時代)。創立は不詳。弘安8年(1285年)の火災で前身の建物が焼失し、その後復興にとりかかり永仁年間(1293〜99年)再建された。
規模は柱真々間で正面20.82m、側面17.76mと大きい。仏教の大衆化に伴う新しい仏殿の形式が成立した初期の例としてこの本堂は、極めて重要な遺構といえます。 -
三重塔(県指定文化財)。心柱宝珠柱の銘と棟札から、貞享5年(1688年)の建立とされています。屋根は本瓦葺で相輪は型通り、水煙は火焔型です。各層四隅の尾垂木の間には邪鬼を置いています。色は各層で異なり、下から白、緑、褐色となっています。初層内部の須弥壇には、等身大の大日如来坐像及び四天王立像が安置されています。
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三重塔。
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護摩堂。建立は江戸時代中期(17世紀後半)と推定されます。方3間の建物で、屋根は本瓦葺の宝形造りです。大黒天、不動明王、毘沙門天が安置されています。
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阿弥陀堂。現在の阿弥陀堂は、貞享5年(1688年)に再建されたものです。本来は、天台宗の修法である常行三昧の修行堂であったが、堂の本尊である阿弥陀如来に対する信仰が高まるにつれて、阿弥陀堂として人々の礼拝の対象となった。丈六の阿弥陀如来坐像(重文、鎌倉初期)は、時代は150年ほど違うが、宇治の平等院鳳凰堂にある定朝作の阿弥陀如来坐像とほぼ同じ大きさ(2.74m)様式です。
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太山寺奥ノ院への閼伽井橋。
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比金山如意寺。大化元年(645年)に法道上人が多聞天の教化のために周辺に植わっていた櫨(はぜ)の木で地蔵菩薩像と毘沙門天像を自刻して祀ったのが起源とされます。同5年(649年)、孝徳天皇の勅願寺となり大規模な堂塔伽藍が建立され、仁寿元年(851年)には円仁が文殊堂を建立しました。
その後に仏閣は荒廃して傾き雨露に曝される有様となりましたが、正暦年間(990〜995年)に願西尼によって中興されたと伝わります。
なお、本堂は老朽化によって傾いたため第2次大戦後まもなく解体されて、礎石が残るのみです。 -
常行堂(阿弥陀堂・国重文、平安後期)。常行三昧を修するための堂であり阿弥陀如来を安置する。住宅風の華麗な建物で、神戸市内で最も古い。
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三重塔(国重文、至徳2年 南北朝時代)。常行堂に相対する法華堂の代わりに建てられ、県下で二番目に古い。三層各階に仏像を安置し法華信仰を具現する。大日・釈迦・多宝如来を本尊とします。
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文殊堂(国重文、室町時代)。聖僧文殊尊を安置。そもそもの起こりは、比叡山根本中堂の創建三堂における様式が、基本にあるものと考えられています。
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福聚律院。如意寺から山手のほうにある塔頭の一つです。東西16町南北12町の広さに及んでいます。
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福聚律院本堂。
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福聚律院枯山水庭園。
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明石の君・岡之館(たち)跡。「源氏物語」明石の君の父・明石入道が明石の住まい(浜之館)の高潮を恐れ、娘の明石の御方をここに住まわせていました。「岡之館」は岡の麓の家という意味で、8月13日の名月の夜、光源氏は「浜之館」から「岡之館」へと向かい、明石の君と結ばれました。
やがて明石の君は懐妊。誕生した女児は成長し桐壺帝の中宮になって光源氏と明石一族に繁栄をもたらせます。・・・・この先は物語で・・・
なお、この碑面には第5代明石藩主・松平忠国の歌が刻まれています。
「月影の光る君住む跡とへば里の屋敷にしげる蓬生(よもぎう)」 -
善楽寺山門・天台宗。平安時代末期には七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院でした。寺伝によると、大化年中(645〜650年)に法道仙人によって創建され、この由緒によると明石で一番古い寺となります。
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善楽寺本堂。
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明石入道之碑。善楽寺境内にあり、光源氏ゆかりの地であり、フィクションながら明石入道の「浜之館」があったところとされ、明石藩主・松平忠国が建立した明石入道の碑です。
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平清盛の供養塔といわれる石造五輪塔。
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無量光寺山門。浄土宗の当寺は、明石入道の「浜之館」に隣接し、光源氏に提供された邸跡とされ、「光源氏月見の館」とも称されます。境内には源氏稲荷が祀られております。
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本堂。
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