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■恒例(高齢^^;)のGW車旅〜岡山・鳥取・島根・広島・福岡・大分・山口県を走る<br /> 第16編 〜赤壁寺とよばれている合元寺&中津城編〜<br /><br />∇合元寺/大分県中津市寺町<br /> 合元寺(ごうがんじ)は1587年(天正15)、黒田官兵衛孝高によって建立されました。<br /> 深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。<br /> 豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房(しげふさ)が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。<br /> その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。当時の激戦の様子は現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されています。 <br /><br />∇中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 城下町中津のシンボルとなっている中津城は、天正15年(1587)黒田孝高(如水)の築城に始まり、以後、細川、小笠原、奥平と城主が変わり、明治4年(1871)に廃藩を迎えました。<br /> 現在の城は昭和39年5月に旧藩主の子孫奥平家十七代の当主、昌信氏によって再建されたものです。高さ23m(5階)5層の天守閣が新改され2階2層の櫓からなっています。<br /> 天守閣は資料館として公開され、衣装、刀剣、陣道具、古文書など、奥平家所蔵の宝物が展示されています。<br /> 城全体の地形が扇を開けた形に似ているので扇城とか言われ、満潮時は海水が内堀に入るので海城とも言われました。<br /><br />∇福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町<br /> 「学問のすすめ」や慶應義塾大学開学の祖として有名な福沢諭吉の旧居。<br /> 諭吉は1835(天保5)年、大坂の中津藩蔵屋敷に生まれましたが、1歳6ヶ月にして父親と死別し、中津へ帰郷。19歳のときに長崎、そして大坂へ蘭学を学ぶために進学するまで、この場所で過ごしました。<br /><br />≪5日目≫<br />◆中津駅前Hを出発<br />▼合元寺/大分県中津市寺町<br />▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br />▼福沢諭吉旧居記念館/大分県中津市留守居町<br />▼東九州自動車道→九州自動車道<br />▼関門橋<br />▼中国自動車道小郡インタOFF<br />▼瑠璃光寺/山口県山口市香山町<br />▼JR山口線「名草駅」/山口県山口市阿東地福下字名草<br />▼JR山口線「地福駅」/山口県山口市阿東地福上字惣原<br />▼JR山口線「徳佐駅」/山口県山口市阿東徳佐中<br />▼国道315号線<br />▼中国自動車道鹿野インタON<br />◆広島市の自宅着〜 チカレました。<br /><br />【手記】<br /> 恒例(高齢)^^のGW車旅。GW後半は混雑しそうなので4/29〜5/3の間で岡山から鳥取〜島根〜広島〜山口〜北九州辺りを古い町並み散策をメインとしてウロチョロして来ました。走行距離は1710kmでした。<br /> 今回の唯一の目的は想い出がある鳥取浦富海岸の遊覧船に乗ることでした。あとはいつものように行けるところまで行って宿を探す、気儘でのんびりとしたひとり旅になりました。<br /> 今回の旅行は、どうしても外せない所用があったので自宅泊を入れた旅行になりました。GW旅日記は、岡山・山陰地方走破記のあと九州記(福岡・大分)→山口編へと続いています。<br /> 今が旬の旅日記を優先してアップしているため、GWの車旅編が後まわしになって今ごろアップしている次第です。ご容赦のほどお願いいたしま〜す。

Solitary Journey [1588] 深紅に塗られた壁はひときわ強烈な印象を与え、赤壁寺とよばれています。<合元寺・中津城>大分県中津市

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2015/04/29 - 2015/05/03

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MechaGodzillaⅢ&703

MechaGodzillaⅢ&703さん

■恒例(高齢^^;)のGW車旅〜岡山・鳥取・島根・広島・福岡・大分・山口県を走る
 第16編 〜赤壁寺とよばれている合元寺&中津城編〜

∇合元寺/大分県中津市寺町
 合元寺(ごうがんじ)は1587年(天正15)、黒田官兵衛孝高によって建立されました。
 深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。
 豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房(しげふさ)が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。
 その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。当時の激戦の様子は現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されています。

∇中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
 城下町中津のシンボルとなっている中津城は、天正15年(1587)黒田孝高(如水)の築城に始まり、以後、細川、小笠原、奥平と城主が変わり、明治4年(1871)に廃藩を迎えました。
 現在の城は昭和39年5月に旧藩主の子孫奥平家十七代の当主、昌信氏によって再建されたものです。高さ23m(5階)5層の天守閣が新改され2階2層の櫓からなっています。
 天守閣は資料館として公開され、衣装、刀剣、陣道具、古文書など、奥平家所蔵の宝物が展示されています。
 城全体の地形が扇を開けた形に似ているので扇城とか言われ、満潮時は海水が内堀に入るので海城とも言われました。

∇福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町
 「学問のすすめ」や慶應義塾大学開学の祖として有名な福沢諭吉の旧居。
 諭吉は1835(天保5)年、大坂の中津藩蔵屋敷に生まれましたが、1歳6ヶ月にして父親と死別し、中津へ帰郷。19歳のときに長崎、そして大坂へ蘭学を学ぶために進学するまで、この場所で過ごしました。

≪5日目≫
◆中津駅前Hを出発
▼合元寺/大分県中津市寺町
▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
▼福沢諭吉旧居記念館/大分県中津市留守居町
▼東九州自動車道→九州自動車道
▼関門橋
▼中国自動車道小郡インタOFF
▼瑠璃光寺/山口県山口市香山町
▼JR山口線「名草駅」/山口県山口市阿東地福下字名草
▼JR山口線「地福駅」/山口県山口市阿東地福上字惣原
▼JR山口線「徳佐駅」/山口県山口市阿東徳佐中
▼国道315号線
▼中国自動車道鹿野インタON
◆広島市の自宅着〜 チカレました。

【手記】
 恒例(高齢)^^のGW車旅。GW後半は混雑しそうなので4/29〜5/3の間で岡山から鳥取〜島根〜広島〜山口〜北九州辺りを古い町並み散策をメインとしてウロチョロして来ました。走行距離は1710kmでした。
 今回の唯一の目的は想い出がある鳥取浦富海岸の遊覧船に乗ることでした。あとはいつものように行けるところまで行って宿を探す、気儘でのんびりとしたひとり旅になりました。
 今回の旅行は、どうしても外せない所用があったので自宅泊を入れた旅行になりました。GW旅日記は、岡山・山陰地方走破記のあと九州記(福岡・大分)→山口編へと続いています。
 今が旬の旅日記を優先してアップしているため、GWの車旅編が後まわしになって今ごろアップしている次第です。ご容赦のほどお願いいたしま〜す。

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
自家用車
  • ■恒例(高齢^^;)のGW車旅〜岡山・鳥取・島根・広島・福岡・大分・山口県を走る<br /> 第16編 〜赤壁寺とよばれている合元寺&中津城編〜<br />・宝蓮坊(真宗大谷派)/大分県中津市寺町<br /> GW後半は混雑しそうなので4/29〜5/3の間で岡山から鳥取〜島根〜広島〜山口〜北九州辺りを古い町並み散策をメインとしてウロチョロして来ました。

    ■恒例(高齢^^;)のGW車旅〜岡山・鳥取・島根・広島・福岡・大分・山口県を走る
     第16編 〜赤壁寺とよばれている合元寺&中津城編〜
    ・宝蓮坊(真宗大谷派)/大分県中津市寺町
     GW後半は混雑しそうなので4/29〜5/3の間で岡山から鳥取〜島根〜広島〜山口〜北九州辺りを古い町並み散策をメインとしてウロチョロして来ました。

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 旅行5日目早朝、中津駅前Hを出発して合元寺へやって参りました。<br /> 合元寺(ごうがんじ)は1587年(天正15)、黒田官兵衛孝高によって建立されました。<br /> 

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     旅行5日目早朝、中津駅前Hを出発して合元寺へやって参りました。
     合元寺(ごうがんじ)は1587年(天正15)、黒田官兵衛孝高によって建立されました。
     

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。<br /> 

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれています。
     

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房(しげふさ)が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。<br /> 

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房(しげふさ)が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。
     

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。<br />

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたといわれています。

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 当時の激戦の様子は現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されています。 <br />

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     当時の激戦の様子は現在も境内の大黒柱に刀の痕が点々と残されています。

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 本堂

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     本堂

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 六地蔵<br />

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     六地蔵

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> お願い地蔵 福沢諭吉が長崎に遊学するに当たって学業成就を祈願したそうです。

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     お願い地蔵 福沢諭吉が長崎に遊学するに当たって学業成就を祈願したそうです。

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 延命地蔵 お願い地蔵

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     延命地蔵 お願い地蔵

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> お願い地蔵 お願い板

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     お願い地蔵 お願い板

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> お願い地蔵

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     お願い地蔵

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 西山 浄土宗 赤壁 合元寺

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     西山 浄土宗 赤壁 合元寺

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     

  • ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町<br /> 

    イチオシ

    ▼赤壁寺とよばれている合元寺/大分県中津市寺町
     

  • ▼明蓮寺/大分県中津市桜町<br /> 中津三大寺院伽藍の明蓮寺

    ▼明蓮寺/大分県中津市桜町
     中津三大寺院伽藍の明蓮寺

  • ▼中津大神宮<br /> 「豊前の国のお伊勢様」と親しまれ、中津城址に御鎮座しています。

    ▼中津大神宮
     「豊前の国のお伊勢様」と親しまれ、中津城址に御鎮座しています。

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 城下町中津のシンボルとなっている中津城は、天正15年(1587)黒田孝高(如水)の築城に始まり、以後、細川、小笠原、奥平と城主が変わり、明治4年(1871)に廃藩を迎えました。<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     城下町中津のシンボルとなっている中津城は、天正15年(1587)黒田孝高(如水)の築城に始まり、以後、細川、小笠原、奥平と城主が変わり、明治4年(1871)に廃藩を迎えました。
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 高さ23m(5階)5層の天守閣が新改され2階2層の櫓からなっています。<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     高さ23m(5階)5層の天守閣が新改され2階2層の櫓からなっています。
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸 ★2008年3月訪問時の写真<br /> 天守閣は資料館として公開され、衣装、刀剣、陣道具、古文書など、奥平家所蔵の宝物が展示されています。<br />

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸 ★2008年3月訪問時の写真
     天守閣は資料館として公開され、衣装、刀剣、陣道具、古文書など、奥平家所蔵の宝物が展示されています。

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸 ★2008年3月訪問時の写真<br /> 長篠の戦い絵図

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸 ★2008年3月訪問時の写真
     長篠の戦い絵図

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸 ★2008年3月訪問時の写真<br /> 天守閣

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸 ★2008年3月訪問時の写真
     天守閣

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 地蔵菩薩おみくじ

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     地蔵菩薩おみくじ

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 現在の城は昭和39年5月に旧藩主の子孫奥平家十七代の当主、昌信氏によって再建されたものです。

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     現在の城は昭和39年5月に旧藩主の子孫奥平家十七代の当主、昌信氏によって再建されたものです。

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 城全体の地形が扇を開けた形に似ているので扇城とか言われ、満潮時は海水が内堀に入るので海城とも言われました。<br />

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     城全体の地形が扇を開けた形に似ているので扇城とか言われ、満潮時は海水が内堀に入るので海城とも言われました。

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 潮の干満によって堀の水位が上下するため、高松城、今治城とともに日本三大水城の一つに数えられているそうです。

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     潮の干満によって堀の水位が上下するため、高松城、今治城とともに日本三大水城の一つに数えられているそうです。

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 本の丸北面には、黒田如水が築いた石垣とその後細川忠興が拡張した際に築 いた石垣とがあり、両者の築城手法の違いを見ることができます。

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     本の丸北面には、黒田如水が築いた石垣とその後細川忠興が拡張した際に築 いた石垣とがあり、両者の築城手法の違いを見ることができます。

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 黒田が持ち込んだ古代山城の石

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     黒田が持ち込んだ古代山城の石

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 黒田官兵衛孝高像

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     黒田官兵衛孝高像

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> タバコ休憩

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     タバコ休憩

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 福沢諭吉の言葉「独立自尊」

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     福沢諭吉の言葉「独立自尊」

  • ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸<br /> 小雨が降っています。

    ▼中津城/大分県中津市二ノ丁本丸
     小雨が降っています。

  • ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町<br /> 「学問のすすめ」や慶應義塾大学開学の祖として有名な福沢諭吉の旧居。<br /> ここは3度目の訪問となりました。

    ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町
     「学問のすすめ」や慶應義塾大学開学の祖として有名な福沢諭吉の旧居。
     ここは3度目の訪問となりました。

  • ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町<br /> 諭吉は1835(天保5)年、大坂の中津藩蔵屋敷に生まれました。

    ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町
     諭吉は1835(天保5)年、大坂の中津藩蔵屋敷に生まれました。

  • ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町<br /> 1歳6ヶ月にして父親と死別し、中津へ帰郷。19歳のときに長崎、そして大坂へ蘭学を学ぶために進学するまで、この場所で過ごしました。<br />

    ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町
     1歳6ヶ月にして父親と死別し、中津へ帰郷。19歳のときに長崎、そして大坂へ蘭学を学ぶために進学するまで、この場所で過ごしました。

  • ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町<br /> 

    ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町
     

  • ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町<br /> 

    ▼福沢諭吉旧居/大分県中津市留守居町
     

  • ▼福沢諭吉記念館/大分県中津市留守居町<br /> 福沢諭吉記念館訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10225475

    ▼福沢諭吉記念館/大分県中津市留守居町
     福沢諭吉記念館訪問記 ⇒ http://4travel.jp/travelogue/10225475

  • ■関門橋  門司→下関<br /> これで今回の九州車旅が終了しました。関門橋を渡り、津和野町へ向かいました。

    ■関門橋  門司→下関
     これで今回の九州車旅が終了しました。関門橋を渡り、津和野町へ向かいました。

  • ▼SLやまぐち号・JR山口線「地福駅」/山口県山口市阿東地福上字惣原<br /> 次の旅行記は、恒例(高齢^^;)のGW車旅最終記「撮り鉄初挑戦♪貴婦人の愛称で親しまれる蒸気機関車SLやまぐち号編」です。<br /><br />   THE END.  つづく・・・

    ▼SLやまぐち号・JR山口線「地福駅」/山口県山口市阿東地福上字惣原
     次の旅行記は、恒例(高齢^^;)のGW車旅最終記「撮り鉄初挑戦♪貴婦人の愛称で親しまれる蒸気機関車SLやまぐち号編」です。

       THE END.  つづく・・・

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