2015/05/04 - 2015/05/05
15位(同エリア28件中)
ようさん
鹿児島県の離島、三島村の一つの硫黄島に行ってきました。サバイバルというタイトルですが、特に危険な目にはあってません。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
鹿児島市中央駅から車で15分、鹿児島本港からフェリーで出発です。2〜3日おきの運行。毎日ではありません。当初は2泊3日の予定でしたが、出発予定日は波が高く欠航になり、翌日の便で出発しました。
-
9:30出航。天気は曇り。晴れていたら約4時間の船旅中桜島や薩摩富士が臨めます。
-
船内のパンフレット。三島村はジオパークに認定されているのです。
-
三島村1つ目の竹島を経由して、いよいよ硫黄島が見えてきました。海がうっすら赤茶色です。
-
13:25 硫黄島港に到着です。なんと港ではアフリカの楽器『ジャンベ』の生演奏で歓迎モードでした!いつもやってくれるのか、GW限定なのかは謎。
-
港の水は硫黄の影響でこんなに赤茶色です。赤潮じゃないよ。
-
乗客を降ろして船は3つ目の島、黒島へと向かいました。
-
港に控えめにあった硫黄島マップ。
-
港を出て右、ジャンベの小径をぬけるとピンクの建物『ジャンベスクール』があります。でも民宿は港をでて左でした。。間違えた。
-
港に戻ってやっと到着。今日の宿『民宿がじゅまる』です。
-
部屋はテレビ付き。
-
共同の洗面所とトイレ、お風呂。
-
14:00、荷物を置いたらいよいよ島内観光スタート。今回の移動手段は全て徒歩。まずは俊寛堂を目指します。
-
一面が苔の絨毯。
-
少しの下り坂を抜けると・・・
-
俊寛堂発見。
以下三島村HPより。
治承元年(1117)平清盛は、鹿ケ谷荘(鹿の谷荘)での平氏打倒の陰謀を知り、平判官康頼、丹波少将成経、大僧都俊寛を鬼界ヶ島(今の硫黄島)に流刑する。翌年、中宮徳子の安産祈願のための大赦により、康頼、成経の2人は赦免されたが、俊寛だけは許されなかった。俊寛は、治承3年(1179)37歳で亡くなった。島の人々は、俊寛の死を哀れみ、3人を合わせて祭り、俊寛の居住跡に御祈神社を建てた。これを俊寛堂という。 -
次は坂本温泉へ。
途中みた硫黄岳。 -
到着。
-
干潮でこんな感じ。
満潮時は海水が入り込みぬるくなるので、満潮時限定です。
苔ですごくヌルヌルして滑りやすいので注意!!
着替えができそうな場所もありません。 -
次の目的時は平家城展望台。だけと途中大谷温泉の案内を見つけて寄り道。
-
こんな橋や崖?を5分間ほど下ると・・
-
大谷温泉に到着。
干潮ではなかったため海水が入り込み、入ることは出来ず。
足元がよくないため、サンダルだときけんかも。 -
平家城展望台に到着。
-
ここ硫黄島で公演を行った中村勘九郎の記念の像。
-
-
平家城展望台から見る海は綺麗でした!
-
来た道を戻り、今日最後の目的地、東温泉へ。
-
東温泉のある海岸に到着。
-
東温泉。
左奥からちょっとぬるい→ちょっとあつい→熱湯。
東温泉は酸が強いため、絶対にここのお湯で顔を洗ったらダメ!!と民宿のおばちゃんに言われました。 -
満潮時や波の高いときはすごい迫力でしょう。
脇には着替えが出来る石垣があります。 -
19:00、旅館に到着。約5時間12?のウォーキングでした。山道なので上っては下るの繰り返し。なかなかハードでした。
写真は民宿での夕食。生ビールがありました。
ペロッと食べてお風呂に入り、ちょこっと夜道を散歩してから明日に備えて21:30就寝。
2日目に続く。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
硫黄島・黒島・竹島(鹿児島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
31