2015/05/04 - 2015/05/04
879位(同エリア1683件中)
山帽子さん
平成27年5月4日、小田原を訪れた。小田原城は戦国大名の北条氏が関東支配の拠点とて整備拡充した城である。特に、秀吉の攻撃に備えて築いた城下を囲む総延長9kmの総構により、その規模は大変大きなものとなった。北条氏の滅亡後、江戸時代に大久保氏や稲葉氏によって近代城郭としてその形が整えられた。しかし、元禄16年の地震によりほとんどの建物が倒壊・焼失した。その後、再建されたが明治3年に廃城となり、城内の多くの建物が解体された。現在見られる建物は、昭和9年に再建された隅櫓、昭和35年の天守閣、昭和46年の常盤木門、平成9年の銅門、そして平成21年に再建された馬出門などである。
小田原駅からまずは小田原城址公園に向かう。公園内では馬出門→銅門→常盤木門→天守閣と廻り、レンタサイクル貸出所で自転車を借りて、江戸時代の見附跡や小田原城の特徴である総構の土塁や空堀など(江戸口見附→御幸の浜→早川口遺構→板橋見附→蓮船寺→小峯御鐘ノ台大堀切)を見て回った。その後、公園に戻り自転車を返して、小田原駅から帰途についた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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堀と学橋。右手の奥が二の丸。
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学橋の上から隅櫓と馬出門を見る
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馬出門。平成21年復元。小田原城の正門。
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馬出門の前から隅櫓を見る。昭和9年復元。
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馬出門は内冠木門と土塀で周囲を囲む枡形門で、馬出門から左手の内冠木門を見る。
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馬出門から周囲を囲む土塀を見る
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内冠木門から馬屋曲輪を見る
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住吉橋と銅門
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住吉橋手前から銅門を見る
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銅門も土塀で囲まれた枡形門。住吉橋を渡り枡形内に入る。
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土塀の先にあるのが銅門。銅門の扉にはその名の由来となった銅版が貼られている。平成9年復元。
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銅門
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赤い橋を渡り石段を登ると常盤木門
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常盤木門に向かう
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常盤木門。昭和46年復元。
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天守閣。昭和35年復元。
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天守閣。左手の石段を登って天守閣に・・・・
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天守閣から見る風景
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天守閣から見る風景
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天守閣から見る風景。正面下に天守閣に登る石段がある。
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天守閣から見る風景。常盤木門を見下ろす。
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天守閣から降りて下から見上げる
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天守閣から降りて下から見上げる
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常盤木門の石垣とオオムラサキ
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御感の藤
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御感の藤
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御幸の浜。公園内のレンタサイクル貸出所で自転車を借り、江戸口見附→小田原宿なりわい交流館。小田原宿なりわい交流館で一休みしてから御幸の浜へ。
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御幸の浜
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御幸の浜の神輿。丁度、祭礼が行われており、町内会や自治会がそれぞれ神輿や山車などを担いだり、曳いたりして、小田原の街中を練り歩いていた。この御幸の浜にも多数の神輿が集まり、神事を行っていた。
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御幸の浜の神輿。神をたたえる歌?が海辺に朗々と響き渡り、大変厳かなものである。
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御幸の浜の神輿
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御幸の浜の神輿
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御幸の浜の神輿
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御幸の浜から箱根口門跡→板橋見附へ。板橋見附から蓮船寺へ向かうのだが、道を間違えて大久保神社・小田原高校・相洋中高校へのかなり急な坂道を自転車を押しながら登った。そしてたどり着いたところからの眺望である。ここから右手の細い上り坂をしばらく進むと蓮船寺に到着。
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蓮船寺入口
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蓮船寺境内。写真の右手下が小峯御鐘ノ台大堀切である。
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総構の遺構のひとつ。小峯御鐘ノ台大堀切。散策路として整備されている。蓮船寺の境内から見下ろす。
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蓮船寺から小峯御鐘ノ台大堀切に降りてしばらく散策
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街中の神輿。小田原の街を自転車で移動しているときにしばしばであった。
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自転車を返却するために公園に戻った。二の丸の広場で開催されている小田原城名物市。食べ物、土産物などの沢山の露店が出て様々な品を販売していた。新茶の詰め放題というのを一袋買ってみた。
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街中の山車
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街中の山車
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小田原駅構内の神輿。小田原駅から帰途につく。
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