2014/12/27 - 2015/01/03
92位(同エリア493件中)
くろへいさん
バックパッカーという言葉が聞かれる様になったのはいつ頃からだったのか?
バンコクのカオサンStやアラブ人街で安チケットを買って、リュックサックひとつを担いで旅に出る。
今のように、インターネットの無い時代、「地球の迷い方」と揶揄されてきた重いガイドブックと、安宿で出会った旅人達との会話が僕らのゆいつの情報源だった。
特に、現地で買った安酒をチビチビと飲みながら、各地を旅してきた連中との会話は楽しかった。
中には多分に誇張された武勇伝や眉唾な話も少なくはなかった。
そんな、現実とも妄想とも吐かぬ話に花を咲かせながら、誰もが異国の空の下を歩く自らの姿を重ねていた。
その中で、よく耳にしたのが、当時鎖国状態にあったミャンマーだった。
「ミャンマーの何が良かったですか?」
そう聞くと、ミャンマー帰りの若者は言う。
「何というのか、蕩けるような感覚かな…ゆっくり時間が流れてて、人が穏やかで笑顔が素敵なんだ」
ある者は水が美味いといった。
彼曰く、ミャンマーの道端には、所々に大きな木の下に素焼きの壷とコップが置かれ、誰でも水が飲めるという。
素焼きの壷は、気化熱により中の水が冷却され、木陰に腰掛けて飲む水がひんやりとして美味いというのだ。
勿論、氷の入った水や、冷蔵庫から取り出したようなギンギンに冷えた水ではない。
炎天下、汗と埃にまみれた体を木陰に寄せ、ふと見ると水の入った素焼きの壷が置かれている。
この壷を誰が置いたのかは知らない、しかしこの道を通る人の喉を潤す気遣いがこの国にはあるという。
それが「美味い」というのだ。
当時、鎖国状態だったミャンマーの印象は、軍事政権下による圧政とアウンサンスーチー女史の軟禁。
少数民族虐待に他国からの経済制裁と、ほぼ鎖国状態の国を旅行者が物見遊山で行くのには正直抵抗が無かった訳ではない。
その一方で、ミャンマーを旅した者達が語るイメージとこれらのネガティブなイメージが自分の中ではどうしても重ならなかった。
ならば、自分の目で確かめてみたくなるのが性分だ。
そんな僅かな理由ですら、当時の自分を旅立たせるには充分だったのだ。
それから20年。
僕は2014年の冬に3度目のミャンマーへ旅をした。
その間、僕は恋をするように世界中を歩き旅を重ねてきた。
雪を抱いたキリマンジェロに恋をし、キューバの路地で聴くジャズにも恋をした。
然しながら、もし自分が老人となり自分の人生を振り返った時、これまで最も素敵な恋をした相手は誰か思い出す機会があるならば、僕は躊躇わずにミャンマーと答えるだろう。
残念ながら、その理由を言葉で伝えるほど僕はそれほど饒舌では無い。
そのせいだろうか、ファインダーに写る被写体を撮る度、僕は能動的な感覚でシャッターを押した。
それは、遠い昔に感じた"ときめき"に何処か似ている。
そんな”ときめき”が少しでも画像から感じる事ができれば、何だか無邪気に嬉しい気がする。
【蕩けるように旅をしたい ミャンマー 古都マンダレーと周辺2】
3日目■ マンダレー⇔ミングォン往復
※サガイン、インワ、アマラプラは
【蕩けるように旅をしたい ミャンマー 古都マンダレーと周辺1】をご覧下さい。
http://4travel.jp/travelogue/10998409
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
マンダレー駅近くのホテルから約4km
イラワジ川に面したマンダレーの船着場に到着しました。
混沌とした風景…
此処が、マンダレー市に於ける水上貿易の拠点です。
ここから船に乗って北上し、11km先にあるミングォン村に向います。 -
花を抱えた老女
-
行き交う船のガソリンスタンド
-
どの船に乗るのか、間際まで案内はありません。
旅行者が集まり、出発時間になった頃、何処からか係員が現れて出航案内があります。 -
ミングォンへはイラワジ川を遡り、凡そ1時間弱の船旅です。
外国人の利用する船は限られており、1日1往復のみ。
川を行き来する船を眺めながら、ゆっくりと川を遡ります。 -
巨大旅団のように、諸々がそれぞれの目的地へと川を遡っていきます。
-
丸太と椰子で作られた筏が小型船に曳航されてました。
筏舟が彼らの家でしょうか。 -
進行方向左手にミングォンパヤー(Mingun Paya)が見えてきました。
-
ミングオンに到着!
船着場から眺めるミングォンパヤー
豆粒のような人影から、その大きさが分かります。 -
ライオンロック(18世紀の地震で崩壊し象のように変形してしまった)の側から村に入ります。
-
ミングォンパヤーは当初50mの土台の上に仏塔を建てる予定でした。
しかし、王の死去で建設が中断。
高さ50mの土台のみ完成し、今に至ります。
更に、1838年の大地震で土台に大きな亀裂が入りました。
此処で靴を脱いで境内に入ります。 -
先ずは、ご本尊に参拝
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参拝に用いる線香を売る少女
-
正面左側の亀裂に造られた急な階段を登って、土台の上に到着。
雄大な景色を暫し観賞
イラワジ川から吹く風が爽快。 -
頂上からミャティンダンパゴダ(シンピューメェーパゴダ)を遠望
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頂上から降りると、線香売りの少女達がいました。
-
ミングォン村の牛車タクシー
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牛車タクシーの運転手さん
-
村の中心を北に歩いて行きます。
-
村は小さく、充分に歩いて廻れる広さですが、それなりに牛車タクシーの需要もあるようです。
以外と速い牛車 -
村の中心の道脇で美味しそうなスイカや果物が売られていました。
-
ミャンマー土産の定番
マリオネットが売られています。 -
喉が渇いたので飲料水を買いました。
物売りは多くいますが、やはり女の子から買ってしまいます。
彼女は14歳。
普段は学校に通っているそうです。 -
村にある食堂で昼食を食べました。
道の対面にある食堂の主?
「おいっ、俺の店に来んかい!」 -
ちょっとしつこいジュース売りの子供
「さっき飲んだからいらないよ」
と何度も言うと、ふてくされてこんな顔に…
その瞬間をイタダキ! -
イチオシ
通りで見かけた美少女
声を掛けると、快く撮影させてくれました。
シャッターを押すとき、何故か緊張?
被写体にときめく瞬間 -
ミングォンベル
1790年にボートパヤ王がプトードォパゴダに合わせて造りました。
重さは90トン
世界で3番目に大きな鐘
(実際に吊られている鐘では世界最大) -
釣鐘の中は落書きだらけ
-
ギャラリーの店番の婆さん
-
白い仏塔が美しいシンピューメェーパゴダ
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此処からは、先ほどとは逆にミングォンパヤーを眺めます。
-
境内を歩く人
何処にでもありふれてるけど、ミャンマーらしい風景です。 -
船乗り場に戻って来ました。
果物売りの屋台 -
船が出発するまでの間、河原を散歩してみます。
灼熱の太陽に照らされた河原の石の上に、洗濯物を並べて乾かしていました。
なんとも壮大な洗濯風景です。 -
再び船に乗りマンダレーの船着場に戻ります。
往路に比べ20分速く到着。
観覧車の真下が船着場です。
船は夕方前に到着し、バイタクでホテルに戻りました。
明日は、いよいよパガンに移動します。
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