1975/01/30 - 1975/02/05
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復して
ヨーロッパ、モロッコを船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
今回は、昨年の8月に訪れたツエルマット、
どうしてもマッターホルンの雄姿を1日中眺めたい想いでやって来ました。
ご参考まで
青年は荒野をめざす Vol.13 スイス ツエルマット
http://4travel.jp/travelogue/10969897
2月1日快晴
~チューリッヒ~ブリーグ~ツエルマット
2月2日快晴
ツエルマット
朝焼けのマッターホルンと月のコントラストが素晴らしかった。
ゴルナーグラード標高3,130mでスキー
2月3日快晴
ツエルマット散策
2月4日快晴
ツエルマット滞在4日間、全て快晴だった。
これだけ毎日マッターホルンの雄姿を見れば思い残す事はなかった。
ツエルマットを去る時、駅前でもう一度マッターホルンを見上げた。
また来る日があるだろうか、という想いだった。
車窓からのインターラーケンの湖が美しかった。
ツエルマット~ブリーグ~バーゼル~
2月5日
~ウィーン
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
昭和50年1月29日
フランクフルト〜
1月30日
〜ウィーン
今回もオーストリア入国審査が厳しかった。
係官は広辞苑のような厚い書類を開いてブラックリストとパスポートを
照合した。
「レッドアーミーではないだろうな?」の質問に対して
YesなのかNoなのか、いつも緊張する。
一度、デンマークの優しそうな係官に「ピンクアーミー」と言ったら、
ニヤリと笑って「次の駅で降りたいのか」と言われた。
ウィーン駅に到着する頃、朝焼けが実に美しかった。
1週間振りにシャワーを浴びて旅行者に行って3月5日ナホトカ出港、
7日横浜入港で手配を頼んだ。
1月31日
ウィーン〜
午前中、今晩からツエルマットに行くので旅行社に荷物を預けた。
それにしてもウィーンは物価が高い。
宿泊費40シリング、朝、昼、夕食代45シリング、交通費25シリングで
計110シリング約2,000円、ちなみにギリシャは宿泊費60ドラクマ、
食事代60ドラクマで計120ドラクマ、約1,200円である。
トルコ、スペインの2倍は掛かる。
2月1日快晴
〜チューリッヒ〜ブリーグ〜ツエルマット
2月2日快晴
ツエルマット
朝焼けのマッターホルンと月のコントラストが素晴らしかった。
ゴルナーグラード標高3,130mでスキー
2月3日快晴
ツエルマット散策
2月4日快晴
ツエルマット滞在4日間、全て快晴だった。
これだけ毎日マッターホルンの雄姿を見れば思い残す事はなかった。
ツエルマットを去る時、駅前でもう一度マッターホルンを見上げた。
また来る日があるだろうか、という想いだった。
車窓からのインターラーケンの湖が美しかった。
ツエルマット〜ブリーグ〜バーゼル〜
2月5日
〜ウィーン -
昭和50年1月29日
フランクフルト駅で1ドル285.01円両替 1ドイツマルク123.92円
西ドイツはもう来る予定は無いので1ドルしか両替しなかった。 -
昭和50年1月29日
フランクフルト 買い物レシート0.6ドイツマルク74円 -
昭和50年1月30日
ウィーンで10ドル両替
上が10ドル現金、下が10ドルトラベラーズチェック
同じ10ドルなのにシリングが僅かだが違ってくる。 -
昭和50年1月30日
東欧・ソ連経由の旅行を取り扱う旅行代理店一覧
東欧に接しているオーストリア ウィーンの
JOSEFSTADT社にした。 -
昭和50年1月30日
旅行代理店JOSEFSTADTの担当者ビアンカさんの名刺
ひどいドイツ語訛りの英語を話すおばあちゃんだったが、ツエルマットへ
行く時荷物を預かってくれた。 -
昭和50年1月30日
ソ連経由の旅行申込書
3月5日ナホトカ出港、3月7日横浜入港で申し込んだ。 -
昭和50年1月30日
旅行代理店JOSEFSTADT社に手付け金として100ドル28,501円を払った
証明書らしきもの。 -
昭和50年1月30日
ウィーンの市内電車・地下鉄切符6シリング104円
11時40分乗車 -
昭和50年1月30日
ウィーンの市内電車・地下鉄切符6シリング104円
11時50分乗車 -
昭和50年1月30日
ウィーンの市内電車・地下鉄切符6シリング104円
17時30分乗車 -
昭和50年1月30日
ウィーンのHOSTEL RUTHENSTEINERのカード
1月30日、2月5日から19日までの16日間宿泊。
西駅のすぐ近くだったので便利が良かった。
1泊40シリング682円
このホステル今も営業している!
http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g190454-d263766-Reviews-Hostel_Ruthensteiner-Vienna.html -
昭和50年1月31日
シュテファン大聖堂 カタコンベの入場券10シリング171円
1679年にペストがヨーロッパ中に蔓延した際、ウィーンでは約15万人の
死者がでた。
この地下室にはペストで死んだ人々約2,000体の遺骨と、ウイーンの司教、
ハプスブルク家の心臓以外の内臓が保管されていて気味が悪かった。 -
昭和50年2月1日
スイス チューリッヒ駅で30ドル8,550円両替 1スイスフラン116,35円 -
昭和50年2月1日
ブリーグ〜ツエルマット往復列車切符10日間有効
29スイスフラン3,374円 -
昭和50年2月1日から2月4日まで3泊した
ツエルマットのユースホステル
チューリッヒ、ブリーグと2度乗り換えて再びツエルマットに
やって来た。
駅に近づくと雄大なマッターホルンが見え始めた。
昨年の8月以来だが、やはり懐かしい。
昨夏の事を思い出しながらユ−スホステルまで歩いた。 -
昭和50年2月1日から2月4日まで3泊した
ツエルマットのユースホステル
ユースホステルは夏と違ってかなり空いていた。
夕食は日本人は自分を入れて2人で6人でチーズフォンデュだった。
日本人のSさんから明日、スキーに行かないかと誘われた。
バリバリのアイスバーンでの怪我が怖かったが、2日間カメラを貸すと
言われて行く事にした。 -
昭和50年2月1日から2月4日まで3泊した
ツエルマットのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和50年2月3日
スイス ツエルマット ユースホステル領収書
1泊2食付15スイスフラン1,781円、3泊分で45スイスフラン5,344円 -
昭和49年8月22日
牧童のペーターは近くの山で放牧させて、毎日夕方の5時過ぎ、
村のメインストリートを通って帰るのであった。
昭和50年2月2日
画像左にあるスポーツ店でスキーを1日22スイスフラン2,560円で借りて、
そのままスキーを履いてメインストリートを滑って登山電車の駅に向かった。
スポーツ店でレンタルスキーの保証金として100スイスフラン11,778円を
請求されたが、手持ちが無く、1万円札を出したが、店の親爺は、まるで偽札か、とばかり、裏表を何度もひっくり返して明かりにかざしたりして、
透かしをチェックしていた。
その頃は円の価値も対外信用も大したことが無かったのである。 -
昭和50年2月2日
スイス ツエルマット
20ドル5,700円両替 1スイスフラン117.78円 -
昭和50年2月2日
ツエルマット ゴルナーグラード標高3,130mで
スキーレンタル代、22スイスフラン2,560円、電車代32スイスフラン3,769円も
したが快晴だったので納得した。 -
昭和50年2月2日
ツエルマット ゴルナーグラード標高3,130mで
スキーグローブは普通の手袋、スキーウエアは毎日着ているセーターと
コート、下はジーパン、これでよく3,130mへ行ったものだ。 -
昭和50年2月2日
ツエルマット ゴルナーグラード標高3,130mで
Sさんに滑っているところを格好良く撮って貰おうと勢い込んで
滑り出した途端、転倒、モロに撮られてしまった。
右わき腹がすりむいた傷と打撲傷が重なって3,4日間痛みが取れなかった。 -
昭和50年2月2日
ツエルマット リッフェルベルグ標高2,582mで -
昭和50年2月2日
ツエルマット リッフェルベルグ標高2,582m
レストラン前で
夏、あんなに雲が引っかかって見えなかったマッターホルンが
目の前で1日中見られるなんて信じられないくらいである。 -
昭和50年2月2日
ツエルマット リッフェルベルグ標高2,582m、
マッターホルン標高4,477m。 -
昭和50年2月2日
ツエルマット リッフェルベルグ標高2,582mで -
昭和50年2月2日
ツエルマット リッフェルベルグ標高2,582mで -
昭和50年2月2日
ツエルマット リッフェルベルグ標高2,582mで -
昭和50年2月2日
ツエルマット リッフェルベルグ標高2,582mで -
昭和50年2月2日
ツエルマット〜ゴルナーグラードの登山電車 -
昭和49年8月24日
ツエルマット
朝早くユースホステルの前でアメリカ人ローラと
「行かないで」
「青年は荒野をめざす」
夜明け前のマッターホルンの美しさに感動した。
濃いブルーの空とマッターホルンの東壁が
朝陽を浴びて赤に近いオレンジ色に染まっていた。
部屋には、アメリカ人、ドイツ人、ユダヤ人3人いて、
皆、声も出さず見入って感動していた。
こんな神々しい山を見たのは初めてであった。
8時前には頂上付近から雲がかかり始めて見えなくなってしまった。 -
昭和50年2月3日
ツエルマット ユースホステル近くから
上の画像とほぼ同じ位置で -
昭和50年2月3日
ツエルマット ユースホステル近くから -
昭和50年2月3日
ツエルマット
今日も快晴。 -
昭和50年2月3日
ツエルマット -
昭和50年2月3日
ツエルマット -
昭和50年2月3日
ツエルマット
朝早く馬そりのタクシーが走っていた。 -
昭和50年2月3日
ツエルマット -
昭和50年2月3日
ツエルマット
村内どこからでもマッターホルンを拝める事が出来る。 -
昭和50年2月3日
ツエルマット -
昭和50年2月3日
ツエルマットのホテルの売店で買った絵葉書の袋 -
ツエルマット駅前で
昭和49年8月28日
夏は馬車のタクシー
昭和50年2月3日
冬は馬そりのタクシー -
昭和50年2月3日
ツエルマット駅前の馬そりのタクシー -
昭和50年2月3日
ツエルマットで8ドル2,280.08円両替 1スイスフラン118.75円
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