1974/12/13 - 1974/12/27
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復して
ヨーロッパ、モロッコを船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
12月21日、イタリア ミラノの地下鉄でカメラを盗まれ、
その為、今回、自分で撮った写真は1枚も無く、
掲載画像は絵葉書をスキャンした。
https://www.youtube.com/watch?v=ImQD5c279W4
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行記の周辺地図
昭和49年12月14日
マラガ〜マドリード
12月15日
マドリード
12月16日
マドリード
12月17日
マドリード〜パリ
12月18日
パリ
12月19日
パリ
12月20日
パリ〜イタリア ミラノ
12月21日
ミラノ
12月22日
ミラノ〜ベネチア
12月23日
ベネチア
12月24日
ベネチア〜フィレンツェ
12月25日
フィレンツェ
12月26日
フィレンツェ〜ピサ〜フィレンツェ
12月27日
フィレンツェ〜ローマ -
昭和49年12月13日
マドリードで40ドル11,400円両替 1ペセタ5.09円 -
昭和49年12月14日
マドリード 地下鉄切符
アト―チャ駅からホセ・アントニオ駅まで乗車 -
昭和49年12月14日
マドリード プラード美術館 入場券
ヨーロッパでも超一流の美術館なのに何と入場料無料だった。
見ものは2階中央廊下に並ぶムリリョの作、同じく東側各室にある
ルーベンス、グレコ、ベラスケスの傑作の数々。
ゴヤの「裸体のマヤ」「着衣のマヤ」は2階廊下突き当りの一角にあり、
更に1階にはナポレオンの騎兵に短刀で襲い掛かる民衆や、
銃殺される民衆を描いた「五月二日の変」「五月三日の処刑」、
それに晩年の暗い狂気の時代の作品があったりして
美術の教科書に載っている絵が次から次へと観られるのである。
ストロボさえ使わなければ館内でも写真は撮れるし、
小学生の団体は絨毯に座って学芸員の説明を聴いたり、
模写している画家もいたりする。
もっともこれはプラード美術館に限らずヨーロッパの多くの美術館が
そうであった。
でもこれだけの美術館が無料なのは珍しかった。 -
昭和49年12月15日
マドリード プラード美術館 入場券
1日でとても観きれないので昨日に続いてまた行った。
夜、フラメンコを観に行った。午後11時から午前3時までで350ペセタ1,750円。
途中、眠たくて眠りそうになったが、激しい踊りと情熱的なギター音で
持ちこたえた。 -
昭和49年12月16日
マドリード 買い物レシート 130ペセタ689円 -
昭和49年12月17日
マドリード 10ドル2,850円両替 1ペセタ5.30円 -
昭和49年12月17日
マドリード
日本へ3回目の資料を送った。
切手代85ペセタ451円 -
昭和49年12月17日
マドリード地下鉄切符
郵便局の最寄り駅バンコ デ エスパーニャ駅から乗車 -
昭和49年12月17日
日本へモロッコ、スペインで買った土産品、夏服類を
船便で送った。日本にはちゃんと届いた。
4.5キロで234ペセタ1,241円 -
昭和49年12月17日
日本に送った小包の証明書 -
昭和49年12月17日
マドリード地下鉄切符
小包を送った鉄道駅の地下鉄最寄り駅アカシアスから乗車 -
昭和49年12月17日
マドリード19時発スペイン国境駅イルン行き 列車予約カード
G.2号車 SR席
今日は滅茶苦茶に忙しかった。
昨日、日本へ送る為の段ボール箱とガムテープを買いに行ったが、
なかなか見つからず苦労した。
英語はまるっきり通じないのである。
絵に描いて何とか手に入れて帰り、アマデオで梱包していると
日本人から箱に厚い紙で包装しなければ駄目だと言われ、
分厚い紙は百貨店セプで商品として売ってないので、
タダで貰えると云う事であった。
そして今日、百貨店セプで紙を貰うのに何だかんだで1時間余りかかり
次に郵便局に行って資料を航空便で日本へ送り、
それから、小包を船便で送る為に鉄道駅に13時10分に着くと昼休みで窓口閉鎖中。
15時過ぎに窓口が開いたが、言葉が通じないので申告書を書くのに一苦労、
それでもアマデオの日本人達に助けて貰ったお蔭で何とか送れたのである。
無ければ2,3日は掛かったであろう。 -
昭和49年12月18日、19日
2泊したパリのホテル ツインルーム21フラン1,287円
1ヶ月のパリの印象はやはり南欧に比べて天気が悪いのである。
深夜に国境で列車を乗り換える時には、もう雨が降っていた。
そして何よりも南欧に比べて物価が、特に果物類が高かった。 -
昭和49年12月19日
パリ地下鉄切符 10枚綴り 8フラン490円
パリにまた来たのは、もう一度ルーブル美術館をゆっくりと
見たかったからである。
コロー、ドビニー、ドーミエ、ルソーの絵画はじっくり見れたが、
ミレーの「晩鐘」は部屋が閉まっていて見られなかった。
最後に「モナリザの微笑み」「ミロのヴィーナス」を心行くまで鑑賞した。
その後、コンシェルジュリーに行ったら1月15日まで閉館だった。 -
昭和49年12月20日
バンクオブアメリカでトラベラーズチェック300ドルを
20,10ドルに小分け。 -
昭和49年12月21日
イタリア ミラノ地下鉄切符 午前11時10分乗車 -
昭和49年12月21日
ミラノ サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
教会左手にある元僧院の薄暗い食堂の壁にレオナルド・ダ・ビンチが
1497年に描き上げた「最後の晩餐」があった。
食堂はそんなに広くはなかったが、遠近法のせいか奥行が感じられた。
鑑賞しながらユダはどれか?と判らずにいたら、そこへ一人、入って来たので
彼に「ユダはどれか?」と尋ねたら、
「キリストの弟子にユダなんていない。聞いたこともない。」と
言われたのである。
通じないと思って、彼に背を向けてまた絵を見ていた。
しばらくしてから「ユダと云うのはジュダの事ではないか。」と言われて
ピンと来た。ユダはJudahだったのだ。
すかさず「それ!それ!」と言ったら教えてくれた。
-
昭和49年12月21日
ミラノ地下鉄切符 午後7時30分乗車
カメラを盗まれた。大ショック。言葉も出ない。
ラッシュ時の地下鉄で乗る時に押されてその時盗られたようだ。
モロッコで買った革のショルダーバッグに入れていたが、
降りる時に無いと気付いた。盗難には十分気を付けていて、
バッグはいつも腰の前に下げていたが、ラッシュを利用して狙われたのだろう。
あれだけあちこちで多くの日本人旅行者からイタリアの盗難について
散々聞かされ、十分な知識と情報を得ていたつもりだっただけに
自分には本当に腹が立った。
散々聞かされていた事は、
・イタリアは特に盗難が多い。
19日の日記にもイタリアさえ無事に過ごせたら、と書いていた。
・駅は特に注意。
具体例として
荷物を置いてトイレから戻ったら無かった。
駅のホームで友達と待ち合わせていて、スーツケースを腰掛け代わりに
して盗まれないようにしていたが、友達が列車から降りて来たので、
「やあー」とか言って立ち上がって友達に近づいて行って一緒に
戻ってみたらスーツケースは無くなっていた日本人女性。
・相部屋のユースホステルも危ない。
ロッカーは持参の南京錠で、シャワーも浴びる時はパスポート、紙幣を
ビニール袋に入れてシャワーのフックに掛けていた。
寝る時は寝袋にして貴重品も肌身離さずにしていた。
カメラの中には天気の良かったマドリードの街並み、王宮、フラメンコ、
アマデオの様子、パリの街並み、ミラノのドゥオモ・・・観光名所が
いっぱい写っていたフィルムが入っていた。
身体中から力が抜けた。 -
昭和49年12月22日
地下鉄切符 午後1時00分乗車
これからローマ、ポンペイ遺跡、ギリシャ、エーゲ海・・・
撮りたい名所旧跡が目白押し、その為に100本持って来たフィルムを
半分以上残していたのに、とつい愚痴が出るのである。
今日、ミラノの警察に行ったが、盗難届もイタリア語のみで、言葉も通ぜず、
応対した警察官もやる気もなさそうで、
いたずらに時間も掛かりそうなので諦めた。
今後は観光地で日本人を見つけて、お願いしてカメラを借りて撮るか、
フィルムを渡して撮って貰うか、その場合謝礼はフィルムで、
日本人が見つからない場合は代わりに絵葉書を買う事にする、にしたが、
結局、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ピサの斜塔では
日本人旅行者と会わなかった。
会っても団体観光客ばかりでお願いできるような雰囲気ではなかった。 -
昭和49年12月22日
地下鉄切符 午後3時50分乗車
余談だが、その後、旅先で2度も盗難にあった。
恥ずかしい限りだが、皆さんのご参考になれば、と思って書くと、
2006年ピースボート「地球一周の船旅」でラウンジのテーブルに
電子辞書の入ったバッグを置いたまま、
席を外して、2,3分で戻ったがバッグは消えていた。
すぐ、拾得物として届けられていないかと、レセプションに行ったが、
駄目だった。
船内での盗難は結構有った、特にノートパソコンは2台盗まれたとか。
教訓、日本人ばかりと思って安心してはいけない。
2010年6月、中国大同から青島に向かう列車が夜中の1時頃、
北京駅に停まったので、朝食用のパンと牛乳を買って
3段ベッドの一番上の自分の毛布の上に置いた。
発車までに少し時間があったので再びホームに降りていたが、
発車時間になったのでベッドに昇るとパンと牛乳は盗まれていた。
教訓、「買った食べ物はすぐに食べるべし」、
胃に入れてしまえば盗まれる心配は無い。 -
昭和49年12月22日
ベネチア 夕食代850リラ376円 -
昭和49年12月22日
ベネチア 水上バス急行切符 120リラ53円
ベネチアにはバスはないし、ゴンドラは高いから水上バスに乗るのが
一番安くて面白い。急行と各駅停車がある。 -
昭和49年12月23日
ベネチア ドゥカーレ宮殿 入場券200リラ88円
ドゥカーレ宮殿は、ベネチア共和国の総督邸兼政庁であった建造物。
8世紀に創建され、14世紀(1309年)-16世紀にかけて現在の形に改修された。
サン・マルコ広場に面して建造され、運河を隔てて対岸の牢獄跡と、
ため息橋で結ばれている。
外観はゴシック風のアーチが連続し、イスラム建築の影響も見られる
細やかな装飾が施されている。 -
昭和49年12月23日
ベネチア 水上バス普通切符 100リラ44円 -
昭和49年12月23日
ベネチア 水上バス急行切符 120リラ53円 -
昭和49年12月23日
ベネチア サン・マルコ広場
サン・マルコ広場は屋根の無い宮殿とも言われるほど華麗な広場。
画像左の鐘楼は高さ98メートル、現在のは1514年に造られ、
1912年にそっくり元通りに再建された。
画像右の建物はドゥカーレ宮殿。 -
昭和49年12月23日
ベネチア 水上バス急行切符 120リラ53円 -
昭和49年12月23日
ベネチア リアルト橋
リアルト橋は1592年に出来た大理石の見事な太鼓橋で、
橋上には中世風に店が並び、ベネチアの商業の中心地となっている。 -
昭和49年12月24日
フィレンツェ 買い物レシート 420リラ186円 -
昭和49年12月24日〜26日
フィレンツェで利用したレストランの領収書 1,600リラ707円
このレストランネットで検索したら何と今も営業している。
http://www.trattoriaboboli.it/index.html
-
昭和49年12月24日〜26日
フィレンツェで利用したレストランの龍収書 1,300リラ574円
このレストランもホームページは無いが今も営業している。
Oreste
Piazza S. Spirito 16/r (Santo Spirito)
Tel. 055 23 82 383, closed on Tuesday
Italian regional revisited -
昭和49年12月25日
フィレンツェ ヴェッキオ橋
ヴェッキオ橋は1345年に架け替えられたままで、
橋上には宝石商などの店が並んでいる。
中世の橋は皆この様に橋上に店が並んでいて、
これは当時を偲ばせる貴重な遺構である。
ダンテが永遠の恋人ベアとリーチに会ったのも、この橋上だった。 -
昭和49年12月25日
フィレンツェ 画像左からジョットの鐘楼、
ドゥオモ(大聖堂)とクーポラ(ドーム)、ヴェッキオ宮殿
ジョットの鐘楼は、高さ84mのゴシック様式の塔。
ジョットの設計で1334年に着工し死後1354年に完成。
最上階へは414段の階段を登っていく。
楼内には15世紀の刻印のある「アポストリカの鐘」がつり下げられている。
ドゥオモはカンビオの設計で1296年に着工され、
ブルネレスキーの設計になる高さ106メートルになる
クーポラが完成したのは、1461年。
色違いの大理石で模様の出来ている外壁はいかにも華やかに美しく
花の聖母大寺院にふさわしい。
ヴェッキオ宮殿もカンビオの設計で1314年に完成。
その後に行われた内装には16世紀のジョルジョ・ヴァザーリはじめとする
多くの芸術家たちが参加している。
現在も、市庁舎として使われていて、
内部は、「フランチェスコ1世の仕事部屋」「500人大広間」
「レオ10世の間」「ゆりの間」などの部屋に分かれている。 -
昭和49年12月25日
フィレンツェ ドゥオモの入場券 -
昭和49年12月25日
フィレンツェ ヴェッキオ宮殿の入場券 -
昭和49年12月26日
ピサ市内バス切符 -
昭和49年12月26日
ピサの斜塔と大聖堂
ピサの斜塔は、ピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、
高さは地上55メートル、階段は297段、重量は14,453トンで、
行った時は5.5度傾いていたが、現在は3.99度に是正されている。
かつてのガリレオの実験に対して行われた異端審問の弾圧に関連して
ローマ法王が侘びの公式声明を塔の頂上にて行った事も有名。
ガリレオのランプは、大聖堂の身廊のほぼ中央に吊り下がっているブロンズ製のランプで、ガリレオがこのランプの揺れをみて振り子の等時性を発見したと伝わっているが、これも事実ではないと考えられている。
ランプに火が灯って無かったので揺れてなかった。 -
昭和49年12月26日
ピサの斜塔 入場券500リラ220円 他の入場券に比べて高かった。
297段の階段の昇り降りの時、体の平衡感覚が失うような感じであった。 -
昭和49年12月27日
フィレンツェ 市内バス切符 午後2時50分乗車 -
昭和49年12月27日
フィレンツェ 市内バス切符 午後0時55分乗車 -
昭和49年12月27日
フィレンツェ ウフィツィ美術館 入場券
ウフィツィ美術館の建物はメディチ家の事務所として1588年に
建てられた。その廊下に絵や彫刻を並べ始めたのが
この世界に名高い美術館の起源。
それから廊下ガレリアというイタリア語がギャラリーとして
美術館の意味に使われるようになったという。
ジョットの「聖母」、ボッティチェッリの「ヴィーナス誕生」、「春」、
ダ・ビンチの「受胎告知」、ミケランジェロの「聖家族」、
ラファエロの「レオ10世」など余りにも名高い絵画が展示されていた。 -
昭和49年12月27日
フィレンツェ アカデミア美術館 入場券
アケデミア美術館にはミケランジェロの傑作「ダヴィデ像」、
「ピエタ」がある。
巨大な石塊から何かを彫り出そうとして中止したものが幾つも置いてあるが、
ミケランジェロの手法、制作についての苦悩ぶりがうかがわれる。
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