2015/02/22 - 2015/02/24
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nao520さん
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西安3日めです。西安の西の方中心です。9時にホテルを出て6時のフライトまでの時間でしたがいつものように詰め込まない旅程なので充分でした。
漢陽陵は前漢6代皇帝景帝の陵墓です。ここがすごいのは、陵の中というか地下がそのまま博物館になっているところです。景帝の頃(前141-前188)は漢の基盤が固まった安定期ということもあり副葬品が豪華とされています。また始皇帝の兵馬俑坑の頃から既に100年弱経っているわけで副葬品も変わっきている印象を受けます。
特に生活用品が多く、乱立国家を統一させた始皇帝の頃の「軍団」とは随分と趣を異にします。
乾陵は唐の3代目皇帝の高宗李治と武則天(高宗の皇后であり周武の皇帝)の合葬墓です。唐の2代目で実質的に唐を建国したとされている李世民の9番目の子である高宗の頃は李世民の貞観の治の後でもあり、唐の国力が高まっていたこともありこれまた大きな陵墓です。
高宗は虚弱で気が弱かったため、政治的にも非常に有能な皇后武則天が実権を握っていました。中華の歴史の中で唯一の女帝として有名ですが当時の女性の社会的な地位を考えると女性が皇帝になるということはとてつもなく大変なことだと思います。
武則天についてはその生い立ちも含めてその一生はとても興味を引くものがあります。特に権力を奪取して行くまでの過程はドラマそのもの。李世民の後宮にいたわけで、それが皇帝の実子である李治の正皇后になるということからして異例で、それも高宗をぞっこんにさせた彼女の策略と言われています。後宮には何百人も美女がいたので綺麗でもあったのでしょう。
また、李世民の妃だったときのライバルであった皇后と妃の2人は手足を切って酒壺に放り投げるとか、自ら皇帝になるため自分の子供を廃太子にしたのち次々殺し、権力維持のため、批判した孫まで殺してしまうという苛烈さ。当然敵対勢力も策略を使ってどんどん切り捨てていきます。一方で政治能力は抜群で、科挙を本格導入することにより旧来氏族制度による政治システムを壊して建国以来力を握っていた貴族の力を削ぎ、また女性の地位も向上させ、版図も大きく広げるなどの功績も数知れず。
中国の数ある皇帝の中でも評価が様々でとても特徴的です。皇帝の地位を返還した後、82歳の天寿も全うしています。
「武周」というのは彼女が皇帝になった際に唐に変えて「周」としたのですが、昔あった「周」と区別するため武則天の実の名前「武照」の武をつけて呼ぶのが後世の習わしとなっています。
永泰公主墓は乾陵の陪葬墓です。武則天の孫です。旦那である武則天の甥と一緒になって武則天の批判をしたため自殺を命じられました。享年17歳。洛陽に埋葬されましたが武則天の死後父である中宗によってこの公墓に皇族として埋葬されました。巨大な棺があり、壁画が有名です。
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漢陽墓
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正面からこのように地下に入っていきます。
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埴輪以外のカネ目の物は既に盗掘されています。これら埴輪は当時の泥棒には価値ありませんので誰も持って行かなかった。
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廊下がガラス張りになっており真下も見れるようになっています。
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埴輪が大量にあります。横倒しになっていますが。
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このような隊列を組んで並べられていたようです。
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元々は一体一体このような衣服を着ていた。服の部分は1500年経ってますので朽ちています。
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埴輪はこのような型で作られています
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このような家畜の埴輪も多いです。
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馬車が横倒しになっています。
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これは面白い。
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いろいろな家畜の隊列。豚とかヤギとか牛などが並んでいます。
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これは犬ですが、今の犬と顔が違います
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まだ、発掘されていない部分です。
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まだまだたくさんあります。
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復元された南門です。陵墓は城壁に囲まれていて門がありました。
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これは壁の部分。南門の木造部分は残っていないので復元です。
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漢陽墓からの遠景
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この辺りは併葬墓が多くあります。
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特にどうということもない食事
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午後は乾陵の永泰公主墓です
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棺の部屋まで下っていきます
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これは盗掘の跡。レンガは最近になって覆ったもの
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復元壁画
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画の専門家に言わせるとこの人物が最も美しく描かれているという。
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S字の姿が優美
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棺の部屋の天井の盗掘の跡
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棺、結構凄いです
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公主、女性なので鳳凰が描かれています
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永泰公主も描かれています
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裏山より
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多く出土されている胡人についての埴輪などの展示。それぞれ特徴があり興味深い展示でした。
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もう一つは、武則天についての展示資料館。この図は皇帝になった時の様子。
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容姿よく文にも優れていたと。
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遣唐使のことです。武則天の頃も遣唐使着ていました。直接謁見しています。
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女性の地位を向上させた等の功績で、全体的に好意的な内容で統一されており現在の中国政府の見方が反映されていることを感じます。
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乾隆に行きます
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ペガサスが二体あります
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有名な無字碑。建てたのは武則天の子供中宗。何も書かれていない理由は武則天の功績が多すぎて書ききれなかったとも、その功績は後世で描かれるべきだと考えられたとも言われています。
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首が切り取られた像。この像は当時の唐に支配されていた属国或いは朝貢国の使節で、後世その国の人々がそれを恥辱と感じて首だけは切り取って持って帰ったと言われています。
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乾陵を後にして空港に向かいます
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18時のフライトで北京に戻ります。
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