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前回の旅(蒲郡)で、「旅には確かなテーマが・・」と書いた。今回はその過ちを繰り返すまいと、はっきり目当てをもって長崎へ向かう。2泊だ。<br />その一つは、島は島なれど「軍艦島」に上陸すること。2つめは雲仙普賢岳へ登ること。さらに島原の街並みを歩いたり、諫早の干拓地を見学すること。3つをいずれも達成しきったとはいえないが、じゅうぶん納得できる旅になった。<br /><br />まず飛行機で朝9:20に長崎に着く。すぐさまレンタカーで長崎港へ。10:30発の軍艦島上陸ツアーの船に乗るためだ。はるか洋上20?近くを大きな高速艇が駆ける。海は穏やかと言いたいところが風強く波高し。半数以上の人が船酔い。幸い私は乗り物に慣れているせいか、いたって元気なまま。<br />軍艦島ー正式には端島(はしま)。ご存知の人が多いと思うが、明治に石炭が発見され、採掘のために人工で作られた島だ。<br />華やかなときは5300人以上の人が住み、第3竪抗まであり、昭和16年には年間41万1100トンを産出したという。しかしついに1974年(昭和49年)閉山となり、島は無人島になった。以来放置されてきたが、5,6年前上陸が許可され、今や上陸ツアーが満員の盛況。しかもおととしには「世界産業遺産」に暫定登録されたというから、見学者が多いのもむべなるかな。<br /><br />島は廃墟そのものだ。上陸コースは決まっていて、どこへでも行けるわけではない。竪抗も学校跡も病院跡も、みんな廃墟として残っている。ガイドさんの説明も写真も飽きることなく、みんな真剣に見聞きする。<br />かつての華やかな歴史を彷彿とさせるのも事実だ。<br />ただ人々の中に昔の物珍しさを垣間見ることで、歴史を直視し今を考える姿勢が少ないのではないかと、若干の危惧を覚える。世界遺産でなくてもいいのではないかとも。<br /><br />感慨にひたりながら、伊王島の橋を渡る。何年か前できたばかりのようだ。島民にとってはありがたい橋ながら、観光的にはそう寄与していないように思われた。あと長崎では「立山防空壕」がよかった。原爆資料館や平和祈念像はよく知られているが、ここは訪れる人もほとんどいない。<br />県庁を移動させたかのごとく、巨大な防空壕が造られ、ちょうど原爆投下のときもここで県知事らが会議中だったとのこと。<br />揺れに外へ出るも、爆心地から3?あまり離れていて、被害は十分つかめなかったようで、東京の大本営に「被害軽佻ナリ」と打電したという。ところが時間がたつにつれ、ヒロシマと同じ新型爆弾と分かって、この日のうちに5回にわたって被害の状況を打電している。ここがヒロシマとのちがいだ。防空壕に通信施設があったからこそ、長崎の様子は逐一大本営に知らされた。だからといって原爆の悲惨さが変わるわけでもないのだが、そのことが敗戦を早めることになったのかもしれない。<br />知られざる長崎秘話。現存しているだけに、長崎へ行かれたらぜひ立ち寄ってほしいところだ。<br /><br />あくる日は雲仙に向かう。仁田峠というロープウエイの乗り場に車をとめて、ロープウエイには乗らずに登山道を行く。ここからも平成新山がきれいに見えるし、ロープウエイ終点では霧氷も見られるということだが、あえて周遊4時間あまりの登山を選ぶ。<br />1990年に始まった普賢岳の大噴火はかつてないほどの火砕流や土石流となり、数多くの犠牲や被害をもたらしたことは、いまだ記憶に新しい。普賢岳は噴火を繰り返し、平成新山を出現させた。いまや普賢岳より高い山肌むき出しの平成新山が前にそびえたっている。火砕流などの流れも残している。<br />話はさておき、歩き始めて1時間もすると、だんだん雪道になってくる。トレッキングシューズながら、本格的な登山靴でないし、アイゼンももたない。それでも老体にムチ打つがごとく、普賢岳をめざす。霧氷をめざす。新山をめざす。標高1180mの休憩所まで登ったとき、うんよく管理人さんと出会う。いよいよ雪深しとなるところだ。「アイゼンなしでは危ないですよ」と警告をうける。とめられたわけではないが、「天気も急変するかもしれないし・・」との忠告を受けて、やむなく断念。<br />「勇気ある撤退」という言葉がうかぶが、事実撤退は正解だったろう。わずかばかりの霧氷しか見れなかったが、地獄めぐりより、よほどこのほうがよかったではないか。ミヤマキリシマが咲き乱れる5月が最高のシーズンなんだという。はたして再訪できるだろうか。<br /><br />あくる日ふたたびロープウエイへ。今度は乗る。しかし暖かくなったのか、この日は霧氷は出てないらしい。平成新山を仰ぎ見て雲仙を後にする。今度は島原へ。とちゅう火砕流や熱風の被害にあった大野木場小学校被災校舎(砂防みらい館)を見学。すごい。自然の災害は今もどこでも起こっている。多すぎてマヒしてしまうくらい。しかし決して自分の中でも風化させてはならない。<br /><br />島原城、武家屋敷と散策をして、諫早の干拓地へ。9年前に水門をダダダと落としたところに堤防道路が通っているが、あいにくの工事中で上を通ることはできなかった。干拓資料館やムツゴロウ水族館で、干拓のことを学ぶ。<br /><br />レンタカーの走行距離280?。しかし長崎から大阪まで飛行機わずか1時間。JALパックを使ったのでかなり割安。その割に充実した長崎欲張り紀行だった。<br /><br />

今度は確かなテーマをもって長崎へ。

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2015/02/12 - 2015/02/14

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ごん太2

ごん太2さん

前回の旅(蒲郡)で、「旅には確かなテーマが・・」と書いた。今回はその過ちを繰り返すまいと、はっきり目当てをもって長崎へ向かう。2泊だ。
その一つは、島は島なれど「軍艦島」に上陸すること。2つめは雲仙普賢岳へ登ること。さらに島原の街並みを歩いたり、諫早の干拓地を見学すること。3つをいずれも達成しきったとはいえないが、じゅうぶん納得できる旅になった。

まず飛行機で朝9:20に長崎に着く。すぐさまレンタカーで長崎港へ。10:30発の軍艦島上陸ツアーの船に乗るためだ。はるか洋上20?近くを大きな高速艇が駆ける。海は穏やかと言いたいところが風強く波高し。半数以上の人が船酔い。幸い私は乗り物に慣れているせいか、いたって元気なまま。
軍艦島ー正式には端島(はしま)。ご存知の人が多いと思うが、明治に石炭が発見され、採掘のために人工で作られた島だ。
華やかなときは5300人以上の人が住み、第3竪抗まであり、昭和16年には年間41万1100トンを産出したという。しかしついに1974年(昭和49年)閉山となり、島は無人島になった。以来放置されてきたが、5,6年前上陸が許可され、今や上陸ツアーが満員の盛況。しかもおととしには「世界産業遺産」に暫定登録されたというから、見学者が多いのもむべなるかな。

島は廃墟そのものだ。上陸コースは決まっていて、どこへでも行けるわけではない。竪抗も学校跡も病院跡も、みんな廃墟として残っている。ガイドさんの説明も写真も飽きることなく、みんな真剣に見聞きする。
かつての華やかな歴史を彷彿とさせるのも事実だ。
ただ人々の中に昔の物珍しさを垣間見ることで、歴史を直視し今を考える姿勢が少ないのではないかと、若干の危惧を覚える。世界遺産でなくてもいいのではないかとも。

感慨にひたりながら、伊王島の橋を渡る。何年か前できたばかりのようだ。島民にとってはありがたい橋ながら、観光的にはそう寄与していないように思われた。あと長崎では「立山防空壕」がよかった。原爆資料館や平和祈念像はよく知られているが、ここは訪れる人もほとんどいない。
県庁を移動させたかのごとく、巨大な防空壕が造られ、ちょうど原爆投下のときもここで県知事らが会議中だったとのこと。
揺れに外へ出るも、爆心地から3?あまり離れていて、被害は十分つかめなかったようで、東京の大本営に「被害軽佻ナリ」と打電したという。ところが時間がたつにつれ、ヒロシマと同じ新型爆弾と分かって、この日のうちに5回にわたって被害の状況を打電している。ここがヒロシマとのちがいだ。防空壕に通信施設があったからこそ、長崎の様子は逐一大本営に知らされた。だからといって原爆の悲惨さが変わるわけでもないのだが、そのことが敗戦を早めることになったのかもしれない。
知られざる長崎秘話。現存しているだけに、長崎へ行かれたらぜひ立ち寄ってほしいところだ。

あくる日は雲仙に向かう。仁田峠というロープウエイの乗り場に車をとめて、ロープウエイには乗らずに登山道を行く。ここからも平成新山がきれいに見えるし、ロープウエイ終点では霧氷も見られるということだが、あえて周遊4時間あまりの登山を選ぶ。
1990年に始まった普賢岳の大噴火はかつてないほどの火砕流や土石流となり、数多くの犠牲や被害をもたらしたことは、いまだ記憶に新しい。普賢岳は噴火を繰り返し、平成新山を出現させた。いまや普賢岳より高い山肌むき出しの平成新山が前にそびえたっている。火砕流などの流れも残している。
話はさておき、歩き始めて1時間もすると、だんだん雪道になってくる。トレッキングシューズながら、本格的な登山靴でないし、アイゼンももたない。それでも老体にムチ打つがごとく、普賢岳をめざす。霧氷をめざす。新山をめざす。標高1180mの休憩所まで登ったとき、うんよく管理人さんと出会う。いよいよ雪深しとなるところだ。「アイゼンなしでは危ないですよ」と警告をうける。とめられたわけではないが、「天気も急変するかもしれないし・・」との忠告を受けて、やむなく断念。
「勇気ある撤退」という言葉がうかぶが、事実撤退は正解だったろう。わずかばかりの霧氷しか見れなかったが、地獄めぐりより、よほどこのほうがよかったではないか。ミヤマキリシマが咲き乱れる5月が最高のシーズンなんだという。はたして再訪できるだろうか。

あくる日ふたたびロープウエイへ。今度は乗る。しかし暖かくなったのか、この日は霧氷は出てないらしい。平成新山を仰ぎ見て雲仙を後にする。今度は島原へ。とちゅう火砕流や熱風の被害にあった大野木場小学校被災校舎(砂防みらい館)を見学。すごい。自然の災害は今もどこでも起こっている。多すぎてマヒしてしまうくらい。しかし決して自分の中でも風化させてはならない。

島原城、武家屋敷と散策をして、諫早の干拓地へ。9年前に水門をダダダと落としたところに堤防道路が通っているが、あいにくの工事中で上を通ることはできなかった。干拓資料館やムツゴロウ水族館で、干拓のことを学ぶ。

レンタカーの走行距離280?。しかし長崎から大阪まで飛行機わずか1時間。JALパックを使ったのでかなり割安。その割に充実した長崎欲張り紀行だった。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
3.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー JALグループ 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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