2015/01/18 - 2015/01/18
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ちびのぱぱさん
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武市半平太の生家に寄って、桂浜で鰹のたたき丼を食べ、龍馬の家の辺りをぶらついてみました。
土佐は、ほんとうに良いところですね。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
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ニコニコレンタカーで借りた「タント」は実に快適に走り、香川からなんなく高知にやってきました。
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高知市の東、龍馬空港と高知駅のちょうど中間あたりに、武市瑞山(半平太)の生家が残っていると知りました。
一時は、土佐藩はおろか、日本を動かすほどの権勢を手にし、土佐勤王党を率いた幕末の志士です。
武市半平太は、どのような家で生まれ育ったのだろう。 -
田んぼの脇に設けられた駐車スペースにタントを置いて、山際に建つ瑞山の生家を目指して歩きます。
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家の前に、熟し切った柿の実が二つ。
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日曜の昼前ですが、人の気配はなく、ただ、近くの畑で枯れ草を燃している農家の人が見えました。
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200年前に建てられた家が現在でも現役で使われているとは、驚きです。
今の主は、武市家の人ではないそうです。
表札には別の姓が掛かっていました。 -
門から声をかけてみましたが、応答は無し。
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開け放たれた門から、母屋の写真だけ撮らせていただきました。
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庭先の椿の木にメジロがつがいでやってきて、せわしなく動いています。
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武市半平太の生家を後にして、この狭い路地を右手に進むと
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少し上がったところに、小さな神社があります。
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神社の境内に、「瑞山記念館」という小さな資料館がありました。
まだ、真新しく見えますが無料公開されていました。 -
中には武市半平太にまつわる興味深い資料が展示されています。
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坂本龍馬の自然体の肖像に対して、きまじめに見えるのは先入観でしょうか。
龍馬と半平太は、共に土佐勤王党を立ち上げたものの、ほどなく別々の道を歩むことになりました。
対立する吉田東洋を暗殺すると、土佐の実権を握り、京に乗り込んで中央政権を操るようになる。
懐刀は、人切りの以蔵こと岡田以蔵。
NHKドラマでは佐藤健くんの当たり役でした。 -
失脚して、大殿である山内容堂に入牢を申しつけられました。
この写真は、半平太が自ら残した獄中記。
いかにも学者らしい緻密な観察眼で描かれています。 -
そのひょうひょうとした絵を見ているうちに、思ったより自由な思考の持ち主だったのかも知れないと、思えてきました。
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最後は切腹を申し渡される。
この頃の志士と呼ばれる人たちは、龍馬にしてもしかり、長生きしようなんて思ってもいなかったんでしょう。
四十まで生きていると、老醜をさらしたなんて言ってるんですから。 -
神社は記念館の裏に大事そうに囲われていました。
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半平太の死後も長生きをし、明治政府によって名誉が回復されるのを見届けた、妻の冨の墓と仲良く並んで葬られています。
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山内容堂は、瑞山を死に追いやったことを、終生悔いたとも伝えられています。
それが本当かどうかは、今となっては知るよしもありません。
バクマツは、いろんなことがあるなあ。 -
ここから桂浜へは、市街地を通らずに浦戸湾の湾口近くの浦戸大橋を渡っていけます。
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浦戸大橋を歩いて渡るお遍路さん。
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橋を渡ってしばらく行くと海岸に突き当たり、海に沿って右に進めば小高い丘(浦戸山)に登ります。
まさに、南国という言葉がしっくり来ちゃう。 -
山の頂には国民宿舎と龍馬博物館。
国民宿舎には、展望レストランが。
「鰹のたたき、食べたいね。」
入口のショーケースを見ながら、妻が発言。
望むところです。 -
素人は、高知といえば鰹のタタキということばが自動的に浮かんで参ります。
しかし、落ち着いて考えれば
「目には青葉 山ほととぎす 初がつを」
というわけですから、1月は鰹のシーズンでないことは認めざるを得ません。
だからといって、旬でないから食べない、などと食通を気取るような余裕はありません。
だいいち、来る時を選べない。
高知でかつをの叩きを食べてきたという実績がほしい。
この際うまいかどうかなんてことは二の次三の次。 -
桂浜を見下ろしながら頂くたたき丼、830円。
香の物と、おすましが付いている。
おすましの中に、幾筋かの麺が入っていました。
豊かな髪を宝塚のように巻き上げた、素敵な熟女がお冷やの追加に来てくださったので、訊いてみました。
「この素麺のようなものは、なんですか?」
「ああ、それは魚麺と言いまして、魚のすり身なんです。」
なるほど、蒲鉾の細いようなやつか。
知らなくてぎょめんなさい、というギャグがひらめくもののぐっと堪える。
たたき丼、おすまし、共に……うまいです。
とてもうまかったです。
でも、いつかシーズンに来てみたい…… -
では、腹も満たされたことだし、いよいよ「あの」桂浜に降りてみますか。
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このような昼なお暗き鬱蒼とした照葉樹を下って行きます。
浦戸山はかつて長曽我部の居城が置かれていた山です。
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佇む猫の前を通り過ぎ……
メジロが目白押しにたかる椿の林を過ぎると…… -
例の、本山白雲の手になる龍馬像。
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本山白雲は、高知城にある山内一豊の騎乗像も手がけています。
しかし、この龍馬像は人気ですから、人を入れずに写真を撮るのは至難の業。
カメラを縦にしたり横にしたりして工夫したのですが、どうも人が入ってします。
ところが妻のiPadで撮ったのを見せてもらったら、なぜか人が入っていない。
いつの間に……
そういうわけで、栄えある表紙の写真に活用。 -
名し負う桂浜。
言わずと知れた名所中の名所。
土佐の戦国大名である長曽我部元親(ちょうそかべもとちか)は、先ほどの国民宿舎の有った辺りに浦戸城を築き、土佐の国を治めていたのだとか。
この桂浜を眼下に、さぞかし眺望の優れた城だったことでしょう。
山内一豊が、今の高知城を作って、こっちは廃城となった。
その辺りのいきさつは、司馬遼太郎の「功名が辻」で読んだのだけど、詳しい描写は忘れてしまった。 -
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太平洋の透き通った潮が、絶えず浜を洗っています。
近くのスピーカーから、潮流が早く波打ち際は危険なので近寄らないように、と注意を促すアナウンスが流れています。 -
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この桂浜、月の名所だと言います。
北海道にも縁の大町桂月先生はこの辺りの出身で、桂月の名はこの浜から見る月にちなんでいると聞きました。
さっき、かつをのたたき丼を食べた国民宿舎にでも投宿して、そうですね、鰹の美味しい時期が良いなあ、そして綺麗な月夜にこの浜をそぞろ歩く。
いろいろやりたいことをやり残しておく、というのも、悪いことではない。 -
陽が薄くなったり強くなったりして、そのたびに浜の印象が変わります。
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浜の行き止まりにある高台から桂浜と反対側を見ると、こちらにも美しい浜辺が続いています。
その向こうに、太平洋の明るい藍色が、午後の陽を浴びてきらきらきらきら。
車を駐めている高台の国民宿舎まで、細道を引き返すとき、後ろから荒い息づかいが迫ってきました。
ふり返ると、若者がにこにこしています。
脇にどいて道をあけると、
「ありがとう!行きます!」
と言って、颯爽と登って行きました。
知能障害を持った方のようでした。
独特のアクセントが、なんとなくかわいらしい。
彼をやり過ごしてもう一度、今来た道をふり返ると、松の枝間に桂浜が小さく見えました。 -
龍馬郵便局
日本中あちこちに足跡を残している坂本龍馬の生まれ育った城下町。
そこにある郵便局の名は当然、龍馬郵便局となります。
日曜なのでお休みです。 -
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すぐ近くにある、「龍馬の生まれたまち記念館」。
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狭い水路が道路を割っています。
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大通りに面したところに、龍馬の家の跡地がありました。
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記念碑の足下には、その波乱に富んだ33年の生涯が、わずか八行にまとめられていました。
戦中八策にちなんだ八だろうか、なんて馬鹿なことを考えました。 -
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長崎、江戸、京都、下関など、彼が活躍した各地の華々しさに比べて、生まれ育った場所はとても静かに感じました。
人間という生き物は、どこから何が飛び出すのか、見当もつかないものだと思いました。
そういえば、最近若い人と話していて、
「山内一豊?長曽我部元親のほうが、興味有りますね。」
と、あっさり言われてしまいました。
まあ、武市半平太も坂本龍馬も郷士の出で、もとは長曽我部の家臣だったわけですし、山内一豊にいたっては、運の良い愛妻家くらいの位置づけになるのか。
最近の若い人たちの間では、どうも戦国ブームらしい。
時代と共に、価値観も変わるのか。
しかし、運の良い愛妻家というのも悪くないと思うけどなあ。
その一豊の建てた城に行ってみようかどう。
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