1974/09/05 - 1974/09/07
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ノスタルジアさん
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今から41年前の昭和49年7月23日から3月7日までの225日間かけて
ナホトカ航路、シベリア鉄道を往復してヨーロッパ、モロッコを
船、列車、バス、ヒッチハイクで旅しました。
高所恐怖症なので飛行機には現在まで一度も乗った事がありません。
乗り物による移動距離は60,806.8キロ、地球1.52周でした。
観光白書によると昭和49年の日本人の海外旅行者数が200万人、
平成24年度は1849万人、40年ほどで10倍近くなりました。
そんな当時の旅行の資料と写真を少しづつアップして行きます。
今回は首都ベルン。
1779年にこの街を訪れたゲーテが
「自分の訪ねた街の中で、もっとも美しい」と書き残すほど、
中世の街並みが美しく、赤褐色の屋根が連なる風景や、
15世紀に造られたアーケードや16世紀の噴水が素晴らしい。
私も40ヶ国訪れましたが、これほど美しい首都はありませんでした。
住めるものなら住んでみたいナンバーワンの首都です。
首都なのに人口たった128,848人(2013年)ですよ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 徒歩
PR
-
昭和49年9月5日、6日
2泊したベルンのユースホステル
9月5日、ローザンヌから船でジュネーブ、
ジュネーブから列車でベルンへ移動。 -
昭和49年9月5日、6日
2泊したベルンのユースホステル -
昭和49年9月5日
ベルンのユースホステルの領収書
2階220号室ベッド228
6スイスフランで575円 -
昭和49年9月6日
ベルンのユースホステルの領収書
3階300号室ベッド322
6スイスフランで575円 -
昭和49年9月5日、6日
2泊したベルンのユースホステルの宿泊スタンプ -
昭和49年9月6日
ベルン 買い物レシート
8.5スイスフランで814円
9月6日、朝から1日中雨であったが旧市内を中心に歩いた。
ベルンの街は雨に濡れていても実に美しい、
中世の建物、その全ての窓に飾られた色鮮やかな花壇、石畳の道、
そして木々の濃い緑の調和が素晴らしかった。 -
昭和49年9月7日 朝から快晴
ベルン バラ園で
ベルンの起源について15世紀の年代記は面白い
話しを伝えている。
1191年に領主フェーリンゲン公ベルヒトルト5世が
新しい町を建設しようとし、狩猟役人にどこが良かろうと
下問した。
役人の一人が、現にニューデック城がある土地が
よろしいでしょうと答えた。 -
昭和49年9月5日
ベルン バラ園から
そこは三方をアーレ河に囲まれた台地で、一方に
濠を造ればまさに天然の要害だった。
台地は、突端に小さい城があるほか、深い森に覆われ、
狩りの獲物も豊富だった。 -
昭和49年9月7日
ベルン 聖ヴィンセンツ大聖堂から
公はすっかりこの土地が気に入り、最初にし止めた
動物の名を取って町の名にしようといった。
間もなく何頭かの熊をし止めたので、それが町の名
ベルンとなり、紋章も熊となったという。
これはいわゆる地名説話で、ベルンという地名が先にあり、
後から尤もらしい因縁話しを付けたのかも知れない。 -
昭和49年9月7日
ベルン大聖堂から
他のスイスの諸都市と同じく、ベルンも次第に領主の支配を脱して
独立し、14世紀から16世紀にかけては武力を持って盛んに
近隣の諸地方を征服し、ルツェルンの北西からレマン湖岸にまで
及ぶ大勢力となった。 -
昭和49年9月7日
ベルン大聖堂から
その頃、フランスの東南部から今のベルギー、オランダ地方にかけて
広大な領地を持っていたブルゴーニュ公がスイスも併合しようとして
軍を進め、スイス独立以来最大の危機が訪れた。
しかしベルン州はスイス諸州の中心となって頑強に戦い、
遂にブルゴーニュ軍を撃退してしまった。
これは今でもベルン州民の誇りとなっている。 -
昭和49年9月7日
ベルン大聖堂から
スイス諸州の同盟本部(連邦の首府)は発足以来、
シュウィッツ、ルツェルン、チューリッヒなど転々としたが、
1948年からは憲法によってベルンに定められた。 -
昭和49年9月7日
ベルン大聖堂の入場券
0.5スイスフランで48円 -
昭和49年9月7日
ベルン大聖堂の入場券
0.5スイスフランで48円
225段の階段を登り、ようやく着いたと思ったら、
最後の階段でまたお金を払わされた。
払わないとベルンの美しい街並み、アルプス連峰の
絶景が見られないのである。 -
昭和49年9月7日
ベルン大聖堂から
ベルンの古典的な街の佇まいは、静かな国スイスの代表としての
風格を持ち、一度訪れた旅人は街全体に漂う中世的な雰囲気に魅せられて
しまうだろう。
いわば、街全体に中世がそのまま残っているような感じで、
アーレ河が街の中を湾曲しながら流れ、濃い緑に周囲を囲まれた
彫の深い街である。 -
昭和49年9月7日
ベルン大聖堂で -
昭和49年9月7日
ベルン ツェーリンゲンの泉で
時計塔は街のシンボルみたいな存在である。
城壁の塔の一つで15世紀に建てられた。
名物の時計と人形は16世紀の作である。
毎時、鶏が鳴き、道化師が鐘をつき、熊たちがぐるぐると回る。
11時前に鶏の鳴き声を待っていたら、自転車に乗った配達の
お兄さんが大きな声で「コケコッコ-」と叫びながら通り抜けて
行ったので観光客に大うけしていた。 -
昭和49年9月7日
ベルン キルヘンフェルト橋で -
昭和49年9月7日
ベルン 買い物レシート
4.95スイスフランで474円
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この旅行記へのコメント (2)
-
- notchさん 2015/03/26 18:47:21
- 美しいベルンの風景
- ノスタルジアさん,こんにちは。
ベルン編におじゃましています。私は十数年前にベルンを訪れたことがあって,4トラベルの旅行記にもしているのですが,バラ園と大聖堂からのベルンの街並みの風景が本当に美しいまま,まったく変わっていませんね。感動しました! ベルンは歴史を語り継ぐ偉大な首都だと思います。
貴重な写真をありがとうございます。またほかもゆっくりと楽しませていただきます。
notch
- ノスタルジアさん からの返信 2015/03/26 19:22:51
- RE: 美しいベルンの風景
- notchさん、今晩は。
コメント有難うございます。
ベルンは住んでみたい首都ナンバーワンです。
旅行記拝見しました。ホント40年前と変ってないですね。また行けると良いのですが。
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