2024/12/01 - 2025/11/11
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砂布巾さん
1914(大正3)年6月28日 サラエボ事件、1カ月後に第一次大戦始まる(戦前史)
*砂布巾注 川の対岸を走ってきた皇太子を乗せた車は一番左の建物の小路に右折しようとし、スピードが落ちた瞬間に銃弾が放たれた
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下BH)の中心都市サラエボでセルビア人プリンツイップがオーストリア・ハンガリー帝国皇太子フランツ・フェルディナント夫妻を殺害。オーストリアは激怒。セルビアの回答に納得できなかったオーストリアが1か月後に宣戦布告。後に第一次大戦と呼ばれることになる戦争の火蓋が切って落とされた。
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セルビアの背後に居たロシア、オーストリアの同盟国ドイツも参戦。当時の国際関係に基づき、次々と各国が参戦した。なお日本は日英同盟に基づき連合国側に参戦した。
戦争の経過を簡単に。ドイツは二正面戦争を回避し、一気決着を図るためシュリ―フェン作戦を実行する。これはまず全兵力を西部に集中しフランスを打倒、返す刀でロシアを破るというものだった。机上の空論とはこのことだろう。ロシアの総動員が予想外に早く、フランスとの本格的な戦闘の前にロシアと戦うことになる。前線では塹壕(ざんごう)を挟んで両軍が対峙する持久戦となり長期化する。
ユダヤ系作家シュテファン・ツヴァイクは当時の兵士たちの気持ちを書いている「ロマンにあふれた遠足…クリスマスまでには家に帰ってくる」。 -
3年目の1917年にはロシア革命が起き、同盟国側と単独講和し連合国側から離脱。一方で無制限潜水艦作戦を機にアメリカが連合国側に加わる。最終的に27カ国が参戦した。
個別の戦いとエピソードを。1916年のソンムの戦いは100万人以上が犠牲となる空前の戦いであり、初めて戦車(タンク)が投入された。また前年の第二次イーペルの戦いでは初めて化学兵器が使われた。このほか戦闘機も戦争に投入された。 -
イチオシ
ドイツ以外の3か国が順次講和。ドイツではキール軍港の水兵暴動をきっかけに革命へと発展。1918年11月9日にヴィルヘルム2世がオランダに亡命し、ドイツは共和国を宣言。11日にフランス、コンピエーニュの森で休戦協定が締結され、戦争は終結した。
戦争は列強の植民地をも巻き込み、それまでの軍隊同士の戦争と異なり、国民総力を挙げての戦いとなった。 -
砂布巾は特に20世紀を中心とする近代は「大きな戦争は次の大きな戦争を引き起こす」という確信を持っている。そこで第二次大戦について述べる前に、第二次大戦の原因ともなった第一次大戦の歴史的背景や国際情勢を説明しておかなければならない、と考える。
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1871年、プロイセン・フランス戦争で前者が勝利して、中世以来分裂していたドイツが統一され、ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」でドイツ帝国成立が宣言される。ドイツは賠償金のほかアルザス・ロレーヌ地方を獲得した。プロイセン首相でもあったビスマルクは復讐を防ぐため、後述する三国同盟やロシアとの再保障条約でフランス孤立化政策を推進。
1888年に若い皇帝ヴィルヘルム2世が即位する(1年後にヒトラーが産まれる)と、2年後、意見が合わなかった老ビスマルクは引退し、皇帝は「新航路政策」の名の下に世界分割に割り込んでいく。しかしこれが各国との軋轢を深め、やがて逆包囲されることになる。ビスマルク外交が展開されていた頃と比べて何という相違であろう。 -
前項目でも触れた日露戦争が1905年に終結する。伝統的に不凍港を求めて南下を目指してきたロシアにとって、東アジアへの南下が不可能になった。
バルカン半島ではかつては3つの大陸を支配し、セルビア人やブルガリア人などの南スラブ系民族(ユーゴスラブ)を支配下に置いていたオスマン帝国は「瀕死の病人」と呼ばれるまでに勢力が弱まった。スラブ系民族の盟主を自任するロシアは、これに乗じて一層強力にバルカンへの南下を目指す。これが次に述べる3Bと衝突する。 -
ヴィルヘルム2世はオスマン帝国からバグダード鉄道の敷設権を獲得。ベルリン・ビザンティウム(現イスタンブール)・バグダードに向けて勢力拡大を図る3B政策を展開。また2度にわたってモロッコへ進出し、アフリカへの野心を露わにする。
ドイツと同じゲルマン系民族であるオーストリアは1908年に住民の多くがスラブ系であるBHを併合。この地域はセルビア人も多く住み、セルビア王国も同様に狙っていた。BHをめぐってロシアを後ろ盾とするセルビア、ドイツとの同盟を背景としたオーストリアとの感情的対立が深まる。 -
ドイツの世界進出に脅威を感じたのがイギリスである。アフリカ大陸南北のカイロ・ケープタウン、そしてインドのカルカッタを結ぶ3Cの三角形にドイツのBが弓を引くような格好になっている。本国の百倍にも及ぶ植民地を持ち、19世紀には「名誉ある孤立」政策を採っていたが、1902年の日英同盟で政策転換したイギリスはアフリカでは縦断を目指し、1904年にはアフリカ横断を目指すフランスとの間で協商関係を結び、エジプトとモロッコにおける相互の勢力範囲を定めた。1898年のファショダ事件ではフランスが譲歩して戦争の危機は回避されたように、当初アフリカをめぐって対立していた両国関係が一変する。ドイツに対抗するのは言うまでもない。
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英露両国は、日露戦争の時には日本を支援したイギリスとロシアは敵対関係だった。戦後両国は勢力圏の調整に乗り出す。こうして1907年英露協商が成立する。これはアフガニスタンをイギリスの勢力圏とし、イランにおける両国の勢力圏を定めたものだった。
これで1894年に成立していた露仏同盟も加えた三国協商が完成する。
*バートイシュル訪問記はこちら http://4travel.jp/travelogue/10195806 -
ドイツは、オーストリア、イタリアと三国同盟を結んでいたが、イタリアはオーストリアと領土問題(南チロル)を抱え、同盟関係は盤石とは言えなかった。実際イタリアはフランスと秘密協定を結び、同盟は事実上二国同盟化していた。
このような状況下、2度のバルカン戦争が起こる。戦争でセルビアなどスラブ諸国と対立したオスマン帝国、ブルガリアはスラブ系民族ながらゲルマン陣営に加わる。この時点でドイツ側に参戦する4カ国が出そろう。こうしてバルカンは「ヨーロッパの火薬庫」と言われるまでに緊張が高まり、サラエボ事件で大爆発を起こす。 -
こうして考えると、プロイセン・フランス、日露、バルカンの各戦争、ヴィルヘルム2世が引き起こしたモロッコ事件や3B政策に代表される「新航路政策」が第一次大戦をもたらしたと言え、砂布巾理論によると、ひいては第二次大戦をももたらしたと言える。第二次大戦の先まで見据え、20世紀の潮流の1つをなしたのがロシア革命でもある。
バイエルンの第十六歩兵連隊に加わり戦争に参加したヒトラーは、負傷して入院していた病院で敗戦を知った。ほかの兵士が戦争終結を喜んでいたのとは対照的に、深い屈辱感で迎えた。そして「政治家になろう」と決心する。世界恐慌以後、ヒトラー率いるナチスは勢力を拡大し、1933年首相になり、6年後に次の大戦の火蓋が切って落とされる。
前述したようにムッソリーニも大戦を機に転身。1922年に権力を握る。最初はムッソリーニが先生、ヒトラーは生徒の役回りだった。
その後の両独裁者関係の変遷を。当初両者はオーストリアを巡って対立し、1935年にはイタリアは英仏と歩調を合わせ、ドイツを非難する。しかしその後の国際関係の変化を受けて両者の関係も変化。1937年のベルリン会談でイコール・パートナーとなった。
大戦が始まると当初イタリアは非交戦主義を採用。ドイツの勝利が確実と見た時点で参戦する。しかしイタリアはドイツの足かせになるばかりだった。
1943年イタリアは枢軸国から脱落。逮捕されたムッソリーニをヒトラーは救出し、北イタリアに親ドイツ政権を建てるが、もはやムッソリーニは傀儡でしかなかった。
最後ムッソリーニは逃亡中に見つかって処刑され、愛人とともにミラノで晒し者にされた。ヒトラーはベルリンの地下壕で愛人とともに自殺した。
福田和也氏は著書「第二次大戦とは何だったのか?」(筑摩書房)で「第二次世界大戦は、猛スピードで急カーブをくぐりぬけたスポーツカーのドライバーが、態勢を整えるために施したハンドル操作程度のものに過ぎない」と述べている。砂布巾理論や次項目で述べるフォッシュ元帥の言葉と重ね合わせると興味深い。(1998年8月19日ほか訪問)
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