2015/02/15 - 2015/02/15
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entetsuさん
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東京都交通局と西武鉄道株式会社共催の「都営・西武ふれあいウォーク」に参加しました。
板橋区立徳丸ヶ原公園(スタート) ⇒ 都立赤塚公園 ⇒ 赤塚城跡 ⇒ 板橋区立郷土資料館 ⇒ 板橋区立美術館 ⇒ 東京大仏(乗蓮寺) ⇒ 都立光が丘公園 ⇒ 大江戸線光が丘駅(ゴール)というコースですが、普段殆ど馴染みのない板橋・練馬地区をウォークしてみます。
写真は、「乗蓮寺」の東京大仏です。
初めて訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ウォークの受付時間は、9時〜11時です。
京急線で泉岳寺まで来ました。
ここまでが、京急線の区間。
ここから先は、都営地下鉄浅草線。泉岳寺駅 駅
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ここで、「都営まるごときっぷ(1日乗車券)」を購入します。
料金は大人700円。
これは、都営地下鉄、都バス、都電荒川線、日暮里・舎人ライナーを1日に限り何回でも乗車できるというお得な切符。
対象施設や店舗でチケットを提示すると、割引やプレゼントなどの特典を受けることができるというおまけ付き。
対象施設の特典ガイドは、都営交通や東京メトロ各駅にある、「ちかとく」という冊子に載ってます。 -
泉岳寺駅には、今日のウォーキングイベントのチラシがありました。
大仏?
そんなのがあるの?
とにかく、板橋区方面にはこれまで縁がなく、殆ど未踏の地(笑)。 -
再び泉岳寺から都営浅草線に乗ります。
-
イチオシ
一駅めの「三田」で都営三田線に乗換え、とことこと「高島平」までやってきました。
所要時間は約50分。
遠い〜。
「高島平」に来たのは生涯2度目。
前回来たのは、誰かの親御さんのご葬儀で来たけど、誰だったかは思い出せない・・・。都営三田線終点から2つ手前の駅です by entetsuさん高島平駅 駅
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「高島平」駅から徒歩3〜4分で、スタート地点がある「板橋区立徳丸ヶ原公園」に着きました。
時間は、9:40頃でした。 -
電鉄系のウォーキングイベントは、大体が参加費無料ですので、大変多くの参加者が集まります。
また、告知も電車内や駅の掲示板やHPなどで効果的にされるのか、混雑します。
かくいう私も、こういうイベントでもない限り、恐らく一生かかってもこの近辺に縁が無かった・・・。 -
早速ウォーキング開始〜。
コースはまず北に向かいます。
橋を渡っています。 -
新河岸川だそうです。
-
更に北に向かい、荒川の土手にやって来ました。
高島平は、東京都でも最北端。
対岸は、もう埼玉県戸田市です。
河川敷のグランドでは、少年野球をやっています。
最近はサッカーブームとはいえ、まだまだ日本は野球大国ですね(笑)。 -
荒川の土手の道をしばらく進み、左に曲がり、再び新河岸川を渡ります。
早瀬橋。 -
正面に見えているのは「板橋市場」。
正式には、「東京都中央卸売市場板橋市場」。
青果と花きを扱います。 -
ウォーキングルートは南に進み、都営三田線の「新高島平」駅を過ぎます。
-
イチオシ
「高島平団地」。
初めてやって来ました。
この一帯は、元は荒川と新河岸川南岸に位置する後背湿地で、歴史は江戸時代にまでさかのぼり、1841年(天保12年)に砲術家・高島秋帆が日本で初めての洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行ったとされます。
その後、長らく「徳丸ヶ原」と呼ばれる農地でしたが、1956年(昭和31年)に同地域330?を日本住宅公団(現・都市再生機構)が買収して一大団地を建設する計画を進め、同時に東京都が都心に直結する交通機関(現・都営地下鉄三田線)を整備します。
1969年(昭和44年)、高島秋帆にちなんで「高島平」と改称されました。 -
高島平団地への入居開始は1972年。
総戸数は10,170戸。
高島平団地は、1991年(平成3年)には2万5千人が住むピークを迎え、最盛期に高島平には板橋区立の高島第一から高島第七まで7つの小学校、同第一から第三までと西台の4つの中学校がありましたが、1994年(平成6年)より人口減に転じ、いくつかの小学校は統合・廃校となりました。
更に現在では少子高齢化問題が顕著となり、2012年(平成24年)の調査によると高島平団地に住む16,804名の内、65歳以上の割合が6,904名で41.1%となっているそうで、今後も高齢化率がさらに加速するものと考えられます。
築年数40年を超える建造物であることから、バリアフリー化などが遅れ、空室が目立ってきています。
その為、若年層世帯の獲得に向けたリノベーションや高齢者が住みやすい環境を整えるべく福祉住環境を整えたり、空室を利用して訪問介護と包括して利用できるサービス付き高齢者向け住宅の構築など対策が急がれているそうです。 -
「東京都立赤塚公園」にやって来ました。
高島平団地と首都高速5号池袋線に沿って東西に連なる、面積250,466.84平方?の大きい公園です。
1974年(昭和49年)6月1日開園とのこと。春には今では珍しいニリンソウが咲くそうです by entetsuさん都立赤塚公園 公園・植物園
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早咲きの紅梅がすでに満開でした。
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が、満開なのはここにある2〜3本だけでした。
やはり、高島平近辺はやや気温が低いのでしょうね。 -
公園の中を進みます。
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テニス少年。
ラケットを持って、お父さんと打ち合っているんですが、スイングが早くてただ遊んでいるようにしか見えません(笑)。
目指せ錦織! -
首都高5号池袋線に沿って進んでいます。
-
この辺りは「ニリンソウ」の生育地だそうです。
白い花を2輪ずつ咲かせる春の花。
二輪草の名の由来です。
見ごろは、サクラの花が散る頃で、武蔵野台地の崖線に沿って奥行きは20?、東西約200?に渡って咲くそうです。
見たことない・・・。
昔は板橋区内の雑木林でごく普通に見ることができたそうですが、今では準絶滅危惧種にリストアップされています。
板橋区の「区の花」でもあります。 -
更に首都高に沿って進み、高速道路が大きく曲がっている所で左に進みます。
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板橋区立の美術館、郷土史館、赤塚溜池公園方向に進みます。
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昔は、農業用水を溜めていた池。
釣りを楽しむ太公望の皆さん。
ヘラブナでしょうか。 -
小高い山を上がって行くと赤塚城址があるようです。
ここも「東京都立赤塚公園」の一部だそうです。城を偲ぶものは残っていませんが、綺麗な広場になっています。梅林がありました。 by entetsuさん赤塚城跡 名所・史跡
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「板橋区立郷土資料館」。
板橋区内で出土した土器、古文書、民俗資料、古民家などを収蔵・展示しています。板橋区内で発掘された土器や古文書、古民家などが収蔵・展示されています by entetsuさん板橋区立郷土資料館 美術館・博物館
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カノン砲。
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板橋宿は、中山道六十九次のうち日本橋から数えて最初の宿場で、江戸四宿の一つとして栄えました。
宿には数十軒の妓楼があり、そのなかで「新藤楼」は最大の妓楼であったそうです。
昭和50年代半ばくらいまで、営業はしていないものの、木造建築で三階建ての唐破風建物が残っていたそうです。 -
板橋区立郷土資料館入口の脇に、その「新藤楼」の玄関だけが移築・保存されています。
板橋区内で発掘された土器や古文書、古民家などが収蔵・展示されています by entetsuさん板橋区立郷土資料館 美術館・博物館
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館内には、板橋区内で出土した土器類や古文書などが展示されています。
建物を抜けて、奥に進むと古民家が移築されていました。 -
大釜。
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この古民家、はっきりした年代は不明なものの江戸時代後期に建築されたと推定されるそうです。
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旧田中家住宅は、元々は板橋区徳丸にあったものをここに移築したものだそうです。
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漆喰の壁や、広い土間があったりして、典型的な農家の造りになっています。
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靴を脱いでお上がり下さいとあり、実際に建物の中に上がることができます。
建物は、昭和46年に当主の田中氏によって寄贈されたものですが、昭和の初期まではランプに火鉢で生活、畳も座敷だけに敷くものだったようです。
座敷は12畳あります。 -
「唐箕(とうみ)」。
風力を起して穀物を精選するための農具です。
収穫した穀物を脱穀した後、籾殻や藁屑を風によって選別します。
懐かしい。
昔、私の実家にもありましたが、今はどこにあるんだろう・・・。 -
赤塚城址の碑。
遺構は現存せず、広場となっています。
梅林、桜並木などがあります。
「東京都立赤塚公園」の一部として整備されています。
赤塚城は、下総国の守護千葉氏の千葉自胤によって築城されたといわれます。城を偲ぶものは残っていませんが、綺麗な広場になっています。梅林がありました。 by entetsuさん赤塚城跡 名所・史跡
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何本かの梅が植えられていますが、開花しているのはごく一部のみでした。
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「蕎麦 ひびき庵」。
店のHPより
「私は、自宅に蕎麦工房を持ち、永年蕎麦打ちを趣味としてきました。蕎麦には人一倍のこだわりがあり、平成14年秋、ついに念願の蕎麦店をオープンする事ができました・・・」。
開店は11:30で、このとき11:20頃。
既に2人の男性が開店を待っていました。
我々も待とうかとも思いましたが、ウォーク途中。
先を急ぎます。
残念〜。蕎麦 ひびき庵 グルメ・レストラン
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次のポイントは、「乗蓮寺」。
東京大仏というのがあって、観光客も多いですね。日本第3番目の大きさといわれる「東京大仏」があります。 by entetsuさん乗蓮寺 寺・神社・教会
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東武東上線「下赤塚」駅より徒歩25分、都営三田線「西高島平」駅より徒歩20分とアクセスはかなり不便ですが、初詣には多くの人が訪れるそうです。
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階段を上がれば山門です。
山号は「赤塚山」。
板橋区にはこれと言って観光スポットがないので(失礼)、目を見張るのはここぐらいでしょうか。
現に、今回のウォークイベントのチラシにはこの寺にある「東京大仏」がデーンと載ってましたね。 -
左側の仁王様(金剛力士像)。
金剛力士像は、寺院に仏敵が入り込むことを防ぐ守護神。
阿吽の阿形は、口を開き怒りの表情を顕わにしています。 -
吽形は、怒りを内に秘めた表情。
阿吽は、狛犬、仁王、沖縄のシーサーなど、一対で存在する宗教的な像のモチーフとされました。
いずれも、口が開いている方を阿形(あぎょう)、閉じている方を吽形(うんぎょう)と言うんですね。
転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼びますね。 -
葵のご紋。
徳川家と深い縁がある・・・。
調べますと、乗蓮寺は、元は板橋区仲宿にあって、天正19(1591)年に徳川家康から10石の朱印地を拝領します。
第8代将軍吉宗は、鷹狩の際に雨宿りのため乗蓮寺へ立ち寄ったとも伝わり、以降は将軍の鷹狩の休息所として利用されてきたのだそうです。
その後も長く仲宿の地にあったそうですが、首都高速道路の建設と国道17号線の拡幅により、昭和48年(1973年)に現在の赤塚の地(赤塚城の二の丸跡だそうです)に移転し、山号も赤塚山と称するようになったそうです。
1973年まで寺院があったところは、現在はマンションになっているそうですが、都営三田線「板橋区役所前」駅の駅前だそうです。日本第3番目の大きさといわれる「東京大仏」があります。 by entetsuさん乗蓮寺 寺・神社・教会
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仁王様が山門の外を向いていますが、その反対側(内を向いて)あったのが、四大王の一つ「広目天尊像」。
西を守護するといわれます。 -
同じく「多聞天尊像」。
北を守護するといわれますが、四天王のうち東を守護する「持国天」と南を守護する「増長天」は見かけませんでした。 -
布袋尊。
ふくよかですね〜。 -
鐘楼。
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福寿観音堂。
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七福神。
福の神オールスターやぁ〜。 -
イチオシ
ありました。
「東京大仏」です。
阿弥陀如来像。
坐像で、青銅製の鋳造大仏では、奈良・鎌倉に次ぐ日本で3番目の大きさを誇るそうです。 -
東京大仏が建立されたのは、1977年(昭和52年)のこと。
東京を襲った関東大震災や東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込めて建立されたそうです。
奈良東大寺の大仏・・・座高 14.98m / 台座 3.05m / 重量 250t
鎌倉大仏・・・座高 11.3m / 台座 2.05m / 重量 124t
東京大仏・・・座高 8.2m / 台座 2.3m / 重量 32t
だそうですが、
富山県高岡市の高岡大仏も、日本で3番目と言っていた・・・。
あっちの方が大きかったような気もします。
三仏目は他にも諸説あり、そのいずれも奈良、鎌倉と並び称するには歴史、格とも違い過ぎるため、一般的には認められていないのだそうです。 -
本堂です。
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客殿。
なお、このお寺の墓所には、冒険家「植村直己」の墓があるそうです。
1984年にマッキンリーで消息を絶ち、結局遺体は発見されませんでしたが、供養するための墓があるとのことです。 -
イチオシ
何でも耐える「がまんの鬼」。
津藩主藤堂高虎が朝鮮出兵の際に朝鮮半島から持ち帰ったのだそうですが、明治になって藤堂家ゆかりの人から寄進されたものだということです。 -
行者の元祖「役の小角」。
飛鳥時代から奈良時代の呪術者で、修験道の開祖とされています。 -
文殊菩薩。
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閻魔堂。
山門に上がる階段の右手にありました。日本第3番目の大きさといわれる「東京大仏」があります。 by entetsuさん乗蓮寺 寺・神社・教会
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乗蓮寺参拝を終えて、ウォーク再開です。
「大仏そば萬吉禎」。
営業してるのか、入り口はどこなのか判りづらかった・・・。大仏そば萬吉禎 グルメ・レストラン
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「松月院」にやって来ました。
徳川時代からの由緒ある寺院 by entetsuさん松月院 寺・神社・教会
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赤塚城の城主となった千葉自胤が、1492年に当地にあった古寺・宝持寺を自身の菩提寺として定め、土地を寄進し、「松月院」と名を改めさせたのが始まりであるといわれています。
徳川時代からの由緒ある寺院 by entetsuさん松月院 寺・神社・教会
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「松月院」は、曹洞宗の寺院で、江戸時代には将軍家から寺領40石を与えられた朱印寺だったそうです。
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本堂です。
境内には、千葉自胤の墓や、下村湖人の墓があるそうです。
下村湖人は、松月院がある赤塚一帯の風景が殊のほか気に入り、代表作「次郎物語」にも赤塚の地を登場させているのだそうです。
(読んだことはありませんが・・・)徳川時代からの由緒ある寺院 by entetsuさん松月院 寺・神社・教会
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高島秋帆の顕彰碑。
徳丸ケ原公園は「都営・西武ふれあいウォーク」のスタート地点でした。今の高島平一帯が、徳丸ケ原と呼ばれていました。 by entetsuさん徳丸ケ原 名所・史跡
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幕末の1841年に砲術家の高島秋帆が近隣の徳丸ケ原にて西洋式の砲術訓練を行いました。
その際に本陣がこの松月院に置かれ、松月院の名を有名なものにしました。
徳丸ケ原は、現在の高島平付近で高島平の名は高島秋帆にちなんでいます。
明治時代には、一時期旧赤塚村の村役場が境内に置かれたりもしたそうです。徳川時代からの由緒ある寺院 by entetsuさん松月院 寺・神社・教会
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境内社の稲荷。
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お狐さまが睨みを効かします。
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境内にはまだ雪が残っていました。
関東でも南部の我家(横浜市鶴見区)では、積もりもしなかったのに・・・。 -
ネコヤナギですか?
でも、春は確実に近づいていますね。
「松月院」参拝を終え、ウォーク再開です。 -
板橋区立赤塚体育館。
更に歩きます。
ここからがきつい・・・。
東武東上線の上を通ります。
走っているバスの行き先を見ると、「成増駅」行きや「和光市駅」行きなど。
和光と言えば、埼玉県ではないか・・・。 -
日産の販売店の所を右に曲がって、さらに真っ直ぐ進みます。
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最後のポイント、「光が丘公園」です。
赤塚口という入口から入ります。戦前は特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場の跡地にある広大な公園 by entetsuさん光が丘公園 公園・植物園
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ずっと桜並木です。
満開になると綺麗なんでしょうね。 -
「都立光が丘公園」。
この公園は、戦前は特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場の跡地を造成して出来ました。
総面積の約1/3が公園として確保され、小、中、高校が15校、公団、公社、都営住宅12000戸、都内有数の大団地となりました。
開園は、1981年(昭和56年)で、面積は607,823.73平方?と巨大です。主な施設には、野球場(4面)、陸上競技場(400mトラック)、テニスコート(8面)、水景施設(噴水)、デイキャンプ場(要予約)、バーベキュー広場(要予約)などがあります。
この広大な公園を、ほぼ対角線上に進みますが、歩くのも大変。
それほど広いです。戦前は特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場の跡地にある広大な公園 by entetsuさん光が丘公園 公園・植物園
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イチオシ
小さい池のところに、30人ほどのカメラの放列。
何を狙っているかと思ったら・・・。 -
鮮やかな水色の体色と長いくちばしは「カワセミ」でした。
初めて実物を見ました。
綺麗な鳥でした。
私のカメラの限界ですが・・・。 -
練馬区立光が丘体育館。
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この日は朝から強烈な風で、自転車はご覧のとおり殆どが倒れていました。
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イチオシ
ゴール!
約9?、よく歩きました。
実際は、お寺などを参拝してますのでもう少し多く歩いたかと思います。 -
西武沿線ポイントカードに50ポイントゲットというサービス。
西武沿線にあんまり来ることがないであろうということでスルーしましたが・・・。
西武鉄道HPによりますと、西武鉄道では「ウォーキング・ハイキング」イベントなどの際に「西武沿線ポイントカード」を発行しています。こちらは西武鉄道主催の対象イベントに参加し、ポイントを貯めるとPASMO(Suica)にチャージができる「ポイント引換券」を手に入れることができるサービスです。
とのこと。
なるほど。 -
都営大江戸線「光が丘」駅から電車に乗ります。
ここまで、お付き合いいただき有難うございました。2015.2「都営・西武ふれあいウォーク」のゴール地点近くでした by entetsuさん光が丘駅 駅
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旅行記グループ 「都営・西武ふれあいウォーク」に参加して、板橋区~練馬区約9㌔を歩きました!
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