2015/01/09 - 2015/01/09
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しんちゃんさん
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「大前神社」は“おおまえ神社”としか読めません。“おおさき神社”と読みます。名前の由来は【昔、神社のとなりの大きな沼があり、その突端の大前(崎)にあったから】だそうです。現在沼はありません。
「大前神社」環境省・栃木県の説明版からです。【芳賀氏の信仰した神社で、本殿は桃山末期(1590年頃)に造られたものです。建物のいたるところに彫刻がみられ、権現造りの発達を知る上で大切な建物であり、写真のような彫刻*1もあります。本殿、拝殿、両部鳥居*2…中略…などは、県指定文化財となっています。また、五行川の堰は、二宮尊徳の監督のもとに修築した大前堰です。】
*1_は恋にのる仙人の彫刻、後ほど写真があります。
写真は“空(そら)ちゃん”真岡市出身の萌キャラだそうです。空ちゃんとは、雑誌『ミスターバイク』に連載している『空ちゃんの旅』(作者 赤い羽のCB)の主人公です。境内売店におりました。
*2_神社にある2本で立っている鳥居でなく、鳥居の柱を小さな柱が支えている。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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大前(おおさき)神社_鳥居一個目
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鳥居二個目
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明治初期の写真がありました。
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寒紅梅_境内に咲いていた。
春よ早く来い! -
大前神社参道の東側には五行川(ごぎょうがわ)が流れている。
説明版からです。【五行川:栃木県さくら市氏家町長久保を源流とし、高根沢町・芳賀町・真岡市を流れ、筑西市下館で小貝川に至る利根川水系の川です。…中略… 五行川の名称:井沼川・冷子川・大沼川・野元川とこの川を合わせた五つの川から五行川と称されるとも言われる】 -
大前堰:説明版では【五行川の堰は、二宮尊徳の監督のもとに修築した大前堰(おおさきぜき)です。】
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明治初期の堰の写真がありました。
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第三の鳥居「両部鳥居」前の「子安観音」
内部には巨大な“獅子舞の頭”が見えました。 -
第三の鳥居「両部鳥居」
「両部鳥居」とは“四つ脚鳥居”の事だそうです。
鳥居に屋根もあります。
鳥居の柱を小さな2本の稚児柱(稚児鳥居)で支えています。
厳島神社の大鳥居がその好例だそうです。
「現在する江戸時代のものとしては、栃木県内最大」とHPにありました。 -
日本一大きいえびす様!
鯛(たい)でなく鯉(こい)を持っています。
??? -
なぜ鯉(こい)なのかが説明版にありました。
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説明版_自分で読んでね。
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日本一大きなえびす様
説明版からです。
【若い篤信家の方々が大前神社に御奉納下さった御神像で、20mの高さがあります。台座の中には社殿が鎮座しています。恵比寿様は大前神社の主祭神である大国主神(大国様)の御子神であり、親子で産業発展の礎を築かれた神様です。】 -
大前神社の載っている古い絵図もあった。
五行川の流れは現在と違う。
「現存する真岡市最古の地図、江戸時代牧場裁定の「元禄絵図」」の一部と思われます。 -
札所(総合案内所)
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写真撮影の3日後、大前神社の巫女さんの記事が読売新聞にありました。
22歳の宮沢さんは高校一年生の時にアルバイトをしてその後、常勤の巫女さんになりました。結婚後は裏方さんとして働きたいそうです。
記者の都梅真梨子さんも一日巫女さんに挑戦したが、寒さ厳しくカメラマンの方が向いていると感想を書いていた。その日はスーパー銭湯に直行したそうです。 -
しんちゃんが撮った宮沢さん!!
こまめに働いていました。
頑張って下さい。 -
「手水舎」
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イラストがかわいいです。
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「額殿」
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「拝殿」
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「神楽殿」
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「神楽殿」
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「神楽殿」奉納された額_安政七年(1860年)
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「唐金灯篭」
HPの説明では
栃木県指定文化財
銅燈籠(工芸品)1基(青銅製 総高3.0m)
【江戸時代 天明3年(1783)「大前大権現・荒樫大明神 御寶前」刻名、作者下野佐野天明町 丸山善太郎藤原重昌 (昭和34年11月27日指定)】 -
HPからの抜粋です。
【拝殿は元禄の初め(1688)に完成したと伝えられている…奈良時代の神護景雲年間(767〜)に再建されたと言われ、延喜式内社*下野十一社に選ばれている。文化財が数々ある。】
*延喜式内社とは古代律令体制下(7世紀末頃)当時「官社」に指定された神社一覧。 -
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神主が祈りを捧げていた!
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拝殿わきのおみくじ!
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拝殿後ろの神様群
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まずは…木から氣を貰う!
御神木「スダジイ」 -
拝殿の裏側に神々が並んでいます。
覘いてみました。 -
拝殿の後ろは御本殿、彫刻は後ほど…
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神様一番目、「足尾山神社」
なぜか日本で唯一のバイクの交通安全を願う神社らしい? -
神社の売店はライダーの写真が一杯あった。
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「明眼(めいがん)神社」
説明版からです【本社は平安前期、 神苑西に当叡山干妙寺の別寺を建立し、後境内に神宮寺を溝えた。江戸時代は、「大前大権現・大明神」と称し、「荒橿大明神の本地仏」を薬師如来として参拝した。明治維新と同時に神仏分離し、「明眼神社」と改称し、今日「明眼さま」と尊ばれ、眼病やボケ封じなどの頭部疾患の守護神として信仰されている。】 -
「淡島神社」
説明版からです【大国主神と共に国造りをされた少名毘古那神は、神功皇后の覇地を救ったことから、女性の守護神と信仰されています。仁徳五年、天皇が淡島神社の遷宮を三月三日に行われ雛の語源が神名に由来し、男雛・女雛の原形が少名毘古那神と神功皇后の神像であることから、雛祭り始まりの神社とされています。裁縫を伝えたことから、二月八日には、縫い針を供え、お祓いの儀を行います。】 -
「皇大神宮」
説明版からです【伊努の神宮では、二十年毎に御社澱を新調する。 式年遷宮が行われています。 平成二十五年の第六十二回式年遷宮を記念し、第六十回造営時の用材にて、当社を造営しました。覆屋は大前神社神苑森林の檜材を用いました。天照大御神は、 八百万の神々の頂点に立つ太陽神で、 皇室の祖神です。 日本全国総氏神として皇大神宮内宮御正殿に鎮まります。豊宇気毘賣神は、 皇大神宮外宮に坐し、 天照大御神の食事を司る穀物と食事の神です。 天照大御神が雄略天皇へ神託し、伊勢の地に呼び寄せ鎮座されました。】 -
「皇大神宮」
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「姫神神社 荒樫神社」
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「大物主大國魂神社」【本社の主祭神であります福神様・大国主神の別魂(わけみたま)であります。大物主神・大國魂神を奉斎の摂社(せっしゃ)です。 ご神縁あらたかであることから、あらゆる結びつきを顕顕する縁結びの社として信仰されています。本社を始め境内社並びに管内神社ご造替の際は、造営期間中神様たちがお遷りする特別なお社となります。御神徳:縁結び 幸結び】
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縁結びの神様にお祈り来た女性二人、他の神様を通り越してまっすぐここに来ました。
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「天満宮」【平安時代、 神童と称えられ、 文書博士から左大臣まで異例の栄進をされた菅原道真公は、やがて政争に巻き込まれ九州の太宰府に左遷されました。延喜三年(903)二月二十五日、 彼の地で「東風吹かば 句いおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」 の辞世を残し、 失意のまま、 漬らかな御生涯を閉じられました。その後、 菅公を尊び、 その御魂を鎮める祟める天満宮が全国各地で祭られました。御神徳: 学業成就・ 合格祈願】
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神様郡
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「稲荷神社」
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「琴平神社」【四国香川県琴平町の琴平山(象頭山)中腹に鎮座する金刀此羅宮(こんぴらさん)が総本宮です。大国主神の和魂である大物主神を祀り、祈願すれぱ必ず願いが叶うとの信仰から、歌舞伎や浄瑠璃でも演じられています。海上交通安全や大漁の守護神で近年、社名の金にあやかり、金運招福を願う信仰も広がっています。】
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「神楽殿」
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「神楽殿」扁額
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御本殿、東側の彫刻
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「鯉に乗る仙人」
売店に彫刻の説明がありました。
【琴高(きんこう)仙人 琴の名手として知られる。ある時、龍の子を捕らえると約束して川に飛び込み弟子たちが待っていると琴高仙人は鯉に乗って出現した。その後も時々鯉に乗って姿を現し、鯉の背で詩を試した。】 -
「黄鶴(こうかく)仙人」
【この仙人は、酒代を取らない店主の為に、蜜柑の汁で店の壁に鶴の絵を描いた。店で客が歌うと、鶴が壁から抜け出て舞を舞い、その店は大変な評判になった。その後、仙人は鶴に乗って飛び去ったといわれる。】 -
「伯夷淑齊(はくいしゅくせい)」
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「鉄拐仙人(てっかいせんにん)」
全部で12人の仙人の彫刻があります。見学は望遠鏡持参が良いかも! -
熊手色々
平将門が戦勝祈願した大前神社。
二宮尊徳もみそぎ所に籠もり茨城県にも及ぶ大事業を完成させた。
歴史ある大前神社へ一度ご参拝を・・・完
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