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東京中央郵便局舎を見てから、東銀座の歌舞伎座へやって来ました。外観だけ見ようかなと思っていたら、ちょうど幕見席が残っていて、午前の部の三幕目がすぐに始まるところでした。4階なのですが、3階席の直ぐ後ろに2列あるというところでした。初めて内部を見たので、始まる前に写真を撮ってから、ちょうど空いていた中央の席で見ることが出来ました。1階の両サイドには桟敷席があり、その席には和服が似合うなと思いました。左に花道があり、最前列は特別席で、椅子が大きいようです。3階席だとかなり舞台から離れるため、4階席とそれ程変わらないと思いました。演し物は、松本幸四郎の「1本刀土俵入り」で、幸四郎の良い声を聞くことができました。歌舞伎は見たことがなかったので、また面白い演し物があった時は、花道に近い席で見たいと思っています。<br />歌舞伎座の緞帳は4種類ありますが、表紙の写真は、松尾敏男画「朝光富士」です。四季に緞帳も替えるのでしょうね、それを見るのも楽しみの一つになります。

東銀座・歌舞伎座で一幕だけ

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2015/01/08 - 2015/01/08

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belledune

belleduneさん

東京中央郵便局舎を見てから、東銀座の歌舞伎座へやって来ました。外観だけ見ようかなと思っていたら、ちょうど幕見席が残っていて、午前の部の三幕目がすぐに始まるところでした。4階なのですが、3階席の直ぐ後ろに2列あるというところでした。初めて内部を見たので、始まる前に写真を撮ってから、ちょうど空いていた中央の席で見ることが出来ました。1階の両サイドには桟敷席があり、その席には和服が似合うなと思いました。左に花道があり、最前列は特別席で、椅子が大きいようです。3階席だとかなり舞台から離れるため、4階席とそれ程変わらないと思いました。演し物は、松本幸四郎の「1本刀土俵入り」で、幸四郎の良い声を聞くことができました。歌舞伎は見たことがなかったので、また面白い演し物があった時は、花道に近い席で見たいと思っています。
歌舞伎座の緞帳は4種類ありますが、表紙の写真は、松尾敏男画「朝光富士」です。四季に緞帳も替えるのでしょうね、それを見るのも楽しみの一つになります。

旅行の満足度
4.5

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  • 日比谷線東銀座で降りると、そのまま歌舞伎座地下の木挽町広場へと繋がっています。色んなお土産物やお弁当、お菓子などが売られています。幕間にここで食べる方もいらっしゃいます。<br />この辺り、銀座四丁目界は、江戸時代、木挽町と呼ばれた町人地でした。この町で歌舞伎の興行を許された森田座、山村座があり、賑わっていました。1842年の天保の改革で、江戸の芝居小屋が浅草猿若町(現・浅草六丁目界隈)へ移されてしまいました。明治時代になって、銀座に劇場の建設が許可されると、森田座が築地の新富町へ移転し、後に新富座となり、上流社会の社交場として栄えました。

    日比谷線東銀座で降りると、そのまま歌舞伎座地下の木挽町広場へと繋がっています。色んなお土産物やお弁当、お菓子などが売られています。幕間にここで食べる方もいらっしゃいます。
    この辺り、銀座四丁目界は、江戸時代、木挽町と呼ばれた町人地でした。この町で歌舞伎の興行を許された森田座、山村座があり、賑わっていました。1842年の天保の改革で、江戸の芝居小屋が浅草猿若町(現・浅草六丁目界隈)へ移されてしまいました。明治時代になって、銀座に劇場の建設が許可されると、森田座が築地の新富町へ移転し、後に新富座となり、上流社会の社交場として栄えました。

  • 東京日日新聞社社長で、劇作家だった福地源一郎(桜痴)が、新劇場の必要性を説いて廻り、西洋式でない、日本独自の劇場として、回り舞台や花道のある「歌舞伎座」の建設に尽力されたそうです。明治22年(1889)11月に、第1期の歌舞伎座は竣工しました。晴海通りの正面外観は、左右対称の洋風建築で、漆喰で煉瓦造風にした木造3階建でした。設計は、高原弘道、施工は日本土木会社でした。内部は、傘のような形状の天井で、客席は、伝統的な平土間と3層の桟敷席があり、左右に大小の花道があったそうです。

    東京日日新聞社社長で、劇作家だった福地源一郎(桜痴)が、新劇場の必要性を説いて廻り、西洋式でない、日本独自の劇場として、回り舞台や花道のある「歌舞伎座」の建設に尽力されたそうです。明治22年(1889)11月に、第1期の歌舞伎座は竣工しました。晴海通りの正面外観は、左右対称の洋風建築で、漆喰で煉瓦造風にした木造3階建でした。設計は、高原弘道、施工は日本土木会社でした。内部は、傘のような形状の天井で、客席は、伝統的な平土間と3層の桟敷席があり、左右に大小の花道があったそうです。

  • 歌舞伎座の3階に展示してある第1期歌舞伎座の模型です。舞台と客席の間には、プロセニアム(proscenium)がありますが、アーチのような曲線ではなくて、直線で、引幕が付いていたそうです。この引幕は、今も伝統ある歌舞伎座の原型となっているということです。

    歌舞伎座の3階に展示してある第1期歌舞伎座の模型です。舞台と客席の間には、プロセニアム(proscenium)がありますが、アーチのような曲線ではなくて、直線で、引幕が付いていたそうです。この引幕は、今も伝統ある歌舞伎座の原型となっているということです。

  • 第1期歌舞伎座の側面。<br />明治44年に丸の内に日本初の西洋式劇場として、帝国劇場が誕生すると、歌舞伎座は興業経営が下降し始めたため、純和式の劇場に改築することになります。<br />

    第1期歌舞伎座の側面。
    明治44年に丸の内に日本初の西洋式劇場として、帝国劇場が誕生すると、歌舞伎座は興業経営が下降し始めたため、純和式の劇場に改築することになります。

  • 第1期歌舞伎座の後面

    第1期歌舞伎座の後面

  • 第2期歌舞伎座が明治44年(1911)10月に完成しました。その後、大正2年(1913)に大阪から東京へ進出した松竹合名社(大谷竹次郎)が新富座、本郷座に次いで、この歌舞伎座も傘下に治めました。第1期の改築で、舞台間口、舞台機構、定員数などは同じだったと考えられています。設計は、清水正太郎、施工は名古屋積水組でした。

    第2期歌舞伎座が明治44年(1911)10月に完成しました。その後、大正2年(1913)に大阪から東京へ進出した松竹合名社(大谷竹次郎)が新富座、本郷座に次いで、この歌舞伎座も傘下に治めました。第1期の改築で、舞台間口、舞台機構、定員数などは同じだったと考えられています。設計は、清水正太郎、施工は名古屋積水組でした。

  • 第2期歌舞伎座の側面。<br />外観は、純和式の奈良風宮殿の檜造りで、内部の客席は、金箔置き二重打上げの格天井に改築されていました。客席天井中央にアーク灯が備えられ、多くの電灯が設置されていたそうです。

    第2期歌舞伎座の側面。
    外観は、純和式の奈良風宮殿の檜造りで、内部の客席は、金箔置き二重打上げの格天井に改築されていました。客席天井中央にアーク灯が備えられ、多くの電灯が設置されていたそうです。

  • 第2期歌舞伎座の後面。<br />大正10年(1921)に電気室から出火し、第2期歌舞伎座は焼失しました。

    第2期歌舞伎座の後面。
    大正10年(1921)に電気室から出火し、第2期歌舞伎座は焼失しました。

  • 第3期歌舞伎座の再建計画がすぐに始まり、大正11年(1922)に工事が着工し、大正12年には上棟式が行われました。しかし、内部工事中に関東大震災で火災が発生し、外壁を残して内部は焼失してしまいました。大正13年に、岡田信一郎の設計、大林組の施工で、第3期歌舞伎座が竣工。

    第3期歌舞伎座の再建計画がすぐに始まり、大正11年(1922)に工事が着工し、大正12年には上棟式が行われました。しかし、内部工事中に関東大震災で火災が発生し、外壁を残して内部は焼失してしまいました。大正13年に、岡田信一郎の設計、大林組の施工で、第3期歌舞伎座が竣工。

  • 第3期歌舞伎座の昭和通りに面した側面。<br />外観は、3層破風の安土桃山様式、鉄筋コンクリート造の地上3階・地下1階建て。定員は2474名。白漆喰の外壁の要所には、金色の錺(かざり)金物が付いていました。正面中央玄関の大きく張り出した唐破風と中央上部の大屋根が特徴になっていました。

    第3期歌舞伎座の昭和通りに面した側面。
    外観は、3層破風の安土桃山様式、鉄筋コンクリート造の地上3階・地下1階建て。定員は2474名。白漆喰の外壁の要所には、金色の錺(かざり)金物が付いていました。正面中央玄関の大きく張り出した唐破風と中央上部の大屋根が特徴になっていました。

  • 第3期歌舞伎座の木挽町通りに面した側面と後側。<br />内部は、白木の檜材を使った純和式の装飾になっていました。舞台間口は15間(約27,3m)廻り舞台の直径は、60尺(約18,2m)で、蛇の目廻しの舞台機構(大小の同芯の円が別々に廻る仕組み)を備えていました。現在の歌舞伎座では使われていません。また、近代的な照明装置が設置され、舞台奥にホリゾントが備えられていました。客席天井は、伝統的な格天井で、金糸を織り込んだ布が張られていました。

    第3期歌舞伎座の木挽町通りに面した側面と後側。
    内部は、白木の檜材を使った純和式の装飾になっていました。舞台間口は15間(約27,3m)廻り舞台の直径は、60尺(約18,2m)で、蛇の目廻しの舞台機構(大小の同芯の円が別々に廻る仕組み)を備えていました。現在の歌舞伎座では使われていません。また、近代的な照明装置が設置され、舞台奥にホリゾントが備えられていました。客席天井は、伝統的な格天井で、金糸を織り込んだ布が張られていました。

  • 第3期歌舞伎座の後面<br />第3期の歌舞伎座では、桟敷席と3階席の一部以外は、椅子席に代わり、茶屋制度も廃しされ、近代的な劇場となっていました。新しく監事室が客席後方に造られ、舞台に不具合が起きた場合に、迅速に対応出来るようになっていました。昭和20年の空襲で、歌舞伎座は鉄筋コンクリートの外壁を残して、内装は全て焼失しました。

    第3期歌舞伎座の後面
    第3期の歌舞伎座では、桟敷席と3階席の一部以外は、椅子席に代わり、茶屋制度も廃しされ、近代的な劇場となっていました。新しく監事室が客席後方に造られ、舞台に不具合が起きた場合に、迅速に対応出来るようになっていました。昭和20年の空襲で、歌舞伎座は鉄筋コンクリートの外壁を残して、内装は全て焼失しました。

  • 第4期歌舞伎座復興工事が昭和24年(1949)に始まり、翌年12月に竣工しました。設計は、岡田信一郎の弟子、吉田五十八が選任され、施工は清水建設でした。晴海通り側の正面外観は、第3期歌舞伎座を受け継ぎましたが、中央の大屋根を緩い勾配の金属屋根に変更しました。屋根葺き材を瓦から金属に変えることで、鉄骨量を減らすことが出来たと考えられています。

    第4期歌舞伎座復興工事が昭和24年(1949)に始まり、翌年12月に竣工しました。設計は、岡田信一郎の弟子、吉田五十八が選任され、施工は清水建設でした。晴海通り側の正面外観は、第3期歌舞伎座を受け継ぎましたが、中央の大屋根を緩い勾配の金属屋根に変更しました。屋根葺き材を瓦から金属に変えることで、鉄骨量を減らすことが出来たと考えられています。

  • 内部は、安土桃山風から吉田五十八のモダン和風に変更されました。内部の客席天井は、第2期、第3期と使われていた格天井から斜めに折れ上がる吹寄竿縁天井に変えられました。派手な装飾ではなくて、モダンな構成を基調としていますが、濃朱の漆塗りの柱や欄干、金の鉋金物を用いて、華やかさを出していました。

    内部は、安土桃山風から吉田五十八のモダン和風に変更されました。内部の客席天井は、第2期、第3期と使われていた格天井から斜めに折れ上がる吹寄竿縁天井に変えられました。派手な装飾ではなくて、モダンな構成を基調としていますが、濃朱の漆塗りの柱や欄干、金の鉋金物を用いて、華やかさを出していました。

  • 第4期歌舞伎座の木挽町通りの側面<br />大間や客席では、間接照明を用いていました。定員は2600名。

    第4期歌舞伎座の木挽町通りの側面
    大間や客席では、間接照明を用いていました。定員は2600名。

  • 第4期歌舞伎座の後面

    第4期歌舞伎座の後面

  • 第4期歌舞伎座の模型は、天井を外したものがありましたので、客席の様子が良く分かります。花道や1階の桟敷席などが見えています。花道の長さは、10間(約18,2m)で、幅は5,3尺(約1,6m)でした。

    第4期歌舞伎座の模型は、天井を外したものがありましたので、客席の様子が良く分かります。花道や1階の桟敷席などが見えています。花道の長さは、10間(約18,2m)で、幅は5,3尺(約1,6m)でした。

  • 舞台間口は、15間1尺(約27,6m)でした。1階客席が見えています。

    舞台間口は、15間1尺(約27,6m)でした。1階客席が見えています。

  • 2、3階の客席が見えています。<br />この第4期歌舞伎座竣工から60年経ち、内部の舞台設備や劇場機能の不足に加えて、2度の火災による躯体の劣化や耐震の不足など決定的な問題がありました。建替え以外の解決方法が見つからず、第5期歌舞伎座計画が始まりました。

    2、3階の客席が見えています。
    この第4期歌舞伎座竣工から60年経ち、内部の舞台設備や劇場機能の不足に加えて、2度の火災による躯体の劣化や耐震の不足など決定的な問題がありました。建替え以外の解決方法が見つからず、第5期歌舞伎座計画が始まりました。

  • ここから第5期歌舞伎座の内部へ行きます。<br />幕見席を買ってから、すぐに始まるというので、ワクワクしながら、4階へ上がって来ました。3階までの方とは別の入り口から入り、専用エレベーターで直接4階へ行けるので、混むことがありません。1階左側に花道が見えます。1階左の桟敷席からは、花道がよく見えるでしょうね。4階席は2列のみで、直ぐ下が3階席となっています。<br />午前の部の3幕目を見るので、舞台には定式幕が引いてあります。黒・柿色・萌葱の並びは、江戸森田座のものです。江戸市村座の定式幕は、黒・萌葱・柿色の並び。平成中村座は、黒・白・柿色の幕となっています。

    ここから第5期歌舞伎座の内部へ行きます。
    幕見席を買ってから、すぐに始まるというので、ワクワクしながら、4階へ上がって来ました。3階までの方とは別の入り口から入り、専用エレベーターで直接4階へ行けるので、混むことがありません。1階左側に花道が見えます。1階左の桟敷席からは、花道がよく見えるでしょうね。4階席は2列のみで、直ぐ下が3階席となっています。
    午前の部の3幕目を見るので、舞台には定式幕が引いてあります。黒・柿色・萌葱の並びは、江戸森田座のものです。江戸市村座の定式幕は、黒・萌葱・柿色の並び。平成中村座は、黒・白・柿色の幕となっています。

  • 舞台床材に使用された「百年檜」は、丹沢山中で採取されたものを松坂で、1年掛けて、含水率を60〜70%のものを15%以下に天然乾燥して、製材されたそうです。

    舞台床材に使用された「百年檜」は、丹沢山中で採取されたものを松坂で、1年掛けて、含水率を60〜70%のものを15%以下に天然乾燥して、製材されたそうです。

  • 開園前に、何度も携帯電話などの電子機器の電源を切るように指示がありました。前に乗り出して、舞台を見ると後ろの人が見えなくなるので、その注意もされていました。係員が各所に配置されていて、公演中も立っておられました。私が見た一幕だけだとそういう不注意の迷惑事はありませんでしたが、1日を通して見ていると、きっと1、2回はあるんでしょうね。この写真に写っている右手の方は、4階席の方です。私は2列目だったので、乗り出して見ても大丈夫でした。高所恐怖症の方は、無理かもしれませんね。

    開園前に、何度も携帯電話などの電子機器の電源を切るように指示がありました。前に乗り出して、舞台を見ると後ろの人が見えなくなるので、その注意もされていました。係員が各所に配置されていて、公演中も立っておられました。私が見た一幕だけだとそういう不注意の迷惑事はありませんでしたが、1日を通して見ていると、きっと1、2回はあるんでしょうね。この写真に写っている右手の方は、4階席の方です。私は2列目だったので、乗り出して見ても大丈夫でした。高所恐怖症の方は、無理かもしれませんね。

  • 3階の両サイドの席もかなり高い位置にあるので、怖いですね。吹寄竿縁天井の間接照明には、LEDが使用されています。この吹寄竿縁天井の形状は、第4期歌舞伎座のものを踏襲していますが、1階前方中央部への反射音を増すために、折り上げられた部分に音響反射板を付けたそうです。円弧と反射板が連続するように形状を工夫したということです。説明されなければ、分からない箇所ですね。

    3階の両サイドの席もかなり高い位置にあるので、怖いですね。吹寄竿縁天井の間接照明には、LEDが使用されています。この吹寄竿縁天井の形状は、第4期歌舞伎座のものを踏襲していますが、1階前方中央部への反射音を増すために、折り上げられた部分に音響反射板を付けたそうです。円弧と反射板が連続するように形状を工夫したということです。説明されなければ、分からない箇所ですね。

  • 壁紙には、「菱」型の文様が入っています。これは業平格子というもので、劇場内には、色んなところに「割菱」、「四つ菱」、「子持菱」、「違い菱」、「襷(たすき)」、「三重襷」などが使われています。

    壁紙には、「菱」型の文様が入っています。これは業平格子というもので、劇場内には、色んなところに「割菱」、「四つ菱」、「子持菱」、「違い菱」、「襷(たすき)」、「三重襷」などが使われています。

  • GINZA KABUKIZA ( 歌舞伎座・歌舞伎座タワー)プロジェクトは、劇場部分の建築主である(株)歌舞伎座と歌舞伎座タワーの建築主であるKSビルキャピタル特定目的会社と開発業務受託者である松竹株式会社によって行われました。このプロジェクトの設計は、意匠設計が三菱地所設計と隈研吾建築都市設計事務所が共同で行い、全体統括、構造設計、設備設計、都市計画、歴史調査を三菱地所設計が単独で行ったそうです。吉田五十八の弟子・今里隆が劇場監修を担当し、施工は清水建設でした。音響設計は、サントリーホールや大阪新歌舞伎座などを手掛けた(株)永田音響設計が担当しました。

    GINZA KABUKIZA ( 歌舞伎座・歌舞伎座タワー)プロジェクトは、劇場部分の建築主である(株)歌舞伎座と歌舞伎座タワーの建築主であるKSビルキャピタル特定目的会社と開発業務受託者である松竹株式会社によって行われました。このプロジェクトの設計は、意匠設計が三菱地所設計と隈研吾建築都市設計事務所が共同で行い、全体統括、構造設計、設備設計、都市計画、歴史調査を三菱地所設計が単独で行ったそうです。吉田五十八の弟子・今里隆が劇場監修を担当し、施工は清水建設でした。音響設計は、サントリーホールや大阪新歌舞伎座などを手掛けた(株)永田音響設計が担当しました。

  • 1時間半ほどのお芝居が終わり、幕見席専用出入り口から降りて来ました。正面玄関前に、1月の午後の部の絵看板があります。

    1時間半ほどのお芝居が終わり、幕見席専用出入り口から降りて来ました。正面玄関前に、1月の午後の部の絵看板があります。

  • こちらが1月の午前、午後の部の演目です。2月にまた来てみたいと思います。

    こちらが1月の午前、午後の部の演目です。2月にまた来てみたいと思います。

  • 正面玄関横手に、歌舞伎稲荷大明神様がお祀りしてあります。これは、第4期歌舞伎座の時のものです。

    正面玄関横手に、歌舞伎稲荷大明神様がお祀りしてあります。これは、第4期歌舞伎座の時のものです。

  • 正面玄関の上方に白く聳えているのが、オフィス・タワー部分です。オフィス・エントランスは、こちらの晴海通りからではなくて、左手の昭和通りにあります。直接オフィス階へ行くことができず、1階、地下2階と7階スカイロビーをシャトルエレベータが往復していて、一旦、7階のスカイロビーへ上がってから、各階のオフィス階へ通常のエレベータで向かうということになっているそうです。劇場部分の客席には、柱を立てることができないので、メガトラスを建てて、その上にオフィスタワーを建設しています。ここで使われたメガトラスは日本最大級で、東日本大地震級のものにも耐えられるそうです。全体の高さ12m、長さ38m、総重量は約1600トンだそうです。建設技術は目覚ましい進歩を遂げていますね。

    正面玄関の上方に白く聳えているのが、オフィス・タワー部分です。オフィス・エントランスは、こちらの晴海通りからではなくて、左手の昭和通りにあります。直接オフィス階へ行くことができず、1階、地下2階と7階スカイロビーをシャトルエレベータが往復していて、一旦、7階のスカイロビーへ上がってから、各階のオフィス階へ通常のエレベータで向かうということになっているそうです。劇場部分の客席には、柱を立てることができないので、メガトラスを建てて、その上にオフィスタワーを建設しています。ここで使われたメガトラスは日本最大級で、東日本大地震級のものにも耐えられるそうです。全体の高さ12m、長さ38m、総重量は約1600トンだそうです。建設技術は目覚ましい進歩を遂げていますね。

  • 劇場ロビーには、柱を立てることが出来ますが、そうすると高層ビルの1階に劇場があるため、歌舞伎座が高層ビルに組み込まれてしまいます。そこで、オフィスタワーの高層部分を晴海通り側から少し奥へずらして、歌舞伎座と離す見せ方にしたそうです。このように正面玄関上方を見ると、真上ではなくて、セットバックしているために、圧迫感がありません。タワー部分を舞台上部に建てることを可能にしたのが、メガトラスです。舞台両側に避難階段、非常用エレベーターがあるタワーのコア(エレベーター、階段、トイレなどの共用部)の一部が地下4階から屋上の塔屋までを貫いているそうです。

    劇場ロビーには、柱を立てることが出来ますが、そうすると高層ビルの1階に劇場があるため、歌舞伎座が高層ビルに組み込まれてしまいます。そこで、オフィスタワーの高層部分を晴海通り側から少し奥へずらして、歌舞伎座と離す見せ方にしたそうです。このように正面玄関上方を見ると、真上ではなくて、セットバックしているために、圧迫感がありません。タワー部分を舞台上部に建てることを可能にしたのが、メガトラスです。舞台両側に避難階段、非常用エレベーターがあるタワーのコア(エレベーター、階段、トイレなどの共用部)の一部が地下4階から屋上の塔屋までを貫いているそうです。

  • 第5期歌舞伎座の廻り舞台は、舞台機構、昇降機などの製造メーカー・(株)三精輸送機で、神戸工場で造られたものです。ジェットコースター、観覧者などは国内トップシェアを誇る会社だそうです。直径は、第4期と同じ60尺(18,18m)、深さ約16,4mで、第4期の4倍近くの深さで、国内最大級となっています。廻り舞台には、松・竹・梅の3種類の迫りの他、「大迫り」が設置されたそうです。しかし、プロセニアムアーチ、花道の寸法は変えていないということです。役者が体で覚えている舞台の寸法なので、大切なことですね。

    第5期歌舞伎座の廻り舞台は、舞台機構、昇降機などの製造メーカー・(株)三精輸送機で、神戸工場で造られたものです。ジェットコースター、観覧者などは国内トップシェアを誇る会社だそうです。直径は、第4期と同じ60尺(18,18m)、深さ約16,4mで、第4期の4倍近くの深さで、国内最大級となっています。廻り舞台には、松・竹・梅の3種類の迫りの他、「大迫り」が設置されたそうです。しかし、プロセニアムアーチ、花道の寸法は変えていないということです。役者が体で覚えている舞台の寸法なので、大切なことですね。

  • 瓦は愛知県高浜市の三州瓦が約100万枚、鬼瓦が40枚使われています。この正面玄関中央の鬼瓦は、鬼師による手作りで、内部に骨を入れ、ボルト・ナットで固定してあるそうです。また唐破風屋根下にある懸魚(げぎょ)と言い、火災から守るために、水に関連する魚を模した飾りを付けて、火伏の呪いとしています。また、棟木の切り口を隠すための役割があります。中央の唐破風懸魚に「兎の毛通し」が付いたものを「拝み懸魚」という。

    瓦は愛知県高浜市の三州瓦が約100万枚、鬼瓦が40枚使われています。この正面玄関中央の鬼瓦は、鬼師による手作りで、内部に骨を入れ、ボルト・ナットで固定してあるそうです。また唐破風屋根下にある懸魚(げぎょ)と言い、火災から守るために、水に関連する魚を模した飾りを付けて、火伏の呪いとしています。また、棟木の切り口を隠すための役割があります。中央の唐破風懸魚に「兎の毛通し」が付いたものを「拝み懸魚」という。

  • 拝み懸魚をアップで。

    拝み懸魚をアップで。

  • 正面玄関の唐破風屋根下の両脇にあるのが、「降り懸魚」です。この他、絵看板の屋根に付いているのが、「猪の目懸魚」といって、ハート形の窪みを目に見立てたものです。

    正面玄関の唐破風屋根下の両脇にあるのが、「降り懸魚」です。この他、絵看板の屋根に付いているのが、「猪の目懸魚」といって、ハート形の窪みを目に見立てたものです。

  • 降り懸魚辺りの構造アップです。三菱地所設計の方のお話によると、第5期の正面外装は、基本的に第4期の形態を忠実に再現しているということです。異なっている箇所は、雨天時の雨除け場所のために1階庇をやや大きくしたこと、バリアフリーのために玄関前の階段をなくしたことなど僅かな変化だけでした。第4期の歌舞伎座正面外装は、第3期から受け継いだもので、

    降り懸魚辺りの構造アップです。三菱地所設計の方のお話によると、第5期の正面外装は、基本的に第4期の形態を忠実に再現しているということです。異なっている箇所は、雨天時の雨除け場所のために1階庇をやや大きくしたこと、バリアフリーのために玄関前の階段をなくしたことなど僅かな変化だけでした。第4期の歌舞伎座正面外装は、第3期から受け継いだもので、

  • 芝居が終わった後で、お客様が多くて、玄関の写真がなかなか撮れません。次回は、1階席で見たいですね。この正面玄関から入って、ロビーの様子や客席からの舞台など色々見たいところがいっぱいあります。

    芝居が終わった後で、お客様が多くて、玄関の写真がなかなか撮れません。次回は、1階席で見たいですね。この正面玄関から入って、ロビーの様子や客席からの舞台など色々見たいところがいっぱいあります。

  • 正面玄関の欄間なども素晴らしいので、次回は、ここから入場して、大間を観察するつもりです。第4期になかったエスカレーター、エレバーターが1階に設置されたので、1階にあったトイレを地下1階へ移して、そのスペースを捻出したそうです。

    正面玄関の欄間なども素晴らしいので、次回は、ここから入場して、大間を観察するつもりです。第4期になかったエスカレーター、エレバーターが1階に設置されたので、1階にあったトイレを地下1階へ移して、そのスペースを捻出したそうです。

  • 正面玄関横手上方にも、釘隠しとしての錺金物の六葉や唄(ばい)が外壁に58個、内部には207個付いています。

    正面玄関横手上方にも、釘隠しとしての錺金物の六葉や唄(ばい)が外壁に58個、内部には207個付いています。

  • 正面玄関から左手に寄ったところから上方を見上げたタワー部分。<br />耐震のために、オフィスビル各階のコア部分にオイルダンパーが設置されています。油圧式制振装置として、オイルの粘りが建物の揺れを抑制し、安全性と居住性を高めているそうです。また、筋交いに設置されたアンボンドブレース(制振装置・耐震装置)とは、中心鋼材とコンクリートの間に特殊な緩衝剤(アンボンド材)が入っていて、地震時にこの緩衝材が動くことによって、地震力を逃がし、周りにコンクリートによって部材自体が壊れることを防げるということです。また、C.F.T.(Concrete filled Steel Tube ) 柱という鋼管柱の中に、高強度コンクリートを充填したものが使われているそうです。圧縮に強いコンクリートと引張りに強い鉄骨の長所を組合わせたハイブリッド柱ということです。建築材の技術進歩は目覚ましいですね。従来の柱よりも高耐力で、変形機能、耐火に優れていて、高い耐震性能も発揮するという優れものです。

    正面玄関から左手に寄ったところから上方を見上げたタワー部分。
    耐震のために、オフィスビル各階のコア部分にオイルダンパーが設置されています。油圧式制振装置として、オイルの粘りが建物の揺れを抑制し、安全性と居住性を高めているそうです。また、筋交いに設置されたアンボンドブレース(制振装置・耐震装置)とは、中心鋼材とコンクリートの間に特殊な緩衝剤(アンボンド材)が入っていて、地震時にこの緩衝材が動くことによって、地震力を逃がし、周りにコンクリートによって部材自体が壊れることを防げるということです。また、C.F.T.(Concrete filled Steel Tube ) 柱という鋼管柱の中に、高強度コンクリートを充填したものが使われているそうです。圧縮に強いコンクリートと引張りに強い鉄骨の長所を組合わせたハイブリッド柱ということです。建築材の技術進歩は目覚ましいですね。従来の柱よりも高耐力で、変形機能、耐火に優れていて、高い耐震性能も発揮するという優れものです。

  • こちらは左手の楽屋入り口

    こちらは左手の楽屋入り口

  • 楽屋は、第4期の設計した吉田五十八の近代和風の意匠を受け継いで、劇場監修を担当された弟子の今里隆氏にアドバイスを受けて、設計が進められたそうです。以前は、楽屋の前室と次の間が分かれていなかったそうですが、楽屋を訪れる客に裏方を見せないようにという意図から、分けられたということです。

    楽屋は、第4期の設計した吉田五十八の近代和風の意匠を受け継いで、劇場監修を担当された弟子の今里隆氏にアドバイスを受けて、設計が進められたそうです。以前は、楽屋の前室と次の間が分かれていなかったそうですが、楽屋を訪れる客に裏方を見せないようにという意図から、分けられたということです。

  • 劇場の前庭

    劇場の前庭

  • 第4期の正面外装は、第3期から受け継いだもので、柱、梁、壁、組物、垂木まで全てコンクリートで打ち上げられて、表面は漆喰で仕上げられていました。形状を精密に実測して、装飾が施された破風板、懸魚、蛙股などの部材は採取したり、形を記録したそうです。第4期の形状を忠実に再現し、その上、耐震性、耐風性、耐久性に合うものでならなかったので、試行錯誤の末に、単一の材料ではなくて、其々の箇所の形状に適した材料を組み合わせることにしたそうです。平らな壁はPC板(Precast Concrete) 、柱、梁、組物、破風板、懸魚、蛙股などの細かな造形を必要とする部材は、GRC ( Glass fiber Reinforced Concrete ) を採用し、また、 垂木は反り上がる屋根に対応して1本ずつ形状が異なるため、アルミ板を溶接してボックス状に成形したものを採用したということです。

    第4期の正面外装は、第3期から受け継いだもので、柱、梁、壁、組物、垂木まで全てコンクリートで打ち上げられて、表面は漆喰で仕上げられていました。形状を精密に実測して、装飾が施された破風板、懸魚、蛙股などの部材は採取したり、形を記録したそうです。第4期の形状を忠実に再現し、その上、耐震性、耐風性、耐久性に合うものでならなかったので、試行錯誤の末に、単一の材料ではなくて、其々の箇所の形状に適した材料を組み合わせることにしたそうです。平らな壁はPC板(Precast Concrete) 、柱、梁、組物、破風板、懸魚、蛙股などの細かな造形を必要とする部材は、GRC ( Glass fiber Reinforced Concrete ) を採用し、また、 垂木は反り上がる屋根に対応して1本ずつ形状が異なるため、アルミ板を溶接してボックス状に成形したものを採用したということです。

  • 晴海通りと木挽町通りの角

    晴海通りと木挽町通りの角

  • 木挽町通り側

    木挽町通り側

  • 4階のギャラリーへ上がり、大屋根を間近に見ます。瓦は本瓦葺きで、陶器製の平瓦と丸瓦を交互に組合わせて並べる葺き方です。本瓦葺きは、古来からのやり方で、江戸時代前期に丸瓦がない桟瓦葺きが発明されたそうです。

    4階のギャラリーへ上がり、大屋根を間近に見ます。瓦は本瓦葺きで、陶器製の平瓦と丸瓦を交互に組合わせて並べる葺き方です。本瓦葺きは、古来からのやり方で、江戸時代前期に丸瓦がない桟瓦葺きが発明されたそうです。

  • 鬼瓦は、大棟、隅棟、降り棟などの末端に雨仕舞いの役割を兼ねて、取り付ける装飾瓦で、厄除と装飾の役目があります。鬼瓦は専門の職人・鬼師が製作します。この屋根は、通常の庫裏8棟分の量があるそうです。この後のタワーから吹き下ろす強風に耐えられるよう、この瓦は、耐風性があり、また取り付け強度を増した仕様となっているそうです。

    鬼瓦は、大棟、隅棟、降り棟などの末端に雨仕舞いの役割を兼ねて、取り付ける装飾瓦で、厄除と装飾の役目があります。鬼瓦は専門の職人・鬼師が製作します。この屋根は、通常の庫裏8棟分の量があるそうです。この後のタワーから吹き下ろす強風に耐えられるよう、この瓦は、耐風性があり、また取り付け強度を増した仕様となっているそうです。

  • 4階屋上庭園に置いてある第4期歌舞伎座当時の瓦です。

    4階屋上庭園に置いてある第4期歌舞伎座当時の瓦です。

  • 大正15年に作られた小川三知の「国姓爺合戦」の中の「千里ヶ竹の虎退治」の場面が描かれたステンドグラスです。建築装飾としてステンドグラスを日本に広めた功績は大きく、第3期の設計者・岡田信一郎との業績も多かったそうです。この作品は、岡田信一郎氏の私邸玄関脇ホールに取り付けられていたもの。

    大正15年に作られた小川三知の「国姓爺合戦」の中の「千里ヶ竹の虎退治」の場面が描かれたステンドグラスです。建築装飾としてステンドグラスを日本に広めた功績は大きく、第3期の設計者・岡田信一郎との業績も多かったそうです。この作品は、岡田信一郎氏の私邸玄関脇ホールに取り付けられていたもの。

  • こちらは、第3期歌舞伎座で使用されていた作品だそうです。

    こちらは、第3期歌舞伎座で使用されていた作品だそうです。

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