2014/10/17 - 2014/10/19
40位(同エリア137件中)
けんいちさん
けんいちの1人旅です。
東日本大震災から3年半。7年前に訪れた三陸の記憶をもとに被災地の今を見に行く旅です。
松島~気仙沼編からつづく、気仙沼~釜石編です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目です。
今日はさらに北上しますが、気仙沼駅まで海岸線を歩いて向かうことにしました。昨日は夜中だったのでわかりませんでしたが、ホテルがあったこの一帯は津波に襲われ、何もかもなくなってしまっていることが高台から見てわかりました。 -
「+3.9m宅地仕上高」と書かれた看板のもと、かさ上げ作業が進められています。そんななかポツンと取り残された建物がありました。鉄筋の建物のため流されなかったようですが、2階部分まで水が来た痕跡が残っていました。
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気仙沼市街の中心地近くまで歩いてくると、更地と新築の家と壊れかけた家が共存している風景に出合います。
鉄筋の家では、1階・2階は窓にベニヤ板が張り付けられており、3階には洗濯物が干してあって人が住み続けている様子がわかります。 -
気仙沼復興商店街にはプレハブのお店が多く軒を連ねていました。私が過去に気仙沼を訪れたときに入ったお寿司やさん・あさひ鮨もここに店舗を構えていました。
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この辺り家の壁や扉には、スプレーで「○」と「cr」と書かれているのを見かけました。これは震災発生時、救助に来た警察・消防・自衛隊が、中を捜索して人が残っていないことを確認した際の目印として書いたものなのでしょう。
このような生々しいものが3年半経っても至る所に残っているのです。 -
気仙沼駅からはBRTで北に向かいます。目的地は陸前高田です。
[奇跡の一本松]が有名になった場所で、バス停も[BRT奇跡の一本松]という停留所で下車します。 -
陸前高田に着いて驚きました。巨大鉄鋼工場のようなベルトコンベヤーが頭の上を走っているのです。理解し難い状況ながらも、まずは奇跡の一本松へと歩いていきます。有名な場所だけあって、他にも訪問客が多くいます。
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一本松へ行く途中に、仮設の展望台があるので登ってみます。
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展望台に登って見えるのは、どこまでも続くベルトコンベヤーだけです。
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そのベルトコンベヤーは、レインポーブリッジかと思うような橋で川を渡り山まで続いていました。
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あとは同じ色の盛り土だけです。他に何も無いのです。その光景は「復旧」や「復興」ではなく、新しい埋立地を作っているようです。まったく昔の面影というものが存在しないのです。
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奇跡の一本松です。今では復興に向けた陸前高田のシンボルです。
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「一本松だけ見て帰らないで」
復興応援のために書かれたガイドブックの1ページに、地元の人の声が載っていました。多くの訪問者は一本松だけ写真に収めて帰ってしまうようですが、街を歩いてみようと思います。 -
(震災遺構)気仙中学校
最上階の3階部分にも流木が残っています。 -
(震災遺構)道の駅・高田松原
道の駅 高田松原 道の駅
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道の駅・高田松原の前に、真新しいガソリンスタンドが営業していました。震災後新しく建て直したのでしょう。しかし10m以上ある看板の一部は壊れたままです。意図して残しているものと思われます。
道の駅 高田松原 道の駅
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街中の至るところでかさ上げ作業の真っ最中です。12.5mも上げるそうです。気仙沼の3.3以上の高さです。それだけ津波が高かったということです。
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(震災遺構)下宿定住促進住宅
4階まで窓ガラスが無くなっています。 -
とにかく目印になるものが少ないので道に迷います。
持っている地図には鉄道路線が書かれているのですが見当たりません。しかしよくよく探してみると雑草に隠された先に橋桁だけを見つけることができました。線路はありません。
場所によっては列車が復旧した地域もありますが、ここ陸前高田ではまだまだ遠い先の話だとこの光景を見て思いました。 -
あちらこちらで重機が動いているのが見えます。街中砂埃が舞っています。
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一本松には観光バスも来るほど訪問客がいるのに、街中にはヘルメットを被った工事関係者とダンプカーしか見かけません。
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山の方に目を向けると、山が削られて宅地造成されています。歩いていると街中に発破のカウントダウンが放送され、爆破音と噴煙が確認できました。
陸前高田の今を見ると、震災・津波そのものの怖さとは違う、何かゲームのシムシティの実写版を見ているような怖さを感じました。
ニュースでは奇跡の一本松の映像は流れても、すぐ隣にあるこれらの風景は映されません。実際に見てみないと現実はわからないものだと強く思いました。 -
再びBRTに乗り込み盛駅へ向かいます。この駅は同じプラットホームなのに、JR側はアスファルトで埋められバス(BRT)が停まり、三陸鉄道側は普通の列車が停まっている不思議な場所でした。
JRもこのアスファルトを剥がし、ふたたび列車の線路が敷かれることを願いたいところです。 -
すっかり空も暗くなった17時半ごろ釜石駅へ到着しました。なにやら今日はお祭りのようです。夕ご飯のために、ホテル近くの1軒の居酒屋に入ったのですが、お祭りのために常連客以外お断りだったのですが入れてもらいました。
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釜石まつりでは獅子舞などが飲食店一店舗ずつ訪れるようです。他のお客さんの輪に入れてもらい大いに盛り上がる夜となりました。
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3日目・最終日です。
すご~く気持ち悪いです。飲みすぎました。牡蠣にも当たったような、、、
最終日はさらに北上して宮古まで行こうなんて考えていましたが、それどころじゃありません。
トイレに1時間以上籠ったあと、ぐったり東京まで帰ってきました(+_+)
最後は大変な目にあいましたが、被災地の今を実際に見られていい勉強になりました。またあと数年したら同じところを訪問してみたいと思います。そのときは人々が幸せに暮らせる街に戻っているといいですね(^-^)
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