2014/08/17 - 2014/08/17
45位(同エリア369件中)
紅映さん
北海道開拓の村は、北海道百年を記念して設置されました。
開拓の過程における生活と産業・経済・文化の歴史を示す建造物等を移設復元して保存するとともに、開拓当時の情景を再現展示して、北海道の開拓の歴史を身近に学ぶことのできる野外博物館です。
昨年(2014年)10月21日にはマッサン余市編のロケに利用され、まさに今朝(2015.1.7)の放送は、この鰊御殿(旧青山家漁家住宅)を使用して、やん衆たちが酒盛りをすると言う豪快な場面でした!!
また、きのうは馬車道通りでマッサンが道行く人にウヰスキーの試飲を進めている場面。
ドラマも、これからが佳境に入ってきて、面白くなりそうです。
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旧札幌停車場(開拓の村入口)
この建造物は、明治41年(1908)に建てられた札幌停車場の正面外観を縮小再現したもので、昭和27年(1952)まで使われてきました。
外観は、米国の同じ頃の木造建築に用いられたスティックスタイルと呼ばれる形式が取り入れられ、下見板と棒(スティック)による模様付けが特徴です。 -
旧開拓使札幌本庁舎
外観は明治6年(1873)に建てられた開拓使札幌本庁舎を再現したものです。
開拓使札幌本庁舎は開拓使顧問ケプロンの構想に基づき、開拓使工業局営繕課が担当した。築後5年目の明治12年、火災のため焼失。
建物の内部は総合案内・情報サービスコーナー、講堂、研修室があり、見学の事前事後の学習・休憩などに利用できます。 -
旧開拓使札幌本庁舎
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馬車が行き交うメイン通り
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旧小樽新聞社
小樽新聞社は明治27年(1894)に創立されました。
函館毎日新聞、北海タイムスとともに道内の代表的新聞の一つでした。
この建物は、木造の骨組みに札幌近郊で産出する札幌軟石(溶結凝灰岩)を外壁に積み上げた構造で、明治期石造建築の特徴を示しています。 -
夏休みということで、旧小樽新聞社内では、子ども対象に、植字による名刺作りの体験が出来ました。
専門的なことは、全てボランティアさんたちがやってくれます。 -
旧三ます河本そば屋
この建物は、明治18年(1885)頃に石川県から小樽へ移住した河本徳松(当時18歳)が、そば屋の修行を積み、三ますそば屋ののれんを継いで新築した店です。
小樽市街の中でも最も栄えた地域にあったこのそば屋は食事や宴会の場として多くの人々に利用されていました。 -
旧山本理髪店
傾斜の急な切妻屋根、妻軒の棟折れマンサード、玄関の雨よけアーチなど、大正期の洋風建築の特徴を残したスマートな外観は理髪業とよくなじみ、北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として長く親しまれていました。
中には実物大の床屋の主人がお客さんの髪を切っている人形が置いてあります。 -
旧藤原車橇製作所
明治31年(1898)、兵庫県出身の宮大工藤原信吉が深川に入植し、同36年(1903)には妹背牛で車橇製造を開業し、以後3代にわたり営業を続けましたた。
この建物は、開業以来使われてきた車橇製作所を再現したもので、作業場と住宅から成り、木造切妻平入りの構造です。 -
旧藤原車橇製作所の中では、実物と見紛う人形が橇を作っています。
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旧浦河公会会堂
明治13年(1880)、神戸において北海道開拓会社「赤心社」が設立され、翌14年から西舎村や荻伏村に結社移民として入植しました。
「赤心社」の指導者の多くはキリスト教徒で、明治19年「浦河公会」が組織されましたが、この会堂は、2代目の礼拝・集会所として明治27年(1894)に建てられたものです。 -
ランチタイムの休憩。
入口に近いところに大きな食堂があります。 -
豚汁定食、ボリュウムたっぷりです!!
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旧札幌師範学校武道場
この建物は、北海道教育大学札幌校の前身である北海道札幌師範学校の武道場として昭和4年(1929)に建設されました。
入母屋造り、平入りの和風建築意匠を強調した木造平屋建ての建物で、剣道、柔道場として使用されましたが、戦後昭和24年(1949)からは一時図書館、ついで第二体育館として利用されていました。 -
森林鉄道機関庫
北海道庁は、大正8年度から拓殖計画に国有林の直営伐採事業を加え、木材搬出のための森林鉄道の敷設に着手しました。
その後、道内各地で建設が進められ、昭和初期には従来の流送にかわって鉄道運材が主流となり、機関車や貨車のほか、機関庫、貯木場も整備されました。 -
旧平造材部飯場
この建物は、大正後期に下川村奥名寄の御料林内に建てられた造材飯場を再現したものです。
造材飯場は、伐木・造材に携わった山子や集・運材作業に従事した藪出し、馬追いなどが山中で寝泊まりした小屋です。
この飯場には山子と藪出しが生活し、馬追い飯場は別棟になっていました。 -
炭焼小屋
北海道は、国内有数の木炭生産地で、主に黒炭が生産されました。
炭窯の種類は多様でしたが、明治・大正期の北海道では、角窯が多く使われていました。
一般に専業の炭焼きは大型の窯を、副業では小型の窯を使用していたようです。
この炭窯は大正末期の副業製炭業者の角窯を再現しています。 -
旧山田家養蚕板倉
開拓使は、屯田兵の授産事業として養蚕を奨励し、琴似兵村ではその成果が実って、屯田兵のなかに独自の養蚕施設を持つ人も現れました。
この板倉は、屯田兵として入植した山田家のもので、草創期の暮らしぶりを伝える数少ない遺構の一つです。 -
旧田村家北誠館蚕種製造所
絹(糸)の原料になる蚕の卵(蚕種)をとる建物で、浦臼村養蚕伝習所教師であった田村忠誠が、当時模範とされた東京蚕業試験場の蚕室を参考に、明治34年(1901)から同38年にかけて建築したものです。
ここでは蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの養蚕技術者を養成しました。 -
旧田村家北誠館蚕種製造所内部
ここでは養蚕のしくみなどを、展示を通して開設する催しが開かれていました。 -
馬車鉄道の営業は4月中旬から11月まで
子ども:130円
おとな:270円 -
旧ソーケシュオマベツ駅逓所と一ノ橋駅逓所(上川郡上名寄村)
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マッサンのロケが行われた旧青山家漁家住宅
青山家は、安政6年(1859)山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家です。
建網経営には番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗など多くの施設、設備を必要としました。
鰊漁場の建物が、このように集約的に保存されているところは少なく、貴重な遺構の一つです。 -
旧青山家漁家住宅
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旧青山家漁家住宅内部
ここの土間では、ボランティアの方がとても丁寧に説明をして下さいました。 -
旧秋山家漁家住宅
秋田県男鹿半島から明治末期に移住した秋山嘉七が、ニシン漁で繁栄していた時期に建てた住宅です。
同家では三代にわたり、ニシン刺網漁のほか磯廻り漁などを続けながら、昭和53年(1978)まで住んでいました。
建物は洋風の棟飾りをもつ、ヨツヤと呼ばれる寄棟造りです。 -
旧北海中学校
この校舎は、明治41年(1908)から翌年にわたって建築された本館部分です。
創立は明治38年(1905)で、前身は札幌農学校第三期生らが中心となり明治18年(1885)に設立した私立北海英語学校です。
外観の意匠は、明治半ばから大正期の官庁や学校の木造建築によく見られる様式。 -
旧開拓使工業局庁舎
明治6年(1873)に設置された開拓使工業局は、道路・橋梁・官庁・学校などの施設をはじめ、家財、機械・農具・車両などの製造事業を行い、本道開拓の発展に大きな業績を残しました。
この建物は明治初期の洋風事務所建築の特徴を示し、開拓使関係庁舎としては現存する唯一のものです。
※2013年に歴史的価値の高いものとして、国の重要文化財への指定を答申されました。 -
旧広瀬写真館
この建物は、大正末期から昭和33年(1958)まで岩見沢市街で営業した写真館を再現しています。
外観は洋風ですが、内部の多くは和風で、和洋折衷の建物です。
撮影には自然光を用いたため、写場は2階に設け、北側の屋根をシングルスラントと呼ばれた斜めのガラス張りとしています。 -
旧来正旅館
東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、明治31年(1898)退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移り、待合所を開業しました。
大正7年(1918)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所を新築し営業を再開。当時は、旅人の宿泊や汽車の待合などに利用されてにぎわったそうです。 -
8月は体験館では「竹とんぼ、紙とんぼ」作りを体験できました。
開拓の村はとても広くて、特に夏休みはいろいろな遊びも工夫されており、1日中遊んでも遊びきれないほどです。
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この旅行記へのコメント (6)
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- ダメちゃんさん 2015/01/08 16:34:18
- 「マッサン」観てますよ〜
- 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
新年早々の旅行記を楽しく拝見しました。
わたしも「マッサン」を観てますが、仕事があるので相棒に録画してもらって夕食時に観てます・・・余市編も期待できそうですね〜
昨日の鰊御殿もしっかり見ましたが、どこにあるのだろうと話していたところです。
タイムリーな情報をありがとうございました。
今年も楽しい旅行記&クチコミを掲載していきましょうね(^^)v
- 紅映さん からの返信 2015/01/08 17:42:21
- RE: 「マッサン」観てますよ〜
- 明けましておめでとうございます。
ちょうど開拓の村でのロケだったので、急ぎアップ致しました。
手抜きのところはご勘弁くださいませ。
再々放送が23時ですから、録画してご覧になるのがいいですね。
他にも現存する鰊御殿がありますが、私が行ったことのあるのはここのほかに料亭になっているのが2か所と、小樽市鰊御殿として一般に公開しているのがひとつ、いずれも小樽市です。
あとは旧 花田家番屋 :留萌郡小平町 - 近接して道の駅が整備されている(道の駅おびら鰊番屋)ですが、ほかにもあるようです。
また折を見てお尋ねになってみて下さい。
いつもご丁寧にコメントを戴きましてありがとうございます。
紅映
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- はなかみno王子さん 2015/01/07 21:37:09
- 雪がない!?
- マッサン、毎日楽しみに見ています。
去年、余市や山崎のウイスキー蒸留所にいきましたよ。
美味しいウイスキー飲んで
日本人って凄いなって思いましたーー。
おうじ
- 紅映さん からの返信 2015/01/08 13:13:25
- RE: 雪がない!?
- おうじさん、お久し振りです。
マッサンご覧になっているんですね。
初めに馬車道が出てきて、開拓の村って分ったんですけど、昨日、きょうは、まさにこの建物でしたよね。
山崎の工場は、今まで気にしてなかったのですが、この暮れに大阪の行き帰りに新幹線から眺めました♪
余市へは何回か行っているのですが、山崎へは行ったことがないので、この機会に行ってみたいものです。
メッセージありがとうございました。
今年も宜しくお願い致します。
この旅行記は8月なもので、雪はありませんでした〜☆^▽^☆
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- imuさん 2015/01/07 14:15:44
- まさにタイムリーです。
- 紅映さん、こんにちは!
今朝、マッサンの放送で見た鰊漁師の家、本当に北海道だったんですね。
野外博物館の存在も初めて知りました。
北海道に行く機会があったら、ぜひ寄ってみたいな〜
imu
- 紅映さん からの返信 2015/01/08 13:24:21
- RE: まさにタイムリーです。
imuさん、こんにちは〜♪初めまして。
コメントを頂きましてありがとうございます。
ちょうど、昨夏に数年ぶりに開拓の村へ行ったものですから、まず馬車道が出てきたところで解りました。
そして、この鰊御殿も係りの方がとても丁寧に説明してくださったので、印象に残っていました。
野外博物館には、まだまだご紹介しきれないほどの建物があったのですが、その時は旅行記にとは思わずに、気なりに写真を撮って来たものですから、今後再訪した時には、もっと丹念にカメラに収めてこようと思います。
是非機会がありましたら、お出かけになってみて下さい。
紅映
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