1990/09/01 - 1990/09/01
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JIC旅行センターさん
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■行列、断水、停電
「ああ、ここがロシアでなくてよかった!」1月17日の阪神大震災の時とっさに頭を過った。私の住んでいたホテルや寮だったらもろく崩れ去っていただろう。ロシアの建設中の建物を見ると細い針金のような鉄骨がひょろひょろっとコンクリートの中に埋められているだけなのだ。これでは地震が起こったらもう終わりだろうな、と覚悟をしていた。コンビニで行列が出来たり、断水、停電とロシアの生活を思い出させる光景がテレビで何度も繰り返し映しだされていた。ロシアでは予告なしの断水・停電はよくある事で初めのうちはうろたえたが、そのうちに慣れてきて平気になる。もちろん前もって出来る限りの準備はしていた。
■備蓄はあたりまえ
ペットボトルに20本、バケツに3杯の汲み置き水と、停電して湯が沸かせなくても飲めるミネラルウォーターを10本くらいは常に用意していた。食料品は日本からどっさり持って来ていたうえに、現地でも缶詰など日持ちのするもの、小麦粉などはかなりの量を貯えていた。ロシアでは断水がよくあるので1区画に1つは必ず井戸がある。少し歩けば必ず水は手に入るのだ。だから水さえあれば1ヶ月位は大丈夫なように心掛けていた。ロシア人の家庭では半年分の食料の備蓄をするのはあたりまえだそうだ、セメント袋位の大きさの麻袋にいっぱい詰まった小麦粉やマカロニ、胡瓜やキャベツの酢付けが所狭しとぎっしりベランダや物麗に備蓄(ザパース)されている。1990年の価格自由化が始まる直前、店は価格の値上がりを待って売り惜しみをし、食料品が店頭から姿を全く消してしまった。留学して間もない頃でそれほどの備蓄もなく、1日中街をさまよって食料品を探し求めた覚えがある。
■飢餓の国
パンを手に入れるのに2時間、肉などは前日から店の前に並ばなければ買えなかった。この時はとんでもない所に来てしまった、10ヶ月もこんな所に住めるだろうかと真剣に考えた。JICが工面して、ぎゅうぎゅうに食料が詰まった親からのダンボール箱を届けてくれた時は皆で日本の方角を向いて手を合わせて感謝した。大学もコネのない私達に食料品を調達してくれた。助けなしには飢え死にしていたかも、と思えるほど当時はひどかったのだ。ロシア人の知人も心配して食料を調達してくれたり、お客に呼んでくれて食べさせてくれた。3ヶ月以上も卵を見てないし食べてないとぼやいていたら、次に呼ばれた時に10個どこかで手に入れてくれた。そんな貴重なもの頂けない、と断ったが無理に持ち帰らされた。寮に帰って友人に1個ずつ配って歩いたことを覚えている。それ以来、食べ物を無駄にしない、備蓄は必ずしておくという癖がついた。
■タシケントで
中央アジアに旅行した折にも地震にあった。タシケントは数十年前に大地震で壊滅状態になり、今はシルクロードの面影はなく近代的なコンクリートの街になっている。この事が頭にあったので建物から急いで逃げ出した覚えがある。それからついでに恐い思い出もあるのでご紹介しよう。
タシケントの中心地の高層ホテルの15階位だっただろうか、早朝まだ寝ていた時にノックされた。同室の友人は既に散歩に出かけており私一人だった。友人が帰って来たのかと思ったが、一応誰かと尋ねたら「警察だ」との返答。こんな早朝に何故警察が?これは怪しい、開けてはいけないと思った。すぐに着替えて靴を履き静かにしていた。しかしノックの音はやまなかった。こわくなってベランダに行き、隣の部屋に乗り越えられるか調ぺたが、なんせ15階、落ちたら死ぬだろうなと考えた。さて、どうすればいいか、残念ながら部屋に電話はない。パスポートと現金をベッドのマットレスに隠し、万一の命代として少しだけ現金を別にして鞄に入れた。ベランダから乗り出して下を歩く人に手を振ったり叫んだりしても誰も気付いてくれない。相変わらずノックの音は続き、1時間ほどたっただろうか、友人が帰って来るのが見えた。鍵を開けるところを狙われたら彼女も私もおしまいだ。ドアの横にクローゼットがあったのでその中に入り、ハンガーを両手に握り締め振り上げたままの姿勢で彼女を待った。ドアの鍵が開けられ、話し声が聞こえた。警官が私の顔を見ると「何だ日本人か」といって行ってしまった。私はハンガーを握り締めたまま、ぼーぜんとドアの前に立っていた。無賃宿泊人がいるというホテル側の通報で警察が来たのだそうだ。こんな早朝に、人騒がせな。これが1時間ほどの私のダイハード経験である。だが、本当に警察と偽ってやって来る強盗もあるから、これくらい慎重な方がいいかもしれない。デジュールナヤ(ホテルの鍵番)と一緒に来るように頼んだほうがいいかもしれない。
■間違い電話も要注意
それからロシアでは間違い電話がよくかかるが、回線の間違いと計画的なものとがあるように思う。日本人客目当てで売春を売り込む電話が結構多いが、これは男性方十分注意が必要である。身ぐるみ剥がされるか、現金をごっそりやられるかである。こちらが女性であると分かれば今度は時間をおいて男性が電話をかけてくる。
「間違えました、どこにかかりましたか?」
ホテル○○だと答えれば、自分はその隣のホテルに泊ってるから一緒に食事でもどうかと誘ってくる。ここで自分の部屋番号は絶対に教えてはいけない。あやしい電話には答えなくていいと思う。日本人かと聞かれれば中国人と答えるようにしていた。日本人イコールお金と思われている事をお忘れなく。
■鳴り響くピストル
私はホテルの海側の部屋に住んでいたが、山側の方は階にもよるが道から部屋が丸見えの状態だった、ある時出張者と一緒に山側の部屋で夕食をしていたらすぐ近くでパーン、バーンとピストルの乾いた音が鳴り響いた。カーテンを開けていたので外からは丸見えである。狙われたらお陀仏である。カーテンを閉めて窓から離れた。結構長い間銃撃戦が続いていた。
知人のダーチャ(別荘)が放火され中からは知らない人の死体が出て来たとか、友達のお父さんが殺されて井戸からバラバラ死体であがったとか、恐い話はいくつでもある。ロシアもアメリカ並みになったということだ。
帰国して思うことは、道を歩いていて誰にも見られていないということだ。やはりロシアではいつでも誰かに見られているという気がする。目的なしに1人でぶらぶら歩いたりは出来ないし、絶えず前後左右を気にして、行き先があるような振りをして歩いていた。レッドペッパースプレーという護身用スプレーとベルを持ち歩いていたが幸いにも使用には及ぼなかったが、持っているからどうということもなかっただろう。いつも緊張して生活していた。外国人でいることは疲れるものだ。
■それでもやっぱりロシア
不便な生活、危険である事にもかかわらずロシアに行く人は後を経たない。何故だろう。やはり人の暖かさと我慢強さ、近代的洗練さはないにしても何か本物の人間らしい生活があるからではないだろうか。この連載ではロシアの否定的な部分ばかりとりあげているが、もちろんそれに優るいい事の方が多いに決まっている。日本人ビジネスマンがロシア人の悪口を言っていると、つい私はロシア人の肩を持ってしまう。ロシア生活で思考がロシア的になってしまっているためか、それとも会社人間的な思考から人間的なものに変わってしまったためだろうか。「ロシア人を雇ってるんじゃないよ!」と言われた事もあるが、どう考えても賛同できなかった。日本人の都合の良い考え方に過ぎないのである。こんな私は「井の中の蛙」ではなくなったのか、それとも日本株式会社の不良品となってしまったのだろうか。とにかくロシアに行ってからは考え方がまるで変わってしまった。ロシアではなく、日本が特殊な国に思えるようになったのだ。
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