2014/12/14 - 2014/12/17
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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
あみんちゅ暴走南国の旅その壹之①沖縄本島・石垣島~那覇・豊見城・宜野湾そして恩納村編【1日目】~
2014年7月に沖縄本島と小浜・竹富・石垣を旅した後、10月に沖縄本島・宮古島・石垣島etcへという幻のプランがありました。諸々の理由で行くことが出来ず、一回分の旅行ができなかった状態での今回の旅でしたが、時期的なものもあり長期で出かけることが難しい状態でした。なので日数を大幅短縮し、弾丸ツアーを敢行すべく今回の旅の立案をしました。とはいえ所詮行程や予定表などは机上のものでありあてにはなりません。なので予定は未定編に比べ、観光した箇所が大幅に減っています。またそれも醍醐味だと改めて思い、4日間の旅行期間を振り返り書いてみることにします。
この"あみんちゅ暴走南国の旅その壹之①沖縄本島・石垣島~那覇・豊見城・宜野湾そして恩納村編【1日目】~"では、自宅から関西空港・那覇空港を経由し、レンタカーで豊見城・首里城・宜野湾を観光した後、恩納村のホテルみゆきビーチに至る道のりを書いています。
2014年12月14日日曜日
自 宅 8:03
田舎駅 8:13
8:35 はるか13号
関西空港 10:04
10:16(シャトルバスターミナル)
関西空港2T 10:21
11:31 MM213
11:44(ドアクローズ)
12:00(離陸)
那覇空港LCCT 14:02(着陸)
14:07(到着)
14:10(降機)
14:31
OTSレンタカー赤嶺営業所 14:41
15:08(出発)
海軍司令部壕 15:18 (3.7km)
16:25
首里城 17:19(8.3km)
18:35
嘉数高台公園 19:21 (21.9km)
20:10
ホテみゆきビーチ 21:27(86.8km)
いつもなら徹夜で準備をして出発するのですが、今回は3時間ほど寝られました。6:00過ぎに起床し最後のチェックの後最寄駅まで送って貰います。いつもなら京都からリムジンバスを使うのですが、今回は40分程ゆっくりできることを考慮してはるかに乗って行きます。はるか割引キップは5,350円、690円高くなります。
駅前のコンビニで出勤時と同じように"ドリンク一本!"で勢いをつけてスタートします。コンビニの配送トラックが雪を巻き込んでいたので若干気にはなりますがどうしようもありません。何もないことを願いはるかに乗り込みます。
大阪市内は日差しがあったのですが、泉南にくるとなんか雪雲っぽいのが見えてきます。Webで見る限りでは交通障害は出ていなかったのでとりあえず先へと急ぎます。
定刻関西空港駅に到着し、シャトルバス乗り場へと急ぎます。このあたりは4月に経験済みなんで無駄なく動きます。5分程で第2ターミナルに到着し、まず最初にチェックインを済ませます。いつもならファストシートをアサインしている私ですが、今回は行程を煮詰めたのが1週間前なので7Aというただのプレジャーシートになります。
セキュリティーも引っかかることなく通過し、待合室で搭乗のスタンバイをします。まあ今回も若干の遅れはありましたが無事機内の人となり離陸を待ちます。そういえば電子機器類の取り扱いが変更になり、離発着時でもデジカメを使うことが出来るようになっていました。今まで幾度も目にしてきた離陸の様子ですが、カメラに収められると思うとウキウキします。動画で撮影したらあとは雲の上、いうものことですが眠くなってきますのでzzz。
10分程度の遅れで無事那覇空港へと到着します。ピーチは沖止め&タラップ利用ですが、いつもは降機後急かされてターミナルに向かわないといけないのですが、今回は写真を撮る余裕はありました。お恥ずかしながら初めてピーチ航空のエアバスA320-200型機をまともにカメラに収めることが出来ました。
ピーチを使うと那覇空港はLCCターミナルを使います。ホント掘立小屋っぽい建物ですがまあそれはおいといて、那覇でレンタカーを借りる場合は大手以外は国内線ターミナルへシャトルバスで移動し、そこへ送迎車に来てもらうかたちになります。今回はOTSレンタカーを使いましたが、LCCターミナルへと迎えに来てもらえるので楽です。
何組かの方を待って営業所へと向かいます。OTSの場合、国内線ターミナルの場合は臨空豊崎営業所での貸し出しですが、LCCターミナルの場合は、法人赤嶺営業所からの貸し出しになります。10分程送迎車に揺られ、OTSレンタカー赤嶺営業所に到着。そして2階のカウンターで受け付けし、3日間の旅の友となるホワイトAQUA君をあてがわれて出発します
まず最初の目的地は、豊見城市の旧海軍司令部壕です。乗り出して10分程で着きます。沖縄本島南部には、先の大戦における戦跡が数多くあります。本当は全部まとめて見学したいところですが、あまりにも数が多く数回に分けて回ろうと思っています。
この旧海軍司令部壕ですが、多くの方がご存知の電文「沖縄県民斯(カ)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」が発信された場所でもあります。発信者は海軍沖縄方面根拠地隊司令官大田實少将。根拠地隊とは海軍の中で、広義の意味での陸戦部隊の総称だそうです。よく大戦のことを書いてあるものの表現に"陸軍"や"海軍"という言葉が水と油の関係のごとく書かれていますが、この沖縄方面根拠地隊は実質陸軍の第32軍沖縄守備軍司令官牛島満中将傘下という位置付けだったようです。昭和20年6月13日に大田司令官は、ここ74高地の海軍司令部壕の幕僚室で部下5名とともに拳銃(一説には手榴弾説もあり)で自決されますが、その前に大本営に打電したものがこの「沖縄県民…」の電文になります。
このことにはまた改めて触れることにして施設概略としては、入口前の慰霊碑は昭和33年(1958年)に建立され平成22年(2010年)に改修されています。同じ場所には、太平洋戦争時に戦った部隊名と参加艦艇が刻まれている石碑もあります。ビジターセンターにはこれも有名な"治療を待つ少女"、"白旗を上げる少女"といった写真が展示されています。資料館前の入口には"戦艦大和"、そして大田實司令官の写真と電文の紹介、その他沖縄戦の歴史、壕内から出てきた遺品や武器等が展示されています。その後に壕の見学になりますが、混乱した終戦間近のままの状態で保存されています。またバリアフリー対応もされており車椅子でも回ることが出来ます。戦争を知らない世代に70年の時を越えて戦争を無言で訴えかける壕の内部、永遠に生き証人出会ってもらいたいと思います。
一通り回ってきた後、海軍壕公園の展望台へと行ってみます。景色は本当に綺麗です。北東部には那覇の街、南西部には本島南部ののんびりとした風景ときれいな海、一見するだけだと平和そのもののようにしか思えません。しかし僅か70年前には目もあてられない悲惨な惨状が眼下に広がっていたのかと思うと手放しでわ~っとは言えません…。
地下壕出口の休憩所で一服していたら、土産物屋のおばチャンに声をかけられました。とは言え数時間前に沖縄入りしたばかりの身、丁重にお断りして駐車場に戻ります。そして次の目的地首里城へと向かいます。距離はわずかですが、なんせ道が混んでいるのと狭い道で曲がるところがわからなかったりと1時間近くかけてやっと着きました。
首里城は2005年7月に一度来たことがあります。とはいえ覚えていません…。ただ駐車場だけはすべて有料だった記憶はありました。前回は市営駐車場がいっぱいで停められず、民営のよくわからない駐車場に停めさせられて結構歩いた記憶もあります。とはいえ12月の日曜日の夕方、さすがに混んでいるわけではありません。ただ駐車場で注意されたことが、公園の発券がこの時期17:30で終わるから行くなら言って下さいとのこと。とりあえず行ってみますとだけ言って歩いて行きます。
順路通り行くとまずは守礼門(しゅれいもん)。2,000円札に描かれている有名なものです。ちなみに沖縄でコンビニATMでお金を下すと普通に2,000円札が混じることが多いです。歓会門(かんかいもん)、瑞泉門(ずいせんもん)、漏刻門(ろうこくもん)、廣福門(こうふくもん)と来てチケットを購入します。まだ買える時間だったので大人1枚~!って言ってから、ん?ちょっと待って、年間パスポートって年末までですよね~?いえ違います、今日から1年です!あ、じゃ~年間パスポートにします!はいわかりました。実は入場料が820円、年間パスポート1,640円ってことでそうしたんですが、じつは年間パスポートって顔写真入りで結構手間が掛かるみたいなんです。そんなこととはいざ知らず17:28に年間パスポートを申し込んだ非常識なやつはなにを隠そう私です…。奉神門(ほうしんもん)、御庭(おにわ)、正殿(せいでん)と回り奥書院、庭園、2階大庫理(うふぐい)御差床(うさすか)、1階下庫理(しちゃぐい)御差床(うさすか)と絢爛豪華な玉座を見て回ると足元にはなにやらガラス窓が。なんとガラス越しに見える石垣は約600年前のものだそうです。戦災によって琉球王朝時代の史跡はすべて焼き払われたと聞いていたので、わかりにくいにしろ古を知るものを見ることが出来て幸せでした!
時間はどんどん過ぎて行くので急いで回ります。北殿から那覇市街の様子とその向こうに見える海、もう太陽光がないので色合いは悪いですが、やっぱりスゴイです。右掖門(うえきもん)、淑順門(しゅくじゅんもん)を回ったあと、御庭に来ます。首里城で何かあるときには必ずと言って良い程この場所の写真が出てきます。いうなれば他の人が写らないことはないのですがさすがにこの時間、だれも写っていませんでした。
という感じで一周駆け足で回って来ました。この首里城には実はもうひとつ目的があります。この首里城の下に、戦時中に陸軍三十二沖縄守備軍の司令壕跡があるとのこと。明るければ歩いて探すのですが、どっぷり日は暮れています。なので迷子になる可能性大と判断し、駐車場を出るときに係員に聞いてみました。結果知らない…。元々わかり辛い場所のようだったので車をゆっくり走らせながら探しましたが、やっぱりわかりません。こういうときは諦める勇気も必要かと思い、次回への課題にします。
時間はもう18:30を回っています。日の長い沖縄といえど、当然あたりは真っ暗です。こうなるとホテルへと向かうのが定石とは思いましたが、ここでひとつ欲張って時間制限のないところへと向かいます。
嘉数高台公園(かかずたかだいこうえん)、宜野湾市にあるこの場所ですが公園として整備され地元の方の憩いの場所になっている反面、戦時中の史跡が多く残る場所でもあります。場所は住宅地の中にありかなりわかり辛いです。まあなんとかたどり着いて車を降りると、弾痕の残るコンクリートの壁があります。そして階段を昇って行くと壕や慰霊碑、トーチカなどが残っています。詳しくはまた別の機会にしますが、頂上に展望台があります。カメラの撮影モードが白黒になっているのに気付かずカラー写真がないところもありますが、この夜景本当にキレイなものです。しかし海軍司令部壕公園同様、70年前にはどんな風景が眼下に広がっていたのでしょうか。特にここは読谷村から上陸した米軍と熾烈な戦いがあった場所でもあります。いつもだったら何か考えるのですが、既に20:00頃照明はあれど暗いなかの一人歩きはちょっと怖い気もあったので、今日のところはこれくらいにして階段を下りて行きます。
私の悪い癖ですが、さっさと急いで走れば良いのにあっちこっち寄り道しながら走ります。恩納村まで58号線をひたすら走りますが、これが昼間なら景色が良いだろうな~って思いながら走り続けます。ひたすら58号線を北上していくと、米軍嘉手納基地、北谷のアメリカンビレッジなどを車窓に見ながら進んで行くと、ザ・リゾートホテル街の恩納村に入ります。国道沿いのビーチ側に乱立するホテル・・・、その中のひとつ"ホテルみゆきビーチ"に泊まります。リゾートホテルとは全く縁の無い私ですが、今回はなぜここなのか?それは次章で述べることにします。
これで"あみんちゅ暴走南国の旅その壹之①沖縄本島・石垣島~那覇・豊見城・宜野湾そして恩納村編【1日目】~"はおしまいです♪
次編"あみんちゅ暴走南国の旅その壹之②沖縄本島・石垣島~恩納村リゾート滞在編【1~2日目】~"へと続きます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー スカイマーク JR特急 徒歩 Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回の旅の出発点もJR琵琶湖線石山駅。
石山駅 駅
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松尾芭蕉さん、おはようございます。
行ってきますね!京阪石山駅 駅
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はるか13号は1番線に入ります。
石山駅 駅
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はるか13号が入線して来ました。
石山駅 駅
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気になる雲行き。
日根野駅 駅
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関西空港シャトルバス。
関西国際空港第二ターミナル 空港
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関西空港第2ターミナル。
関西国際空港第二ターミナル 空港
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関西空港第2ターミナル乗降通路。
関西国際空港第二ターミナル 空港
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沖止めのピーチ航空MM213便、A320-200型機。
関西国際空港第二ターミナル 空港
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ピーチ航空MM213便の使用機材、A320-200型機の7A席(プレジャーシート)のシートピッチ。
やはり狭い…。関西国際空港第二ターミナル 空港
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沖縄に向け飛行中の空。
雲は多めです…。那覇空港LCCターミナル 空港
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沖縄に向け飛行中の空。
なんか南に行くにしたがって雲が多くなっているような…。那覇空港LCCターミナル 空港
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あっという間に沖縄那覇空港に着陸しました。
那覇空港LCCターミナル 空港
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那覇空港に到着しました。
勿論こちらも沖止めです。那覇空港LCCターミナル 空港
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那覇空港LCCターミナル。
那覇空港LCCターミナル 空港
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2日間旅のお供、OTSレンタカーの"ホワイトAQUA君"です!
那覇空港LCCターミナル 空港
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海軍司令部壕公園にある、海軍戦歿者慰霊塔。
海軍壕公園 公園・植物園
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旧海軍司令部壕、入館券。
大人440円。沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕ビジターセンター内の展示物、"傷の手当てを待つ少女"。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕ビジターセンター内の展示物、"白旗の少女"。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、地下通路。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、作戦室。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、幕僚室の石仏。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、幕僚室。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、幕僚室。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、司令官室。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、暗号室。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、出口への地下通路。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、地下通路出口。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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旧海軍司令部壕、全景。
沖縄県民斯ク戦ヘリ・・・、この電文が打電された場所です。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん旧海軍司令部壕 名所・史跡
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海軍司令部壕公園の展望台より見た風景、その①。
海軍壕公園 公園・植物園
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海軍司令部壕公園の展望台より見た風景、その②。
海軍壕公園 公園・植物園
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海軍司令部壕公園の展望台より見た風景、その③。
海軍壕公園 公園・植物園
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海軍司令部壕公園の展望台より見た風景、その④。
海軍壕公園 公園・植物園
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海軍司令部壕公園の展望台より見た風景、その⑤。
海軍壕公園 公園・植物園
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海軍司令部壕公園の展望台より見た風景、その⑥。
海軍壕公園 公園・植物園
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海軍司令部壕公園の展望台より見た風景、その⑦。
海軍壕公園 公園・植物園
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首里城公園内にて、守礼門(しゅれいもん)。
「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味で、門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。首里城は石垣と城門の多い城であるが、中でもデザイン上バランスがとれ、エレガントな雰囲気のある代表的な門がこの「守礼門」である。中国風の牌楼(ぱいろう)という形式で建立されている。
首里城での多数の城門や建築物には「公式の名称」の他に「別名」が付けられている。それらの呼び名から往時の琉球人の詩的な感覚が読みとれる。守礼門は古くは「首里門(しゅりもん)」ともいわれたが、庶民は愛称として「上の綾門(いいのあやじょう)」と呼んだ。「上の方にある美しい門」という意味である。
1527〜55年(第二尚氏4代目尚清王(しょうせいおう)代)にはじめて建立され、1933年(昭和8)に国宝に指定されたが沖縄戦で破壊された。現在の門は1958年(昭和33)に復元されたもので、その後今日まで沖縄を象徴する観光施設として利用されている。2000年の記念紙幣2,000円札の絵柄にもなっている。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、歓会門(かんかいもん)。
首里城の城郭(じょうかく)内へ入る第一の正門で、「歓会(かんかい)」とは歓迎するという意味である。往時、首里城へは中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。
首里城は外郭(外側城郭)と内郭(内側城郭)により二重に囲まれているが、ここは外郭の最初の門で、別名「あまえ御門(あまえうじょう)」ともいう。「あまえ」とは琉球の古語で、「喜ばしいこと」を意味する。
創建は1477〜1500年頃(尚真王代)で、沖縄戦で焼失したが、1974年(昭和49)に復元された。門は石のアーチ状の城門の上に木造の櫓(やぐら)が載せてある。このスタイルは後述する久慶門(きゅうけいもん)、継世門(けいせいもん)、等と同じである。
門の両側には「シーサー」という一対の石造の獅子像があるが、これは魔除けの意味で置かれている。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、瑞泉門(ずいせんもん)。
「瑞泉(ずいせん)」とは「立派な、めでたい泉」という意味である。
門の手前右側にある湧水が「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれ、それにちなんでこのように名付けられた。ここは第二の門で、別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいう。
「樋(ひ)」は川や泉から水を導く長い管、または溝、あるいは屋根の雨水を受けて地上に流す装置(掛け樋)等のことをさす。一方、沖縄で井戸や泉のことをすべて川(カワまたはカー)と表現する。「ひかわ」とは、こうした表現を合わせた言葉で、フィージャーガーとも発音する。
創建は1470年頃で沖縄戦で焼失したが、1992年(平成4)に復元された。門の両脇には一対の石獅子(いしじし)が並んでいる。これも魔除けの意味で置かれている。
瑞泉門は先に見たアーチ状の石門の歓会門とは異なり、双璧の門の上に直接櫓(やぐら)がのっている。このタイプの櫓門(やぐらもん)は日本本土の城門でも見ることができるが、櫓の中央の「瑞泉」という扁額(へんがく)が琉球独特の持ち味を出している。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、漏刻門(ろうこくもん)。
「漏刻(ろうこく)」とは中国語で「水時計」という意味である。ここは第三の門で、別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいう。
当時、身分の高い役人は駕籠(かご)にのって首里城へ登城したが、高官でも国王に敬意を表し、この場所で駕籠から下りたということからそのように呼ばれている。創建は15世紀頃である。
門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれている。時刻を測定すると係の役人がここで太鼓を叩き、それを聞いた別の役人が東(あがり)のアザナと西(いり)のアザナおよび右掖門(うえきもん)で同時に大鐘(おおがね)を打ち鳴らし、城内および城外に時刻を知らせた。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園年間パスポート。
発券終了時刻間際にお願いした非常識なヤツはなにを隠そう私です。
というより、そんな立派なものだとは思わなかったので…(汗)。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、奉神門(ほうしんもん)。
「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門である。1562年には石造欄干(せきぞうらんかん)が完成したという記録があることから創建はそれ以前である。その後1754年に中国の制に倣い改修した。建物は明治末期頃に撤去されたが、1992年(平成4)に外観が復元された。現在は公園管理のための施設として利用されている。
別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいう。向かって左側(北側)は「納殿(なでん)」で薬類・茶・煙草等の出納を取り扱う部屋、右側(南側)は「君誇(きみほこり)」で城内の儀式のとき等に使われた。
3つの門のうち中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)等限られた身分の高い人だけが通れる門である。それ以外の役人は両側の門から入城した。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、庭園。
この庭園は、国王が執務の合間に休息した奥書院の庭である。つくられた時期は、建物と同じく17〜18世紀と推定される。絵図資料や古写真などから、物見に至る斜面に庭石を巧みに配した規模の小さな庭であったことがわかる。書院・鎖之間庭園が表向きの庭であったのに対して、プライベートな庭となっていた。
発掘調査では、この庭の主景とされる鍾乳石が出土した。この鍾乳石(欠損箇所を部分的に修復)を中心に、場内で出土した石材も利用して、古写真及び絵図資料をもとに庭園を復元している。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、庭園。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、庭園。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、庭園。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、2階大庫理(うふぐい)御差床(うさすか)。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城の模型。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、1階下庫理(しちゃぐい)御差床(うさすか)。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、1階下庫理(しちゃぐい)御差床(うさすか)。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、約600年前の石垣。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、海側を眺めるその①。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、海側を眺めるその②。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、海側を眺めるその③。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、右掖門(うえきもん)。
「右掖門(うえきもん)」は眼下に見える歓会門(かんかいもん)、久慶門(きゅうけいもん)から淑順門(しゅくじゅんもん)へ直接通じている門で、往時は淑順門から御内原(おうちばら)へ入った。この門は歓会門から東にあり、ほぼ直線で約160メートルの石畳道が続いている。
別名「寄内御門(よすふぃちうじょう)」ともいい、創建は15世紀頃と伝えられる。沖縄戦で焼失したが、1992年(平成4)に櫓から下の城壁部が復元され、2000年(平成12)に櫓(やぐら)が復元された。
現在はルートの関係上、御庭(うなー)からの出口として利用されている。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、広福門(こうふくもん)。
「広福(こうふく)」とは、「福を行き渡らせる」という意味である。「広福門(こうふくもん)」は別名「長御門(ながうじょう)」といい、第四の門である。建物そのものが門の機能をもっており、この形式も首里城の城門の特徴である。
門前は城内でも眺めの良いところで、眼前にハンタン山の緑を映す龍潭(りゅうたん)の池や、沖縄県立芸術大学が見える。東には弁財天堂(べざいてんどう)の屋根や円覚寺の総門が続き、遠くに虎瀬山(とらずやま)や弁ヶ嶽(べんがだけ)の丘の緑が遠望できる。
創建年は不明である。明治末期頃に撤去され、1992年(平成4)に復元された。
王府時代、この建物には神社仏閣を管理する「寺社座(じしゃざ)」と、士族の財産をめぐる争いを調停する「大与座(おおくみざ)」という役所が置かれていた。現在は、券売所等に利用されている。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、広福門(こうふくもん)。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、淑順門(しゅくじゅんもん)。
淑順門は、国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門で、琉球語の古称は「みもの御門」「うなか御門」である。
建物の創建年は不明とされており、2010年(平成22年)に復元された。
門の造りは櫓門形式・入母屋造・本瓦葺となっている。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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首里城公園にて、正殿と御庭。
琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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史跡首里城の碑。
行きに撮るのを忘れました。琉球王朝の御城(ウグシク)でした~首里城~ by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん首里城 名所・史跡
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嘉数高台公園の入口付近にある"弾痕"の残る壁。
嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園の展望台方面への階段。
嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園の展望台方面への階段。
嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園のトーチカ。
嘉数高台公園 公園・植物園
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京都の碑。
嘉数高台公園にて。嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数の塔。
嘉数高台公園にて。嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園頂上の慰霊碑。
嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園頂上にて、青丘之塔。
嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園から見た夜景、その①。
嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園から見た夜景、その②。
嘉数高台公園 公園・植物園
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観光名所宜野湾嘉数高台石碑。
嘉数高台公園にて。嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園の展望台。
嘉数高台公園 公園・植物園
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嘉数高台公園の地下壕。
嘉数高台公園 公園・植物園
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ホテルみゆきビーチ、アネックス全景。
う〜ん・・・。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんホテルみゆきビーチ 宿・ホテル
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