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 一度は、見ておきたかった談山神社の紅葉。雪の談山神社もよさそうですが、紅葉も絶景であると聞いていたので早朝から出撃しました。<br /><br /> ただ難しいのは紅葉の時期です。高度さが若干あるので、写真では塔の周りが紅葉ピークですが、下の方はまだ緑が残る状態もあります。どの状態の紅葉を見るかは、1週間ぐらいで刻々変化する為、タイミングを決めるのが大変でした。<br /><br /> その日は、塔の周りが紅葉している状態であると各種サイトを見て判断、出撃です。<br /><br /> 当日、天皇陛下の行幸が奈良飛鳥方面にあるので交通規制も考慮し、早朝から突撃です。<br /> 朝6時現地に付く。一番近い駐車場は、3割程度。みんなカメラマンです。10時過ぎには待つ車がありましたが、遠い駐車場には止めることができる状態でした。<br /><br /> 撮影ポイントは、まず入江泰吉など多くの人が撮っている神社と同じ高さのポイントを目指します。駐車場に車を止め坂を上り土産物屋を通過します。通過し5分も上ると左折できる道があり、その角のところにうえに登る坂道があります。城の石垣のような感じのところでそこを登ると5人位カメラマンがいてました。<br /><br /> そこから撮影したのですが、前の木々が邪魔で撮影しにくいところもありましたが、予想通りのアングルで満足。<br /><br /> 当日朝は、少し陰っていたが、朝日が最後に輝く。輝きすぎるのも撮影しにくいが、まるで錦を纏ったようである。(写真参考)<br />薄曇がここは一番いいのではないかと思う。ここは西の東照宮と呼ばれるほど紅葉がいいのが判る。だが関西人ゆえ向こうを東の談山神社と呼びたい。<br /><br /> 写真数が多いですがご容赦を。<br /><br />談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は中臣鎌足(談山大明神・談山権現)。桜と紅葉の名所である。神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)といった。<br /><br /> 鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。<br /><br /> 平安時代には藤原高光が出家後に入山、増賀上人を招聘するなど、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げた。鎌倉時代には曹洞宗本山永平寺の二世、孤雲懐奘(大和尚)が参学した。一方、平安時代に天台僧・増賀を迎えたことから、同じ大和国の藤原氏縁の寺院でありながら宗派の違う興福寺とは争いが絶えず、鎌倉時代から室町時代にかけて度々領地などを巡り争論を繰り広げ、多武峯妙楽寺側の十市氏、越智氏は興福寺側の楢原氏、布施氏、北隅氏らの軍勢と小競り合いを繰り返していた。<br /><br /> 天仁2年(1108年)には浄土院、食堂、経蔵、惣社、大温室、多宝塔、灌頂堂、五大堂、浄土堂に加え、近くの鹿路の村々が悉く焼かれた。特に十三重塔が承安3年(1173年)に興福寺衆徒勢の焼き討ちで消失し、文治元年(1185年)に再興されている。なお、現在の十三重塔は享禄5年(1532年)に再建されたもので、木造の十三重塔としては世界で唯一現存するものである。<br /><br /> その後も、永享9年(1437年)からの越智、箸尾両氏の室町幕府軍への抵抗戦(大和永享の乱)、永正3年(1506年)8月の赤沢朝経軍に対する大和国人一揆(十市氏、越智氏、箸尾氏)の抵抗戦、永禄2年(1559年)からの松永久秀に対する十市氏の抵抗戦といった「多武峰合戦」と称する3つ抵抗戦が起きるなど、ここを舞台とする戦乱は絶えることがなかった。天正13年(1585年)、豊臣秀吉により郡山城下に移すことを厳命され破却、遷座。天正18年(1590年)に帰山を許された。徳川家康により復興。近世の朱印領は3,000石余である。<br /><br /> 明治2年(1869年)に神仏分離令により僧徒が還俗。談山神社と改称され、近代社格制度のもと、別格官幣社に列した。しかし仏教建築は現代も談山神社境内に見ることができる。明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、建物は寺院建築をそのまま使用しているため、独特の雰囲気を残している。<br /><br /> 談山神社から御破裂山への山道があり、その奥に中臣鎌足の墓所といわれる場所がある。談山神社から、少し歩いたところに中臣鎌足の次男、淡海公(藤原不比等)の墓といわれる石塔がある。<br /><br /> 拝殿や十三重塔は戦前に何度か日本銀行券の図案に採用されたことがある。<br /><br /> 紅葉の名所として名高いが、桜も多く標高が高いことから周辺よりも遅咲きの桜が楽しめる。<br /><br />

紅葉の談山神社 (写真集)

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2014/11/15 - 2014/11/15

251位(同エリア925件中)

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bakaneko

bakanekoさん

 一度は、見ておきたかった談山神社の紅葉。雪の談山神社もよさそうですが、紅葉も絶景であると聞いていたので早朝から出撃しました。

 ただ難しいのは紅葉の時期です。高度さが若干あるので、写真では塔の周りが紅葉ピークですが、下の方はまだ緑が残る状態もあります。どの状態の紅葉を見るかは、1週間ぐらいで刻々変化する為、タイミングを決めるのが大変でした。

 その日は、塔の周りが紅葉している状態であると各種サイトを見て判断、出撃です。

 当日、天皇陛下の行幸が奈良飛鳥方面にあるので交通規制も考慮し、早朝から突撃です。
 朝6時現地に付く。一番近い駐車場は、3割程度。みんなカメラマンです。10時過ぎには待つ車がありましたが、遠い駐車場には止めることができる状態でした。

 撮影ポイントは、まず入江泰吉など多くの人が撮っている神社と同じ高さのポイントを目指します。駐車場に車を止め坂を上り土産物屋を通過します。通過し5分も上ると左折できる道があり、その角のところにうえに登る坂道があります。城の石垣のような感じのところでそこを登ると5人位カメラマンがいてました。

 そこから撮影したのですが、前の木々が邪魔で撮影しにくいところもありましたが、予想通りのアングルで満足。

 当日朝は、少し陰っていたが、朝日が最後に輝く。輝きすぎるのも撮影しにくいが、まるで錦を纏ったようである。(写真参考)
薄曇がここは一番いいのではないかと思う。ここは西の東照宮と呼ばれるほど紅葉がいいのが判る。だが関西人ゆえ向こうを東の談山神社と呼びたい。

 写真数が多いですがご容赦を。

談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は中臣鎌足(談山大明神・談山権現)。桜と紅葉の名所である。神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)といった。

 鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父の墓を摂津安威の地(参照:阿武山古墳)から大和のこの地に移し、十三重塔を造立したのが発祥である。天武天皇9年(680年)に講堂(現在の拝殿)が創建され、そこを妙楽寺と号した。大宝元年(701年)、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立され、聖霊院と号した。談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされる。

 平安時代には藤原高光が出家後に入山、増賀上人を招聘するなど、藤原氏の繁栄と共に発展を遂げた。鎌倉時代には曹洞宗本山永平寺の二世、孤雲懐奘(大和尚)が参学した。一方、平安時代に天台僧・増賀を迎えたことから、同じ大和国の藤原氏縁の寺院でありながら宗派の違う興福寺とは争いが絶えず、鎌倉時代から室町時代にかけて度々領地などを巡り争論を繰り広げ、多武峯妙楽寺側の十市氏、越智氏は興福寺側の楢原氏、布施氏、北隅氏らの軍勢と小競り合いを繰り返していた。

 天仁2年(1108年)には浄土院、食堂、経蔵、惣社、大温室、多宝塔、灌頂堂、五大堂、浄土堂に加え、近くの鹿路の村々が悉く焼かれた。特に十三重塔が承安3年(1173年)に興福寺衆徒勢の焼き討ちで消失し、文治元年(1185年)に再興されている。なお、現在の十三重塔は享禄5年(1532年)に再建されたもので、木造の十三重塔としては世界で唯一現存するものである。

 その後も、永享9年(1437年)からの越智、箸尾両氏の室町幕府軍への抵抗戦(大和永享の乱)、永正3年(1506年)8月の赤沢朝経軍に対する大和国人一揆(十市氏、越智氏、箸尾氏)の抵抗戦、永禄2年(1559年)からの松永久秀に対する十市氏の抵抗戦といった「多武峰合戦」と称する3つ抵抗戦が起きるなど、ここを舞台とする戦乱は絶えることがなかった。天正13年(1585年)、豊臣秀吉により郡山城下に移すことを厳命され破却、遷座。天正18年(1590年)に帰山を許された。徳川家康により復興。近世の朱印領は3,000石余である。

 明治2年(1869年)に神仏分離令により僧徒が還俗。談山神社と改称され、近代社格制度のもと、別格官幣社に列した。しかし仏教建築は現代も談山神社境内に見ることができる。明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、建物は寺院建築をそのまま使用しているため、独特の雰囲気を残している。

 談山神社から御破裂山への山道があり、その奥に中臣鎌足の墓所といわれる場所がある。談山神社から、少し歩いたところに中臣鎌足の次男、淡海公(藤原不比等)の墓といわれる石塔がある。

 拝殿や十三重塔は戦前に何度か日本銀行券の図案に採用されたことがある。

 紅葉の名所として名高いが、桜も多く標高が高いことから周辺よりも遅咲きの桜が楽しめる。

旅行の満足度
4.5

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  • 駐車場に停め感動の一枚

    駐車場に停め感動の一枚

  • 坂の途中で

    坂の途中で

  • 坂を上りこの橋を渡ってきました。振り向けば見事な紅葉

    坂を上りこの橋を渡ってきました。振り向けば見事な紅葉

  • 対面からはこんな感じ

    対面からはこんな感じ

  • 集落を見下ろせます

    集落を見下ろせます

  • 日が陰っているのでこんな感じ。朝日を待つ

    日が陰っているのでこんな感じ。朝日を待つ

  • 手前の木が紅葉すれば、そのときは奥の赤が散っている。タイミングが難しい。

    手前の木が紅葉すれば、そのときは奥の赤が散っている。タイミングが難しい。

  • 枝が・・・

    枝が・・・

  • 雲に隠れた陽が出るまで、散策

    雲に隠れた陽が出るまで、散策

  • ここが紅葉すればもっといいのに

    ここが紅葉すればもっといいのに

  • ここは落ちています。

    ここは落ちています。

  • 光線により紅葉の発色が違うのが苦しい

    光線により紅葉の発色が違うのが苦しい

  • もういやになる。手前が紅葉になれば向こうは落葉。<br />私が贅沢すぎるのでしょうか

    もういやになる。手前が紅葉になれば向こうは落葉。
    私が贅沢すぎるのでしょうか

  • ああっ。ちょっと陽がさした。

    ああっ。ちょっと陽がさした。

  • そうなると発色がすごい

    そうなると発色がすごい

  • こんな感じを期待していました。ひんやりとした空気の中でぶが汗だくで撮る。撮る。撮る。

    こんな感じを期待していました。ひんやりとした空気の中でぶが汗だくで撮る。撮る。撮る。

  • 500mmの望遠も出して撮る

    500mmの望遠も出して撮る

  • 一度坂を降り三脚を持ち出してくる。ひーひーいいながら

    一度坂を降り三脚を持ち出してくる。ひーひーいいながら

  • 上の写真と比べて欲しい。刻々と陽が当たり色合いが変化する。

    上の写真と比べて欲しい。刻々と陽が当たり色合いが変化する。

  • 下と同じアングルであるが少し引き気味に撮る。どっちがええかわからない。才能のないのはここでばれる。

    下と同じアングルであるが少し引き気味に撮る。どっちがええかわからない。才能のないのはここでばれる。

  • 錦を纏ったといわれる理由がわかる。

    錦を纏ったといわれる理由がわかる。

  • すいません。やっと談山神社向かいの山を撤収。撮りすぎですがうまく撮れず・・・・

    すいません。やっと談山神社向かいの山を撤収。撮りすぎですがうまく撮れず・・・・

  • 開門時間は9時ですが、紅葉の時期は、若干早めになります。(人による)<br />すでに先に人が入ってしまいました。

    開門時間は9時ですが、紅葉の時期は、若干早めになります。(人による)
    すでに先に人が入ってしまいました。

  • 人を入れずに撮りたいのです

    人を入れずに撮りたいのです

  • お昼なら無理でしょう。9時過ぎです

    お昼なら無理でしょう。9時過ぎです

  • よくあるアングル

    よくあるアングル

  • 談山神社本体へ

    談山神社本体へ

  • 向こうはまだ紅葉していない

    向こうはまだ紅葉していない

  • 向こう側が紅葉しているときは見事だろうと思う。

    向こう側が紅葉しているときは見事だろうと思う。

  • 藤原鎌足を祭る。私個人は、結構鎌足悪人説です。

    藤原鎌足を祭る。私個人は、結構鎌足悪人説です。

  • ええねえ

    ええねえ

  • この十三重の塔は独特です

    この十三重の塔は独特です

  • アップ

    アップ

  • 中くらいの位置で撮れず、広角。

    中くらいの位置で撮れず、広角。

  • このあたりがきれいでした。

    このあたりがきれいでした。

  • 枯葉を焼く煙が漂う。やまと路の世界である。ボケた都会のようにダイオキシンがなどとだれも言わない。

    枯葉を焼く煙が漂う。やまと路の世界である。ボケた都会のようにダイオキシンがなどとだれも言わない。

  • 談山神社の上のほうから下を望む

    談山神社の上のほうから下を望む

  • このあたりから自称得意の部分ピックアップを

    このあたりから自称得意の部分ピックアップを

  • 坂を降り神社入り口のほうに

    坂を降り神社入り口のほうに

  • 観光記念写真の写真屋がテントを構えている。確かにええ場所であるが邪魔。

    観光記念写真の写真屋がテントを構えている。確かにええ場所であるが邪魔。

  • 狂ったように同じアングルを撮っている。一発で決めれないところが才のないところ。

    狂ったように同じアングルを撮っている。一発で決めれないところが才のないところ。

  • 後は気が向けばご堪能ください。

    後は気が向けばご堪能ください。

  • 10時半。疲れました。今から近鉄のお召し列車を撮りに行きます。

    10時半。疲れました。今から近鉄のお召し列車を撮りに行きます。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 大和の住人さん 2015/01/05 11:35:44
    全部見せていただきました。
    奈良の寺社、古墳、お祭り、人、物 、何でもまた、よろしくお願いします。
  • 墨水さん 2014/12/16 00:04:15
    考えよう。
    bakanekoさん、今晩は。
    「結構鎌足悪人説です。」には、笑えました。
    確かにね〜〜っ、悪どいと言えば悪どいけど、千年続く名家に仕立て上げた力量は「凄い!。」の一言です。
    栄枯盛衰は世の常なれど、千年続く名家はなかなか無いよ〜っ。
    一族から見れば、賢君にほかならない。
    藤原氏にとっては「神様」ですね。(笑)
    分家の佐藤氏は、藤原家を助ける家柄だから、日本国中に「佐藤」が居る。
    墨水。

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