2013/10/22 - 2013/10/26
160位(同エリア597件中)
五黄の寅さん
二度目の訪問からもう一年が経とうとしてますので、このままでは記憶も薄れ旅行記にするのも難しくなりそう。
と言う訳で、何とか作成してみようとなった訳です。
今回は、
1.古都アユタヤの再訪(前回行けなかった遺跡散策と寺院参詣)
2.日本人町跡
3.先の大戦の遺構が今に利用されている、泰緬鉄道を辿る
クワイ河(現地ではクウェ―河)鉄橋、アルヒル桟橋(木製桟橋)
4.王宮と黄金仏のワット・ポー参詣
を訪ねる旅です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道
-
旅行記その7 では 泰緬鉄道散策の様子の後半を紹介します。
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タム・クラセー駅に到着しました。
大半の乗客(観光客)の方が下車しました。 -
終点のナムトク駅行き方面の様子です。
この先に断崖を切り開いた跡が残されており、歴史の遺産が有るのを帰国してから知りました。 -
そこは、敷設当時の面影を色濃く残す「ヘルファイアー・パス(地獄の切通し)」と呼ばれているそうです。
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アルヒル桟橋方面の眺め。
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帰りの列車の時刻を確かめておきます。
一時間弱の散策時間が有る様です。 -
ちょとした休憩所が駅の直ぐ横にあります。
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休憩所の先にある、このレストランで昼食を食べました。
場所が場所だけに、豪華なメニューは有りません。 -
クワイ川の河岸に建っているレストランで、アルヒル桟橋やクワイ川の景観が楽しめます。
レストランの左手にある階段を下りて行くと -
目の前が開けて、クワイ川(の遊覧船)が目の前に見えました。
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食事を終えて、アルヒル桟橋を散策しましょう。
インドへの軍事輸送路の一環として作られた泰緬鉄道、この崖沿いのアルヒル桟橋を見ると、往時のジャングルの中での建設作業の過酷さが忍ばれます。 -
全長300mの桟橋は、クワイ川の断崖絶壁にへばりつくように作られたS字カーブの木造高架橋です。
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列車は時速5kmまで減速して、桟橋をギシギシと音をたてながら走ります。
映像はユーチューブでご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=qOYF46ZGKpI&list=UUuMIPZ8whjbco9SOubERRwg&index=32 -
橋の下を流れるクワイ河の遊覧船が通っています。
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振り返ってみると、左手に先程のレストランが見えています。
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この木造の橋脚を見て下さい。
ほんまに大丈夫なんかいな?と思うのも当然でしょう。 -
桟橋の途中、岸壁の中腹にこの様な仏様が祭られている場所が有り、皆さん散策がてらお参りしています。
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線路の辺にはバラック建ての飲み物や、土産物屋が並んでいます。
ワンちゃんも暇そうです。 -
そろそろ列車が来る頃なので、そちらに向かいましょう。
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再び車上の人となり、元来た線路を戻ります。
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ここで、泰緬鉄道の歴史を振り返っておきましょう。
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日本軍が名づけた泰緬(たいめん)鉄道という呼称は、
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当時の中国語の泰(シャム、現タイランドのことです)と緬甸(メンデン、現ミャンマーのことです)からきており、
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その合成語である泰緬(たいめん)を日本軍はこの鉄道の名称としました。
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鉄道の敷設は、両端から接合点に向かうという方法で工事が始まり、
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タイのノンプラドックからは1942年6月に、
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ビルマのタンビューザヤットからは、1942年10月に工事が始まりました。
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泰緬鉄道は、タイ側はノンプラドックから263km、
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ビルマ側はタンビューザヤットから152kmありますが、
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様々な苦労の末に1943年10月17日、タイのコンコイタで両方から進められてきた鉄道は接続し、ついに鉄道全線が完成しました。
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以上簡単に泰緬鉄道の歴史に触れて見ました。
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日が暮れて、バンコク市内に戻って来ました。
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朝7時過55分に出発して、夜8時頃帰着の丸1日の旅でした。
夕食は宿の屋外でご覧の様にタイ料理とビールを満喫。
明日は王宮へ行きます。
旅行記 8 に続きます。
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