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国立西洋美術館は、東京都台東区の上野公園内にある、西洋の美術作品を専門とする美術館である。独立行政法人国立美術館が運営している。<br /><br />国立西洋美術館は印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基として、1959年(昭和34年)に設立された。実業家松方幸次郎は20世紀初めにフランスで多くの美術品を収集したが、コレクションは第2次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていた。松方コレクションが日本に返還される際の条件として、国立西洋美術館が建設されることになった。<br />本館の設計はル・コルビュジエによるが、彼の弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が実施設計・監理に協力し完成した。なお新館は前川國男(前川國男建築設計事務所)が設計した。<br />本館は、1998年(平成10年)に旧建設省による公共建築百選に選定。2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定され、2007年(平成19年)には「国立西洋美術館本館」として国の重要文化財に指定された。また、前庭・園地は、2009年(平成21年)に「国立西洋美術館園地」として国の登録記念物(名勝地関係)に登録されている。<br />現在は松方コレクションに加えてルネサンス期より20世紀初頭までの西洋絵画・彫刻作品の購入を進め、常設展示している。なかでも西洋のオールド・マスター(18世紀以前の画家)たちの作品を見ることができる美術館として、日本有数の存在である。「西美(せいび)」の略称で呼ばれることもある。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />国立西洋美術館については・・<br />http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html<br /><br />ロダン『考える人』 ロダン『アダム』 ロダン『エヴァ』ロダン 『カレーの市民』 ブールデル 『弓をひくヘラクレス』ロダン『地獄の門』

国立西洋美術館 ロダン 『考える人』 再発見  ☆前庭の彫刻たちと会う

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2014/11/12 - 2014/11/12

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マキタン2

マキタン2さん

国立西洋美術館は、東京都台東区の上野公園内にある、西洋の美術作品を専門とする美術館である。独立行政法人国立美術館が運営している。

国立西洋美術館は印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基として、1959年(昭和34年)に設立された。実業家松方幸次郎は20世紀初めにフランスで多くの美術品を収集したが、コレクションは第2次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として差し押さえられていた。松方コレクションが日本に返還される際の条件として、国立西洋美術館が建設されることになった。
本館の設計はル・コルビュジエによるが、彼の弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が実施設計・監理に協力し完成した。なお新館は前川國男(前川國男建築設計事務所)が設計した。
本館は、1998年(平成10年)に旧建設省による公共建築百選に選定。2003年にはDOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定され、2007年(平成19年)には「国立西洋美術館本館」として国の重要文化財に指定された。また、前庭・園地は、2009年(平成21年)に「国立西洋美術館園地」として国の登録記念物(名勝地関係)に登録されている。
現在は松方コレクションに加えてルネサンス期より20世紀初頭までの西洋絵画・彫刻作品の購入を進め、常設展示している。なかでも西洋のオールド・マスター(18世紀以前の画家)たちの作品を見ることができる美術館として、日本有数の存在である。「西美(せいび)」の略称で呼ばれることもある。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

国立西洋美術館については・・
http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

ロダン『考える人』 ロダン『アダム』 ロダン『エヴァ』ロダン 『カレーの市民』 ブールデル 『弓をひくヘラクレス』ロダン『地獄の門』

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル
旅行の手配内容
個別手配
  • 国立西洋美術館  1<br />ロダン 『考える人』

    国立西洋美術館  1
    ロダン 『考える人』

  • 国立西洋美術館  2<br />ロダン 『考える人』 <br />《考える人》について、ロダンは次のように述べている。「扉の前でダンテが岩の上に腰を下ろし、詩想に耽っている。彼の背後には、ウゴリーノ、フランチェスカ、パオロなど『神曲』のすべての人物たち。この計画は実現されなかった。全体から切り離された痩身の苦悶するダンテの姿は、意味がなかった。私は最初のインスピレーションに従って別の思索する人物を考えた。裸の男で岩の上に坐り、両足を引き寄せ拳を歯にあてて、彼は夢想している。実り豊かな思索が彼の頭脳の中でゆっくりと確かなものになってゆく。彼はもはや夢想家ではない。彼は創造者である」。 《考える人》の肉体表現とその姿勢には、《アダム》と同様にミケランジェロの影響が感じられる。 このブロンズの巨像は、1902年から1903年にかけて、ロダンの良き協力者であったアンリ・ルボセの手によって1881?82年の原型に基づいて拡大された。《地獄の門》から独立した《考える人》は、一個の思索する人物ではなく人類共通の普遍的な人間像となった。(出典: 国立西洋美術館名作選)

    国立西洋美術館  2
    ロダン 『考える人』
    《考える人》について、ロダンは次のように述べている。「扉の前でダンテが岩の上に腰を下ろし、詩想に耽っている。彼の背後には、ウゴリーノ、フランチェスカ、パオロなど『神曲』のすべての人物たち。この計画は実現されなかった。全体から切り離された痩身の苦悶するダンテの姿は、意味がなかった。私は最初のインスピレーションに従って別の思索する人物を考えた。裸の男で岩の上に坐り、両足を引き寄せ拳を歯にあてて、彼は夢想している。実り豊かな思索が彼の頭脳の中でゆっくりと確かなものになってゆく。彼はもはや夢想家ではない。彼は創造者である」。 《考える人》の肉体表現とその姿勢には、《アダム》と同様にミケランジェロの影響が感じられる。 このブロンズの巨像は、1902年から1903年にかけて、ロダンの良き協力者であったアンリ・ルボセの手によって1881?82年の原型に基づいて拡大された。《地獄の門》から独立した《考える人》は、一個の思索する人物ではなく人類共通の普遍的な人間像となった。(出典: 国立西洋美術館名作選)

  • 国立西洋美術館  3<br />ロダン 『考える人』

    国立西洋美術館  3
    ロダン 『考える人』

  • 国立西洋美術館  4<br />ロダン 『アダム』 <br />1875年、イタリアに旅行したロダンは、ミケランジェロに大きな影響を受けて帰国した。帰国後間もなく、彼はミケランジェロの芸術を理解するために一体の《アダム》を制作したが、あまりにも直接的なミケランジェロ彫刻の模倣であったため満足せず、これを打ち壊してしまった。《地獄の門》の構想過程において、ロダンは門の両脇に巨像を立てる着想を得た。そしてその二つの像は、人類の祖であり人間の業苦の根源である原罪を犯したアダムとエヴァが最もふさわしかった。ロダンは制作にあたってカイユーという名の「鉄の顎をもつ男」と呼ばれた力技の芸人をモデルに使った。《地獄の門》の上に立つ《三つの影》は、《アダム》とそっくりの姿に見えるが上体は《アダム》ほど捩じまげられてはおらず、全体にやや穏やかである。《三つの影》は《アダム》の制作過程に生まれたのであろう。アダムの肉体と姿勢にはミケランジェロのフィレンツェ大聖堂の《ピエタ》のキリストから受けた影響がはっきりと現われている。また右手の指の表現は、システィーナ礼拝堂天井画の「アダムの創造」の神から生命を与えられるアダムの指を想起させる。1881年のサロンにこの石膏像が出品された時、これは《人類の創造》と呼ばれていた。(出典: 国立西洋美術館名作選)<br /><br />来歴

    国立西洋美術館  4
    ロダン 『アダム』
    1875年、イタリアに旅行したロダンは、ミケランジェロに大きな影響を受けて帰国した。帰国後間もなく、彼はミケランジェロの芸術を理解するために一体の《アダム》を制作したが、あまりにも直接的なミケランジェロ彫刻の模倣であったため満足せず、これを打ち壊してしまった。《地獄の門》の構想過程において、ロダンは門の両脇に巨像を立てる着想を得た。そしてその二つの像は、人類の祖であり人間の業苦の根源である原罪を犯したアダムとエヴァが最もふさわしかった。ロダンは制作にあたってカイユーという名の「鉄の顎をもつ男」と呼ばれた力技の芸人をモデルに使った。《地獄の門》の上に立つ《三つの影》は、《アダム》とそっくりの姿に見えるが上体は《アダム》ほど捩じまげられてはおらず、全体にやや穏やかである。《三つの影》は《アダム》の制作過程に生まれたのであろう。アダムの肉体と姿勢にはミケランジェロのフィレンツェ大聖堂の《ピエタ》のキリストから受けた影響がはっきりと現われている。また右手の指の表現は、システィーナ礼拝堂天井画の「アダムの創造」の神から生命を与えられるアダムの指を想起させる。1881年のサロンにこの石膏像が出品された時、これは《人類の創造》と呼ばれていた。(出典: 国立西洋美術館名作選)

    来歴

  • 国立西洋美術館  5<br />ロダン 『アダム』

    国立西洋美術館  5
    ロダン 『アダム』

  • 国立西洋美術館  6<br />ロダン『エヴァ』<br />《アダム》とともに《地獄の門》の脇に立てる巨像のため、1881年頃に制作されたが、この案は経済的な理由から実現されなかった。ロダンは、「豹のしなやかさと優美さ」を具えた美しい肉体を持つモデルを使って制作していたが、彼女が妊娠していたため頭部と両足は未完成のまま中止された。その後縮小された《エヴァ》の大理石像などが制作されているが、この等身像は1899年のサロンに出品されるまで発表されなかった。1906-07年に、ロダンはブールデルに石膏原型に基づく石灰石像を彫らせ、この時、頭部と両足を完成させるため新しいモデルを使うことを許したと言う。当館所蔵の《エヴァ》は、この石像による鋳造と考えられる。(出典: 国立西洋美術館名作選)

    国立西洋美術館  6
    ロダン『エヴァ』
    《アダム》とともに《地獄の門》の脇に立てる巨像のため、1881年頃に制作されたが、この案は経済的な理由から実現されなかった。ロダンは、「豹のしなやかさと優美さ」を具えた美しい肉体を持つモデルを使って制作していたが、彼女が妊娠していたため頭部と両足は未完成のまま中止された。その後縮小された《エヴァ》の大理石像などが制作されているが、この等身像は1899年のサロンに出品されるまで発表されなかった。1906-07年に、ロダンはブールデルに石膏原型に基づく石灰石像を彫らせ、この時、頭部と両足を完成させるため新しいモデルを使うことを許したと言う。当館所蔵の《エヴァ》は、この石像による鋳造と考えられる。(出典: 国立西洋美術館名作選)

  • 国立西洋美術館  7<br />ロダン『エヴァ』

    国立西洋美術館  7
    ロダン『エヴァ』

  • 国立西洋美術館  8<br />ロダン 『カレーの市民』<br />1884年、カレー市民はかねて懸案になっていた、同市を救った恩人、ウスターシュ・ド・サン・ピエールの記念碑建設を決定し、ロダンが指名された。ウスターシュは、中世百年戦争の時代、イギリス国王が1347年に英仏海峡を越えて同市を包囲した際、他の5人の地位の高いカレー市民と共に人質としてイギリス国王の陣営に赴き、カレー市と市民の生命を救ったのであった。年代記を読んで感動したロダンはウスターシュ1人の代わりに6人の市民がそれぞれの絶望と苦悩のうちに、市の鍵を手に、首に縄を巻いて裸足で市の門を出て行く群像を作り上げた。英雄の華々しい身振りを期待していた市当局はロダンの感動的な人間像を理解できずにこれを拒否し、カレー市で除幕式が行なわれたのは完成後7年経ってからだった。<br />(出典: 国立西洋美術館名作選)

    国立西洋美術館  8
    ロダン 『カレーの市民』
    1884年、カレー市民はかねて懸案になっていた、同市を救った恩人、ウスターシュ・ド・サン・ピエールの記念碑建設を決定し、ロダンが指名された。ウスターシュは、中世百年戦争の時代、イギリス国王が1347年に英仏海峡を越えて同市を包囲した際、他の5人の地位の高いカレー市民と共に人質としてイギリス国王の陣営に赴き、カレー市と市民の生命を救ったのであった。年代記を読んで感動したロダンはウスターシュ1人の代わりに6人の市民がそれぞれの絶望と苦悩のうちに、市の鍵を手に、首に縄を巻いて裸足で市の門を出て行く群像を作り上げた。英雄の華々しい身振りを期待していた市当局はロダンの感動的な人間像を理解できずにこれを拒否し、カレー市で除幕式が行なわれたのは完成後7年経ってからだった。
    (出典: 国立西洋美術館名作選)

  • 国立西洋美術館  9<br />ロダン 『カレーの市民』

    国立西洋美術館  9
    ロダン 『カレーの市民』

  • 国立西洋美術館  10<br />ブールデル 『弓をひくヘラクレス』

    国立西洋美術館  10
    ブールデル 『弓をひくヘラクレス』

  • 国立西洋美術館  11<br />ブールデル 『弓をひくヘラクレス』<br />ブールデルの名を不朽のものとした本作品は、ギリシャ神話の英雄へラクレスの「十二の功業」の一つに主題を借りている。へラクレスが怪鳥ステュムファリデスを射るために渾身の力で弓をひき、まさに矢を放とうとする瞬間を捉えている。隆々たる筋肉におおわれた緊張感あふれるヘラクレスの肉体は、ロダンのなまなましく息づいているような人体と比較するならば、驚嘆すべきエネルギーに満ちている。1910年のソシエテ・ナショナル・デ・ボザールのサロンに出品された本作品は、極めて好意的に迎えられ、批評家シャルル・モーリスは「レアリスムがイデアリスムの域にまで達している」と絶讃した。(出典: 国立西洋美術館名作選.)

    国立西洋美術館  11
    ブールデル 『弓をひくヘラクレス』
    ブールデルの名を不朽のものとした本作品は、ギリシャ神話の英雄へラクレスの「十二の功業」の一つに主題を借りている。へラクレスが怪鳥ステュムファリデスを射るために渾身の力で弓をひき、まさに矢を放とうとする瞬間を捉えている。隆々たる筋肉におおわれた緊張感あふれるヘラクレスの肉体は、ロダンのなまなましく息づいているような人体と比較するならば、驚嘆すべきエネルギーに満ちている。1910年のソシエテ・ナショナル・デ・ボザールのサロンに出品された本作品は、極めて好意的に迎えられ、批評家シャルル・モーリスは「レアリスムがイデアリスムの域にまで達している」と絶讃した。(出典: 国立西洋美術館名作選.)

  • 国立西洋美術館  12<br />ブールデル 『弓をひくヘラクレス』

    国立西洋美術館  12
    ブールデル 『弓をひくヘラクレス』

  • 国立西洋美術館  13<br />ロダン『地獄の門』

    国立西洋美術館  13
    ロダン『地獄の門』

  • 国立西洋美術館  14<br />ロダン『地獄の門』<br />1880年、ロダンは新しく建設される予定のパリの装飾美術館のために入口の門扉の制作を政府から依頼された。ダンテの熱烈な愛読者であり、既に1876年に『神曲』に取材した群像《ウゴリーノと息子たち》を制作していた彼は、ためらうことなくこの門扉を「『神曲』を表わした低浮彫」の連作によって作りあげようと決心をした。そして構成の形式をフィレンツェ洗礼堂のギベルティの《天国の門》にならって、直ちに制作にとりかかった。最初の構想スケッチでは、左右の扉がそれぞれ縦に四つのパネルに区切られ、全体で8面の浮彫によって「地獄篇」の情景が表現され、中央に巨像が置かれる構成であった。しかし、想を練るにつれてダンテの神学的秩序は失われ、次第に渾沌たる世界に変わっていった。ダンテよりも、むしろボードレールの『悪の華』に表現された人間自身の「地獄」の世界に踏み入って行ったと言えよう。石膏着彩の《「地獄の門」のマケット(第三構想)》(国立西洋美術館所蔵)は、粘土による立体的な習作の第三段階、すなわち最終的な構想を示しているが、主題内容の変化とともに構成形式も渾沌とした様相に変貌し、ほぼブロンズの完成作の全体が姿を現わしている。ダンテに取材したモチーフは最早「パオロとフランチェスカ」と「ウゴリーノと息子たち」の2つに限られ、門の中央には「詩作にふけるダンテ」に代わり、《考える人》が置かれている。以後、ロダンは終生この大作の制作に取り組み、彼の多くの独立した作品が《地獄の門》に関連して生み出された。タンパンの中央に坐って墜ち行く人々を凝視する男は《考える人》であり、門の頂に立つ《三つの影》は《アダム》と密接な関係を持っている。夕ンパンの右端に《立てるフォーネス》と《瞑想》、左手に《オルフェウスとマイナスたち》のマイナスたち。右扉の下部に《フギット・アモール》、左扉中央に《ネレイスたち》、左の付け柱に浮彫の《美しかりオーミエール》、その柱の上に《うちひしがれたカリティード》、右の付け柱の上部に《私は美しい》の浮彫があり、この二人の男女を離したものが《考える人》の左の《うずくまる女》と左扉の上部から身をのけぞらせる男である。この大モニュメントは、しかし結局実際には使用されず、ロダンの生前にブロンズに鋳造されることもなかった。1920年代になって漸く鋳造が実現し、最近の鋳造を含め現在世界に七つのブロンズが存在する。当館のコレクションのブロンズは、松方幸次郎氏の注文による鋳造である。<br />(出典: 国立西洋美術館名作選)

    国立西洋美術館  14
    ロダン『地獄の門』
    1880年、ロダンは新しく建設される予定のパリの装飾美術館のために入口の門扉の制作を政府から依頼された。ダンテの熱烈な愛読者であり、既に1876年に『神曲』に取材した群像《ウゴリーノと息子たち》を制作していた彼は、ためらうことなくこの門扉を「『神曲』を表わした低浮彫」の連作によって作りあげようと決心をした。そして構成の形式をフィレンツェ洗礼堂のギベルティの《天国の門》にならって、直ちに制作にとりかかった。最初の構想スケッチでは、左右の扉がそれぞれ縦に四つのパネルに区切られ、全体で8面の浮彫によって「地獄篇」の情景が表現され、中央に巨像が置かれる構成であった。しかし、想を練るにつれてダンテの神学的秩序は失われ、次第に渾沌たる世界に変わっていった。ダンテよりも、むしろボードレールの『悪の華』に表現された人間自身の「地獄」の世界に踏み入って行ったと言えよう。石膏着彩の《「地獄の門」のマケット(第三構想)》(国立西洋美術館所蔵)は、粘土による立体的な習作の第三段階、すなわち最終的な構想を示しているが、主題内容の変化とともに構成形式も渾沌とした様相に変貌し、ほぼブロンズの完成作の全体が姿を現わしている。ダンテに取材したモチーフは最早「パオロとフランチェスカ」と「ウゴリーノと息子たち」の2つに限られ、門の中央には「詩作にふけるダンテ」に代わり、《考える人》が置かれている。以後、ロダンは終生この大作の制作に取り組み、彼の多くの独立した作品が《地獄の門》に関連して生み出された。タンパンの中央に坐って墜ち行く人々を凝視する男は《考える人》であり、門の頂に立つ《三つの影》は《アダム》と密接な関係を持っている。夕ンパンの右端に《立てるフォーネス》と《瞑想》、左手に《オルフェウスとマイナスたち》のマイナスたち。右扉の下部に《フギット・アモール》、左扉中央に《ネレイスたち》、左の付け柱に浮彫の《美しかりオーミエール》、その柱の上に《うちひしがれたカリティード》、右の付け柱の上部に《私は美しい》の浮彫があり、この二人の男女を離したものが《考える人》の左の《うずくまる女》と左扉の上部から身をのけぞらせる男である。この大モニュメントは、しかし結局実際には使用されず、ロダンの生前にブロンズに鋳造されることもなかった。1920年代になって漸く鋳造が実現し、最近の鋳造を含め現在世界に七つのブロンズが存在する。当館のコレクションのブロンズは、松方幸次郎氏の注文による鋳造である。
    (出典: 国立西洋美術館名作選)

  • 国立西洋美術館  15

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  • 国立西洋美術館  16

    国立西洋美術館  16

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