2014/11/08 - 2014/11/09
813位(同エリア1612件中)
熱帯魚さん
出発前日に航空券とホテルを手配し、
台湾に遊びに行ってきました。
宮原眼科で豪華トッピングアイスを食べた後、
台中市内をブラブラとお散歩。
途中でTさんとケンカ(?)して、ひとりで
歩いていたら、台中刑務所演武場と書かれた
日本統治時代の建築を発見。
台中市に残る唯一の日本統治時代の武徳殿建築
だそうで、とても神聖な雰囲気が流れていました。
★★ 台中刑務所演武場修復誌(現地の説明看板より)
台中刑務所の演武場は、昭和12年(1937年)8月12日に建設された。建築群は演武場とクラブと宿舎など、主体建築は「演武場」で、剣道および柔道の訓練場所となっていた。戦後、台中刑務所は台中監獄に名前を替えて、演武場とその他の建築は監獄官警職員が宿舎として使用、その後獄舎の老朽化にて、民国81年(1992年)監獄は南屯に移転、原來の建物は取り壊され、演武場及び周辺の公用宿舎は、昔の監獄建築として残っている。
民国88年(1999年)九二一の大地震では、演武場と周囲の建築物に、局部の損害が見られ、民国93年(2004年)2月、台中市文化局はそれを「歴史建築」と登録し、民国95年(2006年)修復して経営を続ける予定であったが、図らずも11月15日の大火災に遭い、屋根から地板門窓が焼け、レンガ造りの部分だけが助かって、演武場の木材構えと屋上だけが残った。火災後「文化資産保存法」の規定によって、緊急整理作業で、審議委員会を組織して現場監察を行い、原址修復を決議した。
民国98年(2009年)2月20日、演武場修復工程開始。郭俊沛建築師事務所に依頼して設計監造、一元営造が請け負って工事をはじめ、民国99年(2010年)10月完成した。演武場とその周辺の建築修繕が完成した後は、台中市に残った唯一の日本統治時期の武徳殿建築群である。
★★ 思い立ったら即台湾 11/7~11/9 台中編 ★★
07★台北から台中に移動~
http://4travel.jp/travelogue/10952464
08★台中駅裏さんぽ~忠孝夜市でB級グルメ~
http://4travel.jp/travelogue/10952549
09★セクシー美女が奏でる伝統楽器の音色に酔いしれた台中の夜
http://4travel.jp/travelogue/10952949
10★台中の朝はアイスから…開店から並んだ宮原眼科
http://4travel.jp/travelogue/10953145
11★偶然見つけた日本統治時代の建築~台中刑務所演武場~
http://4travel.jp/travelogue/10953483
12★壁にアニメイラスト満載の不思議ストリートみーっけ!
http://4travel.jp/travelogue/10953828
13★台中アート散歩~梅川景観再造公園と國美館~
http://4travel.jp/travelogue/10955240
14★台中滞在もあとわずか…昭和レトロ?な町並み
http://4travel.jp/travelogue/10955305
15★台中から桃園空港へ!再見臺灣~!
http://4travel.jp/travelogue/10955402
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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宮原眼科でアイスを食べた後、草悟道あたりにでも散歩に行こうかと思いつつ、プラプラおさんぽ。
○ 継光商店街
以前このあたりのホテルに泊まったことがありますが、ここ、結構ローカルな商店街です。 -
自由路二段を歩いていきました。このあたりは台中名物である太陽餅を売る土産物屋さんが多いです。
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古い薬屋さんがあって、その前に日本統治時代の台中の地図がありました。その時代からこの薬屋さんがあったそうです。
「京都の面影残す台中市」って言葉が気になります。昔の町並み、実際に見てみたかったー -
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商品に自信あり!です。
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○ 台中市役所
日本統治時代の1911(明治44)年に建てられた辰野式バロック建築。台中地区の鉄筋コンクリート建築の元祖といわれています。
1920年台中州が台中市に組み込まれてから、建物は行政官署の管轄下になり、台中市役所として使われるようになりました。1945年国民政府が台湾統治を開始してからは、市役所建築は各政府機関に使用されています。 -
イチオシ
○ 台中市政府(旧 台中州廳)
所在地:西区民権路99号
日本統治時代の1913(大正2)年に建てられたバロック建築。これまで台中州、台中県の政府事務所として、現在は台中市の政府事務所として使われています。
これが建てられる前は、清朝台湾巡撫劉銘傳時代の省城建築、元承考堂がこの地にありました。1912年台湾総督府が台中で「市区改正」を行った結果、台中州庁、台中知事鑑定、大屯郡市役所など官庁の建築予定地となり、元承考堂は取り壊されました。
1913年に第一期が完成、その後4度の拡張工事を経て、1934年現在の規模になりました。 -
お手洗いかりたかったのですが、工事中でした…
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ホント、台中のイメージがここ数年でガラリと変わった感じがします。
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途中、お手洗いに行きたい私とおいしい松子餅を買いに行きたいTさんとケンカして(?)、Tさんは南屯の方向、私はひとり林森路をてくてく。
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そんな中、日本建築らしきものを発見。
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なんだろう?と思ったら、日本統治時代、刑務所に付設されていた演武場だった場所だそうです。
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ここはクラブだったところ。
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イチオシ
○ 台中刑務所演武場
こちらが演武場の建物。
台中市に残る唯一の日本統治時代の武徳殿建築とのこと。
確かに今まで台湾の別の場所で見た武徳殿とそっくりです。 -
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説明を読んでみると…明治28年(1895年)にはすでにあったという老木。
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イチオシ
こちらはもともと宿舎だった建物。
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台湾人で遊びに来ている人々が何人かいましたが、そこまで人気のない観光場所で、ここだけ時がとまっているかのようでした。
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イチオシ
願い事が書かれています。
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今は道禾六芸文化館として使われています。六芸とは、茶道、琴、弓道、剣道、書道、囲碁、だそうです。
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林森路をはさんで、向かい側にも日本建築を発見。こちらは民家なので、修復されておらずそのままといった感じ。
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