2014/11/03 - 2014/11/03
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ykさん
「よし、天草行こう。」
大学時代に訪れた福岡は中州の屋台。
そこで出会った「天草から来た」というおっちゃん。
何度も何度も「天草はいいとこだ」と言っていた、その出会いがずっと頭の片隅に残っていて、
「いつかは天草に行ってみたい(しかし、遠い)」
と思っていた。
少しの休みを頂いて、ついに実現、天草の旅。
欲張って、島原半島にも上陸してしまいました。
レンタカーで合計500㎞+フェリー2回乗船の旅でした。
1日目:羽田空港→熊本空港→熊本市内ホテル
2日目:熊本市内→熊本県・長洲港→長崎県・多比良港→雲仙→島原
3日目:島原→口之津港→鬼池港→天草
4日目:天草→上天草→熊本空港→羽田空港
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さて。この日は熊本から北上し、長洲港から長崎県の多比良港へ渡ります。
駐車場から車を出す、ここでもくまモン。 -
熊本港から島原港・・・とも考えたのですが、今回はなんとなく北から攻めてみることに。
フェリーの時間に間に合うかドッキドキでしたが、なんとか。
長洲港のフェリー乗り場。ドライブスルー方式で切符購入。 -
待機中。
頭上の橋をぐるりんとのぼり、フェリーに乗り込みます。 -
フェリー内のトイレ。
とてもキレイだったので思わず。笑 -
フェリー内の売店でちくわとくまモンの小さなぬいぐるみを購入しました。
小さなぬいぐるみは、旅の思い出写真に写りこんでくる役目。 -
出航前、港から。
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船旅は良いですね。
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フェリーの上から。
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こういう装備も萌えます。
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くまモンさん記念撮影。
対岸に見えるのは、雲仙の山々。 -
間もなく上陸。ここから、国見を通って雲仙へ。
国見の町並みは、立派な家々と石垣が印象的でした。
雲仙の仁田峠で紅葉を見たかったのですが、入口まで1時間半の渋滞!ということで、今回はあきらめることに。残念。 -
仁田峠の観光をあきらめて、車を走らせ雲仙温泉へ。
道から湯けむりもっくもく。雲仙温泉 温泉
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近づくとこんな感じ。
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「地獄めぐり」もしました。ちょっぴり駆け足で。
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「地獄」エリアの道端に湧き出ている。
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紅葉とゆけむりがマッチしていい感じです。
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なんかいっぱい石がつみあがっているゾーン。
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このお地蔵さん、地獄の景色と東屋で休憩する観光客を、ずっと見守り続けてきたのでしょうかね。
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鉄骨がむき出しになっていてびびる。
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連休最終日ということもあり、人出も多かった様子?
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改宗を迫る手段として、雲仙温泉の熱湯をかけるという拷問が行われていたと。
雲仙温泉 温泉
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キリシタン殉教碑。
雲仙地獄 -
十字架の下には、殉教者の名前が。
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殉教碑からの温泉街。
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温泉街の町並みをふらりと散歩してから、車で島原へ。
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島原に降りてきて、ふと後ろを振り返ると…そこには雲仙の山々が!
島原の人たちは、これだけ近くに雄大で美しい姿を眺めながら日常を過ごしているんだなと…
山を信仰してきた人々の気持ちがわかった気がします。 -
そして目の前には海が…!
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くまモンもテンションが上がった様子。
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島原の道の駅「みずなし本陣ふかえ」へ。
「具雑煮穴子そうめん」を頂く。道の駅 みずなし本陣ふかえ 道の駅
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名物の「かんざらし」は、すっきり甘いシロップに浸かったちもちの白玉。
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道の駅からは、雲仙の山々がくっきり。
1991年の噴火で生まれた平成新山からは、うっすらもくもくと噴煙があがっていました。 -
雲仙普賢岳の「火山学習館」も併設。
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火山学習館の入り口にあった、被災した車両。
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被災家屋がそのまま展示されている。
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屋根のすぐ下まで埋まっている。
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ここの住人は、避難していたため被害者ゼロだったとのこと。
雲仙普賢岳の噴火で被災したのはマスコミや消防団、タクシー運転手などで、住民は避難しており死傷者はほぼいなかった、ということだそうです。 -
1991年に被災してから、あえてそのまま保存されている。
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東日本大震災の遺構保存が議論されているけれど、ここはどんな経緯で保存することになったのかな。
こちらは住民の死者が出なかった家屋だからこそ、保存されているのかな。どうなのかな。 -
屋外にも埋没した家屋がそのまま。
奥に見えるのは噴火した雲仙の山々。 -
当時のまま。
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お部屋の中も見えました。
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ごろごろ転がるこの石は、噴石でしょうか。
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噴火前のこの地域。
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噴火後3年(1993年)
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噴火後13年(2003年)。
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みずなし本陣ふかえからほど近い、がまだすドーム。
土石流の恐ろしさを映像で体感する展示などもあるそうですが、今回は諸事情により中には入らず。 -
向かったのは、旧大野木場小学校被災校舎。
1882年創立の歴史ある小学校は、熱風と火砕流によって消失。
被災遺構として保存されています。
併設された砂防みらい館( http://nagasaki-tabinet.com/guide/586/ )では、当時のことを綴った児童の壁新聞や、噴火が起きた際の土石流から町を守るための「砂防」についての取り組みが紹介されていました。 -
当時の様子。
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ブランコ。
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このいちょうの木は、
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焼けてしまったと思われたが、復活したそうです。
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当時からの月日を刻んでいる時計。
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校舎に近づいてみました。
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校舎の裏手には、普賢岳や平成新山がくっきり。
柵の向こうは水無川。噴火が起きると、ここに沿って土石流が流れるそうな。 -
当時のままです。
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被災前後。
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避難所や仮設住宅の記録がありました。
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仮設住宅での生活は2年ほど続いたということです。
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小学生のつくった壁新聞。
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仮設住宅のくらし。
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山頂の様子。
現在でも火山活動はつづいている。 -
新聞たくさん。
いつ作成されたものなのかはわからなかったけれど、おそらく噴火の年か翌年くらいでは・・・。 -
「ボランティア三千人参加」
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砂防のための柵があります。
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砂防みらい館を後にし、島原まゆやまロードを経由して宿泊地・島原市街へ。
被災した深江地区から、左手に雲仙火山や焼けてしまった山肌を間近に見つつ、島原へ向かうことが出来ます。
ところどころ眺望スポットや解説版もあり、お勧め。
ちょうど夕日がきれいでした。 -
深江方面。
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ぽつぽつと木が生えているところが、火砕流・土石流の通り道。
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googleフォトによるパノラマ写真。
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焼けてしまった山肌に、空から種子を撒いてフッカツさせたということです。
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