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金沢から夜行バスに揺られ、翌朝7時半には仙台着。<br />駅に着いたはよいものの、あらかじめ買っておいたまるごとパスは、冊子の受けとりが観光案内所で、開所する八時半からしかできない!<br />これなら、仙台駅のみどりの窓口で当日買えばよかった…<br />なぜなら、その場合はその場でくれるから。<br />冊子にはクーポンがついているんで、やっぱりねぇ…ないと癪だし。<br /><br />そんなわけで、ご飯を食べたらすぐ白石へ!という計画はあえなく潰えました。<br />ぬ〜ん…青葉神社に行くかい。<br />はっ!これはまさか、挨拶に来なさいという思し召し?<br />…んなわけ、ないか。<br />ですが、旅の安全を願い参拝いたしましたよ。震災でどうなったのかも心配だったし。<br />着いてみたら…<br /><br />「あれ?なんか足りなくね?」<br /><br />鳥居が崩落!そして灯籠の上部が落下していました。<br />あれから五か月が経っていましたが、撤去しようにもそうはいかない事情があるようです。<br />(注:この日記は2011年当時です。過去に別のブログに書いていたものから、旅行記だけをこちらに集約中です)<br />我が家の近所でも、未だに落ちた屋根瓦の修理の順番が回ってこなかったりしているくらいですから、向こうは尚更でしょう。<br />(その後、2012年秋に参拝したら、その崩れた鳥居を利用して、「和」と刻まれたオブジェというか、碑というか、が作られていました。<br />2014年に、鳥居は再建されたようです)<br /><br />朝ご飯の後、白石へ。<br />白石城では、無料ガイドさんに城を案内していただいて、鯱に性別があることなどを知りました。<br /><br />石垣の石は、すべて国産のものを使っていることや、漆喰壁の塗り方などなど。<br />お城の棟札も拝見。<br /><br />あとは、地図見間違えて、愛宕山の片倉家廟所に行くのにえらい苦労したりね…<br />ここ、共同墓地の奥にあるんで、墓参りに来ていた人たちからは不思議なものを見る目で見られました…<br />だよね。花も水桶も持っていないんだから。<br />墓石が阿弥陀如来の座像でびっくり。<br />初めてみました。<br /><br />次はさらに足延ばして喜多さまの墓も行きたいなあ。<br /><br />その後、武家屋敷も見て、当時の武家の家庭に思いを馳せ。<br />庭で子供が遊んで、祖母ちゃんや母さんが何か作業しながらそれを見守って、<br />使用人も仕事をしつつ、それとなく目を配って…<br />そんなかんじだったのかな?<br /><br />移動の足はレンタル自転車。預かり金五百円で借りられます。?<br /><br />一日目は、そんな感じでまったり。 <br /><br />さて、今回は途中で靴がだめになり、名掛丁の靴屋に駆け込むはめに。千円で、気に入ったサンダルがあったのでラッキー。<br />商店街が栄えているって、なんてありがたい事か。<br />うちの地元はシャッター街だしな!<br />みんな郊外だよ、行き先は。私もですが。<br /><br />二日目は仙台市内。<br /><br />朝、瑞鳳殿にお参り。<br />なんと!お霊屋の扉が開いて、中の政宗公座像を拝見できました!!<br />写真は、撮らせて貰ったもののブレッブレ…<br />でもいいです。<br />開いていたのをみた!という証拠をいただけたから。<br /><br />その後、友達と合流。<br /><br />仙台市博物館では、政宗公の三日月の前立の鎧を二領見る事ができました!<br />一つは、かの有名な重文(重要文化財)のほう。やはり美しい。<br />あの頃流行した当世具足は、ほんと奇抜で面白いデザインがたくさんあるけれど、シンプルな中にキラリと光る、この鎧がわたしは昔から好きでした。<br /><br />ただ、重いがね…二十キログラムだそうで。<br />当時の国産馬、すごいな。小さいのに力持ち!<br /><br /><br />もう1領は、かわいがっていた部下に下賜したものだそうな。<br />拝領した人は勿論殉死しており、瑞鳳殿に供養塔があります。<br />ほかにも羅紗や水玉の陣羽織やら、写真でしか見たことのない文化財を生でバッチリ見られて感動もひとしおでしたo(^o^)o<br /><br /><br />でも、一番ヒットは忠宗公のお遊び和歌懐紙でした。<br />紙の右端に「里」その少し左に「山」を三つ、品の字みたいに書いてます。<br />で、真ん中に「庵」が斜めにあり、その左には「朋」。その下の「と」は○で囲まれてました。<br />最後は「袖」の字の上に墨をポタッと落としてあるのです。<br /><br />解釈は、「里遠き 深山(みやま)のいおり かたぶきて 月にとわるる 墨染めのそで」らしいですよ。<br /><br />忠宗公も、父譲りのお茶目な面をお持ちだったんですね。<br />手堅く領土を維持したまじめな政治家、というイメージが強かったので、意外でした。<br />筆跡は、繊細な感じのする美しいものです。<br />能書家で知られた政宗公の薫陶ゆえ、でしょうか。<br />なにせ、息子に「返事は自筆で書きなさい」と記した手紙が残っているくらいですもの。

鉄砲玉娘、参上!3 奥州疾走編

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2011/08/14 - 2011/08/15

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高萩景史/奈波千景

高萩景史/奈波千景さん

金沢から夜行バスに揺られ、翌朝7時半には仙台着。
駅に着いたはよいものの、あらかじめ買っておいたまるごとパスは、冊子の受けとりが観光案内所で、開所する八時半からしかできない!
これなら、仙台駅のみどりの窓口で当日買えばよかった…
なぜなら、その場合はその場でくれるから。
冊子にはクーポンがついているんで、やっぱりねぇ…ないと癪だし。

そんなわけで、ご飯を食べたらすぐ白石へ!という計画はあえなく潰えました。
ぬ〜ん…青葉神社に行くかい。
はっ!これはまさか、挨拶に来なさいという思し召し?
…んなわけ、ないか。
ですが、旅の安全を願い参拝いたしましたよ。震災でどうなったのかも心配だったし。
着いてみたら…

「あれ?なんか足りなくね?」

鳥居が崩落!そして灯籠の上部が落下していました。
あれから五か月が経っていましたが、撤去しようにもそうはいかない事情があるようです。
(注:この日記は2011年当時です。過去に別のブログに書いていたものから、旅行記だけをこちらに集約中です)
我が家の近所でも、未だに落ちた屋根瓦の修理の順番が回ってこなかったりしているくらいですから、向こうは尚更でしょう。
(その後、2012年秋に参拝したら、その崩れた鳥居を利用して、「和」と刻まれたオブジェというか、碑というか、が作られていました。
2014年に、鳥居は再建されたようです)

朝ご飯の後、白石へ。
白石城では、無料ガイドさんに城を案内していただいて、鯱に性別があることなどを知りました。

石垣の石は、すべて国産のものを使っていることや、漆喰壁の塗り方などなど。
お城の棟札も拝見。

あとは、地図見間違えて、愛宕山の片倉家廟所に行くのにえらい苦労したりね…
ここ、共同墓地の奥にあるんで、墓参りに来ていた人たちからは不思議なものを見る目で見られました…
だよね。花も水桶も持っていないんだから。
墓石が阿弥陀如来の座像でびっくり。
初めてみました。

次はさらに足延ばして喜多さまの墓も行きたいなあ。

その後、武家屋敷も見て、当時の武家の家庭に思いを馳せ。
庭で子供が遊んで、祖母ちゃんや母さんが何か作業しながらそれを見守って、
使用人も仕事をしつつ、それとなく目を配って…
そんなかんじだったのかな?

移動の足はレンタル自転車。預かり金五百円で借りられます。?

一日目は、そんな感じでまったり。 

さて、今回は途中で靴がだめになり、名掛丁の靴屋に駆け込むはめに。千円で、気に入ったサンダルがあったのでラッキー。
商店街が栄えているって、なんてありがたい事か。
うちの地元はシャッター街だしな!
みんな郊外だよ、行き先は。私もですが。

二日目は仙台市内。

朝、瑞鳳殿にお参り。
なんと!お霊屋の扉が開いて、中の政宗公座像を拝見できました!!
写真は、撮らせて貰ったもののブレッブレ…
でもいいです。
開いていたのをみた!という証拠をいただけたから。

その後、友達と合流。

仙台市博物館では、政宗公の三日月の前立の鎧を二領見る事ができました!
一つは、かの有名な重文(重要文化財)のほう。やはり美しい。
あの頃流行した当世具足は、ほんと奇抜で面白いデザインがたくさんあるけれど、シンプルな中にキラリと光る、この鎧がわたしは昔から好きでした。

ただ、重いがね…二十キログラムだそうで。
当時の国産馬、すごいな。小さいのに力持ち!


もう1領は、かわいがっていた部下に下賜したものだそうな。
拝領した人は勿論殉死しており、瑞鳳殿に供養塔があります。
ほかにも羅紗や水玉の陣羽織やら、写真でしか見たことのない文化財を生でバッチリ見られて感動もひとしおでしたo(^o^)o


でも、一番ヒットは忠宗公のお遊び和歌懐紙でした。
紙の右端に「里」その少し左に「山」を三つ、品の字みたいに書いてます。
で、真ん中に「庵」が斜めにあり、その左には「朋」。その下の「と」は○で囲まれてました。
最後は「袖」の字の上に墨をポタッと落としてあるのです。

解釈は、「里遠き 深山(みやま)のいおり かたぶきて 月にとわるる 墨染めのそで」らしいですよ。

忠宗公も、父譲りのお茶目な面をお持ちだったんですね。
手堅く領土を維持したまじめな政治家、というイメージが強かったので、意外でした。
筆跡は、繊細な感じのする美しいものです。
能書家で知られた政宗公の薫陶ゆえ、でしょうか。
なにせ、息子に「返事は自筆で書きなさい」と記した手紙が残っているくらいですもの。

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  • 片倉家家臣の屋敷

    片倉家家臣の屋敷

  • 白石城

    白石城

  • 棟札

    棟札

  • 瑞鳳殿開扉

    瑞鳳殿開扉

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