2014/07/21 - 2014/07/26
426位(同エリア2515件中)
放浪人さん
プロイセンの栄光 ナチスの独裁 冷戦の東西ドイツ 平和の統一ドイツ
1914年の第1次世界大戦勃発から、今年の統一ドイツ初のワールドカップ優勝までのたった100年の間にベルリンの街が経験した数々の出来事、歴史に揉まれた街に行ってきました。
最終日
ストーリーオブベルリン
ベルナウアー通り
帰国へ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ベルリンの歴史をめぐる博物館
写真はベルリン空輸作戦 -
壁
-
左の男性は、東ドイツ国境警備隊の19歳の青年(コンラート・シューマン)
壁ができるまでは有刺鉄線のみだったが、壁の建設が始まって3日後の日、西ベルリン側の市民からの掛け声と共に即時決断をして亡命。
しかし、彼は今後何十年も家族や国への裏切りから精神を病み56歳の時に自らこの世を去る。 -
ホーネッカー BGMは東ドイツ国歌が流れてました。
ゆったりとした曲のせいか変な懐かしさを覚える。 -
デモ
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対戦車障害?
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肩を組んで
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地下鉄内での演奏
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面白いポスターがありました
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ベルナウアー通りへ
東ドイツ建国20周年を記念して造られたテレビ塔とコンラッド・シューマン氏の像 -
壁があったことを示すメモリアル
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当時の写真
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教会の跡地
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イチオシ
偶然とれた写真
左にいる兄妹が時代の良さを実感させてくれる1枚。
崩壊前は近づく事さえできなかった -
壁を超えようと亡くなった方たち
20代〜30代が多かったです。最高で50代で一番下の子は2歳でした。
写真の所には百合の花も…
写真がない所も名前と生年月日と絶命した日が彫られている -
トラム バンがかぶってしまった
-
ベルリンHDFへ
-
旅の疲れがMAXだったため帰りました。
これでベルリンの街歩きは終了です。
次の日の朝には日本に向けて帰ります。 -
次の日空港へ向かいます。
ドイツの電車はカッコいいです。 -
シェレメチェエボで1枚
最後までのお読みいただきありがとうございました。
今回この地を訪れ、まだまだ知らないことが沢山ある事に気づかされながらも、もっとこの街が知りたいという思い&この街が大好きになりました。
今回行くことの出来なかったポツダムや技術博物館など機会があれば行きたいです。満足の旅行より、少し未練が残った旅行でした。もっと休めればなぁ
しかし、ヨーロッパは行くまでに体力を使いますね…
ドイツというと日本人の多くは南の方へ行かれるみたいですが、ベルリンは交通網に不便はなく、見所も集中しているため観光地としてオススメです!
写真の技術及び旅行記の編集能力はまだまだですが、今後ともご愛読頂ければと思います。
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