2014/06/11 - 2014/06/11
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junemayさん
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個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
チンクエテッレのマナローラからラ・スペツィアの駅前にある宿に戻ったら、もう午後4時。一休みしたら出発しようと思っていたのですが、同宿の日本人女性の掏り騒動で、出発が遅れてしまいました。基本的に町歩きには手ぶらが良いのでしょうが、そうはいっても、何も持たないわけにもいかないのですよね。カメラ、傘、ガイドブック、食料、飲み物、ティシューにタオル、そして先立つもの。最低でもこれ位はいつもバッグに入っていますので、要はお金をどこにしまい、どうやって持ち歩くかという問題だと思います。
掏りに狙われたばかりの私が偉そうに言うのもなんですが、原則、「お財布を持たない」ということに尽きるのではないでしょうか?ヨーロッパの掏りは、日本人女性がバッグを持ち歩いており、その中には、必ずお財布が入っているのをよく知っているそうですから、何とかその裏をかくしかないですね。
世界遺産ポルトヴェーネレへのバスは、駅から15分位歩いたジュゼッペ・ガリバルディ通りViale Giuseppe Garibaldiから出ています。朝、ラ・スペツィアの港まで往復したので、簡単に見つかると思っていたのですが・・・
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ラ・スペツィアの目抜き通りジュゼッペ・ガリバルディ通りにやってきました。
通りに面した雪の聖母教会Chiesa di Nostra Signora della Neve です。
16世紀、現在教会があるところよりもう少し港寄りの場所に、小さな祠があり、その中に雪の聖母の板絵が祀られていました。ある時、ラゴラ川の氾濫により、その祠や他の建物が全壊するという被害が出ましたが、なんとその絵だけは完全無傷で残っていたそうです。これを伝え聞いた後世の人々が19世紀末に建てた教会なのだそうです。
正直、こういう話は、世界中どこへいっても聞きますね。 -
中央ポータルの拡大部分です。
確かこのあたりにバス停があったはずなのですが、私は行き過ぎてしまったようです。遠いなあ〜と思いつつ、ジョヴァンニ・アメンドラ通りを渡り、更にニコラ・フィエスキ通りを進んでしまいました。 -
ジョヴァンニ・アメンドラ通りを過ぎると、道の両側には海軍の施設が続きます。ラ・スペツィアはイタリア有数の軍港のようで、このあとバスに乗っても、たっぷり10分以上、軍関係の施設が延々と続きました。
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ガリバルディ通りの次のバス停 北門 Porta Nordをようやく見つけました。ポルトヴェーネレ行きのバス便は平日は42便。休日は40便。大体1時間に2本はあるようです。
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バスには番号はなく、アルファベットの"P"でした。
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日本の路線バスと余り変わらない車内風景です。私は、事前にタバッキで切符を購入していきましたが(片道2.5ユーロ)、バスの中でも買えそうでしたよ。
ポルトヴェーネレまではおよそ時間にして40分の距離。バスの左側の席に座ったら、海岸沿いに景色が見れたのですが、あいにく満員でした。帰りは海側を確保しようっと。 -
ポルトヴェーネレのバス停の時刻表です。到着した場所と同じバス停から出発します。
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ポルトヴェーネレ到着です!
目の前に 城壁の役目も果たしていたカラフルなパラッツァータPalazzataと呼ばれる家々が姿を現しました!
すでに時刻は夕方の6時50分になっていました。あまりゆっくりしている時間はありません。バスはこの道の手前が終点です。 -
チンクエテッレで見たのと同じような色合いの細長い建物が続く海岸通りです。
目の前が海であるという開放感、人の少なさ、暑さが一段落した夕方そして心地よい海風という気象条件が相俟って、ひじょ〜うに気持ちよいプロムナードです。
海岸通には、ずらりとレストランが並んでいます。 -
黄色い作業着?を着た漁師のおじさんもお出迎えです。あちこちにあった白地に赤十字の旗はポルトヴェーネレの旗でしょうか?
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海に向いて建つPalazzataの建物には、こうした階段が所々についています。急な階段のその先は、裏の通りに通じているようです。敵が攻めてくるときには、これらの階段や扉は全て閉じられ、要塞の役割をするんですね。
実は、裏の通りが本来のメインストリートだったということが後でわかりました。 -
まだまだ明るいですが、7時を廻ったのでレストランにはちらほらお客さんが入り始めています。本日のメインは魚のフリッタのようです。
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お土産屋さんも海の香りが一杯。
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この辺りは、江ノ島あたりとさして変わらぬ?風景です。
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「犬に注意!」と「猫に注意!」の陶器板。何故か、猫の方が多いなあ・・・
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どうやらここでプロムナードはおしまい。右手の階段を上りましょう。
ポルト ヴェーネレ(ヴィーナスの港)という町名の由来は、今見えているサン・ピエトロ教会がある場所に、岬下の海の泡から生まれたヴィーナスを祀った神殿があったからとも、隠者聖ヴェルニウスがここにいたからとも伝えられています。 -
歴史は結構複雑です。紀元前1世紀頃より人が住み始め、西ローマ帝国滅亡後は、ビザンティン帝国の艦隊基地となりましたが、ロンバルディアにより滅ぼされます。8世紀から11世紀にかけては、サラセン人やノルマン人から何度も襲撃を受けています。
1113年にジェノヴァの支配下に置かれ、1161年には村を囲む城砦が築かれました。15世紀に入ると、1494年に、アラゴン王国の艦隊によって、村は徹底的に破壊されます。その後は要塞の拡張を繰り返しながら、ジェノヴァ共和国と運命を共にします。
1797年にはナポレオン帝国の一部となり、1814年にはサルディニア王国に割譲、1861年にサルディニア王国がイタリア王国と合体し、後にイタリア共和国となって現在に至っています。
短くまとめれば、ポルトヴェーネレは征服され、再び征服され、滅ぼされ、再建され、買われ、売られ、再利用され、再ブランド化されたという歴史を持っています。 -
細く突き出したポルトヴェーネレの半島西側には、古い城壁が続いていました。
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城壁に扉があり、上に「バイロンの洞窟」と書かれています。その下にも何か書いてありますよ。
なになに?
「この洞窟は、バイロン卿のインスピレーションでした。永遠不滅の詩人である彼は、ポルトヴェーネレからレーリチまで波に逆らって大胆にも泳ぎきったと伝えられています。」
訳がひどくてわからないですって?
はい。おっしゃるとおり、私にもよく理解できておりません。レーリチLereciというのは、ポルトヴェーネレの対岸にある町で、地図でみても直線距離にして優に7km以上あるんですが・・・ -
どうも、バイロン卿はこの洞窟にしょっちゅう篭っていて、ポルトヴェーネレ対岸のサン テレンツォ San Terenzo(レーリチの隣町)に別荘を借りた友人パーシーとメアリ・シェリーのところまで、泳いで通っていたようなのです。
洞窟と水泳の話はあまり関係がないような気もいたしますので、ここではバイロンの洞窟 Grotto Arpaiaをご覧ください。 -
夜になると、洞窟は不気味な雰囲気を醸し出し、岩は怪物のように見え始め、攪拌した風景の中で、バイロンはこの洞窟自体に、The Corsairという詩を書きつけたと伝えられています。
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洞窟の真上にある、ドーリア城です。1161年頃ジェノヴァ共和国の中でも大変裕福だったドーリア家のために建てられたと言われています。ドーリア家は12世紀から16世紀の間、ジェノヴァの政治面、軍事面、経済面において、重要な役割を果たしました。
ドーリア家は、イタリアのほかの地域、およびヨーロッパ諸国との間に強力な政治的パイプを持っていたと言われています。16世紀にポルトガルがブラジル植民地に最初の入植者を送り込むことが出来たのも、ドーリア家出身の女性クレメンツァが操ったと言われているほどです。 -
城壁の下は平らな岩場になっていて、何人かの人達が日光浴を楽しんでいました。下まで降りて行けるみたいです。所々に岩が出ているので、船で近づくのは容易ではなさそうです。
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小さな三角の岩礁が見えるリグーリア海、それはそれは美しい時間でした。この先に、ここからは見えないけれど、チンクエテッレの町々が点在しています。
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余りにも風景が美し過ぎて、何枚も写真を撮ってしまいました。所々に人工物と思しき壁が作られていて、どこまでが自然の岩なのかわからないですね。
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城壁に開けられた窓からの1枚です。
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1198年、ジェノヴァは古いキリスト教会が建っていた地にサン・ピエトロ教会を献堂。1256年から1270年の間に、独特の白と黒の2色からなる建物の建築工事が行われました。石は、大理石・・・ではなくて、ドロミテから運ばれたドロマイトとありましたが、どちらの色がそうなのかな?
ジェノヴァがここに教会を再建した理由は、対岸のレーリチ城を征服する際に、ポルトベーネレから受けた援助に対しての「神聖なる報酬」という性格のものだったと言われています。 -
建築様式は、ジェノヴァ風ゴシック様式と呼ばれ、シンプルですが、存在感があります。教会は何度も破壊されては再建を繰り返し、20世紀に入っても、二度ほど修復されています。
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教会の右手に見えるのは、古い教会の一部なのでしょうか?それとも要塞?
丸みを帯びた内陣を持つ四角形のような形なので、こちらが古い教会の一部のような気もしますが、定かではありません。新しく作られたらしい窓が見えるので、今でも使われているのかな? -
随分高いところまで上ってきました。多少ぼやけていますが、対岸のサン・ テレンツォ San Terenzo辺りが見えています。右手にある緑は、ポルトヴェーネレと海峡を挟んであるパルマリア島 Isola Palmariaです。この島の陰になっている辺りに、先ほどバイロンが泳いで渡ったと書いてあったレーリチがあります。
泳いで行くのには、とんでもなく遠いですよね。 -
こちらがパルマリア島。この島の反対側に更に二つの小さな島ティノ、ティネットがありますが、この3つの島は、チンクエテッレの5つの町、ポルトヴェーネレとともに世界遺産に登録されています。島には、軍事施設のほか、ボートでしかいけない青の洞窟、ロープで下りるしかない鳩の洞窟等があるそうですよ。
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サン・ピエトロ教会には、この入口から入るようです。このようなところに入口がある教会は、よそでは見られないですね。5世紀のオリジナルの教会が四角形だったことが影響していると思われます。
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内部は、大変狭いですが3廊式になっています。外面と同じ白と黒の縞々模様が印象的です。
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簡素な祭壇です。最近、ここで結婚式を挙げるカップルが多いと聞きました。しかし、南向きの祭壇というのは、初めて見ました。
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鍵を携えた聖ピエトロの像がありました。彼は、キリストの筆頭弟子で、キリストから天の国の鍵を受け取った人です。何本ものろうそくの火が赤々と彼を照らしています。
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何の説明もないのですが、6世紀のものと思われる古い教会の床が一部分残っていました。だいぶ痛んでいますが、モザイクになっていますね。
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屋根の一部に上れるようですが、非常に狭くて危険な階段を上る必要があります。手すりはあるけれど、ちょっと自信ないなあ。
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教会の西側は、ロッジアの造りになっていました。先客の二人の若者が激論の真っ最中でした。アーチの下は、そのまま海です。
奥の扉の先は、岬の突端でした。明るい地の果てです。 -
あと30分くらいで日が沈みそうです。このままここで待っていれば、素晴らしい夕日が拝めそうです。
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ロッジアの柱はよく見ると、柱頭に細かい彫り物がありますね。
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夕日も魅力的でしたが、まだ歩きたいところが沢山あるので、教会から下りてきました。再び古い教会?要塞?の前を通ります。
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太陽が出ている間に、あのドーリア城の傍まで行ってみようと思ったのです。また上りなので、ちょっとつらいです・・・今日は、この時点で歩数22000歩を越えておりました・・・
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かなり大きなお城ですね。お城の右側にある二つの円筒形のものは何でしょう?
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ここから見ると、謎?の右手の建物は、ぐるりと高い壁で囲まれているのがわかりますね。
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サン・ピエトロ教会と反対側の急な坂道を上っていきます。
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花の植木鉢が沢山置かれたコーナーに出ました。普通の生活の営みが感じられて、なんだかほっとします。
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更に上に続く階段が待ち受けていました。この階段を上がれば、サン・ロレンツォ教会に到着です。
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サン・ロレンツォ教会は1116年に、ジェノヴァにより建築開始、1130年に未完のまま教皇イノチェント2世によって献堂式が行われました。この教会も先ほどのサン・ピエトロ教会同様、諸外国からの襲撃にさらされ、中でも1494年のアラゴン艦隊からの砲撃は熾烈を極めました。甚大な被害を受けた箇所の修復は、1494年からおよそ100年かかって行われたそうです。
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大理石の祭壇には、ミーノ・ダ・フィエゾーレMino da Fiesole の聖母子像白いマドンナmadonna biancaが飾られているそうですが、中まで入らなかったため、気がつきませんでした。
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先を急ぎます。サンロレンツォ教会から更に上って行くと、先ほど見えた二つの円筒形の建物の前に出ました。古代の風車小屋の跡だそうです。
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風車小屋付近からサン・ピエトロ教会辺りを眺めました。
わぁ〜絶景かな絶景かな!
喜び勇んで撮ったけれど、水平線が斜めになっています!!へたっぴ! -
沢山の鳥達が、サン・ピエトロ教会の上空を舞っていました。鐘楼が夕日に映えて美しいですね。
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背後には、つい今しがた立ち寄ったサン・ロレンツォ教会の鐘楼がピンクに染まっています。
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ドーリア城の南側斜面です。城の公開時間はとうに終了していたので、登るのはあきらめて、西側斜面沿いに歩いていきました。
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そそり立つ城壁。難攻不落の城の様相を呈しています。西側の道を進むと、墓地に出ました。
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壁一面のアパート式?墓地が並んでいます。最近亡くなった方の墓地のようです。
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城の北西角辺りまでやってきました。
ここからだと城の詳細はわかりませんが、内部は大きく二つのセクションに分かれているそうです。先ほど見えた南西角の塔がある低い部分には、港を臨むメインゲートがあり、そこから階段を上っていくと、今見えている北西角あたりに、1458年に建設され、8本の柱で構成された、アーチ型の天井を持つ列柱ホールと城主の部屋があるとの事です。 -
こちらは、リグーリア海を臨むお墓です。大変素朴な造りですが、味わいがありました。前にも同じようなことを書きましたが、壁の中や建物の床の下より、こちらの方が寝心地良さそうです。
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もう一度城を見上げて、しっかりと目に焼き付けて、戻ることにします。
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城からの景色は、ポルトヴェーネレだけでなく目の前に浮かぶパルマリア島や対岸まで見渡せて、更に見事だったでしょうね。
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城に行くには、この道を上って行くようです。帰り道は右の道をとります。
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サン・ロレンツオ教会を過ぎたところを下っていきます。
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こういう道が、ぞくぞくするほど好きです。
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右の雑多な石で作られた建物には、壁に幾度もの改修の跡が残っています。どうってことのない建物でも、こちらの人は一から作らず、今あるものを利用する傾向にあるようですね。日本人なら新築が一番なのですが・・・
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ここがメインストリート アルフレド・カッペリーニ通りVia Alfredo Cappelliniです。サン・ロレンツォ教会からドーリア城周辺は、人の気配が全くありませんでしたが、この通りに出たら、急に活気付きました。
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軍事施設が多いこの辺り、軍人さんの姿も見えます。
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パスタでつくったすだれがぶら下がっていたお店がありました。
写真にはありませんが、ジェノヴァ特産のジェノヴェーゼソース(イタリア語ではPesto)の瓶詰めを売るお店も、この近くにありました。私は、スーパーで買ったPestoで十分美味しかったのですが、店の主人の説明によると、「スーパーで買ったものはオリーブオイルで伸ばしてあるので、安いんだよ。ここのは違うよ。」と瓶を傾けてくれました。なるほど、オリーブオイルを多用した廉価品とやらは瓶の中で中身が動きますが、お店の特製品は、逆さにしても動きません。
でも、1瓶14ユーロ! ちょっと考えてしまいました。そんなに出せば、まずいわけないだろ〜!! -
あら!もう町の入口の門porta del borgoに着いてしまいました。もう少し上でゆっくりしている時間があったかもしれません。
ポルトヴェーネレのメインストリートは5分もあれば端から端まで行けてしまいます。 -
こちらが村の門(porta del Borgoは 村の門という意味)を外側から見た写真です。1113年の建造。後ろに控える塔 Torre Capitolareは1161年の建築です。
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上の門の拡大です。アーチの上に書かれているColonia Januensisとは、ラテン語でジェノヴァの植民地という意味。作られた年の1113年という年号が刻まれていますね。
門の左にある3つの白い大理石の容器のようなものは量りです。そこに、とうもろこしやワインを入れて量り、税金を徴収したそうです。一番左がワイン用。 -
この辺りには、古い城壁が残っているようです。何度も改修されているでしょうから、どこまでがオリジナルの城壁なのかさっぱりわかりません。
この城壁の前は、バストレリ広場Piazza Bastreriとなっています。 -
Genioホテルの上に見えるのは、ドーリア城の見張り塔の一部のようですね。城の南東部の角が随分と低い位置にあるのは意外でした。
しかし、こんなに素敵なところだと知っていたら、ポルトヴェーネレに1泊したかったですねえ。次回は、スーツケースを駅において、1泊分の荷物だけ持って泊まりに来ま〜す。 -
朝から歩き続けて、なんと25000歩を越えました。このたびでの最高新記録!
疲れましたが、なんとか陽が落ちる前に町を見ることが出来てラッキーでした。 -
こちらの海岸沿いをぶらぶら歩いていって、palazzataの建物群やサン・ピエトロ教会を眺める時間も欲しかったな。
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帰りのバスは、ちゃんと海側の席を確保しましたよ。
ラ・スペツィア湾 またの名を詩人達の湾Golfo dei Poetiの山の向こうに陽が沈みました。 -
これはおまけ。帰りのバスで女の子達が騒ぐので、何事だと思って窓の外を見たら、なんとヤギがお見送り。お疲れ様でした。
さあ、明日はまた移動日です。この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その33 サンレモ(1)で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ドロミティさん 2018/09/04 10:05:30
- ポルトヴェーネレ☆
- junemayさん、おはようございます^^
チンクエテッレ、ポルトヴェーネレを一気に楽しませていただきました!
今回は今までと少し違うjunemayさんのお茶目なコメントがとても新鮮でした^^
北イタリアに行ったらチンクエテッレをぜ~んぶ周りたいと思っていたけど、ポルトヴェーネレに宿泊してゆっくりするのも良いな~って考えが変わりました。
コメント中の「ポルトヴェーネレは征服され、再び征服され、滅ぼされ、再建され、買われ、売られ、再利用され、再ブランド化されたという歴史を持っています。」
には唸らされました~~ヽ(^o^)丿
いつも、「なるほど! ガッテン!」素敵な旅行記をありがとうございます。
ドロミティ
- junemayさん からの返信 2018/09/04 21:05:35
- RE: ポルトヴェーネレ☆
- ドロミティさん こんばんは
いつも訪問頂き、ありがとうございます。4年前ともなると、何を書いたのかさえ記憶がなくなりましたので、これを機会に読み返してみました。
おお〜 そうでした。チンクエテッレに夢破れ、スリに会い、ポルトベーネレに恋した1日でした。
でも、たまたま私が行った日が混雑していただけかもしれませんので、鵜呑みにしないでくださいね。1日で全部を回るのは結構ハードなので、2日間に分けてゆったり滞在すると、また異なった印象を受けると思います。
可能であれば、町から町へハイキングが出来るときにいらっしゃれたら、最高だと思いますよ。あの深いブルーの海の色は変わることがないでしょうから。
ポルトベーネレでは、あの寂しいお城から大海原を眺めてくださいね。対岸の島からサン・ピエトロ教会を望むのも良さげですね。旅行記楽しみにしています。
junemay
> junemayさん、おはようございます^^
>
> チンクエテッレ、ポルトヴェーネレを一気に楽しませていただきました!
> 今回は今までと少し違うjunemayさんのお茶目なコメントがとても新鮮でした^^
>
> 北イタリアに行ったらチンクエテッレをぜ?んぶ周りたいと思っていたけど、ポルトヴェーネレに宿泊してゆっくりするのも良いな?って考えが変わりました。
> コメント中の「ポルトヴェーネレは征服され、再び征服され、滅ぼされ、再建され、買われ、売られ、再利用され、再ブランド化されたという歴史を持っています。」
> には唸らされました??ヽ(^o^)丿
>
> いつも、「なるほど! ガッテン!」素敵な旅行記をありがとうございます。
> ドロミティ
>
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