2014/10/18 - 2014/10/18
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ドクターキムルさん
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神奈川県横須賀市久里浜8に鎮座する住吉神社は創建年代は不詳であるが、東鑑(吾妻鏡)、相模風土記(新編相模風土記稿か?)によれば、約1,000年前の創建と考えられている。祭神は中筒男命である。東鑑(吾妻鏡)の中に記載された古社であり、栗浜大明神(古名)として三浦一族水軍の船霊として信仰された。社伝では源頼朝も政子とともに参詣したとされる。
裏山には横穴古墳があり、久里浜港から北西にある丘陵地帯から遺跡や遺骨などが多数出土しており(吉井貝塚、八幡神社遺跡など)、弥生人より伝えられた稲作が行われた形跡が発見されている。
東京湾の入口である浦賀水道にあり、一見して、古代から丸木船や船で沖に出た際の帰港の目印となったであろう海に面した小高い山の中腹の潮風を避ける場所に鎮座しており、これは江嶋神社や富岡八幡宮などと同じ立地であり、神社が祀られたのは古(いにしえ)の古代のことであろうか。源頼朝が鎌倉に入った際に、鎌倉を守る水軍の基地として、房総半島(安房)、伊豆半島とともにここ三浦半島にも水軍が配置され、その水軍の守り神とされた。なお、鎌倉中には住吉神社は鎮座しておらず、唯一、玉縄地区の城廻に昭和になって創建された住吉神社が鎮座しているだけだ。
サラリーマンとなって神職を継ぐ者がなかったために、諏訪神社(横須賀市若松町3)の神主が兼務している。境内の清掃などは宮司家の一族がやっていた。
幕末には久里浜に上陸したペリーがこの神社の宮司家で休憩し、明治時代になるとしばしば伊藤博文も訪れたという。かつては伊藤博文が描いた油絵があったが、傷みがひどく焼却してしまった。実は、鎌倉時代から明治時代までの歴史に関わっている神社なのだ。
(表紙写真は住吉神社拝殿)
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住吉神社。
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住吉神社「ご由緒」看板。
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石鳥居にかかる「住吉神社」の扁額。
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住吉神社石段と石鳥居(二の鳥居)。石段の上には天保7年(1836年)銘の石柱が立つ。
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手水舎。
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手水鉢。古社の面影を残すものだ。
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庫の前には古い狛犬。
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古い狛犬。
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古い狛犬。
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境内には「社殿新築記念碑」と庚申塚。
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境内の庚申塚。屋根が掛かっている。
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左の庚申塔は風化がはげしい。右の4塔は「猿田彦大神」。
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住吉神社の石段。社殿は下段、中段、上段の上段に建てられている。
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猿田彦命神社鳥居。
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猿田彦命神社社殿。
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猿田彦命神社と稲荷社との間の木の根。
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稲荷社鳥居。
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稲荷社社殿。
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住吉神社拝殿。社殿は権現造であり、本殿があるが写真を撮り忘れた。
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住吉神社の社叢(しゃそう)。
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