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北方(ほっぽう)文化博物館は、新潟県新潟市江南区沢海(そうみ)にある博物館。豪農伊藤文吉の邸宅を博物館として整備し、美術工芸品や考古資料等を展示している。運営主体は財団法人北方文化博物館。館長は八代目伊藤文吉。<br />分館として新潟市中央区南浜通に会津八一が晩年を過ごした新潟分館、新発田市大栄町に新発田藩下屋敷であった清水園がある。<br /><br />2000年4月28日、主屋をはじめとした主要建造物計26件について、国の登録有形文化財に登録された。主要建物は1882年(明治15年)から1889年(明治22年)の建立である。<br />(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)<br /><br />越後の蒲原平野には信濃川と阿賀野川の大河があり、阿賀野川沿いの横越町(現新潟市)にある戸数三百余りの集落を「沢海(そうみ)」といいいます。ここ沢海の歴史は古く江戸時代の初期、慶長15年(1610年)から77年間は沢海城という城があり、11,000石のささやかな城下町として栄えていたと伝えられています。沢海城の築城以前は囲いの堤もなく、洪水の際には一面が水に押し流され、水が引き落ちても窪地に水がたまり、沢のようになるので「沢海」と名付けられたと言われています。<br />その後、沢海は天領となり、代官所、続いて旗本小浜の知行所が置かれていましたが、明治2年(1870年)に藩籍奉還となり、武家による社会は終わりを告げました。<br />このような歴史の中、江戸時代中期、農から身を起こし、やがて豪農への道を歩み、代を重ねて巨万の富を築いていった一族が伊藤家です。全盛期には、1市4郡60数ヶ町村に田畑1,370町歩(1,372ha)を所有し、越後随一の大地主として、その名は県下に鳴り響いていましたが、農地解放により広大な農地は伊藤家の所有を離れることになります。<br />この伊藤家の屋敷と住宅が、現在の北方文化博物館で、別名「豪農の館」と呼ばれています。<br />現在では、かつてのお城も代官所も、小浜時代の知行所も跡形もなく、ただ、かつて豪農の館、伊藤家だけが、昔の面影そのままに、数々の歴史を秘めて残っています。(下記より引用)<br /><br />美しい庭園に面した南面の座敷は、本棟に遅れること5年。明治20年(1887年)から2年かけて建てられました。 東側に大玄関があり、柱・天井・式台・戸は全て欅(けやき)造りで、特に式台と戸は一枚板で、当時の建材に贅をこらした建築様式がしのばれます。 南側の雨戸は26枚あり、全て左側の戸袋に納まってしまうという見事な構造です。座敷の欄間のならびには柱が1本も無く、上から釣ってあるので釣欄間と呼ばれています。 また土縁から見上げると、長さ15間半(28.18m)の一本の杉の丸桁がありますが、これは遠く会津の付近から、いかだで運ばれてきたものです。 このように見事な座敷が使用されたのは冠婚葬祭等の年数回の特別な行事の時だけで、100畳敷の大広間と言われています。(下記より引用)<br /><br />北方文化博物館 については・・<br />http://www.hoppou-bunka.com/top.html<br />

北方文化博物館 b  豪農/伊藤家邸宅跡を整備 ☆100畳敷の大広間もあり

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2014/08/25 - 2014/08/25

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マキタン2

マキタン2さん

北方(ほっぽう)文化博物館は、新潟県新潟市江南区沢海(そうみ)にある博物館。豪農伊藤文吉の邸宅を博物館として整備し、美術工芸品や考古資料等を展示している。運営主体は財団法人北方文化博物館。館長は八代目伊藤文吉。
分館として新潟市中央区南浜通に会津八一が晩年を過ごした新潟分館、新発田市大栄町に新発田藩下屋敷であった清水園がある。

2000年4月28日、主屋をはじめとした主要建造物計26件について、国の登録有形文化財に登録された。主要建物は1882年(明治15年)から1889年(明治22年)の建立である。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

越後の蒲原平野には信濃川と阿賀野川の大河があり、阿賀野川沿いの横越町(現新潟市)にある戸数三百余りの集落を「沢海(そうみ)」といいいます。ここ沢海の歴史は古く江戸時代の初期、慶長15年(1610年)から77年間は沢海城という城があり、11,000石のささやかな城下町として栄えていたと伝えられています。沢海城の築城以前は囲いの堤もなく、洪水の際には一面が水に押し流され、水が引き落ちても窪地に水がたまり、沢のようになるので「沢海」と名付けられたと言われています。
その後、沢海は天領となり、代官所、続いて旗本小浜の知行所が置かれていましたが、明治2年(1870年)に藩籍奉還となり、武家による社会は終わりを告げました。
このような歴史の中、江戸時代中期、農から身を起こし、やがて豪農への道を歩み、代を重ねて巨万の富を築いていった一族が伊藤家です。全盛期には、1市4郡60数ヶ町村に田畑1,370町歩(1,372ha)を所有し、越後随一の大地主として、その名は県下に鳴り響いていましたが、農地解放により広大な農地は伊藤家の所有を離れることになります。
この伊藤家の屋敷と住宅が、現在の北方文化博物館で、別名「豪農の館」と呼ばれています。
現在では、かつてのお城も代官所も、小浜時代の知行所も跡形もなく、ただ、かつて豪農の館、伊藤家だけが、昔の面影そのままに、数々の歴史を秘めて残っています。(下記より引用)

美しい庭園に面した南面の座敷は、本棟に遅れること5年。明治20年(1887年)から2年かけて建てられました。 東側に大玄関があり、柱・天井・式台・戸は全て欅(けやき)造りで、特に式台と戸は一枚板で、当時の建材に贅をこらした建築様式がしのばれます。 南側の雨戸は26枚あり、全て左側の戸袋に納まってしまうという見事な構造です。座敷の欄間のならびには柱が1本も無く、上から釣ってあるので釣欄間と呼ばれています。 また土縁から見上げると、長さ15間半(28.18m)の一本の杉の丸桁がありますが、これは遠く会津の付近から、いかだで運ばれてきたものです。 このように見事な座敷が使用されたのは冠婚葬祭等の年数回の特別な行事の時だけで、100畳敷の大広間と言われています。(下記より引用)

北方文化博物館 については・・
http://www.hoppou-bunka.com/top.html

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス
旅行の手配内容
個別手配

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