2014/10/07 - 2014/10/07
1187位(同エリア1583件中)
ドクターキムルさん
- ドクターキムルさんTOP
- 旅行記7517冊
- クチコミ134件
- Q&A回答247件
- 6,310,056アクセス
- フォロワー39人
藤沢宿の白幡交差点の辻にある石段は山王神社跡である。北条氏に代わって、天正18年(1590年)に徳川家康が江戸に入封すると、京との往来のために、慶長元年(1596年)に藤沢御殿が藤沢の氏神である撥塚山王権現(ばちずかさんのうごんげん)社の神域(藤沢公民館の北)に造られた。その後、寛永11年(1634年)に3代将軍徳川家光が、朝廷より太政大臣という最高官位を授かるために江戸より上洛するにあたり、御殿を新築するために、山王権現社は領家(りょうけ)町(坂戸町)の西の山上に遷座し、藤沢宿の最初の総鎮守となった。その後、山王山と呼ばれるようになり、山王神社は明治40年(1907年)に整理統合され白幡神社に合祀された。
なお、八王山常光寺の裏の弁慶塚がある八王子社跡があるが、八王子権現は山王権現の祭神大国主尊の子であり、山王社のある地は必ず八王子権現を祭るとされる。
藤沢高校は大正14年(1925年)に藤沢町立実科高等女学校として設立され、山王神社跡に建てられた。その後、昭和3年(1928年)に藤沢高等女学校と改称し、戦後の昭和26年(1951年)に県に移管され、男女共学の神奈川県立藤沢高等学校となった。しかし、実質的には女子高であり、男子生徒が入学してきたのは平成17年(2005年)のことである。
神奈川県立大清水高等学校と再編統合し、大清水高等学校の校地・設備等をそのまま継続使用する形で神奈川県立藤沢清流高等学校となったために、平成23年(2011年)に閉校した。
85年の歴史のうち78年間は女子校であったために、今でも藤沢市民は藤沢高校は女子高だったと言う。
(表紙写真は藤沢高校跡)
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ドクターキムルさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
2