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陣場野や歴史民俗資料館を見学した後、東首塚に行きました。今まで余り気がつかなかった、戦場の後始末や戦死者の供養をした関ヶ原の領主・竹中家(半兵衛の子孫)や地元の人々の功績にも思いをはせることが出来ました。昼食後は念願の、大谷吉継さんのお墓参り。石田三成は友達少なくて誤解されやすいけれど、大谷さんみたいないい友達がいるから羨ましいなと思っています。

関ヶ原古戦場巡り2

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2013/11/02 - 2013/11/02

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ふろすと

ふろすとさん

陣場野や歴史民俗資料館を見学した後、東首塚に行きました。今まで余り気がつかなかった、戦場の後始末や戦死者の供養をした関ヶ原の領主・竹中家(半兵衛の子孫)や地元の人々の功績にも思いをはせることが出来ました。昼食後は念願の、大谷吉継さんのお墓参り。石田三成は友達少なくて誤解されやすいけれど、大谷さんみたいないい友達がいるから羨ましいなと思っています。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 東首塚の門。立派な大きな門でした。

    イチオシ

    東首塚の門。立派な大きな門でした。

  • スダジイの大木が茂った塚。

    スダジイの大木が茂った塚。

  • 立派なお堂もありました。

    立派なお堂もありました。

  • 手前の井戸が「首実検の古井戸」です。ここで首実検の前に首を洗って、綺麗に見やすくされました。

    手前の井戸が「首実検の古井戸」です。ここで首実検の前に首を洗って、綺麗に見やすくされました。

  • 立派なスダジイの大木。

    立派なスダジイの大木。

  • 家康により首実検された将兵達の首は、ここに眠っています。

    家康により首実検された将兵達の首は、ここに眠っています。

  • 首塚の由来や戦死した将兵達への思いを、江戸時代後期、関ヶ原宿の年寄が刻んだ「首級墳碑」。

    首塚の由来や戦死した将兵達への思いを、江戸時代後期、関ヶ原宿の年寄が刻んだ「首級墳碑」。

  • 町を歩いていると、突然戦国武将が登場してきます。これが関ヶ原町らしいところかな。

    町を歩いていると、突然戦国武将が登場してきます。これが関ヶ原町らしいところかな。

  • また史跡らしき所がありました。

    また史跡らしき所がありました。

  • 家康四男の松平忠吉と、井伊直政の陣跡。この両者が島津義弘隊に攻撃し、開戦の火蓋が切られました。

    家康四男の松平忠吉と、井伊直政の陣跡。この両者が島津義弘隊に攻撃し、開戦の火蓋が切られました。

  • 合戦の後は中山道の宿場町として栄えた関ヶ原。ここは脇本陣跡です。

    合戦の後は中山道の宿場町として栄えた関ヶ原。ここは脇本陣跡です。

  • 昼食を取ったレストラン伊吹。

    昼食を取ったレストラン伊吹。

  • あんかけ焼きそばを食べました。

    あんかけ焼きそばを食べました。

  • 落ち着いた感じの店内でした。

    落ち着いた感じの店内でした。

  • コンビニで自転車を借りて、関ヶ原の町を走ります。

    コンビニで自転車を借りて、関ヶ原の町を走ります。

  • 自転車から降りて、山道を歩きます。

    自転車から降りて、山道を歩きます。

  • 山道を15分ほど登ると、大谷吉継さんのお墓を示す石碑がありました。

    山道を15分ほど登ると、大谷吉継さんのお墓を示す石碑がありました。

  • 親友の石田三成の苦悩を察し、死を覚悟して西軍に加わり、小早川秀秋の裏切りも予感していたという大谷吉継さんは、とても好きな武将の1人です。昔見た『関ヶ原』の高橋幸治さん演じる大谷さんが、かっこよすぎでした。

    イチオシ

    親友の石田三成の苦悩を察し、死を覚悟して西軍に加わり、小早川秀秋の裏切りも予感していたという大谷吉継さんは、とても好きな武将の1人です。昔見た『関ヶ原』の高橋幸治さん演じる大谷さんが、かっこよすぎでした。

  • これが大谷吉継さんのお墓です。関ヶ原に骨を埋めた戦国武将は、大谷さんくらいかも知れません。この墓は、敵方の藤堂家によって建てられました。

    イチオシ

    これが大谷吉継さんのお墓です。関ヶ原に骨を埋めた戦国武将は、大谷さんくらいかも知れません。この墓は、敵方の藤堂家によって建てられました。

  • 業病(ハンセン氏病)に冒されていたとも言われる大谷吉継の首を命令通り隠し、東軍・藤堂勢に討たれた忠臣・湯浅五助の墓。この主君にしてこの家臣有りです。

    業病(ハンセン氏病)に冒されていたとも言われる大谷吉継の首を命令通り隠し、東軍・藤堂勢に討たれた忠臣・湯浅五助の墓。この主君にしてこの家臣有りです。

  • 地元の垂井城主・平塚為広の碑。彼は大谷吉継と親しく、大谷隊に加わって奮戦し、討ち死にしました。彼のことはこの石碑で初めて知りました。いくつもの友情物語があったんですね。他にも私の知らないドラマが、関ヶ原にはいくつも眠っているような気がしました。

    地元の垂井城主・平塚為広の碑。彼は大谷吉継と親しく、大谷隊に加わって奮戦し、討ち死にしました。彼のことはこの石碑で初めて知りました。いくつもの友情物語があったんですね。他にも私の知らないドラマが、関ヶ原にはいくつも眠っているような気がしました。

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