2014/09/23 - 2014/09/23
439位(同エリア615件中)
むしころさん
中津城が見てみたくなり、行ってきました。
北九州空港から、バスで中津へ、
祝日だから混みあっているかなと思いきや、他にバスに乗る人がおらず・・・
お城はさすがに人がいたけど、九州、特に地元大分の人たちが多かったようです。
石垣がすごく良かったのと、落ち着いた静かな街でありました。
福沢諭吉と前野良沢もこの地の人だと知りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス スターフライヤー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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中津駅。南側。
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中津駅、北側。福沢諭吉さんの像が立っております。
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駅から北に向かい歩く。
観光マップがありました。 -
祝日だけど、静か。
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ここでお昼を食べよう!
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先ほどの公園から北へ。
パブとかが並ぶ細い道にこの表示。 -
そして寺町へ。
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赤い壁で有名な合元寺
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宇都宮氏一族郎党を惨殺したところ壁の血が消えなかったため赤く塗ったそうだ。
本尊様をお参りしたかったけれど本堂は締め切られていました。
残念だなあ〜 -
浄土宗なんだ。
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円応寺
天正15年(1587年)黒田官兵衛の開基によって建立された浄土宗寺院。 -
ここは河童の墓というのがあるそうだ。
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河童の池と河童の墓は墓地の奥のほうにあります。
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河童の池。
水、枯れてる -
河童の墓
かなり頑丈なつくり。
「下毛郡誌」によると野村太郎兵衛祐勝の墓とされています。
彼は黒田二十四騎の一人で、宇都宮鎮房を謀殺する時に一の太刀を浴びせました。 -
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西蓮寺
黒田官兵衛の弟が開創。 -
寺町を過ぎて今度は、西へ、
福沢諭吉旧居があります。 -
さらに進むと、中津城の二の丸付近。
神明宮があった。 -
そこには樹齢400年の銀杏の木もありました、
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お城のマップ
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模擬天守です。
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見所は石垣!
下のほうは黒田時代だそうです。 -
お堀は川の水がそのまま引き込まれています。
海が近いこともあり
満潮のときには色が変わっているあたりまで水がくるそうだ。 -
Yの字になっているところが、黒田時代の石垣とその後の細川時代の石垣の境目だそうです。
右側の大きい四角い石垣が黒田時代。 -
黒田氏が中津城を築城し始めたのは天正16年(1588年)
四角い石はここから川上にある福岡県上毛町にある七世紀の「唐原山城」からもってきたものです。
白村江の戦いなどで緊張していた時期、防衛のため築かれたお城だったそうです。 -
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お城は川沿いにあります。
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大きな石は水運を利用し川向こうの唐原山城の石垣を運びました。
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ということで、お川に面した部分はほとんど再利用の石
大きくて四角い石がいっぱい -
川沿いを歩いて今度は本丸跡へ
城井神社
宇都宮鎮房公を祀っています -
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扇城神社はただいま修復中で、見られませんでした。
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鉄御門跡
昔の城の絵図を見ると、ここには石垣とその間に鉄の門が書かれていました。
さらにこの近くに天守のようなものも描かれていました。
だからもしかしたら本当はこの神社の付近に天守があったのかもしれません。 -
右側は官兵衛資料館(無料)
大河ドラマのパネルとか、官兵衛の九州での戦いについてのパネルがありました。 -
中津大神宮
明治時代につくられたようだ。
日露記念っていう石碑があった。 -
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四本杭が見えますが、祇園祭の山車の車輪がここに沈めてあるそうです。
こうしたほうが痛まないらしい。 -
この場所が写真を撮るときの定番らしい。
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城の南西方向。
手前を流れる山国川の向こうは福岡県です。 -
地元のガイドさんによると、向こうの川岸、千本松河原で宇都宮氏の娘、と侍女たちが磔にされたといわれているそうです。
大河ドラマだと娘は逃がされていたのですが、そういう説もあるそうです。
ただ地元のガイドさんは磔にされた説を支持していました。 -
たぶんあちらの遠くのほうに唐原山城があると思われる。
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北側。
川の向こうはすぐ海です。
ここから早舟を出して瀬戸内海を通り大阪まで三日間で行くことができました。
上関(山口)、鞆の浦(広島)、大阪と、リレー方式になっていました。 -
お城の南方向。
かつての外堀は線路のあたりにありました。
その内側におかこい山という土塁も築かれており、一部が残っています。 -
お城南側の石垣。
穴太衆の技が見ることができます。
石垣の真ん中が少し内側に入っていてゆるいカーブを描いています。
「輪取り」というそうです。
石垣を崩れにくくする技です。 -
このあたりの石は自然石。
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中津大神宮のために石垣を削ってしまいました。
そして、鳥居と道を作りました。
本当はここは石垣で囲われていて、東西にある門から入場するようになっていました。 -
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堀と、蓮と、石垣と、天守
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中津城から南下して歴史民俗資料館へ。
資料館の前に「中津水道」の説明があった。
細川時代に着手し、小笠原時代にも整備を進めた上水道です。 -
昭和4年まで使われていたそうです。
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街を歩いていると所々、町名板が設置されていました。
お城の南側は武家屋敷が沢山あり、東側はお寺が配置されています。 -
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広津口付近にあった。
これもおかこい山かな。 -
自性寺
池大雅の書画を見ることができます。 -
おかこい山は細川時代に完成しましたが黒田時代から築かれ始めたのではないかと考えられているそうです。
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半割玉石を使った土塀。
塀の造り方にも色々技があるのだなあ・・・ -
黒田二十四騎の一人、栗山善助さまの子孫の方が営む和菓子屋さんへ。
外郎と最中を購入。 -
今まで外郎のおいしさが分からなかったのですが
これはじんわりと素朴な甘味の中に生姜のピリッとした味がして、歯ざわりがもちもちしていて美味しかったです。
黒いほうが黒糖が入っていて、中に少し漉し餡。
白いほうはシンプルに何も入っていないもの。
お店の方とちょっとお話して、ほのぼのしたところで中津を後にしたのでした・・・。
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