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〔旅のテーマ〕<br />遠州の諸城を訪れる。<br />本場浜松でうなぎを食べる。<br />新東名を初体験する。<br /><br />〔同行者〕<br />友人(現在の妻)<br /><br />〔日程〕<br />一日目(3月19日)<br />■掛川城(掛川市)<br />■横須賀城(同)<br />■湖上百景浜名湖かんざんじ荘(浜松市・宿泊先)<br /><br />二日目(3月20日・祝)<br />■浜名湖パルパル(同)<br />■浜松城(同)<br />■犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館(同)<br />■浜名湖うなぎ「丸浜」(同・昼食)<br /><br /><br />

遠州ふたり旅

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2013/03/19 - 2013/03/20

17148位(同エリア31204件中)

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norisuke

norisukeさん

〔旅のテーマ〕
遠州の諸城を訪れる。
本場浜松でうなぎを食べる。
新東名を初体験する。

〔同行者〕
友人(現在の妻)

〔日程〕
一日目(3月19日)
■掛川城(掛川市)
■横須賀城(同)
■湖上百景浜名湖かんざんじ荘(浜松市・宿泊先)

二日目(3月20日・祝)
■浜名湖パルパル(同)
■浜松城(同)
■犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館(同)
■浜名湖うなぎ「丸浜」(同・昼食)


同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 横浜の自宅を7時半ごろ出発し、横浜新道や長後街道などを経由し、藤沢で同行者をピックアップ。県道22号などが渋滞していたため、9時過ぎに厚木インターから東名高速に入る。10時前、鮎沢パーキングエリアで朝定食=写真=。

    横浜の自宅を7時半ごろ出発し、横浜新道や長後街道などを経由し、藤沢で同行者をピックアップ。県道22号などが渋滞していたため、9時過ぎに厚木インターから東名高速に入る。10時前、鮎沢パーキングエリアで朝定食=写真=。

    鮎沢パーキングエリア 道の駅

  • 東名高速は順調で、正午ごろ、掛川市内に到着。掛川城近くの市営駐車場を利用し、徒歩で天守閣へ。写真は駐車場からすぐの場所にある同城大手門(1995年復元)。

    東名高速は順調で、正午ごろ、掛川市内に到着。掛川城近くの市営駐車場を利用し、徒歩で天守閣へ。写真は駐車場からすぐの場所にある同城大手門(1995年復元)。

    掛川城天守閣 名所・史跡

  • 大手門から徒歩約5分、掛川城天守閣に到着=写真=。掛川市のホームページによると、室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。掛川城周辺には、四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノが約130本植えられており、毎年春には多くの人の目を楽しませています、とのこと。

    大手門から徒歩約5分、掛川城天守閣に到着=写真=。掛川市のホームページによると、室町時代、駿河の守護大名今川氏が遠江進出を狙い、家臣の朝比奈氏に命じて築城させたのが掛川城のはじまりです。戦国時代には、山内一豊が城主として10年間在城しました。働き盛りの一豊は大規模な城郭修築を行い、天守閣、大手門を建設するとともに、城下町の整備や大井川の治水工事などに力を注ぎました。掛川は、一豊の人生にとって大きな意味をもつ土地であり、高知城は掛川城を模して作られたとも伝えられています。現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に「東海の名城」と呼ばれた美しさそのままに、日本初の「本格木造天守閣」として復元されたものです。掛川城周辺には、四季桜、しだれ桜、ソメイヨシノが約130本植えられており、毎年春には多くの人の目を楽しませています、とのこと。

    掛川城天守閣 名所・史跡

  • 天守の前に建つ太鼓櫓。

    天守の前に建つ太鼓櫓。

    掛川城天守閣 名所・史跡

  • 復元から約20年が経った「本格木造天守閣」の内部はまだまだ真新しい感じ。

    復元から約20年が経った「本格木造天守閣」の内部はまだまだ真新しい感じ。

    掛川城天守閣 名所・史跡

  • 天守から二の丸御殿(国指定重文)を望む。

    天守から二の丸御殿(国指定重文)を望む。

    掛川城天守閣 名所・史跡

  • 最上階から掛川市街を望む。

    最上階から掛川市街を望む。

    掛川城天守閣 名所・史跡

  • 天守見学を終え二の丸御殿へ=写真=。掛川市のホームページによると、御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています、とのこと。

    天守見学を終え二の丸御殿へ=写真=。掛川市のホームページによると、御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています、とのこと。

    掛川宿 名所・史跡

  • 書院造の御殿内部。

    書院造の御殿内部。

    掛川城天守閣 名所・史跡

  • その後、同城に隣接する市立中央図書館=写真右の瓦屋根=周辺を散策。

    その後、同城に隣接する市立中央図書館=写真右の瓦屋根=周辺を散策。

  • ソメイヨシノはほぼ満開といった感じ。

    ソメイヨシノはほぼ満開といった感じ。

  • 14時半ごろ、横須賀城に到着=写真=。Wikipediaによると、横須賀城(よこすかじょう)は、遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市横須賀)に戦国時代から江戸時代にあった日本の城。平城。徳川家康は武田氏の高天神城を締め付ける付城群の中核として、大須賀康高に命じて築いた城郭である。大須賀家2代の後、渡瀬家1代、有馬家1代、その後、再び大須賀家2代となるが除封され、能見(松平)家2代、井上家2代、本多家1代とめまぐるしく藩主が代わり、西尾忠成が2万5千石で入封し、以後7代をもって明治維新を迎える、とのこと。

    14時半ごろ、横須賀城に到着=写真=。Wikipediaによると、横須賀城(よこすかじょう)は、遠江国城東郡横須賀(静岡県掛川市横須賀)に戦国時代から江戸時代にあった日本の城。平城。徳川家康は武田氏の高天神城を締め付ける付城群の中核として、大須賀康高に命じて築いた城郭である。大須賀家2代の後、渡瀬家1代、有馬家1代、その後、再び大須賀家2代となるが除封され、能見(松平)家2代、井上家2代、本多家1代とめまぐるしく藩主が代わり、西尾忠成が2万5千石で入封し、以後7代をもって明治維新を迎える、とのこと。

    横須賀城跡 名所・史跡

  • 同城最大の特徴は、「玉石積み」という丸い河原石を用いた石垣。

    同城最大の特徴は、「玉石積み」という丸い河原石を用いた石垣。

    横須賀城跡 名所・史跡

  • 本丸からの眺め=写真=。案内板によると、江戸中期まで城の前には逆川の河口が広がっていたが、1707年の宝永地震により隆起してしまったということ。城内に見学者はおらずとてもひっそりとした雰囲気だった。

    本丸からの眺め=写真=。案内板によると、江戸中期まで城の前には逆川の河口が広がっていたが、1707年の宝永地震により隆起してしまったということ。城内に見学者はおらずとてもひっそりとした雰囲気だった。

    横須賀城跡 名所・史跡

  • 同城内の三日月堀。

    同城内の三日月堀。

    横須賀城跡 名所・史跡

  • 同城見学後、予定していた高天神城はタイムオーバーのため泣く泣く断念する。浜松市の舘山寺温泉にある宿泊先を目指すため、掛川インターから東名高速へ。途中、遠州豊田パーキングエリアで遅い昼食=写真=。

    同城見学後、予定していた高天神城はタイムオーバーのため泣く泣く断念する。浜松市の舘山寺温泉にある宿泊先を目指すため、掛川インターから東名高速へ。途中、遠州豊田パーキングエリアで遅い昼食=写真=。

    遠州豊田パーキングエリア 道の駅

  • 17時ごろ、今夜の宿泊先「湖上百景浜名湖かんざんじ荘」に到着=写真=。もともとは国民宿舎だったという同施設、現在は遠州鉄道の関連会社が指定管理者として運営しているとのこと。

    17時ごろ、今夜の宿泊先「湖上百景浜名湖かんざんじ荘」に到着=写真=。もともとは国民宿舎だったという同施設、現在は遠州鉄道の関連会社が指定管理者として運営しているとのこと。

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • 八畳の和室(トイレ付)。

    八畳の和室(トイレ付)。

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • 部屋からは浜名湖や東名高速などを一望できた。また、その後入浴した展望風呂からの浜名湖の夕景もきれいだった。

    部屋からは浜名湖や東名高速などを一望できた。また、その後入浴した展望風呂からの浜名湖の夕景もきれいだった。

    浜名湖 自然・景勝地

  • 遠州鉄道の関連会社が運営する同施設、館内には鉄道コーナーがあり、自社線に関する展示のほか、鉄道模型などもあった。

    遠州鉄道の関連会社が運営する同施設、館内には鉄道コーナーがあり、自社線に関する展示のほか、鉄道模型などもあった。

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • 夕食は食堂でスタンダードプラン+αという「風月会席」。

    夕食は食堂でスタンダードプラン+αという「風月会席」。

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • 揚げたての天ぷらや

    揚げたての天ぷらや

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • 焼きガニ、

    焼きガニ、

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • うなぎの蒲焼などもおいしくいただく。

    うなぎの蒲焼などもおいしくいただく。

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • 朝食も食堂でおいしくいただく。

    朝食も食堂でおいしくいただく。

    湖上百景 浜名湖かんざんじ荘 宿・ホテル

  • 10時ごろチェックアウトし、宿泊先からすぐの場所にある遊園地「浜名湖パルパル」へ=写真=。宿泊先と同じ会社が運営する同施設、チェックアウト時に招待券をもらっていたため入場無料だったが、駐車場代(1000円)は必要だった。祝日のためか、園内は家族連れでとてもにぎわっていた。アトラクションなどには乗らず、30分ほど園内を散策して退場。

    10時ごろチェックアウトし、宿泊先からすぐの場所にある遊園地「浜名湖パルパル」へ=写真=。宿泊先と同じ会社が運営する同施設、チェックアウト時に招待券をもらっていたため入場無料だったが、駐車場代(1000円)は必要だった。祝日のためか、園内は家族連れでとてもにぎわっていた。アトラクションなどには乗らず、30分ほど園内を散策して退場。

    浜名湖パルパル テーマパーク

  • 正午ごろ、浜松城に到着=写真=。史実によれば、天守は存在しなかったといわれる同城だが、戦後の天守閣復興ブームに乗り、1958年にRC造の天守が建設。天守内は徳川家康や浜松城に関する資料館になっていた。同城最大の特徴といわれる「野面積み」といわれる石垣は荒々しくて見事だった。

    正午ごろ、浜松城に到着=写真=。史実によれば、天守は存在しなかったといわれる同城だが、戦後の天守閣復興ブームに乗り、1958年にRC造の天守が建設。天守内は徳川家康や浜松城に関する資料館になっていた。同城最大の特徴といわれる「野面積み」といわれる石垣は荒々しくて見事だった。

    浜松城 名所・史跡

  • 天守最上階から浜松市街を望む。

    天守最上階から浜松市街を望む。

  • 浜松城公園のしだれ桜は満開といった感じ。

    浜松城公園のしだれ桜は満開といった感じ。

    浜松城公園 紅葉

  • その後、浜松城公園駐車場に車を止めたまま、軽便鉄道奥山線(通称ラッキョウ軽便)の廃線跡の上を通る遊歩道=写真=を歩いて、犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館へ。犀ヶ崖の戦いとは、1573年に現在の浜松市で徳川家康が武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦いの一部で、一矢報いようとした徳川軍による夜襲戦のこと。奇襲により混乱した多くの武田軍の将兵が犀ヶ崖に転落死したといわれている。

    その後、浜松城公園駐車場に車を止めたまま、軽便鉄道奥山線(通称ラッキョウ軽便)の廃線跡の上を通る遊歩道=写真=を歩いて、犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館へ。犀ヶ崖の戦いとは、1573年に現在の浜松市で徳川家康が武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦いの一部で、一矢報いようとした徳川軍による夜襲戦のこと。奇襲により混乱した多くの武田軍の将兵が犀ヶ崖に転落死したといわれている。

    犀ケ崖古戦場 名所・史跡

  • 浜松城から徒歩約30分、13時半ごろ、犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館に到着=写真=。浜松市のホームページによると、犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されてきました。浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1982年)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。また、犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷で、三方原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。昭和58年4月開館。建物の建て替えのため、犀ヶ崖資料館は平成26年4月1日より一時閉館します。新館のオープンは平成27年2月頃を予定しています。なお、県指定史跡の「犀ヶ崖」は資料館閉館中でも見学は可能です、とのこと。

    浜松城から徒歩約30分、13時半ごろ、犀ヶ崖古戦場・犀ヶ崖資料館に到着=写真=。浜松市のホームページによると、犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されてきました。浜松市は、昭和47年(1972年)3月に遠州大念仏を無形民俗文化財に指定するとともに、昭和57年(1982年)には、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示することにしました。この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。また、犀ヶ崖は浜松城の北側約1キロメートルにある渓谷で、三方原古戦場として昭和14年(1939年)に、静岡県の史跡に指定されました。昭和58年4月開館。建物の建て替えのため、犀ヶ崖資料館は平成26年4月1日より一時閉館します。新館のオープンは平成27年2月頃を予定しています。なお、県指定史跡の「犀ヶ崖」は資料館閉館中でも見学は可能です、とのこと。

    犀ケ崖古戦場 名所・史跡

  • 現在、一部がコンクリートによって整備された犀ヶ崖だが、高低差は十メートルを優に超えており、合戦当時の阿鼻叫喚、地獄絵図が容易に想像できた。

    現在、一部がコンクリートによって整備された犀ヶ崖だが、高低差は十メートルを優に超えており、合戦当時の阿鼻叫喚、地獄絵図が容易に想像できた。

    犀ケ崖資料館 美術館・博物館

  • 14時過ぎ、浜松駅前のコインパーキングに駐車し、浜松駅ビルメイワン・ビックカメラ館内の「浜名湖うなぎ丸浜」で遅い昼食=写真=。二段のうな重初体験、幸せ。

    14時過ぎ、浜松駅前のコインパーキングに駐車し、浜松駅ビルメイワン・ビックカメラ館内の「浜名湖うなぎ丸浜」で遅い昼食=写真=。二段のうな重初体験、幸せ。

    浜名湖うなぎ 丸浜 グルメ・レストラン

  • 食後、入場券を買って新幹線見学。

    食後、入場券を買って新幹線見学。

    浜松駅

  • 16時ごろ、同駅を出発。浜松北インターから新東名高速に入り、駿河湾沼津サービスエリア=写真=などで休憩をしながら帰宅の途につく。<br /><br />【旅の感想】<br />帰路、新東名を初体験。広くまっすぐで大胆なトンネルなどなど、あまりの大盤振る舞いぶりに少々当惑した。そして本場浜松のうなぎはうまかった。

    16時ごろ、同駅を出発。浜松北インターから新東名高速に入り、駿河湾沼津サービスエリア=写真=などで休憩をしながら帰宅の途につく。

    【旅の感想】
    帰路、新東名を初体験。広くまっすぐで大胆なトンネルなどなど、あまりの大盤振る舞いぶりに少々当惑した。そして本場浜松のうなぎはうまかった。

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