2014/06/08 - 2014/06/08
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junemayさん
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個人旅行は何度も経験済みですが、海外の一人旅は久々。友人からフランスのトゥールーズから1時間位の距離にあるロット川のクルーズに誘われたのをきっかけに、その前後にイタリア、スペインを旅しようと計画したのが今回のたび。どこを歩くかは余り深く考えないで、大雑把な計画と宿泊先だけを決めていざ出陣です。スーツケースをなるべく持たなくて良いよう、駅近の安いホテルにこだわりました。ガイドブックも必要な分だけコピーして、途中で捨てられるよう準備。衣類も最低限に抑えたつもりでしたが、旅行中毎日快晴に恵まれたため、結果的には無駄な衣類が随分と出ました。昼はともかく、夜一人でレストランに入る勇気がないため、簡易クッカーを購入。スーパーで購入した食料で自炊もしました。好きな場所に好きなだけいたいという希望が叶った1ヶ月のたびとなりました。
日程表
6月3日(火) 羽田→フランクフルト→ベネチア
6月4日(水) ベネチア
6月5日(木) ベネチア
6月6日(金) ベネチア→フレンツェ
6月7日(土) フィレンツェ→シエナ→サンジミニャーノ→フィレンツェ
6月8日(日) フィレンツェ
6月9日(月) フィレンツェ
6月10日(火) フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ラスペチア
6月11日(水) ラスペチア→チンクエテッレ→ラスペチア→ポルトベーネレ→ラスペチア
6月12日(木) ラスペチア→サンレモ
6月13日(金) サンレモ→ベンティミッリヤ→サンレモ
6月14日(土) サンレモ→ニース→トゥールーズ
6月15日(日) トゥールーズ→アルビ→コルドシュルシエル→アルビ近郊
6月16日(月) アルビ近郊→カオール→船旅開始(Le Lot)
6月17日(火) 船中泊(Le Lot)
6月18日(水) 船中泊(Le Lot)
6月19日(木) 船中泊(Le Lot)
6月20日(金) 船中泊(Le Lot)
6月21日(土) ラロックデザルクス→フィジャック→ロカマドール
6月22日(日) ロカマドール→フィジャック→カオール
6月23日(月) カオール→トゥールーズ→フィゲレス
6月24日(火) フィゲレス→カダケス→フィゲレス
6月25日(水) フィゲレス→ファルサ→プボル→ジローナ→フィゲレス
6月26日(木) フィゲレス→バルセロナ
6月27日(金) バルセロナ
6月28日(土) バルセロナ→モンセラ→バルセロナ
6月29日(日) バルセロナ
6月30日(月) バルセロナ→フランクフルト→
7月1日(火) →羽田
今日は日曜日。安息日です。午前中は昨日のシエナ、サン・ジミニャーノに行った疲れからかゴロゴロ。安息日の惰眠をむさぼり、10時過ぎにようやく活動を始めて、ホテルを出発したのが11時過ぎ。足の向くまま、気の向くまま、初めてのフィレンツェ散歩を開始しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルの前の道はフラテッリフォッセッリ大通り。町の西にあるプラート門 Porta Al Pratoが少し先に見えました。13世紀のプラート門は、フィレンツェ共和国を守っていた城壁の一部でした。16世紀になり、その頃誕生した大砲などによる攻撃に対応する為に、新たにロッジアと屋根が取り付けられたそうです。
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プラート門は横目でちらっと見ただけ。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を通り過ぎると、駅名の由来にもなったサンタ・マリア・ノベッラ教会に突き当たりました。1246年着工。教会は駅に背を向けているので、正面に行くには、駅からアヴェッリ通り沿いにぐるっと回る格好になります。
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教会内部を見学する際には、写真中ほどのアーチをくぐったところにチケット売り場があるのですが、この日は日曜日のためか、閉まっていました。
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サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面にやってきました。ファサードは14世紀の白と緑の大理石を用いた幾何学的デザインで、ペディメントにはなんと!太陽が描かれています。
ファサード上部だけで、太陽を入れて丸が4つ、長方形が6つ、正方形が15も使われていますね。入口が開いていたので、中に入りましたが、5分も経たないうちにミサの時間だと言われて追い出されてしまいました。もう少し早く来れば良かったなあ。残念。 -
真正面からのファサード。
聖堂の右側の、白く突き出ている大理石でできたものが気になったので、調べてみたら、グノモンという日時計に似た装置だそうです。
また、こちらは全く気がつかなかったのですが、左側に見える丸い金属のワッカのようなものは、青銅の儀球というのだそうです。天球の地球や太陽の周りの星の動きを示すもので、ペルージャからやって来たドミニコ会修道士イグナツィオ・ダンティによって作られ、固定されたそうです。彼はこれらのツールを用いて、暦年とユリウス暦の間の不一致を発見した有名な天文学者とのこと。ガリレオといい、ダンティといい、当時の教会は超アカデミックな存在だったのですね。 -
サンタ・マリア・ノヴェッラを追い出された後は、同名の広場を横切り、ドゥオモに会うためにバンキ通りVia dei Banchiを進みました。
テレビで何度も見たことのある大きなドームが道の向こうに姿を現したときには少しどきどきしました。 -
ドゥオモの手前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂 Battistero di San Giovanniは修復中でした。
ドゥオモとジョットの鐘楼、そしてこの洗礼堂が揃ってこそのフィレンツェだと思っていたので、がっかり! -
そして、工事用シートの向こうに、ドゥオモ フィレンツェ大聖堂 Cattedrale di Santa Maria del Fioreが現れました。初めての対面! 何度も映像では見ていたにもかかわらず、体が震えるほど感動しました。
ドゥオモ(大聖堂)は1296年から140年以上をかけて建設されましたが、調べてみたら、このファサードは意外にもドゥオモの他の部分と比べると、歴史が新しいんですね。
ファサードはドゥオモの最初の建築責任者アルノルフォ・ディ・カンビオの設計により、建設と同時に着工されたのですが、カンビオの死により中断。それから19世紀になるまで未完成のままであったそうです。エミリオ・デ・ファブリスが新しいファサードを完成させたのは今から127年前の1887年のことでした。 -
ファサードを3等分した左側部分です。
半円形のモザイク画は、ニッコロ・バラビーノの作品で、フィレンツェの慈善財団創設者によるチャリティの様子を描いた作品だそうです。集まっている人々は、当時の慈善団体関係者、病院長など有力者達です。 -
(左側部分続き)ファサードにある彫像は、全て教会に関係のある人たちです。調べてみればみるほど興味深いエピソードが出てきます。
こちらは枢機卿ピエトロ・ヴァレリアーニ。彼は1296年のドゥオモの基礎工事を祝福しました。 -
(左側部分続き)こちらは、アゴスチーノ・ティナッチ司教。彼は1357年、ドゥオモ最初のピラスター(飾り柱)を祝福しました。
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続いて中央部分です。ファサードにある3つのモザイク画 は全てニッコロ・バラビーノの作品です。中央アーチのモザイクは、キリストの即位で、マリア、聖ヤコブの姿が認められます。
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中央アーチの上部、十二使徒に囲まれた「マリア様と幼子」のアップです。ティト・サロッチの作。下から撮ったので、こんな姿になってしまいました。
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「マリア様と幼子」の下に位置するこの3角形の部分が、ファサードで一番重要な部分とされています。
少し年とったマリア様が中央に座り、その周りを11人の天使が取り囲んでいます。てっぺんには青銅製の鳩。マリア様の足元には羊が捧げられた祭壇があります。そしてマリア様の前にいるのは、大聖堂の建設を命じたフィレンツェ共和国の政治的リーダー、教皇カリスト3世、クリストファー・コロンブス、マルチェナのフランシスコ会修道士ジョヴァンニ・ペレス、シエナの聖カタリナ、聖ピウス5世など錚々たる顔ぶれです。 -
ファサードの中央部分を見上げたところです。ピンクと緑と白の大理石が見事なハーモニーを醸し出しており、筆舌に尽くしがたいとはこのことです。
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中央扉の左側にある聖レパラータの像です。この人は大変重要。というのも、このドゥオモは正式名を花の聖マリア教会、マリア様に捧げられた教会なのですが、1296年にドゥオモが着工する前には、ここには町の守護聖人であった聖レパラータ教会が建っていたのです。つまり、ドゥオモ建築を境に人々は聖レパラータから聖マリアに乗り換えたのですね。
聖レパラータ教会の遺構は現在のドゥオモの西側地下にあり、見学も可能だそうです。そして、この聖レパラータですが、後に再び守護聖人に返り咲き、聖ゼノビオとともに、フィレンツェの共同守護聖人となっています。
ベネチアでも驚きましたが、守護聖人って取っ替え引っ替えするものなのですね。 -
中央扉の右側は、そう、共同守護聖人の聖ゼノビオです。
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銅製の巨大な扉は1899年から1903年にかけてアウグスト・パッサリアにより製作されたものです。扉には、マリア様の生涯から選ばれた場面が彫られています。
ファサードの装飾については、その精巧で華やかなスタイルをめぐって、150年以上論争の的となったそうです。扉のフレームやピラスター(飾り柱)、ぺディメントなどの装飾がごちゃごちゃしすぎという意見が多かったようです。シエナのドゥオモを見た後なので、むしろすっきりしていると感じたのは私だけでしょうか? -
続いてファサード右側部分です。
こちらは、教皇エウゲニウス4世。彼はミラノとのロンバルド戦争の際にフィレンツェを支持しました。1436年、フィレンツェに亡命中だった彼は、完成した大聖堂の献堂式を執り行いました。 -
(右側部分続き)聖アントニウス。アントニオ・ピエロッツィはフィレンツェの大司教で、生活困窮者達の救済に精力を傾けました。
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右側部分のアーチのモザイク画は、フィレンツェの芸術家、商人、人道主義者に囲まれたマリア様です。青い衣服が大変鮮やかです。
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(右側部分続き)モザイク画の上にあるトンド(円形部分)の彫刻はマドンナ・ドロ・ローサ(悲しみの聖母)と呼ばれています。
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ようやくジョットの鐘楼にやってきましたよ。
1334年、ドゥオモの最初の建築責任者だったアルノルフォ・ディ・カンビオが亡くなると、ジョット・ディ・ボンドーネが後を引き継ぎました。当時すでに67歳だったジョットは全エネルギーをカンビオの構想にあった鐘楼に集中させ、それは後にフィレンツェのゴシック様式の傑作と呼ばれるデザインとなりました。
1337年にジョットが亡くなると、弟子のアンドレア・ピサーノ、そして1350年以降は同じく弟子のフランチェスコ・タレンティがこれを引き継ぎ、鐘楼は1387年に、ドゥオモ本体より100年も早く完成しました。 -
3人の建築家の共同作品とのことですが、素人目にわかるはずがありません。窓のない部分は6角形やひし形のパネルで構成されています。ジョットが担当したのはこの部分です。
その上には、各面に4人ずつ聖人の彫像が置かれたニッチがあり、西側部分(ファサードと同じ方角)には、アンドレア・ピサーノが製作したゴシック調の彫像が並んでいます。 -
こちらは塔の一番下の部分、ジョットが製作した部分の拡大です。創世記に基づいた「人類の歴史」の様々な場面が六角形のパネルの中にみることができます。
お気に入りは羊飼いのパネルです。 -
中方立てのある窓が含まれている上部3層は、1348年から1359年にかけて、
フランチェスコ・タレンティによって製作された部分です。
塔の上部部分は上に行くほどそれぞれの階の高さが高くなっていますが、下から見上げた場合には、同じ高さに見えるように設計されているそうです。
う〜ん!とはいえ、やはり一番上の層は明らかに天井が高いように感じますね。 -
ドゥオモ南側部分。こちらは14世紀建築の部分です。左側の鐘楼の扉Porta del Campanileの上にあるペディメント(三角形の部分)に使われている美しいピンクの大理石は、ペルリーノの薔薇と呼ばれる大理石だそうです。両脇のニッチが空であることに注目!
トンド(円形部分)の彫刻はアンドレア・ピサーノ作の祝福を与えるキリストです。でも小さくて、わかりづらいですね。 -
1359年、ジョットの塔を引き継いだフランチェスコ・タレンティはクーポラの部分を除き、ドゥオモの建物部分を完成させました。しかし、巨大なクーポラを載せる工事が残っていました。
1420年、クーポラを載せる工事のコンクールで最終的に残ったのはロレンツォ・ギベルティと、フィリッポ・ブルネレスキでした。伝統的な工法によるギベルティ案に対し、ブルネレスキの工法は、仮枠を使わない、二重構造の壁がお互いを支えあうという画期的なものでした。彼は、15年間もローマで建築技術を学び、ローマのパンテオンのドームに触発されたようです。 -
最終的にはブルネレスキ案が採用され、最も難関な工事が始まりました。彼は何種類かの巻き上げ機を考案。中でも牛の力を利用したギア付きの巻き上げ機は、重たい石や400万個のレンガを短時間で引っ張り揚げることができ、また方向を自在に変えることができたそうで、時間の節約につながったようです。
こうして、15年の歳月を経て、人類歴史上初の8角形の支柱のないクーポラが完成しました。これは今日においても、地球上で最大の石造のドームなのだそうです。 -
右翼廊のもっとも飛び出している部分までやってきました。私があちこちに目を配りながら町を歩いていれば、当然見つけただろうアルノルフォ・ディ・カンビオとフィリッポ・ブルネレスキの坐像も、全く目に入りませんでした。
有名な二人の像は、ちょうどこの写真辺りの後ろにある建物の前に座り、クーポラを見上げています。 -
私にできることは、見上げるか振り返るかのどちらか。ここでも、名残惜しげにジョットの塔を振り返っています。
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ドゥオモの背後に回ると、またしても修復中の足場。これだけ大きな建物となると、修復していない期間のほうが珍しいかもしれません。
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ドゥオモ東側のアプス(後陣)部分です。
よく見ると、クーポラの周りには、ドームが沢山あるんですね。
左右の翼廊と後陣のドームが3つ。クーポラの8角形の4辺に更に小さなドームが4つの計7つみつかりました。 -
修復中の箇所を過ぎ、北側に差し掛かると、目に飛び込んできたのは、真っ黒に煤けた大理石の壁!
これって大気汚染によるものなのでしょうか? -
左翼廊の大理石はとんでもないことになっています。
さんさんと日が降り注ぐ南側と異なり、この辺りは薄暗く、そのせいか余計汚れが目立つように感じます。 -
前半の写真と比べてみてください!
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北側身廊と左翼廊が交差する辺りにある アーモンドの扉porta della Mandorlaは、身廊にある4つの扉のうち、最後に作られたもので、一番美しいとされています。扉の上に、半円形の「受胎告知」のモザイク画がありました。1489年に作られたダヴィデとドメニコ・ギルランダイオ兄弟共作の作品です。
扉の辺りは修復が済んだ後のようで、大理石が綺麗に保たれていました。 -
そして、再び汚れが目立つ部分へ。ドゥオモ北側部分です。日陰になっているので、大勢の観光客が涼んでいました。
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北側のもう一つの扉 規範の扉la porta dei Canonici。扉の上の半円形部分には14世紀後半の作品、聖母子と天使達の彫像がみられますが、悲しくなるほどの汚れようで、顔の判別もできないほど。どうにかしてくれ〜と叫びたくなりました。
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また、ここで振り返ってみました。
クーポラの下に置かれた工事用シートで覆われたものは何でしょうか?
気になります。 -
皆様お付き合いありがとうございます。ようやく一周して、ファサードまで戻ってきました。ドゥオモは日曜日のため、午後1時半にならないと入場できません。ものすごく混雑しそうなので、先に他を当たりましょう。
この続きは、イタリア、フランス、スペイン勝手気ままな町歩きのたび その18 フィレンツェ(3)で!
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