2014/07/28 - 2014/07/28
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montsaintmichelさん
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鞍馬山は、古くは「暗部山(くらぶやま)」と呼ばれ、今なお杉や桧の巨木が鬱蒼とした緑深い森を支配する神域です。おかげさまで木陰が多く、真夏なのに風が吹くと一瞬ひんやりするほど天然クーラーがほどよく効いた快適なトレッキングコースとなっています。万が一のために準備した冷感スプレーも、結局日の目を見ずにリュックサックの底に眠ったままでした。
後編は、本殿金堂前のパワースポット「金剛床」でエネルギーを充填した後、いよいよ神秘かつ魔境スポットなる「奥の院」へと足跡を踏み入れ、貴船へ下ります。
千年杉の巨木が天空を覆い、修験道という山岳信仰の聖地として発展してきた鞍馬山は、まさに「天狗の里」という言葉に相応しく、牛若伝説と共生している魔境であり、神秘的な大自然の息吹を身近に感じられる霊峰そのものでした。最近、「鞍馬寺は観光地化され過ぎた」と嘆かれる方も多いようですが、訪問者のマナー等にも助けられて奥の院は自然の楽園のままです。
また、「鞍馬弘教」のコンセプトが人類古来の自然崇拝に近い教えであることを知り、人類と共生する自然や動植物、昆虫等の森羅万象を崇め、その幸せを願うことこそ本来の信仰であることを学ばせていただきました。貴船に辿り着いた時には、人間として一回り成長したような気がしました。
トレッキングコースは十分に歩き易く整備されていますが、それでもアウトドアの一環として捉える必要がありますので留意なさってください。
今回辿ったルート図です。
http://www.keihan.co.jp/traffic/valueticket/ticket/kifune_2014/map.html
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 私鉄
-
川上神社
由岐神社を発ったと思いきや、すぐ目の前に丹塗りの目にも鮮やかな川上神社が立ちはだかり、暫し歩を休めます。
かつては牛若丸の守り本尊の地蔵尊が祀られ、牛若丸が修行の折に日々参拝した神社だそうです。
平安時代、義経が生まれた年に起こった平治の乱(1159年)で父 源義朝は平清盛に敗れ、逃げ延びた尾張国で命を絶たれました。極寒の吉野を彷徨った挙げ句、清盛の元に投降した常盤御前と子らは清盛の言いなりになることで命を許されました。義経の異母兄 頼朝は伊豆に流され、7歳の牛若丸は東光坊阿闍梨蓮忍に預けられ、後に禅林坊の覚日の下へ預けられました。義経は16歳の時、奥州平泉へと下り、藤原秀衡の庇護を受けて頼朝の平家打倒の兵に加わって数々の戦功を打ち立てました。しかし、平家追討後、頼朝は壇の浦で平氏を滅ぼした際に三種の神器の宝剣を回収できなかったことや許可無く官位を受けたなどの理由で義経を「朝敵」扱いして対立しました。頼朝は京の義経邸を襲い、義経は叔父の源行家らと共に頼朝打倒の旗を挙げることになりました。後白河法皇による頼朝追討宣旨を得て挙兵するも失敗し、愛妾 静御前と共に吉野、さらに奥州の秀衡を頼り逃れました。秀衡の没後、子の藤原泰衡により衣川館で討たれ、享年31歳で自刃して短い生涯を閉じました。 -
山本青瓢の句碑
九十九折参道の道端には数々の句碑が点在し、疲れを感じさせません。
この苔生した句碑は、鞍馬出身の俳人 山本青瓢が鞍馬の火祭を詠った「火祭や 鞍馬も奥の 鉾の宿」。
古郷鞍馬を愛し、多くの句を残された俳人です。
青瓢の名声を讃え、後世に残すため有志一同が建立された句碑です。 -
東光坊跡・源義経供養塔
川上神社のすぐ上にあり、1940年に建立された供養搭です。義経が預けられた東光坊阿闍梨の僧坊跡と言われています。
その石段の上に石造五輪の供養塔が佇みます。ここは、牛若丸が母と別れ、遮那王(しゃなおう)と名乗って7歳から10年間住んだ東光坊跡です。父源義朝との縁でここに預けられた牛若丸は、昼は東光坊で経を読み、夜は奥の院で兵法の修行に励んだそうです。 -
東光坊跡・源義経供養塔
せっかくですので石段を上ってみました。
明治時代の「廃仏毀釈」によって東光坊は打ち壊され、その跡に建てられたのが義経供養塔です。
しかし、囲われた聖域は意外に狭く、実際はこの辺り一面に東光坊が建てられていたものと思われます。住職の東光坊阿闍梨蓮忍は、鞍馬寺の別当でもあり、位の高い僧侶でしたのでそれなりの構えをしていてもおかしくないからです。 -
「箏曲稚児之桜」の碑
五條の橋で牛若丸が弁慶を服従させた故事を称えています。
(1937年建立 筝曲=そうきょく=琴の音楽)
因みに、ここの囲いの鉄鎖は、戦争中の金属供出(1938年)で回収されてしまったそうです。 -
楓の古木
このように巨木の残痕も大切に保存されています。
「この不思議な姿 生きる力 生かされている命 その玄妙に 想いを運ぼう」と書かれています。
「鞍馬弘教」の教えを判り易く説いた言葉のようです。 -
オブジェ「いのち」(澤村洋二作)
鞍馬寺の本尊である尊天(宇宙生命・宇宙エネルギー・宇宙の真理)を具象化したものだそうです。誰も見たことのない世界ですので、一見、現代アートのようにも見えます。凡人の当方には難解なオブジェです。
以下、説明書。「像の下部に広がる大海原は、一切を平等に潤す慈愛の心であり、光輝く金属の環は曇りなき真智の光明、そして中央に屹立する山は、全てを摂取する大地の力強い活力を表現しています。この『愛と光と力』こそは、宇宙生命一尊天そのものであり、先端の三角形はその象徴です。有縁の皆様が、この像を通して宇宙真理−尊天に目ざめ、自らの内に「愛と光と力」を満たして下さる事を希います」。
説明書を読んでも理解不能ですが、『愛と光と力』とは、愛と月の精霊 千手観音菩薩、光と太陽の精霊 毘沙門天王、力と地球の精霊 護法魔王尊の三位一体のことを言っています。 -
双福橋
丹朱塗りの太鼓橋が緑の中に映えて雰囲気を醸しています。
この一帯は双福苑と呼ばれ、橋自体は長さ3〜4歩で渡れる小橋です。橋の両側に小さな祠があり、福徳の神である「玉杉大黒天」と「玉杉恵比須」が祀られ、それらを橋で結んでいます。
「玉杉」とは、杉の巨木のことを言い、大黒天と恵比須の化身として尊祟されています。 -
九十九折参道
ここは、かつて清少納言が『枕草子』第166段の中で、「「近くてとほきもの。宮のほとりの祭。思はぬ兄弟、親族の仲。鞍馬のつづらおりといふ道。十二月の晦日、正月一日のほど」」と嘆いた九十九折参道です。ウィットに富んだ感性で見事な捉え方をしています。
九十九折坂は、参道の急峻な坂道のことで、石段や坂道が続きますが、日陰なので汗をかくことなく登ることができます。 -
俳人 丸山夫妻の連句碑
「筒鳥(つつどり=カッコウ科の鳥)に 神尊ければ 磴(とう=石の坂道)けはし」(丸山海道)。
海道の句は、石段の険しさを詠んだものということでしょうか。
「花杉に 息のにごりは 許されず」(丸山佳子)。
佳子の句は、神域の杉林が醸す神々しさと石段の険しさを感じての一句ということでしょうか。 -
香雲の歌碑
傍らに苔生した歌碑が佇んでいます。
「都ヾらおり まがれるごとに 水をおく やまの清さを 汲みてしるべく」(香雲)。
香雲とは、鞍馬寺初代管長の信楽香雲です。この方は、与謝野晶子の弟子であり、与謝野夫妻それぞれの葬儀を執り行った方でもあります。鞍馬寺に与謝野晶子書斎「冬柏亭」が移築されているのは周知の通りですが、それも香雲との縁があってのことです。 -
中門(勅使門)
四脚門、こけら葺に銅板屋根。本柱を挟んで袖柱が前後に付き、合計6本の柱で支えています。
かつては麓の仁王門の脇にあり、朝廷の勅使だけが通れる門でした。この中門を潜ると本殿金堂までは敷石と石段の急峻な坂道に変貌します。
こちら側は、傍らに石組み等が置かれ、独特の雰囲気を醸しているのですが、マムシの巣窟となっているようです。注意なさってください。 -
九十九折参道
中門を抜けると石畳、その先は石造りの階段に変わり、いよいよ勾配がきつくなります。
石垣は見事に苔生し、深い碧色が趣を深めています。 -
九十九折参道
橋のように見えますが、参道の両脇に丹塗りの欄干を配してアクセントとしたものです。 -
貞明皇后御休息所跡
1924年に鞍馬寺へ行啓された大正天皇の后妃である貞明皇后が、九十九折の坂をお登りになる途中で暫くお休みになった場所です。
手前にある町石には2町と記されていますので、本殿まで余すところ220mです。 -
本鞍馬石の石垣
この高さ6mにも及ぶ石垣は「石英閃緑岩(本鞍馬石)」を組み上げたものです。 -
鞍馬寺 転宝輪堂 手水舎
寝殿と転宝輪堂の間に配されています。参拝者を威嚇するような容貌の龍の手水です。
転法輪堂は、先祖に感謝の祈りを捧げる道場で、1丈6尺の阿弥陀仏が安置されています。
平安時代に重怡上人(じゅういしょうにん)が、13年間堂内に籠り毎日12万遍の弥陀宝号を唱え続け、6万遍の弥陀宝号を書いて法輪に納めたと伝わります。
転宝輪を回しながら「南無阿弥陀仏」と1回唱えると、6万回唱えたのと同じだけのご利益があるとされます。 -
鞍馬寺 転宝輪堂 手水舎
苔生した屋根がなんともいい塩梅です。 -
鞍馬寺 本堂金堂
一重入母屋造。1945年に焼失し、1971年に再建されました。標高410mの地に建ち、本殿金堂、外陣、内陣、三本尊(尊天)を祀る内々陣に分かれています。毘沙門天を真ん中に、右に千手観音菩薩像、左に護法魔王尊像を祀っています。本尊の御開帳は、60年毎の丙寅の年に限られているそうです。
秘仏厨子の前には「お前立ち」と称する代わりの像が安置されています。その魔王尊像は、修験者風の身なり、背中に羽根、特異な鼻、長い髭をたくわえた仙人のような姿で、光背は木の葉となっています。
普通、寺院ではその中心となる建物を本堂や金堂と呼びますが、鞍馬寺では「本殿金堂」と言い、寺と神社が融合したような呼称となっています。これは三尊尊天を祀ることによるそうですが、神仏習合の現れとも思われます。 -
鞍馬寺 本殿金堂、阿吽の狛虎
本尊の毘沙門天は虎を使者にして鞍馬の山に降り立ったとの故事があり、狛犬の代わりに狛虎が据えられることになりました。1951年ブロンズ製です。
縞模様がデフォルメされた風変わりな狛虎です。尻尾もクルクル渦巻状です。背中の中央の膨らみは筋骨隆々を表現しているのか、カタツムリの殻のように渦巻いてます。前足と後足の付け根辺りにも渦巻き模様があります。 -
鞍馬寺 金剛床
本殿金堂前には、一面に不思議な幾何学模様が描かれています。
金剛床と言われ、「宇宙の力を内奥におさめた人間が、宇宙そのものと一体化する」ことを表し、鞍馬山の教えを具現化したパワースポットとして知られています。
中心の三角形は御本尊が宿る場所と言われ、ここで祈る事でより強く鞍馬山のエネルギーが感じられると言われています。中心の正三角形でエネルギーを充填した後、六芒星の頂点となる三角形から円を描いて時計回りに回ります。そうすると金星と繋がり、エネルギーが降臨するそうです。古の人々も、この地を自然に包まれた癒しの場所と崇め、インスピレーションを感じていたことでしょう。 -
鞍馬寺 金剛床
六芒星(ヘキサグラム)と言い、各頂点が霊的惑星と対応し、一番上の頂点から時計回りに土星、木星、金星、月、水星、火星、そして中央が太陽。六芒星という図形は、上向きの三角形が能動的原理、男性的原理、陽、火などを示し、下向きの三角形が受動的原理、女性的原理、陰、水などを示します。六芒星自体はこの相反するものが組み合わさった図相で、調和、完全、そして大宇宙を意味しています。
中心の小さな正三角形は「三身一体尊天」、その周りの六つの三角形を囲む内円が自己の内界、そして他の三角形は外界(森羅万象)と日月星辰を表わすそうです。 -
鞍馬寺 翔雲臺
ここは平安京の擁護授福のため、天上から本尊が都の守護の為に降臨される聖域とされる霊験新たかなパワースポットです。
立て札には、「本尊ここに降臨ありて、はるか平安京をみそなわし給う」とあります。翔雲臺中央の板石は、本殿後方より出土したもので、平安時代より鞍馬寺に伝えられた「如法写経会」の経巻を埋納した経塚の蓋石だそうです。板石の下から発掘された経塚遺物200余点は、全て「鞍馬寺経塚遺物」として国宝に指定されています。 -
鞍馬寺 翔雲臺
平安京への変遷では、北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎が四方を守るように構成されました。故に、鞍馬・貴船は、玄武としての守りの「パワースポット」となっています。
桓武天皇が長岡京を10年で放棄して平安京へ遷都した理由のひとつは、「怨霊」から逃れるためだったと言われています。桓武天皇の怨霊に対する怯え方は異常で、平安京の周囲に「結界」を何重にも張り巡らせています。例えば、光仁天皇を呪い殺そうとしたと濡れ衣を着せられ、幽閉された上に殺されてしまった他戸親王(おさべしんのう)と母親 井上内親王(いがみないしんのう)、あるいは藤原種継暗殺の黒幕にされ、無実を訴えながら餓死した早良親王(さわらしんのう)などの祟りです。これらは藤原氏の策略により無実でありながら不幸な死を遂げてしまった人達ですが、黒幕は桓武天皇だったとの噂も絶えません。そして彼らの死後、都では怪奇な現象が多く発生し、桓武天皇の周りの者達が次々に謎の死を遂げ、怨念が原因ではないかとの噂が広まります。事実、桓武天皇の皇太子 安殿親王が病気になり、その原因を陰陽師に占わせたところ、早良親王の怨霊のせいだとの結果もでています。
そこで桓武天皇は怨念の渦巻く長岡京から一刻も早く脱出するため「風水」を用いて新都造営地を探させ、そして見つけたのが山背国葛野郡宇太村つまり平安京だった訳です。ですから、平安京は「結界=霊的バリア」を強固にし、天皇自らの平安を願った都だったのです。
平安京遷都は、丁度藤原伊勢人が鞍馬寺に千手観世音菩薩を併せて祀った時期に重なります。何故このような山中に寺院が必要だったのか?史実は、鞍馬寺が平安京を怨霊から守る役目を持たせていたことを暗示していると言えます。 -
鞍馬寺 翔雲臺
正面奥の山並みが比叡山です。 -
鞍馬寺 閼伽井護法善神社(あかいごほうぜんじんしゃ)
本殿金堂の右奥に鎮座されています。
千年前、修行中の峯延(ぶえん)上人を2匹の大蛇が襲い、雄蛇は討たれて果てました。雌蛇は魔王尊に捧げるお香水「閼伽水」を永遠に絶やさないことを誓い、ここに祀られたとの言い伝えがあります。
この上人の大蛇退治伝説に因んで、毎年6月20日に「竹伐り会式(たけきりえし)」が行われています。当日は、大蛇に見立てた青竹を、僧兵姿の鞍馬法師らが山刀で斬り、その早さを競い、その年の稲作の豊凶を占います。パフォーマンスは地味ですが、伝説を知ればこその奥深さが感じられる会式だそうです。 -
鞍馬寺 閼伽井護法善神社の天井
天井には水を守る龍神が棲みついています。
表情はとても穏やかですが、眼力が強烈で圧倒されます。 -
鞍馬寺 閼伽井護法善神社の天井
龍神の彫刻のズームアップ。 -
鞍馬寺 金剛寿命院
金堂本殿から奥の院へ向かう道筋には、鞍馬寺の本坊にあたる金剛寿命院が建ち、鞍馬寺寺事務所や鞍馬弘教宗務本庁が置かれています。
こちら側から見ると何の変哲もない1階建ての建物ですが、崖の上に建てられているため実際は4階建ての立派な本坊です。 -
鞍馬寺 金剛寿命院 瑞風庭
寺の説明によれば、南庭の組井筒と大刈込は鞍馬山を表し、石組みは650万年前に魔王尊が人類救済の使命により金星より焔の君たちを従えて聖地 鞍馬山に降臨した様を表すそうです。 -
鞍馬寺 金剛寿命院 瑞風庭
北庭には白砂盛があります。神の依処「立砂」かと思いきや、紺碧の天空を意味する青苔と護法魔王尊の乗り物「天車」を表しているそうです。 -
鞍馬寺 奥の院へのプロローグ
奥の院への道は、本殿までとは違うただならぬ「気」を感じずにはいられません。昼間でもほの暗い参道ですが、それに加えて信じぬ者を寄せ付けない「気」のようなものが感じられます。
結界に分け入っていくような不思議な感覚がします。 -
鞍馬寺 奥の院へのプロローグ
中生代ジュラ紀に形成された砂岩・泥岩や緑黄色頁岩など古生紀の岩石が参道脇に露出し、2億6千万年前に海底火山の隆起によってできた鞍馬山生成の歴史が垣間見られます。
ということは、ひょっとしたら恐竜の化石が眠っているのかも!? -
鞍馬寺 鐘楼
石段を登り終えてすぐの所に立札があり、参道を外れて右に細かい石段を登った高台に鐘楼があります。皆さん興味がないのか、あるいは余裕がないのか、奥の院への道をそそくさと急がれるのがとても残念です。
神社やお寺では珍しい構えの鐘楼です。
この鐘は、参拝者でも撞くことができ、大晦日には除夜の鐘を撞く人で行列ができるそうです。 -
鞍馬寺 鐘楼
寛文十年(1670年)の銘がある梵鐘は、「扶桑名鐘集」に載せられている名鐘です。
鐘が吊られている部分には鬼のようなものが潜んでいます。撞く人の邪気を払ってくれるのでしょうか? -
鞍馬寺 鐘楼
梵鐘の真下の床には、共鳴効果のための大きな甕が埋められています。
このような高台から下界を俯瞰しながら撞く鐘は、気分爽快です。 -
歌人 与謝野夫妻の歌碑
歌碑2基が仲睦まじく並んでいます。 -
歌人 与謝野夫妻の歌碑
「何となく 君に待たたる ここちして いでし花野の 夕月夜かな」(晶子『みだれ髪』より)。 -
歌人 与謝野夫妻の歌碑
「遮那王が 背くらべ石を 山に見て わがこころなほ 明日を待つかな」(寛(鉄幹))。 -
霊宝殿手前の展望台より、比叡山のやわらかな山並みを望む。
-
冬柏(とうはく)亭
霊宝殿へ向かう階段の手前に、お寺としては違和感のある木造建築が佇みます。
「冬柏亭」と言い、鞍馬寺と係りの深かった歌人 与謝野晶子の書斎を東京荻窪から移築したものです。1930年に建てられたもので、晶子50歳のお祝いに弟子たちが贈ったものです。
鞍馬寺初代管長 信楽香雲は晶子の直弟子だったことから、晶子と鉄幹夫妻はこの地を度々訪れています。鉄幹の告別式導師は、香雲が務めたそうです。「冬柏」の名は、1900年創刊の機関誌『明星』が1927年に終刊になり、1930年に復刊された『冬柏』に因んでいます。
冬季は閉鎖されると聞いていましたが、本日も閉鎖されていました。月曜日は霊宝殿が休館日なのでそれに連動しているのかもしれません。 -
鞍馬寺 御山の門
冬柏亭の先には石段があり奥の院魔王殿へと続く御山の門があります。
いよいよ鞍馬の山中に分け入ります。 -
冬柏亭
御山の門から俯瞰すると茶室を2つ繋いだような質素な居住まいです。
文机に座って句をひねっている与謝野晶子の姿が眼に浮かぶようです。 -
鞍馬寺 牛若丸息つぎの水
御山の門から参道に出てまもなくすると右手にあります。
牛若丸は毎夜、僧正が谷に通って武術の稽古をしていました。その合間にこの水で喉を潤したと伝わります。
近年、異常気象や夏場の高温少雨により、800年間絶えなかった湧き水が枯れることも度々あるそうです。現在の様子を見たら、義経もがっかりすることでしょう。
改めて地球環境保護の重要性を再認識する機会となりました。 -
鞍馬寺 革堂地蔵尊(屏風坂地蔵堂)
革堂(こうどう)とは、鹿の皮を着用し、平安末期に街頭で仏の道を説いた比叡山横川(天台宗)の聖 行円聖人を指し、別名 皮聖人や皮聖、皮仙人と称されて庶民に慕われた僧だそうです。
かつては一枚岩の屏風を立てたような急坂があり、「屏風坂」と言われた九十九折坂の一角に佇みます。 -
参道
古くは「暗部山(くらぶやま)」と呼ばれ、今なお杉や桧の巨木が鬱蒼とした緑深い森を支配する聖域です。
真夏なのに風が吹くと一瞬ひんやりするほど、天然クーラーがほどよく効いた涼しげな参道です。こうした上り坂が峠まで暫く続きます。 -
背比石
鞍馬山の峠にある義経公背比石。今回のコースの最高地点となる標高485m。
牛若丸が16歳の時、藤原氏を頼って奥州平泉に向かう際、名残を惜しんでこの石と背比べをしたと伝えられる、高さ120cmの石英閃光緑岩です。地中に埋った部分を足してもプラス10cmで130cm。往時、牛若丸の背はこの石と同じ高さだったそうで、案外小柄ということになります。それは吉野の吉水神社や愛媛の大山祗(おおやまつみ)神社に奉納された鎧からも窺えます。しかし、留意すべきは、義経の鎧は、敏速に動き回れるように無駄なものを削ぎ落としているため、小さく見えることも加味する必要がありますが…。 -
背比石
因みに、日本人の平均身長は、弥生時代の163cmをピークに平安時代は161cm、その後明治期までは年々低下していったそうです。織田信長165cm、豊臣秀吉140cm、徳川家康157cm、犬公方の綱吉は125cmだったそうです。
義経の風貌は、貴種流離譚のお陰で「判官贔屓」の方々から、「いいオトコ」っぽい表現をされたり、TVドラマでも二枚目の役者が演じたりする関係で、条件反射的に「オトコマエ」をイメージしがちです。しかし、物の本によれば、かなりの小男で顔も不細工、どちらかというとお猿さんみたいな人とあります。しかし、歴史は勝者によって改竄されるのが常ですので、鵜呑みにしてがっかりされることのないように!
よく観ると、背比石には「帰り越し 帰り来んとは 思へとも さだめなき世の 定めなければ」と微かに彫られています。 -
鞍馬寺 遮那王堂
源義経が波乱万丈の人生の末、1189年に31才の短い命を終えた後、その魂は鞍馬山に帰還し、遮那王尊としてこの堂宇に祀られています。
ある義経伝説では、彼が蒙古に渡ってジンギスカンになったというところまで膨れ上がっていきます。従って義経は、所縁の史跡が多いことでは国内トップクラスの人物ではないでしょうか? -
木の根道
背比石のある峠から、僧正ガ谷不動堂へ直接向かうルート(ショートカット)と大杉権現社を経由して不動堂へ向かうルートに分岐しています。
写真の木の根道は、後者のものです。
地上に木の根が露出しているためこのように呼ばれる道を100m程進むと大杉権現社があり、この付近一帯は大杉苑瞑想道場と化します。
硬い地質のため地下に根を張れない杉の根が、まるで大蛇が地表を這うが如く縦横無尽に伸び、見事なアラベスク模様を描く奇観を呈しています。
鞍馬山全体を含むこの一帯は、約2億6千万年前に海底火山が隆起して出来た地形のため、岩盤が固く、根が真っ直ぐ地中に潜り込めないそうです。砂岩に石英閃光緑岩の岩脉が貫入し、マグマ熱によって砂岩ホルンフェンズという硬化した岩盤がこの地下を覆っているそうです。 -
木の根道
ということで非常に歩きにくい道ですが、木の立場で物申すなら、「痛いから根を踏まないで!」といったところでしょうか!?
木暗さ漂う木の根道の雰囲気には、どこか魔性の棲処に通じるものがあるように思えます。この木の根道を利用して牛若丸が修行したと言うのも頷け、伝説の舞台に相応しいスポットです。弁慶を倒した軽快な身のこなしや矢嶋での源平合戦での華麗な「八艘跳び」は、ここでの修業の賜物なのでしょう。
木の根道を詠んだ歌には、「下にはふ 鞍馬の山の 木の根見よ 堪へたるものは かくの如きぞ」(与謝野 寛)があります。 -
鞍馬寺 大杉権現社
大杉さんと呼ばれる大杉権現社周辺の天然の造形美。
地上を這う木の根と真っ直ぐに天空を突く杉林の間にひっそりと寡黙に佇んでいます。深山幽谷の気配が漂うこの辺りは、天狗ぐらい出没しても不思議ではない異次元の世界です。天狗が下駄を履いて木立の間を飛び回っているような、そんな錯覚にみまわれます。 -
鞍馬寺 大杉権現社
菊の花を横から見た図相と言われる寺紋を配した幔幕が張り巡らされています。
愛知県常滑市にある宗教団体からの寄贈のようです。熱心な信者の方々がおられるようです。 -
大杉権現社 護法魔王尊影向(ようごう)の杉
大天狗がこの大杉を伝わって地面へ降り、牛若丸に武芸修錬したと伝わっています。
鞍馬寺 大杉権現社の奥にある樹齢千年で3本の幹よりなる巨大な杉でしたが、1950年の台風で折れ、15m程の根幹が残るだけです。しかし、今でも「護法魔王尊影向の杉」として多くの人々の信仰を集めています。
この折れた「魔王尊影向の杉」を素材として光明心殿の魔王尊像と霊宝殿の三尊尊天像が新しく彫られ、祀られているそうです。
折れた大杉権現の傍では、大杉二世がスクスクと元気に育っています。千年後が楽しみです。 -
鞍馬寺 大杉権現社
何かのオブジェを彷彿とさせる枯れ木の残骸です。
このように枯れた木も自然そのままの姿で留めておくのが、鞍馬寺の流儀のようです。
しかし、薄暗がりの中でこのようなものと遭遇したら、どんなに恐ろしいことやら。 -
鞍馬寺 僧正ガ谷不動堂
大杉権現社から道は一層細くなり、緩い下り坂となります。この辺りは、鬱蒼と茂る杉の大樹に囲まれ、晴天の日ですら小暗き道です。道なりに原生林を数分進むと、突如道が開け、平場となり、忽然と僧正ガ谷不動堂が出現します。ここが牛若丸と鞍馬天狗の出会いをモチーフにした謡曲「鞍馬天狗」の舞台です。また、牛若丸が鞍馬天狗より兵法を学んだのもこの辺りだそうです。牛若丸が、夜な夜な天狗たちに剣術や妖術を習っていたという不思議な雰囲気が醸されています。
かつて空海の弟子 壱演が住んで以来僧正が谷と呼ばれる森厳の地に不動堂が建っています。3間4面の宝形造、正面に向背付、本瓦葺、四周に縁を持ちます。内陣には伝教大師最澄が天台宗開宗の悲願のために彫った大聖不動明王像が安置されています。
霊山の気が満ちている杉林、そして山あり谷ありの鞍馬山、ここを道場に毎日、剣の修行を重ねたという牛若丸。強くならないはずがありません。そんなパワーを秘める鞍馬の神秘の森です。 -
鞍馬寺 僧正ガ谷不動堂
謡曲「鞍馬天狗」は、源義経幼時の武勇伝を現代風に脚色したものだそうです。鞍馬山の東谷の僧が、西谷の花見の招きを受けて修行の稚児、平家の公達や牛若丸を連れて出かけたが、見知らぬ山伏が来たので気を悪くして帰ってしまった。そして一人残された牛若丸の素性を知り、憐れんだ山伏は諸所の花の名所を案内し、「自分は大天狗である。平家討滅の望みの達せられるように兵法の秘伝を授けよう」と約束し、翌日からの激しい修行の末、約束の如く兵法を授け、再会を約して大天狗は立ち去ると言った豪壮な物語です。 -
鞍馬寺 僧正ガ谷不動堂
強力なパワーを感じた、不動堂前に置かれた幾何学模様の敷石。
一般的な六芒星とは性格を異にしており、実際にはこの魔方陣のような敷石すべてに鞍馬山ならではの意味付けがなされているようにも思えます。
ここも本殿金堂前の「金剛床」と同じ霊力があるそうです。 -
鞍馬寺 義経堂
僧正が谷不動堂の右奥に小さな堂宇が佇んでいます。これが「義経堂」で、遮那王尊(義経)を祀っています。奥州 衣川館で若い命を散らせたものの、義経の魂は鞍馬寺に舞い戻って遮那王尊となり、護法魔王尊に仕えていると信じられています。 -
鞍馬寺 義経堂
瀟洒な堂宇で、稀代の英雄 義経を祀るには質素という言葉を通り過ぎています。しかし、それも京都という土地柄上、無理からぬことかもしれません。今も義経には朝敵の汚名が着せられているからです。それでもこのような人物を祀るために洛北の地に堂宇を建て、連綿と守っておられる京都人がおられるということにある種の感動さえ覚えます。 -
鞍馬寺 義経堂
弁慶を彷彿とさせるような大杉を脇侍に従えています。
千年杉の巨木に天空を覆われ、修験道という山岳信仰の地として発展してきた鞍馬は、まさに「天狗の里」という言葉に相応しく、牛若伝説と共生しているような気がします。まさに神秘的な大自然の息吹を身近に感じられる霊峰です。 -
再び地を這う「木の根道」に遭遇。
種々の福徳を授ける霊験あらたかな鞍馬寺を表の顔とすれば、その背後に潜む恐ろしい天狗の棲む魔境が裏の顔ということでしょう。このコントラストが、鞍馬寺の威厳を高める演出効果になっているのは否めませんが、その奥の谷間が度々京に溢れて災害をもたらした鴨川の源流であることが、京の人たちが鞍馬の天狗を畏れた最大の理由ではなかったでしょうか? -
鞍馬寺 魔王殿 拝殿
不動堂から5分ほど歩くと金星から来た魔王を祀る奥の院魔王殿に着きます。一帯は極相林と言われる鞍馬山自然博物苑となっています。太古には海底だったようで、地質学的、古生物学的にも興味深い地形のようです。
魔王殿での掲示によると、鞍馬寺から許可をいただけば、参籠(一定の期間、昼夜そこに引き籠って神仏に祈願すること)ができるようです。 -
鞍馬寺 魔王殿 拝殿
奥の院は、鞍馬山の中でも最大のパワースポットと言われ、宇宙の力が満ち溢れ、その波動を感じる場所と言われています。650万年前に金星から護法魔王尊が地球に降り立った場所ともされ、確かに奥の院の境界内に入ると空気が変わるのが判ります。
金星から来たとされる護法魔王尊は、神智学ではサナト・クマラと呼ばれ、その子孫が大天狗とされています。キリスト教では堕天使とされるルシファーを示しています。ルシファーが宵の明星と呼ばれることからも分かるように、実際に金星と深い繋がりがあります。洋の東西を問わず、神話には共通点が多く、往時の金星が異質の存在であったことを裏付けていると思います。
拝殿は、火事で焼失後、1945年に再建されたものです。 -
鞍馬寺 魔王殿 手水舎
手前の手水舎は、珍しい三脚タイプとなっています。
脚の湾曲もしなやかな感じで均整が取れています。 -
鞍馬寺 魔王殿 拝殿
内陣の様子です。
樹木が邪魔になりますが、ここから本殿を眺めることができます。
義経がまだ生きている時代、大天狗の鼻をへし折るような言葉を履きつけた輩がいます。何を隠そう、源頼朝です。頼朝と義経を戦わせて共倒れを画策した後白河上皇に向かい、「義経の謀反は天魔の所為だと言って私をけしかけるあなただが、とんでもないこと。あなたこそ日本一の大天狗ではないか」と遣り込めたのです。 -
鞍馬寺 魔王殿 拝殿
石版の左側に彫られているのは、寺紋ではなく正真正銘の天狗の「羽団扇」です。木の葉のような形をしています。これで初めて護法魔王尊の正体が明かされたことになるのでしょうか?
右側は、中心に六芒星を配した幾何学模様あるいは転輪の図相のようなものでしょうか? -
鞍馬寺 魔王殿 拝殿
子授けや子孫繁栄、安産のご利益があるのか、「ヨダレ掛け」が奉納されています。
地形上、妊婦さんが参拝するにはリスクが高過ぎるように思います。 -
鞍馬寺 魔王殿 本殿
本殿はこのように荒々しい剥き出しの重畳たる磐座の上に建てられ、磐境(いわさか)とも称されています。かつては、この磐座で祭祀が行われていたとみられ、日本庭園の源流とも称されています。魔王殿を支えている石灰岩には、古代ペルム紀中期(2億6千万年前)の原生動物、サンゴ、ウミウリ、ボウスイチュウ、巻貝、腕足類などの化石が見られるそうです。
火災で消失後、1950年に再建され、四方一間の宝形造、杮葺きに銅板を被せています。 -
鞍馬寺 魔王殿 本殿
魔王尊は、鞍馬寺の護法神であり、永遠に16歳の若さを保ち続け、地球進化を司り、人類がやがて水星に移住する時まで守護し誘導する存在だそうです。
魔王尊の存在は神秘のベールに包まれており、室町時代の絵師 狩野法眼元信は、奥の院での大祈願の末に霊示があり、杉の大樹から垂れ下がった蜘蛛の引く糸を辿って絵を描き上げたそうです。
万古の謎を秘めて佇み、神秘感はいやがうえにも募ってきます。 -
カゴノキ(鹿子の木)
真ん中の木は、樹皮が子鹿の斑模様に似るところからカゴノキと判ります。
由岐神社境内のものとどちらが背丈が高いのか、気になるところです。
それにしても、縦に一直線に割れ目が入っているのが気がかりです。 -
極相林
場所や気候条件に合うように植生が遷移を繰り返して最終段階に至ったもので、森林であることを強調する場合に極相林と呼ぶそうです。
植生の遷移の過程は、苔→一年生草→多年生草→低木→高木というように変遷し、暖温帯域は常緑広葉樹林または照葉樹林(タブ・カシ類、シイ類)、温帯域は落葉広葉樹林(ブナ類)、冷温帯域は針広混交林と針葉樹林(エゾマツ、トドマツなど)が極相とされます。
深い森と年月を経た木々の天然の造詣美は、日本人の琴線をくすぐります。大自然の中では、人間なんてちっぽけな存在だと改めて気付かされます。 -
ねじれた樹木
貴船側の入り口付近にはこのように異様にねじれた樹木の姿が多々見られます。
磁場や時空が乱れているためとの噂も囁かれているようですが、真偽のほどは…。 -
ねじれた樹木
仮説の域を超えませんが、比較的細めのねじれた木の正体は「藤」ではないでしょうか?
「藤」はツル植物で、一般的に他の木に寄生する形で成長します。天然の森では、藤は他の木とある種の共生関係を保ち、強風で倒れてしまうような細い木も藤に支えられて補強されます。しかし、一旦共生関係が崩れた藤は寄生となり、宿主の木を締上げて枯らすこともあるそうです。その顛末は、自からの死をも招きます。
古代史には、藤原氏を朝廷に寄生する「藤」に例えた話が多々あります。共生やコラボすることは大切なことです。しかし、これがある一線を越えて寄生になると醜い状態となります。寄生にならない程度に共生する。この微妙なバランス感覚が大切なのでしょう。 -
ねじれた樹木
上の写真のものを角度を変えて撮ったものです。
ジュラシックパークで見た、凶暴な「ティラノサウルス・レックス」が襲い掛かってくる姿を彷彿とさせませんか?
寄生(パラサイト)は、「生活の豊かさ」とも関係するのではないでしょうか?
国連開発計画は、2014年版「人間開発報告書」を発表し、国民生活の豊かさを示す「人間開発指数(HDI)」で日本は17位と前年からランクを一つ落としました。15位の韓国より劣るとは吃驚であり、襟を正す契機と思います。
一方、男女格差の少なさを数値化した「ジェンダー不平等指数」も悪化し、男女格差が拡大したことが判明。ランクも25位と前年の21位から大きく後退しています。
確かに、国策として標榜している「精神的な面での充実した生活」感が希薄化した気がするのは当方だけではないと思います。
一方、この結果以上に嘆かわしいのは、ネット右翼等が国連パン・ギムン事務総長が韓国人であることから同氏を非難していることです。日本発の国連バッシングが沸き上がっているというのは、お門違いも甚だしく、来年の日本の評価を落とす好材料となることは自明です。安倍総理が今までネット右翼を丸め込もうとしてきた戦術が、昨今の安倍総理の言動に悲観した彼らによって瓦解した結果とも思われ、気を揉むところです。
その報復ではないでしょうが、表現の自由などに関する国連人権規約委員会は、日本政府に対し、ヘイトスピーチ(憎悪表現)など、人種や国籍差別を助長する街宣活動を禁じ、犯罪者を処罰するよう勧告しました。 -
ねじれた樹木
これらの木々は、ジュラ紀に生息していたと言う、キリンに似た恐竜「ブラキオサウルス」を彷彿とさせるものがあります。 -
幹の付け根が洞門のようになり、内部が空洞になっている摩訶不思議な木です。
されど生きています。 -
西門が近くなると、眼下に道路と行き交う人たち、そして走り抜ける車が見え始め、俗界の喧騒が戻ってきます。西門を出て貴船川に架かる橋を渡ると、突然別世界に飛び込んだような感覚に陥ります。ついさっきまでの深山幽谷とは異質な光景。貴船神社の朱塗りの鳥居、店先の真赤な毛氈、そしてせわしない観光客の一群。
貴船の景観について『都花月名所』は、「鞍馬の奥僧正谷の岩上より見下ろせば、千林の紅楓風に翻って錦を洗うが如し」とあり、やっぱり秋の紅葉の季節が一番のようです。 -
鞍馬寺 西門
鞍馬山は、山全体が自然の宝庫であり、多様な生命を育んでいます。森羅万象の営みは宇宙の力(尊天)の働きであり、生命のダイバーシティこそその顕現の証明です。鞍馬寺は、江戸末期の大火事や明治の廃仏毀釈という数奇な運命を経て、山そのものや植物、動物、昆虫を大切にする自然信仰へとシフトしました。慢心を捨て去り、身も心も姿勢を低くして自然と目線を合わせることで、「共に生かされる命」を実感し、多様な生命に支えられている自分に気付くという教えです。一輪の花、一匹の虫に時空を超えた宇宙の力を観る…。これこそ日本古来の自然崇拝ではないでしょうか?鞍馬山はそのための修行道場とも言えます。
ひとつの例が、ムカデです。ムカデには毒があり、刺されると大変なことになりますが、鞍馬では、建物の中に入ってきても殺生しないそうです。ムカデは足が多いことから、おあし(お金)に転じ、お金が多い、つまり商売繁盛の守り神といった具合に信仰対象に加えています。
翻って、俗界の我々はどうなのでしょう?原発事故の被害者は人だけではありません。人は精神的、金銭的苦痛を伴いながらも放射能汚染から逃れられますが、それまで共生してきた自然や生き物はその場に留まり、放射能に曝され続けます。また、田圃の底には何世代にも亘って形成された「土床」があります。除染作業はそれを根こそぎ奪い取り、山林や田畑は全てを失うことになります。一方、発電所の建屋周囲の井戸から汚染した地下水を汲み上げ、海に放出する検討も行われています。県や国の官僚には「何が失われるか」が判っていないのです。このようなご都合主義がまかり通ってよいものでしょうか?
そんな中、鹿児島県 川内原発を優先的に再稼働しようという動きがあります。避難計画も未整備なまま、各地の原発の再稼働が画策されるようになれば、今度は人さえも危機に晒されます。再稼動を認めた面々は、万が一の場合にどのような償いができるのか…。否、償うことは不可能であり、脱原発という未然防止を図るしか術はないのでは…。原発関係者にこそ鞍馬寺の哲学を学んでもらいたいと思います。
勿論、当方が鞍馬寺で祈りを捧げたのは、生きとし生けるもの全ての幸福です。
神秘の森の散策を終えたことで、人として一回り成長できたような気がします。
この続きは③貴船<前編>でお届けします。
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