八瀬・大原・貴船・鞍馬 旅行記(ブログ) 一覧に戻る
猛暑からの逃避行ということで、近場の避暑地へでかけました。「鞍馬」と言うと京の奥座敷という感がありますが、実際は出町柳から叡山電鉄鞍馬線で30分、市内中心部からは1時間程で行ける観光スポットです。鞍馬山には鞍馬寺の仁王門と貴船側にある西門とを結んで史跡を巡る「神秘の森」散策コースがあり、南北に連なる尾根を越える全長2.7km、高低差250m程の魔界を巡るハイキングコースは自然と歴史を同時に堪能できます。今回は、鞍馬寺の仁王門から貴船へ向かうルートを辿ってみました。<br /><br />「鞍馬」という響きからイメージするのは、何と言っても「源義経」と「天狗」。悲劇の英雄 義経がこの霊峰で何を思いながら幼少期を過ごしたのか、その一端でも共感できればとの思いでした。鞍馬寺は、義経が兵法修行した霊場と伝えられ、義経所縁の遺跡も点在しています。7歳で出家し、ここで己を磨き上げました。母親代わりの魔王尊に力を注がれ、天狗相手に武芸修行を行い、源平壇の浦合戦での「八艘跳び」や弁慶を倒した軽快な身のこなしを養いました。朝廷の敵とされながら、今の時代も義経はミクロの意識体となって鞍馬山に宿っていると語り継がれています。まさに、この地に連綿と受け継がれている鞍馬信仰の水脈を肌で感じることのできる聖域と言えます。<br />雅なところでは、平安時代中期の『源氏物語』「若紫の巻」にも鞍馬寺を彷彿とさせる情景が登場します。光源氏と紫上の出会った北山「なにがし寺」、つづら折りの下の「なにがし僧都」庵は、鞍馬寺がモデルだとも言われています。「なにがし寺」の条件は、晩春に桜が盛りで、僧侶の坊が点在し、道が「つづら折れ」、後方の山からは京が一望でき、峰高く深き岩のある地で聖が籠もっているなどが挙げられています。「若紫の巻」には、次の歌が詠われています。「吹きまよふ 深山おろしに 夢さめて 涙もよほす 滝の音かな」。光源氏は、「おこりの病(マラリア性の熱病)」の加持祈祷のために「北山」の聖を訪ねたとされています。<br />このような魔界と典雅という対極のコントラストが融合した世界とは如何なるミステリーゾーンなのでしょうか?興味津々です。<br />今回辿ったルート図です。<br />http://www.keihan.co.jp/traffic/valueticket/ticket/kifune_2014/map.html<br />

九夏三伏 納涼 鞍馬・貴船紀行①鞍馬<前編>

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2014/07/28 - 2014/07/28

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

猛暑からの逃避行ということで、近場の避暑地へでかけました。「鞍馬」と言うと京の奥座敷という感がありますが、実際は出町柳から叡山電鉄鞍馬線で30分、市内中心部からは1時間程で行ける観光スポットです。鞍馬山には鞍馬寺の仁王門と貴船側にある西門とを結んで史跡を巡る「神秘の森」散策コースがあり、南北に連なる尾根を越える全長2.7km、高低差250m程の魔界を巡るハイキングコースは自然と歴史を同時に堪能できます。今回は、鞍馬寺の仁王門から貴船へ向かうルートを辿ってみました。

「鞍馬」という響きからイメージするのは、何と言っても「源義経」と「天狗」。悲劇の英雄 義経がこの霊峰で何を思いながら幼少期を過ごしたのか、その一端でも共感できればとの思いでした。鞍馬寺は、義経が兵法修行した霊場と伝えられ、義経所縁の遺跡も点在しています。7歳で出家し、ここで己を磨き上げました。母親代わりの魔王尊に力を注がれ、天狗相手に武芸修行を行い、源平壇の浦合戦での「八艘跳び」や弁慶を倒した軽快な身のこなしを養いました。朝廷の敵とされながら、今の時代も義経はミクロの意識体となって鞍馬山に宿っていると語り継がれています。まさに、この地に連綿と受け継がれている鞍馬信仰の水脈を肌で感じることのできる聖域と言えます。
雅なところでは、平安時代中期の『源氏物語』「若紫の巻」にも鞍馬寺を彷彿とさせる情景が登場します。光源氏と紫上の出会った北山「なにがし寺」、つづら折りの下の「なにがし僧都」庵は、鞍馬寺がモデルだとも言われています。「なにがし寺」の条件は、晩春に桜が盛りで、僧侶の坊が点在し、道が「つづら折れ」、後方の山からは京が一望でき、峰高く深き岩のある地で聖が籠もっているなどが挙げられています。「若紫の巻」には、次の歌が詠われています。「吹きまよふ 深山おろしに 夢さめて 涙もよほす 滝の音かな」。光源氏は、「おこりの病(マラリア性の熱病)」の加持祈祷のために「北山」の聖を訪ねたとされています。
このような魔界と典雅という対極のコントラストが融合した世界とは如何なるミステリーゾーンなのでしょうか?興味津々です。
今回辿ったルート図です。
http://www.keihan.co.jp/traffic/valueticket/ticket/kifune_2014/map.html

同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄
旅行の満足度
5.0

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  • 叡山電鉄 柳出町駅<br />叡山鉄道鞍馬へのスタート地点となる柳出町駅です。ここで叡山電鉄「えぇきっぷ」(1000円)を窓口で購入します。あちこち回る際にはとてもお得な切符です。また、施設等の割引特典もあります。<br />そして乗車するのは、この「きらら」号。<br />1997年に登場した叡山電鉄デオ900系「きらら」号(2両連結)。車両の製造は、叡電伝統の武庫川車両工業製。叡電復興を記念して造られた、鄙びた田舎と都市間を結ぶ観光・通勤兼用車両です。同時に現在の叡電の看板娘でもあり、出町柳から鞍馬駅までの13kmを30分で結んでいます。<br />あくせくした都会では想像を絶する平均時速26kmの電車で、ノンビリと車窓を楽しむ旅の始まりです。<br /><br />

    叡山電鉄 柳出町駅
    叡山鉄道鞍馬へのスタート地点となる柳出町駅です。ここで叡山電鉄「えぇきっぷ」(1000円)を窓口で購入します。あちこち回る際にはとてもお得な切符です。また、施設等の割引特典もあります。
    そして乗車するのは、この「きらら」号。
    1997年に登場した叡山電鉄デオ900系「きらら」号(2両連結)。車両の製造は、叡電伝統の武庫川車両工業製。叡電復興を記念して造られた、鄙びた田舎と都市間を結ぶ観光・通勤兼用車両です。同時に現在の叡電の看板娘でもあり、出町柳から鞍馬駅までの13kmを30分で結んでいます。
    あくせくした都会では想像を絶する平均時速26kmの電車で、ノンビリと車窓を楽しむ旅の始まりです。

  • 叡山電鉄「きらら」号<br />発車時間の10分前ですが、平日9時過ぎながら対面窓シート(各車両8席)はすでに満席状態です。「きらら」号を侮ってはなりません。<br />「パノラミック電車」と称し、紅葉をイメージしたメープルレッドとメープルオレンジの配色の2編成となっています。最大の特徴は、天井近くまである連窓を採用し、景観を最大限楽しめる構造にあります。紅葉シーズンにはこの列車を目的に乗車する観光客も数多いそうです。 <br />青もみじの季節も終わったと言うことでしょうか、上部の小窓にはブラインドが降ろされています。省エネ対策の一環かもしれません。<br />

    叡山電鉄「きらら」号
    発車時間の10分前ですが、平日9時過ぎながら対面窓シート(各車両8席)はすでに満席状態です。「きらら」号を侮ってはなりません。
    「パノラミック電車」と称し、紅葉をイメージしたメープルレッドとメープルオレンジの配色の2編成となっています。最大の特徴は、天井近くまである連窓を採用し、景観を最大限楽しめる構造にあります。紅葉シーズンにはこの列車を目的に乗車する観光客も数多いそうです。
    青もみじの季節も終わったと言うことでしょうか、上部の小窓にはブラインドが降ろされています。省エネ対策の一環かもしれません。

  • 叡山電鉄「きらら」号<br />市原駅を過ぎた辺りから線路の両脇に惜しみなく青もみじが迫ってきます。<br />紅葉シーズンには相当混雑するのでしょうね。<br />確かにワイドビュー・ウィンドウの迫力は圧巻です。<br />鞍馬行は20分毎に発車しますが、「きらら」号は1本おきですので、事前に時刻表で調べておかれると重宝します。<br /><br />叡山電鉄のHPです。<br />http://eizandensha.co.jp/densya/daiya/time031.html#kirara

    叡山電鉄「きらら」号
    市原駅を過ぎた辺りから線路の両脇に惜しみなく青もみじが迫ってきます。
    紅葉シーズンには相当混雑するのでしょうね。
    確かにワイドビュー・ウィンドウの迫力は圧巻です。
    鞍馬行は20分毎に発車しますが、「きらら」号は1本おきですので、事前に時刻表で調べておかれると重宝します。

    叡山電鉄のHPです。
    http://eizandensha.co.jp/densya/daiya/time031.html#kirara

  • 叡山鉄道 鞍馬駅<br />車窓を楽しむうちに終着駅 鞍馬に10時前に到着です。<br />あっという間の30分の電車の旅でしたが、周りの景色を見渡すと距離の割に遠くまで来た感じがするから不思議です。<br />

    叡山鉄道 鞍馬駅
    車窓を楽しむうちに終着駅 鞍馬に10時前に到着です。
    あっという間の30分の電車の旅でしたが、周りの景色を見渡すと距離の割に遠くまで来た感じがするから不思議です。

  • 叡山電鉄「きらら」号<br />周囲の緑に映える「きらら」号。<br /><br />プラットホームに吊り下げられているのは100個の「南部風鈴」です。<br />岩手県名産の「南部鉄」を素材にして作られた風鈴です。岩手県平泉は源義経所縁の地であることから、こうして夏のシーズンだけ癒しの音色を奏でる趣向となっています。<br />これらの南部鉄風鈴は、透き通るような癒しの音色を奏でています。<br />ネットで調べてみると、南部風鈴の音には、小川のせせらぎや小鳥のさえずりなど自然界にある癒しの音と同じ3000ヘルツ以上の高周波音が含まれているそうです。適度な高周波音は、脳内のストレ スを抑制したり、思考や運動能力を活性化させるホルモンの分泌を促す働きがあるそうです。<br /><br />南部鉄器は17世紀中頃、南部藩が京都から釜師を招いて茶の湯釜を作らせたのが始まりです。つまり、生い立ちにも京都が関係していたことになります。以後、南部藩は鉄器づくりを奨励、茶釜を小型化して鉄瓶を生み出し、南部鉄器として全国に知られるようになったそうです。 南部鉄器の特徴は鉄分です。南部鉄器から溶け出す鉄分は人が吸収しやすい二価鉄が多く含まれることから、貧血予防に効果があり、鉄瓶で沸かしたお湯はカルキを除去するので水道水でもおいしい水に変わります。このような効能も日本で長く愛用されている理由のひとつでしょう。 <br />

    叡山電鉄「きらら」号
    周囲の緑に映える「きらら」号。

    プラットホームに吊り下げられているのは100個の「南部風鈴」です。
    岩手県名産の「南部鉄」を素材にして作られた風鈴です。岩手県平泉は源義経所縁の地であることから、こうして夏のシーズンだけ癒しの音色を奏でる趣向となっています。
    これらの南部鉄風鈴は、透き通るような癒しの音色を奏でています。
    ネットで調べてみると、南部風鈴の音には、小川のせせらぎや小鳥のさえずりなど自然界にある癒しの音と同じ3000ヘルツ以上の高周波音が含まれているそうです。適度な高周波音は、脳内のストレ スを抑制したり、思考や運動能力を活性化させるホルモンの分泌を促す働きがあるそうです。

    南部鉄器は17世紀中頃、南部藩が京都から釜師を招いて茶の湯釜を作らせたのが始まりです。つまり、生い立ちにも京都が関係していたことになります。以後、南部藩は鉄器づくりを奨励、茶釜を小型化して鉄瓶を生み出し、南部鉄器として全国に知られるようになったそうです。 南部鉄器の特徴は鉄分です。南部鉄器から溶け出す鉄分は人が吸収しやすい二価鉄が多く含まれることから、貧血予防に効果があり、鉄瓶で沸かしたお湯はカルキを除去するので水道水でもおいしい水に変わります。このような効能も日本で長く愛用されている理由のひとつでしょう。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅<br />プラットホームの屋根の梁には赤天狗のお面がお出迎えです。<br />霊山、例えば「英彦山=豊前坊」や「白峰=相模坊」、「大山=伯耆(ほうき)坊」、「飯綱山=三郎坊」、「富士山=太郎坊」には天狗伝承があり、天狗にも大天狗、小天狗、烏天狗、木の葉天狗などの多彩な階層があります。中でも、鞍馬山の大天狗は『僧正坊』と呼ばれる日本各地の天狗の「総元締め」、また僧正が谷は「総本山」として語り継がれています。天狗は古来より山岳信仰と係りが深く、修験者が守護神として祀ったものでしたが、中世以降山伏の堕落もあり、天狗を妖怪な「魔物」と見做す風習も生まれる等、時代と共に姿やイメージも変遷してきました。 <br />

    叡山電鉄 鞍馬駅
    プラットホームの屋根の梁には赤天狗のお面がお出迎えです。
    霊山、例えば「英彦山=豊前坊」や「白峰=相模坊」、「大山=伯耆(ほうき)坊」、「飯綱山=三郎坊」、「富士山=太郎坊」には天狗伝承があり、天狗にも大天狗、小天狗、烏天狗、木の葉天狗などの多彩な階層があります。中でも、鞍馬山の大天狗は『僧正坊』と呼ばれる日本各地の天狗の「総元締め」、また僧正が谷は「総本山」として語り継がれています。天狗は古来より山岳信仰と係りが深く、修験者が守護神として祀ったものでしたが、中世以降山伏の堕落もあり、天狗を妖怪な「魔物」と見做す風習も生まれる等、時代と共に姿やイメージも変遷してきました。 

  • 叡山電鉄 鞍馬駅<br />こちらは烏天狗です。テンションが上がります。<br />日本の天狗は『記紀』に登場する異形の神 猿田彦命の容貌をベースに形成されたイメージが強く、日本書紀によれば「鼻の長さが七握、身長さが七尺あまりで口の周囲が明るく光り、目は八咫鏡のようで赤いホオズキに似ていた」そうです。この猿田彦が、日本の神話に登場するのは、ニニギノミコト(天照大神の孫)が高天原から筑紫の日向の高千穂に降り立った時のことです。これは天照一族が天津神として、東に移って国家統一を実現しようとやって来る時の話とも重なります。その時、ニニギノミコトはこの異形の人物を味方に付ける方法を考え、天鈿女命(あめのうずめ)を使者として差し向け、猿田彦に道案内をさせています。この二人はやがて夫婦になります。<br />こうして天孫降臨と言われる国家統一の第一歩が遂げられたのです。ですから、祭りの先導役は、決まって天狗のお面を着けた猿田彦が務めているのです。<br />

    叡山電鉄 鞍馬駅
    こちらは烏天狗です。テンションが上がります。
    日本の天狗は『記紀』に登場する異形の神 猿田彦命の容貌をベースに形成されたイメージが強く、日本書紀によれば「鼻の長さが七握、身長さが七尺あまりで口の周囲が明るく光り、目は八咫鏡のようで赤いホオズキに似ていた」そうです。この猿田彦が、日本の神話に登場するのは、ニニギノミコト(天照大神の孫)が高天原から筑紫の日向の高千穂に降り立った時のことです。これは天照一族が天津神として、東に移って国家統一を実現しようとやって来る時の話とも重なります。その時、ニニギノミコトはこの異形の人物を味方に付ける方法を考え、天鈿女命(あめのうずめ)を使者として差し向け、猿田彦に道案内をさせています。この二人はやがて夫婦になります。
    こうして天孫降臨と言われる国家統一の第一歩が遂げられたのです。ですから、祭りの先導役は、決まって天狗のお面を着けた猿田彦が務めているのです。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅舎<br />駅舎内に展示された「鞍馬の火祭」で使用される大松明。<br />なんと大人用は質量120kgもあるそうです。<br />ご多分に漏れず、駅舎内の一等地にも鞍馬山所縁の赤天狗とカラス天狗のお面も掲げられています。<br />

    叡山電鉄 鞍馬駅舎
    駅舎内に展示された「鞍馬の火祭」で使用される大松明。
    なんと大人用は質量120kgもあるそうです。
    ご多分に漏れず、駅舎内の一等地にも鞍馬山所縁の赤天狗とカラス天狗のお面も掲げられています。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅舎<br />鞍馬駅待合室では壁面を利用し、幕末から明治中頃にかけて活躍した『最後の天才浮世絵師』月岡芳年のミニギャラリー「月岡芳年と義経展」(『鬼一法眼三略巻』に関する絵をピックアップ)が開催中でした。壁一面に鞍馬山、天狗と少年時代の義経所縁の躍動感溢れた遠近法を駆使した絵画が展示され、観光客を源平の時代へと誘う趣向です。鞍馬寺参拝の事前学習にもピッタリの内容です。<br />芳年の絵画は、妖怪や凄惨でグロテスクなおどろおどろしい絵も少なくないのですが、どの絵も登場人物の着物の意匠が秀逸で見応え充分です。<br />時間と鞍馬に来た目的をすかっり忘れて見入ってしまいました。せっかくですので一部をご紹介します。<br /><br />「舎那王於鞍馬山学武術之図」。 <br />謡曲「鞍馬天狗」をモチーフにした作品です。夜毎、鞍馬山山中の僧正ヶ谷で大天狗の僧正坊から剣術・武芸・兵法を学ぶ牛若丸。<br />晩年(明治18年)の作品「芳年漫画」の中で見られる絵です。

    叡山電鉄 鞍馬駅舎
    鞍馬駅待合室では壁面を利用し、幕末から明治中頃にかけて活躍した『最後の天才浮世絵師』月岡芳年のミニギャラリー「月岡芳年と義経展」(『鬼一法眼三略巻』に関する絵をピックアップ)が開催中でした。壁一面に鞍馬山、天狗と少年時代の義経所縁の躍動感溢れた遠近法を駆使した絵画が展示され、観光客を源平の時代へと誘う趣向です。鞍馬寺参拝の事前学習にもピッタリの内容です。
    芳年の絵画は、妖怪や凄惨でグロテスクなおどろおどろしい絵も少なくないのですが、どの絵も登場人物の着物の意匠が秀逸で見応え充分です。
    時間と鞍馬に来た目的をすかっり忘れて見入ってしまいました。せっかくですので一部をご紹介します。

    「舎那王於鞍馬山学武術之図」。 
    謡曲「鞍馬天狗」をモチーフにした作品です。夜毎、鞍馬山山中の僧正ヶ谷で大天狗の僧正坊から剣術・武芸・兵法を学ぶ牛若丸。
    晩年(明治18年)の作品「芳年漫画」の中で見られる絵です。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅舎<br />「武勇雪月花之内 五條乃月」。<br />左上の若武者が牛若丸、中央の大男が薙刀でカラス天狗と争う武蔵坊弁慶。<br /><br />芳年の初期(第?期)に当たる1867年(慶応3年)の作品です。<br />五條の橋の上での弁慶と牛若丸の対決を描いた絵です。義経物語の中でも最も絵になるシーンです。この時鞍馬から天狗がやって来て、牛若を助けたと伝わります。左の白顔の若者が牛若、彼を背後から支えているのが鞍馬 僧正坊。このおかげで牛若は普段の3倍も高く舞い上がり、弁慶を打ち負かしたという設定の絵です。<br />僧正坊の右に比良山・愛宕山の和尚。中央で槍を持つのが弁慶で、烏天狗が3人槍にしがみ付いています。右端が白峰山、その左が飯綱、槍の下方を持つのが大山伯耆の天狗たちです。<br />

    叡山電鉄 鞍馬駅舎
    「武勇雪月花之内 五條乃月」。
    左上の若武者が牛若丸、中央の大男が薙刀でカラス天狗と争う武蔵坊弁慶。

    芳年の初期(第?期)に当たる1867年(慶応3年)の作品です。
    五條の橋の上での弁慶と牛若丸の対決を描いた絵です。義経物語の中でも最も絵になるシーンです。この時鞍馬から天狗がやって来て、牛若を助けたと伝わります。左の白顔の若者が牛若、彼を背後から支えているのが鞍馬 僧正坊。このおかげで牛若は普段の3倍も高く舞い上がり、弁慶を打ち負かしたという設定の絵です。
    僧正坊の右に比良山・愛宕山の和尚。中央で槍を持つのが弁慶で、烏天狗が3人槍にしがみ付いています。右端が白峰山、その左が飯綱、槍の下方を持つのが大山伯耆の天狗たちです。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅舎<br />「義経記五條橋之図」。<br />これも弁慶と牛若が五条橋で予期せずして出会う、かの有名なシーンです。<br />京で道行く武者を次々と倒して999本の太刀を奪った弁慶は、五条橋で見事な太刀を携えて笛を吹きつつ通る牛若丸に挑みますが、義経の返り討ちに遭ってそれ以来義経の家来となりました。<br />牛若が羽織っていた白布を弁慶が右足で捕らえたかと思いきや、牛若は次の瞬間には体を小さく丸めて反対側の欄干へヒラリと飛び移る。重く大きな体で格闘し、橋の軋み音が聞こえてきそうな弁慶の挙動と牛若の変幻自在に欄干を浮遊する軽快な身のこなしという対比が、芳年の巧みな描写力によって表現されています。

    叡山電鉄 鞍馬駅舎
    「義経記五條橋之図」。
    これも弁慶と牛若が五条橋で予期せずして出会う、かの有名なシーンです。
    京で道行く武者を次々と倒して999本の太刀を奪った弁慶は、五条橋で見事な太刀を携えて笛を吹きつつ通る牛若丸に挑みますが、義経の返り討ちに遭ってそれ以来義経の家来となりました。
    牛若が羽織っていた白布を弁慶が右足で捕らえたかと思いきや、牛若は次の瞬間には体を小さく丸めて反対側の欄干へヒラリと飛び移る。重く大きな体で格闘し、橋の軋み音が聞こえてきそうな弁慶の挙動と牛若の変幻自在に欄干を浮遊する軽快な身のこなしという対比が、芳年の巧みな描写力によって表現されています。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅舎<br />「源平矢嶋大合戦之図」。<br />源平最後の決戦場となる壇ノ浦での義経の「八艘跳び」の名場面を描写しています。<br />義経が鞍馬山で天狗と共に修行したことから「八艘跳び」の伝説が生まれました。<br />中央に描かれた船首がグリーンの船は、幼い安徳天皇を抱いた二位の尼が乗船した御座船です。

    叡山電鉄 鞍馬駅舎
    「源平矢嶋大合戦之図」。
    源平最後の決戦場となる壇ノ浦での義経の「八艘跳び」の名場面を描写しています。
    義経が鞍馬山で天狗と共に修行したことから「八艘跳び」の伝説が生まれました。
    中央に描かれた船首がグリーンの船は、幼い安徳天皇を抱いた二位の尼が乗船した御座船です。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅舎<br />連作『月百姿』より「大物海上月 弁慶」。<br />能楽「船弁慶」の有名なシーン。荒々しい怒涛の波に敢然と立ち向かう武蔵坊弁慶の姿を描写しています。<br />兄 源頼朝の追っ手から西国へ逃げる義経一行の行く手を阻むのは、月をも飲み込まんとする漆黒の大波。かつての敵 平家の怨霊の仕業ですが、弁慶の必死の祈祷によって嵐は鎮まります。

    叡山電鉄 鞍馬駅舎
    連作『月百姿』より「大物海上月 弁慶」。
    能楽「船弁慶」の有名なシーン。荒々しい怒涛の波に敢然と立ち向かう武蔵坊弁慶の姿を描写しています。
    兄 源頼朝の追っ手から西国へ逃げる義経一行の行く手を阻むのは、月をも飲み込まんとする漆黒の大波。かつての敵 平家の怨霊の仕業ですが、弁慶の必死の祈祷によって嵐は鎮まります。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅<br />駅前の駐車場の左、樹木の陰に巨大な赤天狗の顔のモニュメントが置かれています。<br />「鞍馬は天狗の里」。 <br /><br />

    叡山電鉄 鞍馬駅
    駅前の駐車場の左、樹木の陰に巨大な赤天狗の顔のモニュメントが置かれています。
    「鞍馬は天狗の里」。

  • 今回辿った鞍馬のルートマップです。<br />参考にしてください。

    今回辿った鞍馬のルートマップです。
    参考にしてください。

  • 叡山電鉄 鞍馬駅舎<br />昔ながらの寺院風木造駅舎の鞍馬駅は、山里の中にすっかり馴染んでいます。古き良き、昭和なテイスト漂う田舎に避暑に来たという実感が湧いてきます。この辺りは京都市左京区の鞍馬山麓の鞍馬川沿いに開けた集落で、上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道が通っています。<br />この鞍馬駅は「近畿の駅百選」に選ばれており、また、スルッとKANSAIのカードが使用できる駅としては最北端の鉄道駅に当たります。<br /><br /><br />

    叡山電鉄 鞍馬駅舎
    昔ながらの寺院風木造駅舎の鞍馬駅は、山里の中にすっかり馴染んでいます。古き良き、昭和なテイスト漂う田舎に避暑に来たという実感が湧いてきます。この辺りは京都市左京区の鞍馬山麓の鞍馬川沿いに開けた集落で、上賀茂から丹波へ通じる鞍馬街道が通っています。
    この鞍馬駅は「近畿の駅百選」に選ばれており、また、スルッとKANSAIのカードが使用できる駅としては最北端の鉄道駅に当たります。


  • かどや<br />門前町の佃煮の老舗です。<br />駅前の道を直進し、右側にあるお店です。辺り一面に山椒を煮る香りが漂い、白ご飯が恋しくなります。<br />鞍馬名産「木の芽煮」は、昆布を山椒の実と葉、醤油で佃煮にした後、細かく刻んだ伝統的な保存食です。

    かどや
    門前町の佃煮の老舗です。
    駅前の道を直進し、右側にあるお店です。辺り一面に山椒を煮る香りが漂い、白ご飯が恋しくなります。
    鞍馬名産「木の芽煮」は、昆布を山椒の実と葉、醤油で佃煮にした後、細かく刻んだ伝統的な保存食です。

  • かどや<br />庭先には程よく赤錆びた「鞍馬石」製の燈篭が控え目に立てられています。

    かどや
    庭先には程よく赤錆びた「鞍馬石」製の燈篭が控え目に立てられています。

  • 岸本柳蔵老舗駅前店<br />かどやに対峙するのがこちらのお店。同じく、佃煮の老舗です。<br />「木の芽煮」が有名ですが、鞍馬では珍しく「ちりめん山椒」も扱っています。<br />ちりめん山椒の元祖とされるのは鴨川の松原橋の東の「はれま」ですが、乾いた仕上げで固めのものやしっとりしたもの、味の濃淡などで京都人でも好みは多様のようです。ここまでわざわざ買いに来られるファンの方も多いそうです。<br />

    岸本柳蔵老舗駅前店
    かどやに対峙するのがこちらのお店。同じく、佃煮の老舗です。
    「木の芽煮」が有名ですが、鞍馬では珍しく「ちりめん山椒」も扱っています。
    ちりめん山椒の元祖とされるのは鴨川の松原橋の東の「はれま」ですが、乾いた仕上げで固めのものやしっとりしたもの、味の濃淡などで京都人でも好みは多様のようです。ここまでわざわざ買いに来られるファンの方も多いそうです。

  • 多聞堂<br />昔ながらの風情をそのまま残した佇まいは、和菓子の老舗「多聞堂」。<br />名物「牛若餅」は、地元で採れた栃の実をつき込んだ風味あるお餅に甘さ控え目のこし餡を包んだものです。<br />難点はお餅があっという間に硬くなるため、持ち帰ると食感が変わってしまうことです。店先でお茶とのセットでいただくのが最高です。

    多聞堂
    昔ながらの風情をそのまま残した佇まいは、和菓子の老舗「多聞堂」。
    名物「牛若餅」は、地元で採れた栃の実をつき込んだ風味あるお餅に甘さ控え目のこし餡を包んだものです。
    難点はお餅があっという間に硬くなるため、持ち帰ると食感が変わってしまうことです。店先でお茶とのセットでいただくのが最高です。

  • 鞍馬寺 参道<br />駅前の道を左折すると鞍馬寺の仁王門が深い緑の樹木の中から顔を覗かせています。<br />鞍馬寺は、正式名を「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」と言います。奈良時代の770年に唐招提寺の開祖 鑑真和上を師とする鑑禎上人が山背に霊山があるとの夢を見て、その地で毘沙門天像を得て草庵を結んだのが始まりとされています。毘沙門天は、別名 多聞天とも呼ばれ、ヒンズー教における財宝の神クーベラを指します。その後796年に藤原伊勢人が千手観世音菩薩を併せて祀り、9世紀末に東寺の僧 峯延(ぶえん)が入寺したことで真言宗寺院として信仰を集め、12世紀からは天台宗に改宗し、その後は長く青蓮院の支配下にあり、京の北方を守護する毘沙門天の神域として平安京の北の守り、水源の守護地として平安時代後期以来広く信仰を集めてきました。しかし、1947年にヨーロッパの神智学に影響を受けた住職 信楽香雲によって新宗教「鞍馬弘教」が開宗され、鞍馬弘教総本山として毘沙門天、千手観音に加えて護法魔王尊の三位一体の「尊天=サナト・クマラ」を本尊としています。<br /><br />

    鞍馬寺 参道
    駅前の道を左折すると鞍馬寺の仁王門が深い緑の樹木の中から顔を覗かせています。
    鞍馬寺は、正式名を「鞍馬弘教総本山鞍馬寺」と言います。奈良時代の770年に唐招提寺の開祖 鑑真和上を師とする鑑禎上人が山背に霊山があるとの夢を見て、その地で毘沙門天像を得て草庵を結んだのが始まりとされています。毘沙門天は、別名 多聞天とも呼ばれ、ヒンズー教における財宝の神クーベラを指します。その後796年に藤原伊勢人が千手観世音菩薩を併せて祀り、9世紀末に東寺の僧 峯延(ぶえん)が入寺したことで真言宗寺院として信仰を集め、12世紀からは天台宗に改宗し、その後は長く青蓮院の支配下にあり、京の北方を守護する毘沙門天の神域として平安京の北の守り、水源の守護地として平安時代後期以来広く信仰を集めてきました。しかし、1947年にヨーロッパの神智学に影響を受けた住職 信楽香雲によって新宗教「鞍馬弘教」が開宗され、鞍馬弘教総本山として毘沙門天、千手観音に加えて護法魔王尊の三位一体の「尊天=サナト・クマラ」を本尊としています。

  • 鞍馬寺 参道<br />「尊天」は、愛と月の精霊 千手観音菩薩、光と太陽の精霊 毘沙門天王、力と地球の精霊 護法魔王尊の三位一体としており、森羅万象を産み出す宇宙エネルギーとの由。護法摩王尊は、大地の霊王と言われ、650万年前に人類救済のために金星から降臨した天狗の総帥とされています。その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のままで年をとることのない永遠の存在だそうです。16歳と言うのが義経が鞍馬を旅立った16歳と重なるのも何かの縁なのでしょう。摩王尊は、北方守護の浄域の地 鞍馬に降臨し、祟られた天皇 桓武天皇が変遷した王城の地 平安京を怨霊から守護したそうです。<br />このように信仰形態は非常にユニークで、五月満月祭(ウエサク祭)での祈りの詩では「魔王尊はシリウスから下された光の棒で人間たちに天の力を与える」といった記述も見られるなど、日本古来の神道や仏教には見られない異質な信仰と言えます。鞍馬弘教が標榜する世界中のあらゆる差異を乗り越えた「統一的世界観実体集教」というキャッチフレーズは、どこかフリーメイソンのスローガンとも重なるものがあります。<br />神仏霊場会第103番、京都第23番。京都洛北・森と水の会。開運招福、魔除、勝運(受験、選挙、試合、闘病など)、商売繁盛、スポーツ上達などにご利益があります。<br />

    鞍馬寺 参道
    「尊天」は、愛と月の精霊 千手観音菩薩、光と太陽の精霊 毘沙門天王、力と地球の精霊 護法魔王尊の三位一体としており、森羅万象を産み出す宇宙エネルギーとの由。護法摩王尊は、大地の霊王と言われ、650万年前に人類救済のために金星から降臨した天狗の総帥とされています。その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のままで年をとることのない永遠の存在だそうです。16歳と言うのが義経が鞍馬を旅立った16歳と重なるのも何かの縁なのでしょう。摩王尊は、北方守護の浄域の地 鞍馬に降臨し、祟られた天皇 桓武天皇が変遷した王城の地 平安京を怨霊から守護したそうです。
    このように信仰形態は非常にユニークで、五月満月祭(ウエサク祭)での祈りの詩では「魔王尊はシリウスから下された光の棒で人間たちに天の力を与える」といった記述も見られるなど、日本古来の神道や仏教には見られない異質な信仰と言えます。鞍馬弘教が標榜する世界中のあらゆる差異を乗り越えた「統一的世界観実体集教」というキャッチフレーズは、どこかフリーメイソンのスローガンとも重なるものがあります。
    神仏霊場会第103番、京都第23番。京都洛北・森と水の会。 開運招福、魔除、勝運(受験、選挙、試合、闘病など)、商売繁盛、スポーツ上達などにご利益があります。

  • 鞍馬寺 仁王門<br />天下の霊場「鞍馬寺」の表玄関になる門。<br />俗界から鞍馬山浄域への結界をなします。<br />平安時代、寿永年間(1182〜1184年)に建立されましたが、1891年に焼失し、1911年に再建され、1960年に現在地に移築されました。向かって右側の扉一枚は寿永年間のものとされています。<br />標高250mの高台に威風堂々と佇む3間1戸の和様楼門建築で、焼失前の姿をほぼ忠実に再現しているそうです。<br /><br />

    鞍馬寺 仁王門
    天下の霊場「鞍馬寺」の表玄関になる門。
    俗界から鞍馬山浄域への結界をなします。
    平安時代、寿永年間(1182〜1184年)に建立されましたが、1891年に焼失し、1911年に再建され、1960年に現在地に移築されました。向かって右側の扉一枚は寿永年間のものとされています。
    標高250mの高台に威風堂々と佇む3間1戸の和様楼門建築で、焼失前の姿をほぼ忠実に再現しているそうです。

  • 食事処 雍州路(ようしゅうじ)<br />鞍馬寺から更に北へ向かう道は、丹波を経由して若狭へ通じます。少し前にオバマ氏を勝手に応援することで有名になった小浜町から、鯖を運んだ街道です。そのようにして運ばれた鯖が、京都名物「鯖寿司」となりました。その道は、鞍馬街道、または雍州路と呼ばれました。<br />その雍州路という名前をそのまま店名にした食事処が門前にあります。精進料理、お蕎麦、和風スィーツなどメニューも多彩で広々とした店内で寛ぐことができます。ご主人は、元々鞍馬寺の僧侶だった方ですが、料理好きが高じてこの店を始められたそうです。絵を書いたり伝統を生かしたお土産用の小物を作るのが好きで、店内には作品を売るコーナーもあります。<br />ご主人が描かれた立て看板の絵にも味わいが溢れています。<br />

    食事処 雍州路(ようしゅうじ)
    鞍馬寺から更に北へ向かう道は、丹波を経由して若狭へ通じます。少し前にオバマ氏を勝手に応援することで有名になった小浜町から、鯖を運んだ街道です。そのようにして運ばれた鯖が、京都名物「鯖寿司」となりました。その道は、鞍馬街道、または雍州路と呼ばれました。
    その雍州路という名前をそのまま店名にした食事処が門前にあります。精進料理、お蕎麦、和風スィーツなどメニューも多彩で広々とした店内で寛ぐことができます。ご主人は、元々鞍馬寺の僧侶だった方ですが、料理好きが高じてこの店を始められたそうです。絵を書いたり伝統を生かしたお土産用の小物を作るのが好きで、店内には作品を売るコーナーもあります。
    ご主人が描かれた立て看板の絵にも味わいが溢れています。

  • 鞍馬寺 仁王門 扁額<br />端正な扁額は、後水尾天皇宸筆とも言われています。<br /><br />開基は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のひとりで、最年少の鑑禎と伝えられます。鑑禎は霊夢のお告げに従い、山城国北方の霊山に登り、山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見ました。その山が鞍馬山であり、「鞍馬」の語源のひとつに数えられています。<br /><br />

    鞍馬寺 仁王門 扁額
    端正な扁額は、後水尾天皇宸筆とも言われています。

    開基は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のひとりで、最年少の鑑禎と伝えられます。鑑禎は霊夢のお告げに従い、山城国北方の霊山に登り、山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見ました。その山が鞍馬山であり、「鞍馬」の語源のひとつに数えられています。

  • 鞍馬寺 仁王門 阿吽の狛虎<br />仁王門の前には一対の狛虎が睨みをきかせています。<br />鞍馬寺の開基 鑑禎上人が霊夢のお告げに従って鞍馬山に入ると突如鬼神に襲われ殺されそうになります。しかし、倒れてきた枯れ木に鬼は潰され、鑑禎上人は命拾いをします。翌朝気が付くとそこには毘沙門天の像が置かれていました。毘沙門天に救われた鑑禎上人は、草庵を結びこれを祀ることにしました。<br />この毘沙門天が寅年の寅の月、寅の時刻に姿を現したことから、鞍馬寺の毘沙門天は虎を使い鞍馬山に降り立ったとの故事となり、虎が据えられることになったそうです。<br />

    鞍馬寺 仁王門 阿吽の狛虎
    仁王門の前には一対の狛虎が睨みをきかせています。
    鞍馬寺の開基 鑑禎上人が霊夢のお告げに従って鞍馬山に入ると突如鬼神に襲われ殺されそうになります。しかし、倒れてきた枯れ木に鬼は潰され、鑑禎上人は命拾いをします。翌朝気が付くとそこには毘沙門天の像が置かれていました。毘沙門天に救われた鑑禎上人は、草庵を結びこれを祀ることにしました。
    この毘沙門天が寅年の寅の月、寅の時刻に姿を現したことから、鞍馬寺の毘沙門天は虎を使い鞍馬山に降り立ったとの故事となり、虎が据えられることになったそうです。

  • 鞍馬寺 仁王門 狛虎<br />阿形の狛虎です。<br />石造の狛虎は1913年に安置されたものです。

    鞍馬寺 仁王門 狛虎
    阿形の狛虎です。
    石造の狛虎は1913年に安置されたものです。

  • 鞍馬寺 仁王門<br />提灯に付された寺紋は、一見「天狗の羽団扇」のように見えるのですが、実は菊の花を側面から見た意匠だそうです。<br />鞍馬=天狗は条件反射のようなものですから、羽団扇をイメージしてしまうのは人間の性でしょうか…。<br />色メガネで見ることのないようにとの戒めなのでしょう。

    鞍馬寺 仁王門
    提灯に付された寺紋は、一見「天狗の羽団扇」のように見えるのですが、実は菊の花を側面から見た意匠だそうです。
    鞍馬=天狗は条件反射のようなものですから、羽団扇をイメージしてしまうのは人間の性でしょうか…。
    色メガネで見ることのないようにとの戒めなのでしょう。

  • 鞍馬寺 仁王門 仁王像<br />安置されている仁王像は、鎌倉時代の著名仏師 湛慶(運慶の嫡男)の作と伝わり、明治の再建時に丹波からこの地に移されたものです。<br />例によって筋肉隆々マッチョなお姿ですこと。<br /><br />一部側面の金網が破れており、そこから迫力のあるお顔が障害物なしで拝めます。

    鞍馬寺 仁王門 仁王像
    安置されている仁王像は、鎌倉時代の著名仏師 湛慶(運慶の嫡男)の作と伝わり、明治の再建時に丹波からこの地に移されたものです。
    例によって筋肉隆々マッチョなお姿ですこと。

    一部側面の金網が破れており、そこから迫力のあるお顔が障害物なしで拝めます。

  • 鞍馬寺 仁王門 仁王像<br />湛慶は、運慶の躍動感溢れる存在感と快慶の絵画的な写実を融和した穏健な様式を完成させたと説明されています。まるでルネッサンス期に「躍動感のミケランジェロ」と「写実派のダヴィンチ」の良い所を融合したラファエロを彷彿とさせる表現です。<br />高山寺の明恵上人との交流の中で、森羅万象への慈しみという宗教的境地が触発された結果、このような化学反応を生じたようです。異文化交流の醍醐味と言えるでしょう。<br />湛慶の代表作は、三十三間堂本殿の千手観音坐像(国宝)。仁王像としては鞍馬寺にあるものが唯一無二の作品となります。<br /><br />金網やら木の柵にしっかりとガードされているので、デジイチでは上のような写真しか撮ることができません。ここで予備として携行したデジイチの威力発揮となります。柵の隙間からカメラを差し込めば、このような写真が簡単に撮れてしまいます。

    鞍馬寺 仁王門 仁王像
    湛慶は、運慶の躍動感溢れる存在感と快慶の絵画的な写実を融和した穏健な様式を完成させたと説明されています。まるでルネッサンス期に「躍動感のミケランジェロ」と「写実派のダヴィンチ」の良い所を融合したラファエロを彷彿とさせる表現です。
    高山寺の明恵上人との交流の中で、森羅万象への慈しみという宗教的境地が触発された結果、このような化学反応を生じたようです。異文化交流の醍醐味と言えるでしょう。
    湛慶の代表作は、三十三間堂本殿の千手観音坐像(国宝)。仁王像としては鞍馬寺にあるものが唯一無二の作品となります。

    金網やら木の柵にしっかりとガードされているので、デジイチでは上のような写真しか撮ることができません。ここで予備として携行したデジイチの威力発揮となります。柵の隙間からカメラを差し込めば、このような写真が簡単に撮れてしまいます。

  • 鞍馬寺 仁王門 仁王像<br />仁王門の先で拝観料ならぬ「愛山料」200円を納めて境内に入ります。<br />叡山電鉄「えぇきっぷ」を提示すれば、100円割引になります。<br />

    鞍馬寺 仁王門 仁王像
    仁王門の先で拝観料ならぬ「愛山料」200円を納めて境内に入ります。
    叡山電鉄「えぇきっぷ」を提示すれば、100円割引になります。

  • 鞍馬寺 仁王門 仁王像<br />いよいよ鞍馬寺の浄域に足を踏み入れます。<br />邪な心は全て捨て去り、姿勢と身を正します。<br />

    鞍馬寺 仁王門 仁王像
    いよいよ鞍馬寺の浄域に足を踏み入れます。
    邪な心は全て捨て去り、姿勢と身を正します。

  • 鞍馬寺 仁王門<br />門を潜った所で仁王門を仰ぎ見ます。

    鞍馬寺 仁王門
    門を潜った所で仁王門を仰ぎ見ます。

  • 鞍馬寺 町石(ちょうせき)<br />本殿まで続いている石標で、本殿までの道のりを示しています。 <br />九十九折の参道8町7曲りに1町(110m)毎に立てられています。この町石でどの辺りまで来ているか判る仕組みになっています。<br /><br />八町と書かれていますので、ここから本殿まで880mの距離と言うことになります。

    鞍馬寺 町石(ちょうせき)
    本殿まで続いている石標で、本殿までの道のりを示しています。
    九十九折の参道8町7曲りに1町(110m)毎に立てられています。この町石でどの辺りまで来ているか判る仕組みになっています。

    八町と書かれていますので、ここから本殿まで880mの距離と言うことになります。

  • 鞍馬寺<br />整然と並べられた鞍馬灯籠が鮮やかです。<br />ケーブルカーを利用する方法もありますが、折角のお参りですので一歩一歩この身を押し出してこそ得られる功徳もあります。諸々の日常を置き去りにし、全身で自然と清々しい「気」を満喫したいと思います。<br />

    鞍馬寺
    整然と並べられた鞍馬灯籠が鮮やかです。
    ケーブルカーを利用する方法もありますが、折角のお参りですので一歩一歩この身を押し出してこそ得られる功徳もあります。諸々の日常を置き去りにし、全身で自然と清々しい「気」を満喫したいと思います。

  • 鞍馬寺 童形六体地蔵尊<br />鞍馬山保育園の入口に置かれています。<br />鞍馬寺開創1200年記念事業の一環として1986年丙寅年の本尊ご開帳の年に刻まれ、寄進されたものです。一枚岩に子どもの姿をした六体のお地蔵様が刻まれています。幼児の純真無垢な表情や仕草が表現されており、心が和みます。 <br />子どもたちは登降園時に手を合わせるそうです。また、地蔵盆の行事の前には年長児がお身拭いをするそうです。

    鞍馬寺 童形六体地蔵尊
    鞍馬山保育園の入口に置かれています。
    鞍馬寺開創1200年記念事業の一環として1986年丙寅年の本尊ご開帳の年に刻まれ、寄進されたものです。一枚岩に子どもの姿をした六体のお地蔵様が刻まれています。幼児の純真無垢な表情や仕草が表現されており、心が和みます。
    子どもたちは登降園時に手を合わせるそうです。また、地蔵盆の行事の前には年長児がお身拭いをするそうです。

  • 鞍馬寺 普明殿<br />1992年に建てられた仏堂で、ケーブルカーの山門駅舎を兼ねています。<br />宗教法人としては唯一電車事業者として登録され、恐らく軌道長が日本最短(207m)の鞍馬山鋼索鉄道ケーブルカーがあります。営利目的ではないということで、運賃ではなく、片道100円の「寄進」で乗車できます。<br />普明殿の正面には智慧の光を象徴する毘沙門天像が奉安されていますが、撮影禁止となっています。<br />2階には展示スペースがあり、鞍馬山の自然にまつわる多彩な催しが企画されています。<br />

    鞍馬寺 普明殿
    1992年に建てられた仏堂で、ケーブルカーの山門駅舎を兼ねています。
    宗教法人としては唯一電車事業者として登録され、恐らく軌道長が日本最短(207m)の鞍馬山鋼索鉄道ケーブルカーがあります。営利目的ではないということで、運賃ではなく、片道100円の「寄進」で乗車できます。
    普明殿の正面には智慧の光を象徴する毘沙門天像が奉安されていますが、撮影禁止となっています。
    2階には展示スペースがあり、鞍馬山の自然にまつわる多彩な催しが企画されています。

  • 鞍馬寺 普明殿<br />ケーブルカーは利用しないので冷やかしで入った仏堂ですが、意外なお宝発見です。<br />与謝野寛・晶子夫妻の写真や遺品などが展示されています。<br />何故、鞍馬寺が与謝野夫妻と縁があるかと言うと、鞍馬寺初代管長 信楽香雲が晶子の直弟子だったそうです。故に、晶子と鉄幹夫妻はこの地を度々訪れていたようです。<br />この写真は、1933年に撮影されたもので、鉄幹60歳、晶子55歳。

    鞍馬寺 普明殿
    ケーブルカーは利用しないので冷やかしで入った仏堂ですが、意外なお宝発見です。
    与謝野寛・晶子夫妻の写真や遺品などが展示されています。
    何故、鞍馬寺が与謝野夫妻と縁があるかと言うと、鞍馬寺初代管長 信楽香雲が晶子の直弟子だったそうです。故に、晶子と鉄幹夫妻はこの地を度々訪れていたようです。
    この写真は、1933年に撮影されたもので、鉄幹60歳、晶子55歳。

  • 鞍馬寺 普明殿<br />与謝野寛・晶子夫妻の湯呑み茶碗などの遺品がガラスケースに入れられて展示されています。<br />

    鞍馬寺 普明殿
    与謝野寛・晶子夫妻の湯呑み茶碗などの遺品がガラスケースに入れられて展示されています。

  • 鞍馬寺 普明殿<br />石版「あゝ皐月 ふらんすの野は 火の色す 君もコクリコ われもコクリコ (晶子)」。<br />コクリコとは「ひなげし」のことを言い、往時人気絶頂だった晶子はこのコクリコの色紙を大量生産し、子沢山だった家計の足しにしていたようです。<br />この石版は、鞍馬寺蔵「百首屏風」より写されて彫られたもののようです。<br />

    鞍馬寺 普明殿
    石版「あゝ皐月 ふらんすの野は 火の色す 君もコクリコ われもコクリコ (晶子)」。
    コクリコとは「ひなげし」のことを言い、往時人気絶頂だった晶子はこのコクリコの色紙を大量生産し、子沢山だった家計の足しにしていたようです。
    この石版は、鞍馬寺蔵「百首屏風」より写されて彫られたもののようです。

  • 鞍馬寺 普明殿<br />鞍馬寺全体のジオラマです。<br />これから向かう本堂金堂への山道の急峻さがビジュアルに判り、心の準備に重宝します。ジオラマの後ろにも絵地図が掲げられています。<br />どちらも暗にケーブルカーの利用を進めているようにも受け取れますが、ここは心を鬼にして歩いて登る方を選択します。

    鞍馬寺 普明殿
    鞍馬寺全体のジオラマです。
    これから向かう本堂金堂への山道の急峻さがビジュアルに判り、心の準備に重宝します。ジオラマの後ろにも絵地図が掲げられています。
    どちらも暗にケーブルカーの利用を進めているようにも受け取れますが、ここは心を鬼にして歩いて登る方を選択します。

  • 放生池<br />読んで字の如く、生き物を放して生かす池です。<br />池に生き物を放ち、善徳を積み、滝に打たれて修行するという説明書があります。<br />寂寥感溢れる場所で、時折鯉が水面を打つ音に驚かされます。<br />放生池から魔王の滝までは護法境(ごほうきょう)と呼ばれています。<br />

    放生池
    読んで字の如く、生き物を放して生かす池です。
    池に生き物を放ち、善徳を積み、滝に打たれて修行するという説明書があります。
    寂寥感溢れる場所で、時折鯉が水面を打つ音に驚かされます。
    放生池から魔王の滝までは護法境(ごほうきょう)と呼ばれています。

  • 放生池<br />池の先には水が滴る細い滝がありました。<br />ここが「滝に打たれて修行する」場所なのか?少し水量が少なすぎるような…。<br />昨日は相当量の雨が降ったはずです。それなのにこの程度の水量とは…。<br />これなら当方でも滝修行できそうです。<br />因みに、この滝の周辺は、江戸時代のままの姿を残しているそうです。

    放生池
    池の先には水が滴る細い滝がありました。
    ここが「滝に打たれて修行する」場所なのか?少し水量が少なすぎるような…。
    昨日は相当量の雨が降ったはずです。それなのにこの程度の水量とは…。
    これなら当方でも滝修行できそうです。
    因みに、この滝の周辺は、江戸時代のままの姿を残しているそうです。

  • 魔王の瀧<br />放生池から道なりに小路を進むと少し開けた境内に辿り着きます。<br />左の朱色の祠が鬼一法眼神社ですので、この神社の一角に当たります。<br />

    魔王の瀧
    放生池から道なりに小路を進むと少し開けた境内に辿り着きます。
    左の朱色の祠が鬼一法眼神社ですので、この神社の一角に当たります。

  • 魔王の瀧<br />魔王の瀧の石鳥居の手前にも2基の古い石鳥居が並んで建てられています。<br />「石を投げて鳥居の上に載ると願いが叶う」という俗信があり、ご多分に漏れず沢山の石が所狭しと載せられていて潜るのが怖いくらいです。

    魔王の瀧
    魔王の瀧の石鳥居の手前にも2基の古い石鳥居が並んで建てられています。
    「石を投げて鳥居の上に載ると願いが叶う」という俗信があり、ご多分に漏れず沢山の石が所狭しと載せられていて潜るのが怖いくらいです。

  • 魔王の瀧<br />扁額「魔王の瀧」を掲げた鳥居が行く手に立ちはだかります。<br />鞍馬山では、魔王とは悪魔の象徴ではなく、「力」の象徴=「大地(地球)の霊王」と称されています。

    魔王の瀧
    扁額「魔王の瀧」を掲げた鳥居が行く手に立ちはだかります。
    鞍馬山では、魔王とは悪魔の象徴ではなく、「力」の象徴=「大地(地球)の霊王」と称されています。

  • 魔王の瀧<br />鳥居を潜ると「魔王之碑」と怪しげな筆跡で書かれた石碑が屹立しています。<br />上を見上げると落差8m程の「魔王の瀧」があります。<br />魔王尊の石像が祀られている崖の上の丹塗りの小祠から、樋を伝って清冽な清水が飛沫を上げて落下し、鬼一法眼が水垢離(みずごり)を行った滝と伝わります。

    魔王の瀧
    鳥居を潜ると「魔王之碑」と怪しげな筆跡で書かれた石碑が屹立しています。
    上を見上げると落差8m程の「魔王の瀧」があります。
    魔王尊の石像が祀られている崖の上の丹塗りの小祠から、樋を伝って清冽な清水が飛沫を上げて落下し、鬼一法眼が水垢離(みずごり)を行った滝と伝わります。

  • 魔王の瀧<br />ネーミングから轟々と落下する荒々しい瀧をイメージしてしまうのですが、温泉にある「打たせ湯」程度の瀧を想像していただいた方が期待を裏切らないかも知れません。樋を伝う水量はしれていますから…。<br />現在は、「落石があり危険ですから滝の下には近寄らないでください」との注意書きかあります。<br />

    魔王の瀧
    ネーミングから轟々と落下する荒々しい瀧をイメージしてしまうのですが、温泉にある「打たせ湯」程度の瀧を想像していただいた方が期待を裏切らないかも知れません。樋を伝う水量はしれていますから…。
    現在は、「落石があり危険ですから滝の下には近寄らないでください」との注意書きかあります。

  • 魔王の瀧<br />丹塗りの小祠には、魔王尊の石像が安置されています。<br />

    魔王の瀧
    丹塗りの小祠には、魔王尊の石像が安置されています。

  • 魔王の瀧<br />瀧壺は池のようになっています。<br />マイナスイオンのご利益か、空気がここだけ違うような気がします。

    魔王の瀧
    瀧壺は池のようになっています。
    マイナスイオンのご利益か、空気がここだけ違うような気がします。

  • 魔王の瀧<br />玉を手にした、どこかユーモラスな龍神像のオブジェです。<br />白姫龍神と白長龍神の塚が鳥居の手前にあります。

    魔王の瀧
    玉を手にした、どこかユーモラスな龍神像のオブジェです。
    白姫龍神と白長龍神の塚が鳥居の手前にあります。

  • 鬼一法眼社<br />魔王の瀧の左側にある祠が鬼一法眼社。早くも義経伝説に係わる人物所縁の社の登場です。伝説によると、鬼一法眼は周の太公望が著した鞍馬寺秘蔵『六韜(りくとう)三略』という兵法書を独習し、兵法と武術に秀でた、一条戻橋に住む陰陽師集団の頭目だったそうです。義経は鬼一に弟子入りし、めでたく兵法書を伝授されて平家打倒の戦略を練ります。しかし、秘伝「虎韜」の閲覧は許されませんでした。そこで、法眼の末娘 幸寿を手なづけて盗み出させ、六韜を写し取ったそうです。<br />伝説には後日談があり、実は鬼一も奥義については学んでおらず、ここで義経は師を乗り越えてしまったのです。怒った鬼一は、弟子を刺客に差し向けましたが、反対に首を取られてしまいます。目的を果たした義経は奥州に戻りましたが、幸寿は彼を忘れることができず、恋煩いによって亡くなってしまいます。(『義経記』)<br />この伝説では、主役の義経よりも幸寿に感情移入してしまいます。愛する人のために己の命を捧げるという健気さは、どこか日本人の琴線に触れるものがあります。<br />義経は「虎韜」だけを残して全て消却し、この「虎韜」が「虎の巻」の語源と言われています。また、法眼は、鞍馬山の僧兵8人に刀法を伝授した、「京八流」の祖と崇めれられています。その末裔が吉岡一門であり、かの宮本武蔵と対決しています。<br />武道の神として崇敬されており、今でも武道上達を祈願する人が絶えないようです。<br />

    鬼一法眼社
    魔王の瀧の左側にある祠が鬼一法眼社。早くも義経伝説に係わる人物所縁の社の登場です。伝説によると、鬼一法眼は周の太公望が著した鞍馬寺秘蔵『六韜(りくとう)三略』という兵法書を独習し、兵法と武術に秀でた、一条戻橋に住む陰陽師集団の頭目だったそうです。義経は鬼一に弟子入りし、めでたく兵法書を伝授されて平家打倒の戦略を練ります。しかし、秘伝「虎韜」の閲覧は許されませんでした。そこで、法眼の末娘 幸寿を手なづけて盗み出させ、六韜を写し取ったそうです。
    伝説には後日談があり、実は鬼一も奥義については学んでおらず、ここで義経は師を乗り越えてしまったのです。怒った鬼一は、弟子を刺客に差し向けましたが、反対に首を取られてしまいます。目的を果たした義経は奥州に戻りましたが、幸寿は彼を忘れることができず、恋煩いによって亡くなってしまいます。(『義経記』)
    この伝説では、主役の義経よりも幸寿に感情移入してしまいます。愛する人のために己の命を捧げるという健気さは、どこか日本人の琴線に触れるものがあります。
    義経は「虎韜」だけを残して全て消却し、この「虎韜」が「虎の巻」の語源と言われています。また、法眼は、鞍馬山の僧兵8人に刀法を伝授した、「京八流」の祖と崇めれられています。その末裔が吉岡一門であり、かの宮本武蔵と対決しています。
    武道の神として崇敬されており、今でも武道上達を祈願する人が絶えないようです。

  • 鬼一法眼社<br />鬼一法眼は、架空の人物との説が有力なようで、様々な人や物がその正体としてまことしやかに語られています。<br />鞍馬寺では、義経に兵法を授けた人物とし、「鞍馬天狗」と同一視しているようです。つまり、鞍馬天狗と同一人物ならば、本尊の魔王尊もしくはその使いの者と同義となるからです。<br />

    鬼一法眼社
    鬼一法眼は、架空の人物との説が有力なようで、様々な人や物がその正体としてまことしやかに語られています。
    鞍馬寺では、義経に兵法を授けた人物とし、「鞍馬天狗」と同一視しているようです。つまり、鞍馬天狗と同一人物ならば、本尊の魔王尊もしくはその使いの者と同義となるからです。

  • 由岐神社 拝殿<br />「鞍馬の火祭」で有名な由岐神社は、現在は鞍馬町の氏神ですが、元々は鞍馬寺の鎮守社でした。「ゆき」の語源は、戦の時に矢を入れて背負う筒状の武具「靱」を意味しています。国家の非常時や天皇の病気の時、社前に靫を奉納し、平安時代の940年に勅命により、御所に祀られていた由岐大明神を平安京の北方を鎮護するために遷したのが始まりとされます。<br />祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命と少彦名命の二柱。大国主命は出雲国を治めた大王と目される人物で、医薬の祖神。彼らが、何故国を譲らねばならなかったのかの詳細は『紀記』に譲るとして、「国譲り」とは単なる言葉のアヤであり、この2人の出雲の為政者は自国を力によって奪われたのであり、その怒りを鎮魂するために神として祀られてきたのです。<br />梅原猛氏によれば、「概ね神として祀られる人物とは、怨霊になるほどの思いをこの世に残して亡くなった人物」だそうです。このようにして血塗られた歴史の一端は、神話として見事な美談化やカモフラージュが施され、あの因幡の白ウサギをやさしく介抱する白い袋を背負った大国主の姿と化し、また少彦名は御伽噺の一寸法師のモデルとして人々の心に残る存在になったのです。<br />

    由岐神社 拝殿
    「鞍馬の火祭」で有名な由岐神社は、現在は鞍馬町の氏神ですが、元々は鞍馬寺の鎮守社でした。「ゆき」の語源は、戦の時に矢を入れて背負う筒状の武具「靱」を意味しています。国家の非常時や天皇の病気の時、社前に靫を奉納し、平安時代の940年に勅命により、御所に祀られていた由岐大明神を平安京の北方を鎮護するために遷したのが始まりとされます。
    祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命と少彦名命の二柱。大国主命は出雲国を治めた大王と目される人物で、医薬の祖神。彼らが、何故国を譲らねばならなかったのかの詳細は『紀記』に譲るとして、「国譲り」とは単なる言葉のアヤであり、この2人の出雲の為政者は自国を力によって奪われたのであり、その怒りを鎮魂するために神として祀られてきたのです。
    梅原猛氏によれば、「概ね神として祀られる人物とは、怨霊になるほどの思いをこの世に残して亡くなった人物」だそうです。このようにして血塗られた歴史の一端は、神話として見事な美談化やカモフラージュが施され、あの因幡の白ウサギをやさしく介抱する白い袋を背負った大国主の姿と化し、また少彦名は御伽噺の一寸法師のモデルとして人々の心に残る存在になったのです。

  • 由岐神社 手水舎<br />龍の手水です。

    由岐神社 手水舎
    龍の手水です。

  • 由岐神社 拝殿(重要文化財)<br />参道の石段によって左右に2分され、真ん中を割って潜り抜けられる造りは「割拝殿」と呼ばれ、江戸時代、1607〜1615年に豊臣秀頼により再建されました。<br />6間2間、一重入母屋造、檜皮葺、唐破風を配した神楽舞台造のような珍しい桃山時代の代表的建造物です。

    由岐神社 拝殿(重要文化財)
    参道の石段によって左右に2分され、真ん中を割って潜り抜けられる造りは「割拝殿」と呼ばれ、江戸時代、1607〜1615年に豊臣秀頼により再建されました。
    6間2間、一重入母屋造、檜皮葺、唐破風を配した神楽舞台造のような珍しい桃山時代の代表的建造物です。

  • 由岐神社 拝殿<br />唐破風には3本の虹梁が渡され、その上に桃山時代風の蟇股を配しています。構造は桃山式ですが、脚先や内部の手法には室町の名残を留めているそうです。<br />

    由岐神社 拝殿
    唐破風には3本の虹梁が渡され、その上に桃山時代風の蟇股を配しています。構造は桃山式ですが、脚先や内部の手法には室町の名残を留めているそうです。

  • 由岐神社 拝殿<br />仰ぎ見ると、火祭の際に生じたと思ぼしき焦げ跡が至る所に見られます。<br />「鞍馬の火祭」は、都で大地震や乱が頻発し、不安を覚えた朱雀天皇が鞍馬の地に遷宮を行い、その時に由岐神社が北方鎮護を仰せつかったことに始まるそうです。例祭の鞍馬の火祭は、その時に里人が篝火を持って神霊を迎え入れたことが起源だそうです。<br />人は火と一体になると自分の中にあるものが刺激され、興奮を覚えるものだそうです。ゾロアスター教に通じる系譜が隠されているとの説もありますが、そもそも人の性は万国共通ということではないでしょうか?トランス状態に入って超自然的存在と交信する現象を起こすシャーマンも焚火や松明、蝋燭などを脳内の光ドライブを誘因するツールとして用いるそうです。ストロボ光の続くディスコなどで連続した光を浴び続けると、軽い陶酔状態に移行するのと同じ感覚です。 <br />因みに、ゾロアスター教は、紀元前六世紀頃のペルシャの予言者ゾロアスター(ツァラツストラ)が 始めた宗教です。光の神である善神と、暗黒の神である悪神が対立し、ついには光りの神が勝利し、悪神は闇の中に追放されるというものです。つまり、善神を象徴するのが火であり、ここから火を拝するということで「拝火教」とも呼ばれます。 <br />

    由岐神社 拝殿
    仰ぎ見ると、火祭の際に生じたと思ぼしき焦げ跡が至る所に見られます。
    「鞍馬の火祭」は、都で大地震や乱が頻発し、不安を覚えた朱雀天皇が鞍馬の地に遷宮を行い、その時に由岐神社が北方鎮護を仰せつかったことに始まるそうです。例祭の鞍馬の火祭は、その時に里人が篝火を持って神霊を迎え入れたことが起源だそうです。
    人は火と一体になると自分の中にあるものが刺激され、興奮を覚えるものだそうです。ゾロアスター教に通じる系譜が隠されているとの説もありますが、そもそも人の性は万国共通ということではないでしょうか?トランス状態に入って超自然的存在と交信する現象を起こすシャーマンも焚火や松明、蝋燭などを脳内の光ドライブを誘因するツールとして用いるそうです。ストロボ光の続くディスコなどで連続した光を浴び続けると、軽い陶酔状態に移行するのと同じ感覚です。
    因みに、ゾロアスター教は、紀元前六世紀頃のペルシャの予言者ゾロアスター(ツァラツストラ)が 始めた宗教です。光の神である善神と、暗黒の神である悪神が対立し、ついには光りの神が勝利し、悪神は闇の中に追放されるというものです。つまり、善神を象徴するのが火であり、ここから火を拝するということで「拝火教」とも呼ばれます。

  • 由岐神社 拝殿 蟇股(鳥居側)<br />蟇股には椿と思しき彫刻があり、趣き深いものがあります。<br />3連の蟇股の意匠は、表と裏で異なっています。かなり痛んだ彫刻もあるので断定はできませんが、表裏共に3連の意匠は同じだと思います。<br /><br />

    由岐神社 拝殿 蟇股(鳥居側)
    蟇股には椿と思しき彫刻があり、趣き深いものがあります。
    3連の蟇股の意匠は、表と裏で異なっています。かなり痛んだ彫刻もあるので断定はできませんが、表裏共に3連の意匠は同じだと思います。

  • 由岐神社 拝殿<br />蟇股の椿と思しき意匠。(本殿側)

    由岐神社 拝殿
    蟇股の椿と思しき意匠。(本殿側)

  • 由岐神社 願掛け杉<br />神木の大杉です。<br />大杉の前に立つて仰ぎ見るとその威容に改めて驚かされます。まさに天空を貫くと言う表現がピッタリの杉です。幹周6.42m、樹高53m、樹齢約800年。境内には京都市の天然記念物に指定された杉が3本ありますが、この杉が最も大きく、大杉社(願掛け杉)という小さな祠を抱いています。<br />

    由岐神社 願掛け杉
    神木の大杉です。
    大杉の前に立つて仰ぎ見るとその威容に改めて驚かされます。まさに天空を貫くと言う表現がピッタリの杉です。幹周6.42m、樹高53m、樹齢約800年。境内には京都市の天然記念物に指定された杉が3本ありますが、この杉が最も大きく、大杉社(願掛け杉)という小さな祠を抱いています。

  • 由岐神社 拝殿<br />本殿への石段の途中から見下ろす拝殿。<br />檜皮葺の屋根に苔生しているのが、何とも言えない雰囲気を醸しています。<br />本殿までの石段の脇には、摂社・末社が沢山祀られています。

    由岐神社 拝殿
    本殿への石段の途中から見下ろす拝殿。
    檜皮葺の屋根に苔生しているのが、何とも言えない雰囲気を醸しています。
    本殿までの石段の脇には、摂社・末社が沢山祀られています。

  • 由岐神社 拝殿<br />因みに、小松和彦 著「京都魔界案内」(光文社刊)には、天皇の病や世の乱れ、また天変地異が生じた際、天皇の治世の失敗の身代り(スケープゴート)を引き受けて流罪になったのが由岐大明神だとの仮説を唱えられています。<br />由岐神社の神も大変な役目を背負わされたものです。もっとも、大きな神社の神に背負わせるわけには行かないお国の事情もあったということでしょう。<br />

    由岐神社 拝殿
    因みに、小松和彦 著「京都魔界案内」(光文社刊)には、天皇の病や世の乱れ、また天変地異が生じた際、天皇の治世の失敗の身代り(スケープゴート)を引き受けて流罪になったのが由岐大明神だとの仮説を唱えられています。
    由岐神社の神も大変な役目を背負わされたものです。もっとも、大きな神社の神に背負わせるわけには行かないお国の事情もあったということでしょう。

  • 由岐神社 本殿(重要文化財)<br />拝殿の豪華さに比べて意外にコンパクトにまとめられた本殿です。

    由岐神社 本殿(重要文化財)
    拝殿の豪華さに比べて意外にコンパクトにまとめられた本殿です。

  • 由岐神社 本殿<br />扉の左右には鎌倉時代に造られたと言われる石造の狛犬が安置されています。<br />阿形の獅子は小獅子を抱く珍しい形式のもので、宋の影響を受けた狛犬だそうです。社伝によれば、「古くより安産や子孫繁栄、厄除けの守護神として本殿内に奉祀されていたが、現在は京都国立博物館に寄託中」とあります。本物は重要文化財ですが、これらは1966年に造られたレプリカです。しかし、雰囲気がよくでていますので、駒札がなければ本物と思ってしまうほどのできばえです。<br /><br />そう言えば、長崎市の中国様式寺院 崇福寺の狛犬も小獅子を抱えていました。<br />http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=32683020

    由岐神社 本殿
    扉の左右には鎌倉時代に造られたと言われる石造の狛犬が安置されています。
    阿形の獅子は小獅子を抱く珍しい形式のもので、宋の影響を受けた狛犬だそうです。社伝によれば、「古くより安産や子孫繁栄、厄除けの守護神として本殿内に奉祀されていたが、現在は京都国立博物館に寄託中」とあります。本物は重要文化財ですが、これらは1966年に造られたレプリカです。しかし、雰囲気がよくでていますので、駒札がなければ本物と思ってしまうほどのできばえです。

    そう言えば、長崎市の中国様式寺院 崇福寺の狛犬も小獅子を抱えていました。
    http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=32683020

  • 由岐神社 本殿<br />向かって右の吽形の獅子は毬を抱いています。<br />中国ではこの毬を繍球と呼び、この中から獅子の子が生まれると考えられており、縁起物とされているそうです。<br />

    由岐神社 本殿
    向かって右の吽形の獅子は毬を抱いています。
    中国ではこの毬を繍球と呼び、この中から獅子の子が生まれると考えられており、縁起物とされているそうです。

  • 由岐神社 本殿<br />正面左手にあるキーホルダーに入った「天狗みくじ」の俗っぽさは、ご愛嬌といったところでしょうか。<br />

    由岐神社 本殿
    正面左手にあるキーホルダーに入った「天狗みくじ」の俗っぽさは、ご愛嬌といったところでしょうか。

  • 由岐神社 本殿<br />趣の深い側面です。<br />

    由岐神社 本殿
    趣の深い側面です。

  • 由岐神社 本殿<br />獅子の木鼻も愛嬌がある可愛らしい意匠です。<br />左側の鶴は羽を広げて優雅な舞を見せています。

    由岐神社 本殿
    獅子の木鼻も愛嬌がある可愛らしい意匠です。
    左側の鶴は羽を広げて優雅な舞を見せています。

  • 由岐神社 本殿<br />右側の鶴は飛翔しようとする姿を捉えています。

    由岐神社 本殿
    右側の鶴は飛翔しようとする姿を捉えています。

  • 由岐神社 本殿<br />おみくじを結ぶ「結び所」は、火祭で使われる大松明をイメージしています。<br />大松明は、この神社のシンボル的存在なのでしょう。

    由岐神社 本殿
    おみくじを結ぶ「結び所」は、火祭で使われる大松明をイメージしています。
    大松明は、この神社のシンボル的存在なのでしょう。

  • 由岐神社 本殿<br />やっぱり由岐神社と言えば「鞍馬の火祭」を差し置いては語れませんね!

    由岐神社 本殿
    やっぱり由岐神社と言えば「鞍馬の火祭」を差し置いては語れませんね!

  • 涙の滝<br />由岐神社の右側にある参道沿いにあります。つまり、一旦本殿の所から神社を出て、神社を迂回する参道を少し下った左手に「涙の滝」の駒札が立てられています。参道沿いの渓流の落下差2mにも満たない小さな滝(?)ですので駒札がなければ見逃してしまいます。<br />『源氏物語』では光源氏が祈祷を受けに「北山の某寺」を訪れた際、若紫に出会った場所とされています。『山州名跡志』は、「源氏若紫の巻に云く。暁がたに成にければ、法華三昧おこなふ堂の懺法の声、山おろしにつひて聞えくる。いと尊く、滝の音にひびき相たり。<br /> 吹まよふ 深山おろしに 夢さめて 泪もよほす 滝の音かな (源氏)<br />右の歌はこの滝を読めり。よつて涙滝と号す」と涙の滝の由来を説明しています。<br />また、牛若丸が平家討伐を祈って悲憤の涙を流したことが由来との伝えもあります。<br />因みに、「北山の某寺」を岩倉の大雲寺とする説もあります。<br />

    涙の滝
    由岐神社の右側にある参道沿いにあります。つまり、一旦本殿の所から神社を出て、神社を迂回する参道を少し下った左手に「涙の滝」の駒札が立てられています。参道沿いの渓流の落下差2mにも満たない小さな滝(?)ですので駒札がなければ見逃してしまいます。
    『源氏物語』では光源氏が祈祷を受けに「北山の某寺」を訪れた際、若紫に出会った場所とされています。『山州名跡志』は、「源氏若紫の巻に云く。暁がたに成にければ、法華三昧おこなふ堂の懺法の声、山おろしにつひて聞えくる。いと尊く、滝の音にひびき相たり。
    吹まよふ 深山おろしに 夢さめて 泪もよほす 滝の音かな (源氏)
    右の歌はこの滝を読めり。よつて涙滝と号す」と涙の滝の由来を説明しています。
    また、牛若丸が平家討伐を祈って悲憤の涙を流したことが由来との伝えもあります。
    因みに、「北山の某寺」を岩倉の大雲寺とする説もあります。

  • 由岐神社 カゴノキ<br />市天然記念物のカゴノキ(鹿子の木)。幹周2.45m、樹高18.5m。分布北限に近いものとしては最大規模の個体で、市内では希に見る巨木で貴重な存在だそうです。<br />クスノキ科ハマビワ属 (常緑高木)。カゴノキの名の由来は、樹皮が子鹿の斑模様に似るところから付けられています。<br />開花時期は8〜9月で、柄のない淡黄色の小花(散状花序)が葉腋に数個密集して咲きます。<br />

    由岐神社 カゴノキ
    市天然記念物のカゴノキ(鹿子の木)。幹周2.45m、樹高18.5m。分布北限に近いものとしては最大規模の個体で、市内では希に見る巨木で貴重な存在だそうです。
    クスノキ科ハマビワ属 (常緑高木)。カゴノキの名の由来は、樹皮が子鹿の斑模様に似るところから付けられています。
    開花時期は8〜9月で、柄のない淡黄色の小花(散状花序)が葉腋に数個密集して咲きます。

  • 由岐神社 カゴノキ<br />木の幹をズームアップしてみました。<br />これならすぐ判るでしょ?<br />葉にはこれと言った特徴がありませんので幹の模様が唯一の見分け方となります。<br />因みに、幹に絡んでいるのはシダ植物のマメヅタです。

    由岐神社 カゴノキ
    木の幹をズームアップしてみました。
    これならすぐ判るでしょ?
    葉にはこれと言った特徴がありませんので幹の模様が唯一の見分け方となります。
    因みに、幹に絡んでいるのはシダ植物のマメヅタです。

  • 由岐神社 手水<br />本殿右側の出口付近にある2頭龍の手水です。<br />水が出ていないのは、節水ということでしょうか?<br />鞍馬寺から参拝に下りてこられた方は、一旦下の鳥居の所にある手水舎まで行き、清めて本殿まで上って来て下さいと言うことなのでしょうか???<br /><br />鞍馬駅舎や普明殿など想定外の寄り道や各スポットでの見所が満載のため、由岐神社を発ったのが11時過ぎです。この間、山道を歩いたのは5分程度ですので先が思いやられます。ギヤチェンジしないと貴船の川床予約時間に間に合いそうもありません。<br /><br />写真枚数が多くなりましたので、この続きは②鞍馬<後編>でお届けします。<br />いよいよ本殿金堂を経て奥の院の秘境へと駒を進めます。

    由岐神社 手水
    本殿右側の出口付近にある2頭龍の手水です。
    水が出ていないのは、節水ということでしょうか?
    鞍馬寺から参拝に下りてこられた方は、一旦下の鳥居の所にある手水舎まで行き、清めて本殿まで上って来て下さいと言うことなのでしょうか???

    鞍馬駅舎や普明殿など想定外の寄り道や各スポットでの見所が満載のため、由岐神社を発ったのが11時過ぎです。この間、山道を歩いたのは5分程度ですので先が思いやられます。ギヤチェンジしないと貴船の川床予約時間に間に合いそうもありません。

    写真枚数が多くなりましたので、この続きは②鞍馬<後編>でお届けします。
    いよいよ本殿金堂を経て奥の院の秘境へと駒を進めます。

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