2014/06/21 - 2014/06/21
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経堂薫さん
御城と野球場…一見、何も関係なさそうな両者を結びつける旅。
福岡に続く第二弾は広島を訪れました。
広島東洋“カープ”の由来となった「鯉城」広島城。
そのカープの本拠地として幾多のドラマを生んだ広島市民球場の跡。
そして広島野球の象徴「MAZDA Zoom Zoom スタジアム」を巡ります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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福岡を出発した「広福ライナー」は広島に到着直前、午前5時半ごろ宮島サービスエリアで休憩。
もみじ饅頭が山ほど並び、広島カープのお土産も充実。
僅かな停車時間でしたが、眺めているだけでも楽しめました。宮島サービスエリア 道の駅
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午前6時過ぎ、広島バスセンターに到着。
広島県庁などが立ち並ぶ市の中心部ですが、土曜の早朝だけに歩いている人の姿は疎らです。
曇天下で小雨がパラつく中、プラプラと市街地を歩き出します。広島バスセンター 乗り物
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広島に来たら必ず立ち寄る原爆ドーム。
早朝から内外問わず大勢の観光客が訪れていました。
来2015年は1945年の原爆投下から70周年。
原爆ドームの役割は単に核兵器の恐ろしさを後世に伝えるだけに留まりません。
戦後日本が焦土の中から再出発した、まさに“原点”でもあるはず。
昨今の集団的自衛権行使や原発再稼働といった“愚行”と向き合う上で、日本人は原爆ドームの存在意義を再認識してみるべきかと思います。原爆ドーム 名所・史跡
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原爆ドームから相生通りを挟んで旧広島市民球場の跡地へ。
1957年の開業以来、広島東洋カープの本拠地として数々のドラマを生んできました。
2009年、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島のオープンと共に、半世紀以上にも及ぶ歴史に幕を下ろしました。
現在はフェンスに囲まれた敷地内に昼間のみ足を踏み入れることができます。ひろしまゲートパーク(旧広島市民球場跡地) 名所・史跡
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2012年にスタンドは外野席の一部を残して解体されました。
今やプロ野球の応援では当たり前になっているトランペットの演奏やジェット風船、立ち上がり応援などは、すべてここ広島市民球場のライトスタンドから始まりました。
こうした“日本初”の功績を伝える説明板があればいいんですけどね。ひろしまゲートパーク(旧広島市民球場跡地) 名所・史跡
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“フィールド”に立って周囲をグルリと見渡せば、広島カープの黄金期が脳裏に浮かんできます。
永久欠番になってるセンター山本浩二とサード衣笠はもとより、ショート高橋慶彦、キャッチャー達川…。
ピッチャーでは外木場、池谷、佐伯、北別府、山根…と並べると世代が知れますが。ひろしまゲートパーク(旧広島市民球場跡地) 名所・史跡
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跡地の活用法については意見がまとまらず、未だに広大な空間が広がっています。
ここに新たな施設が建設されたら“フィールド”には二度と立てないでしょう。
そうしたささやかな楽しみを味わえるのも今のうちかと思います。ひろしまゲートパーク(旧広島市民球場跡地) 名所・史跡
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広島市民球場跡から広島グリーンアリーナを抜け広島城址へ。
広島城は天正17(1589)年、毛利輝元が築城を開始しました。
その前年に上洛して豊臣秀吉に謁見した輝元は、京の聚楽第や大坂城を目の当たりにして近代城郭の必要性を痛感。
中国地方一帯を治めることができる城と城下町建設のために選んだ城地こそ、祖父元就が重視した瀬戸内海際の湾頭でした。
この地が「広島」と命名されたのは、この時だったとも。広島城 名所・史跡
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二の丸へと続く御門橋を渡り、表御門へ。
広島市民球場跡から広島グリーンアリーナを抜け広島城址へ。
築城開始から2年後の天正19(1591)年、輝元は広島城へ入城します。
ただ、完成していたのは本丸など主要部分だけで石垣や堀は未完成のまま。
その後も工事は進められ、ようやく慶長4(1599)に落成しました。
翌5(1600)年に関ヶ原の戦いで西軍は破れ、総大将の輝元は「周防・長門」の二国に追いやられます。
中国120万石から防長37万石へ、徳川家康の手で毛利家は一介の田舎大名に“格下げ”と相成ります。
取り潰しに遭っても不思議ではなかったのですが、名家好きだった家康の“お目こぼし”に与ったのでしょう。
その“情け”が300年後に仇となるわけですから、歴史って面白いものです。広島城 名所・史跡
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二の丸表御門と平櫓です。
平成元(1989)年に広島城築城400年を記念して二の丸の整備がスタート。
戦前から残された写真や図面、発掘調査を基に、江戸時代の姿を現代に蘇らせる計画です。
平成4(1992)年に表御門と御門橋が先行して完成。
平成6(1994)年には残る平櫓、多聞櫓、太鼓櫓も完成。
内部は無料で見学できますが、土足厳禁。
トイレもないので事前に済ませておきましょう。広島城 名所・史跡
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二の丸多聞櫓から太鼓櫓の方角を見た風景です。
さて、毛利家に代わって新たな広島城の主となったのは福島正則。
「賤ケ岳の七本鑓」一番鑓一番頸でおなじみ、豊臣恩顧大名の筆頭格です。
秀吉の死後に石田三成と対立し、関ケ原の戦いでは東軍に属して勝利に貢献しました。
合戦後、家康は論功行賞で旧毛利領の安芸・備後両国を正則に与えます。
正則は城郭の整備を進めるとともに、町割りを改造して商業を勃興させるなど、現在の広島市の原型をほぼ確立させました。
とまぁ、広島市にとって正則は結構な恩人じゃないかと思えるのですが。
毛利家と浅野家に比べると、どうしても「豊臣を裏切り徳川に寝返った」ネガティブなイメージが付きまとうので、毛利と浅野の狭間で埋没しがちなのかも知れません。広島城 名所・史跡
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二の丸多聞櫓に穿たれた三角形の鉄砲狭間です。
福島正則は元和4(1618)年に行った広島城の普請を幕府から咎められます。
元和元(1615)年制定の武家諸法度で定められた事前の届出が不整備だったからという理由です。
二代将軍徳川秀忠は正則に、修復した石垣・櫓の原状回復など条件を呑めば赦罪すると告げます。
徳川幕府の地盤が盤石ではない状況下で豊臣恩顧の筆頭大名である福島家を改易することで、他の恩顧大名に影響が及ぶことを懸念したのでしょう。
ところが正則はことごとくサボタージュして更なる幕府の怒りを買い、結局お取り潰しと相成ります。
豊臣恩顧の大名として矜持を捨てきれなかった正則のプライドに、豊臣恩顧の大名を一刻も早く一掃したい家康の思惑が上手く嵌った成果じゃないでしょうか。広島城 名所・史跡
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福島正則に代わって新たな広島城の主となったのは、紀伊和歌山城主の浅野長晟(ながあきら)。
広島城に入城したのは元和5(1619)年のことです。
正則が整備した諸制度を踏襲し、さらに補強して藩の統治機構を完成させました。
その後、浅野家は十一代に亘って芸備42万石を支配し、明治維新を迎えます。
というわけで広島城の主を最も長きに亘って務めたのは浅野家なのですが。
広島城としては“毛利の城”として推していきたいみたいです。 -
本丸御殿跡に残る広島大本営の跡。
1894(明治27)年、ここに日清戦争を指揮する大本営が建造されました。
明治天皇以下、諸大臣から帝国議会議員まで東京から一斉に移転し、戦時中は広島が一時的に首都となりました。
日清戦争終結後に大本営は解散しますが建物は残され、戦前は国の史跡に指定されていたそうです。
無論、現在では礎石だけが往時の面影を今に伝えています。広島大本営跡 名所・史跡
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広島城は明治維新でも破棄されず、天守閣をはじめ構造物が数多く遺されていました。
天守閣は毛利輝元により建造されたもので、戦前は国宝にも指定されていた文化財。
それらはすべて昭和20(1945)年の原爆投下により悉く破壊され灰燼に帰すことに。
現在のそれは昭和33(1958)年に再建された鉄筋鉄骨コンクリート製の復元天守閣。
コンクリの外壁を木材で覆い、なるべく往年の姿を彷彿とさせる努力が施されています。広島城 名所・史跡
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広島城を後にして広電紙屋町駅からJR広島駅へ。
南口は赤いユニフォーム姿の人たちで一杯です。
特に今話題の“カープ女子”が目立っていました。
ここから西ヘ向かって歩くこと15分ほど。
異様な形状をした建物が姿を見せ始めます。
「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」。
略して…マツダスタジアム、広島東洋カープの本拠地です。マツダスタジアム 名所・史跡
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駅前から球場までの道は球場建設に合わせて整備されたわけではないので、近辺は球場の敷地が貨物駅だった時代からの雰囲気が漂っています。
ただ平成21(2009)年のオープン以降、訪れるファンに向けた町並みに変貌。
途中にあるローソンも看板は青ではなく赤。
しかも球場の近辺は再開発工事の真っ最中。
あと何年かすれば周辺の街並みは一変しているかも知れません。マツダスタジアム 名所・史跡
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マツダスタジアムは他球団の本拠地球場と異なり、とてもユニークな形状をしています。
建設用地の都合上、左右非対称の設計にならざるを得ませんでしたが、それを逆手に取った形です。
元々はドーム球場の建設を計画していましたが、近年メジャーリーグ界が多目的型ドームを避ける傾向にあるのを参考に、屋根のない全面天然芝のオーソドックスな専用野球場になりました。
入口を入ると幅広で段差のないコンコースが客席の外側をグルリと取り囲んでおり、車椅子でも自席へ楽にアクセスできます。
観客席は砂かぶり席や寝そべり席、パーティー席、テラス席、バーベキュー席などバラエティに富み、一人でも大人数でも用途に応じてチョイスできるのは秀逸ですね。マツダスタジアム 名所・史跡
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この日はAKB48のTeam8が来場してスタジアムを盛り上げていました。
Team8とはAKB48の出張組で、トヨタがサポートする「会いに行くアイドル」。
47都道府県で開催されたオーディションで1人ずつ選出された47人で構成されます。
Team 8にはアクアをカスタマイズしたコンセプトカーあり、一緒に全国を回っています。
その車は先出の“赤い”ローソンに駐車しておりました。マツダスタジアム 名所・史跡
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この日もマツダスタジアムはカープファンで満員御礼!
しかし、残念ながら雨が降り始めて途中で中止に。
それでも、この目で直接マツダスタジアムを初めて見ることが出来ただけでも、いい経験になりました。マツダスタジアム 名所・史跡
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雨の中をJR広島駅まで戻り、再び広電で八丁堀電停へ。
広島お好み焼きの原点ともいえる店「みっちゃん」総本店。
道を少し北に入ったところにあります。
そば入りスペシャルを注文すると「鉄板か皿か」と聞かれます。
鉄板はコテで直接食べるスタイル、皿は乗っけられ運ばれるスタイルです。
食べ慣れている人なら鉄板でいいのでしょうが、不慣れな観光客の私は皿にしました。
ビールを注文し、目の前で焼き上がる過程を注視。
目の前で幾つもの具材が焼かれ、重ねられて一つのお好み焼きになる過程は広島お好み焼きならでは。
おたふくソースのコッテリ味が効いたお好み焼きをビールで流し込む…まさに至福の組み合わせ。
まさに老舗ならではの味わいでした。お好み焼 みっちゃん総本店 八丁堀本店 グルメ・レストラン
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八丁堀から居酒屋を求めて流川へ。
夜の街をそぞろ歩く途中、その店構えに惹かれるように入店。
15分ほど待たされたものの、それだけ人気店という証でしょう。
飛び込みで入った割には、まだ待たされていないほうだったかも。
代名詞とも言える穴子の活造りと、西条の地酒「亀齢」を注文。
活造りというだけあって刺身にされても穴子は頭をヒクヒクさせています。
その身は白くコリコリして味わいは淡白、淡麗な亀齢と良く合います。
次は殻付き焼き牡蠣と、今度は竹原の地酒「竹鶴」を注文。
焼いた牡蠣の香ばしく濃厚な風味が、これも濃厚な竹鶴とマッチします。
穴子の骨の部分を揚げて「せんべい」にしてもらい、呉の地酒「雨後の月」と共に。
素揚げした穴子の香ばしさを、雨後の月のフルーティーな味わいが洗い流していきます。
広島の地酒と素材を組み合わせて楽しめるという点で理想的な居酒屋でした。広島 居酒場 お花 グルメ・レストラン
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