2014/04/28 - 2014/04/28
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ミズ旅撮る人さん
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高知市を出発し、横浪黒潮ラインを通って須崎へ、国道197号線で梼原へ向かいます。
梼原は坂本龍馬たちの「脱藩の道」として知られており、大河ドラマのパビリオンもその当時は設営されました。
今も巨大な群像があります。
その後は、SL探訪の旅で、宇和島・八幡浜・内子のSLを訪れました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宇佐大橋です。ここから横浪黒潮ラインが始まります。
画面左側が土佐湾・宇佐漁港で、橋の向こう側に8kmも入り込んだ浦ノ内湾があります。
横浪黒潮ラインは、高知方面からだと始めは左側に土佐湾の入り組んだ海岸線を臨み、道が大きく内陸へ曲がると今度は右に浦ノ内湾が見えて来ます。
両方を同時に見ることは出来ませんが、ほとんど車通りも少なく、海岸線の美しさを堪能できるドライブスポットです。 -
横浪黒潮ラインは、こうした土佐湾に突き出た岬の連続です。道路が高いところを走っているので、断崖絶壁が足元に見えます。
ただ、道はカーブが多いので、脇見運転は要注意です。車は少ないです。
沿道には、有名大学の施設が散見されたり、遍路道の第36番札所青龍寺があり、お遍路さんが歩いていたりします。
この日は、天候が不安定で、ひどい土砂降りになったりしました。
そんな中でも菅笠にカッパを着て歩くお遍路さんは、大変だと思います。道中ご無事でありますように。結願をお祈りします。 -
絶景が続きます。この日は雨だったので、この程度ですが、晴れたら海の色がステキでしょうね。こんな天気でも青さがわかります。
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いきなりですが、猫です。
帷子崎というところに駐車場があり、そこにいました。
ちょうど雨が止んだので、車を停めて景観を眺めに行ったのですが、そこに小さな小屋がありました。小屋のそばには黒猫がいて、小屋の中から声がします。
覗いて見ると、子猫がいました。まだ小さいので震えています。土砂降り直後なので寒いのでしょう。 -
右側の大きな小屋に子猫はいました。手前の猫が親と思われますが、既にお腹が大きくなっていました。黒猫は小屋の向こうにずっといて、動きません。
小屋の中には黒い子猫もいました。
誰かが猫たちのために小屋を作ったのでしょう。出入り口には、雨風が吹き込まないようにビニールカーテンまで付けてあります。飼っているのか、もらってくださいなのか、判断に迷うところです。
子猫は手のひらにちょうど乗る大きさで、まだ爪が出っ放しです。爪を立てられても痛いほどではありません。元気に育って欲しいものです。 -
横浪黒潮ラインの絶景は、まだまだ続きます。こんな風に見えると、先が楽しみです。
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横浪黒潮ラインを半分過ぎた辺りにひょっこり「武市半平太像→P」という看板が現れます。少し高台なので、展望が良いのではと上がってみました。意外に広い駐車場が現れ、その一角にこの像が建っています。「武市半平太先生」とあります。土佐藩の下士(郷士)の出で、土佐勤王党を創設し、庶民のために尽力した人物として今も尊敬されているそうです。どの像にも「先生」の文字がある所が土佐らしい感じがします。
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それまで土佐湾の雄大な景色を左手に見て走って来ましたが、道が内陸に入り、ふと右手に湾が見えて来ます。ここが浦ノ内湾の最奥部です。東の宇佐大橋からここまで、ずっと湾は続いていたのです。地図を持っていないと、走っているだけではわかりませんが、とてもおもしろい地形です。
ここから横浪黒潮ラインは内陸を通って、須崎へ至りますが、ここで横道に入ると「鳴無(おとなし)」というおもしろい地名の、浦ノ内湾に突き出た半島を一周することが出来ます。 -
須崎に向かう途中、田んぼの中に突然こんな風景が現れます。
あまりにもミスマッチで、現実味が無いような気がします。
ここは、須崎港を挟んで須崎の町の対岸に当たり、これは住友大阪セメントの工場でした。 -
須崎の郊外で、国道56号線から197号線に入ったところに、「かわうその里」があります。そこの橋の欄干にかわうその像が座っています。
折りしも、端午の節句が間近とあって、大きなこいのぼりがいっぱい泳いでいました。この辺りの鯉のぼりには、たいへん立派な旗ざおが添えられており、金太郎や武者侍の絵柄と子供の名前が描かれていました。 -
段々茶畑です。ものすごい風景です。雨模様のため、山から絶えず水蒸気が立ち上っていきます。これだけすごい場所では、言葉も出ませんね。
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この茶畑は、道の駅「布施ケ坂」のお向かいで見られます。
お立ち寄りの際には、くれぐれも買い物だけして立ち去らないように。
画面右方向が須崎で、トンネルを出てすぐにあります。 -
日本の道百選に選ばれた「土佐勤皇の志士 維新の道」の碑です。
ここには「この国道197号線は、津野山街道と呼ばれた時代より、多くの名僧・賢人が往来した道であり、殊に、幕末には近代日本への夜明けを求めて坂本龍馬をはじめとする土佐勤皇の志士達が旅立ちした脱藩の道でもある。」と書かれていました。
「道の駅ゆすはら」の斜め向かいにあります。 -
道の駅ゆすはらの隣には「雲の上の温泉」という施設があり、ちょっとしたリゾート気分が味わえます。
これと対照的に道の駅の建物は古い農家風で、水車小屋などもあり、情緒豊かです。
「脱藩の道」についての説明板もあります。昔は、今のような立派な国道はなかったので、国道を取り巻くように、うねうねと山道を歩いたようです。 -
国道197号線と440号線が交わる地点、和田城跡にある「維新の門・群像」です。
隣には和田城を模した歴史民族資料館もあります。
坂本龍馬と6志士に澤村惣之丞の8人の群像は、土佐と伊予の国境を向いて建てられました。
場所は国道から少し外れ、狭い道に入ります。すぐに右に曲がるのですが、看板が小さいので見落とさないように。お城が目印です。 -
坂本龍馬ファンの方のために、もう1枚。中央が坂本龍馬です。
手前で指差しているのが那須俊平で、梼原の生まれ。龍馬の左側が澤村惣之丞。
彼は、龍馬と共に脱藩し、亀山社中で龍馬の片腕として活躍しました。
これらの人々はわずか20〜30代で戦死または自決しており(那須俊平のみ58歳)、命がけの時代だったのだなと痛感。やるせない思いがしました。
これらの群像は、右側の龍馬たちの立像と左側のあたかも戦闘中のような姿の3人が対照的です。彼らは勤王党または天誅組の志士で、戦死した人たちだからでしょうか。その鎮魂のために中央奥の掛橋和泉は合掌しているのでしょうか。
こういう像は珍しいです。 -
JR宇和島駅です。駅前には、こんなかわいい機関車がありました。
大正3年に宇和島鉄道で走ったドイツ・コッペル社製の軽便鉄道を復元したものです。大正3年に宇和島〜近永間17.3kmで開業、大正12年には近永〜吉野間が開通、昭和8年に政府により買収されました。
この模型は、宇和島城築城400年記念と鉄道唱歌誕生100周年記念で作成されました。
ボタンを押すと、鉄道唱歌が流れます。もうひとつのボタンは、機関車の走る模様の実録が流れます。 -
宇和島駅に停まっていた汽車です。松山行きとあるので、予讃線でしょうか。
車輌の先頭になにやら骸骨の顔をしたステッカーが貼ってあります。どうやら「アンパンマン」のキャラクターのようです(たぶん)。
JR四国の車輌にはアンパンマンのキャラクターのステッカーがよく貼られています。アンパンマン電車も走っています。こちらは特急で、たしか3色あったような。 -
行き先表示板を見て、足が止まりました。「鉄道ホビートレイン」えっ?何?
今、JR四国の予土線では、ホビートレイン3兄弟というイベント列車を運行しています。
3兄弟とは「鉄道ホビートレイン」「しまんトロッコ」「海洋堂ホビートレイン」のことで、特にこの「鉄道ホビートレイン」は、外観に特徴があります。 -
これが「鉄道ホビートレイン」です。JRのポスターですが、自分で「なんだこの列車は?!」と言っているように、新幹線0系を模したおもちゃのような気動車です。内部は青を基調とした明るい内装です。1両だけなので、尚一層おもちゃのように見えます。と言っても、実際に目にすることは無かったのですが。なにしろ、時刻表示板の一番上にあると言っても、2時間近く先の話だったのです。
宇和島は鳴門と同様、どん詰まりの駅。予土線と予讃線の発着があるとはいえ、本数は少ないのです。
「海洋堂ホビートレイン」の方は、フィギアメーカーの海洋堂のコレクションを展示した気動車になります。海洋堂ホビー館四万十の開館を記念して運行されました。 -
宇和島市和霊公園にあるC12−259です。宇和島駅にも程近い、和霊神社の前にあります。昭和15年9月製造。43年12月廃車。走行距離93万km。
おもしろいことに、当時の製造価格が表記されていました。57,991円62銭です。 -
だいぶ塗装が剥げていますが、あちこちに黄色を多用している「目立つ」SLです。
やはりここにもホームが設けられていて、「宇和島」の駅名があります。大きく柵で囲われていますが、中に入ることは出来ます。 -
機関室のドアを開けると扇形の段差があります。これは、ほとんど見たことが無い気がします。中の細かい計器類やコード・ホース類もすべて黄色に塗られています。
足回りは普通の塗装ですが、ちょっと厚塗りのため、個体番号がかすかに見える程度です。
SLの顔と言える釜のふたは閉まらなくなったため、針金で留めてありました。このまま朽ちるだけなのでしょうか。 -
国道56号線を走っていると、路面に数字が書いてあります。56号線は高知の街中から始まる国道で、南下して足摺岬を周って北上し、松山に至ります。
道路脇のポールには「松山まで69km」と書いてあるので、路面の「225」は高知からの距離でしょう。宇和島から北上していて、数字は増えて行きました。
こんな表示は、初めてです。この国道だけ特別なんでしょうか。 -
まあ、なんてお尻でしょう!ここは関西ではなかったはず・・・
八幡浜市の王子の森公園にある79642です。よりにもよって白と黒の斜め縞模様。どういう根拠なんでしょう。全面でなかったのが、せめてもの救い。
大正13年10月製造、昭和51年3月廃車。走行距離292万km。製造価格26,632円。徳島で「ハチロク」を見ましたが、こちらは「クンロク(キューロク)」です。 -
四国では珍しい2灯型です。79642は昭和初期までの国鉄以前の旧鉄道院時代の形式名で、96の前の7は下2桁の42の百の位が飛び越して付いています。
なので、これは9600型の743(1番機は0で始まるため)番機です。 -
この機関車も近所の子供の遊び相手のようで、女の子が二人、車体の下に潜り込んだり、テンダー(炭水車)からよじ登ったりしていました。さすがに上に上ることはしないようでしたが。
高知のジャングルジム機関車には「下に潜って出られなくなる事件が発生したので、下には潜らないように」という張り紙がありました。 -
内子町の内子駅前にあるC12−231です。内子は古い町並みが残る町で、今の駅の周辺には何もありません。
SLの後方に見える駅の入り口付近は古い町並みに合わせたものなのでしょう。ここは予讃線が走っています。 -
野ざらしのC12です。C12は、あまり改良を加えられることはなかった形式と聞いていますが、このラッパのような煙突は改良(?)ですね。前照灯の横に支柱が横に伸びているので、もしかすると2灯式だったのかもしれません。
昭和14年9月製造、45年3月廃車。走行距離121万km。製造価格58,624円47銭5厘。昭和14年で銭はおろか厘まで使っていたんですね。
ここの「機関車の諸元」には「車種:加熱1C1 タンク機関車」と書いてありました。ここまで詳細に書いてあるのは珍しいです。
1C1とは車輪の数を表し、真ん中のアルファベットが主軸の車輪の数を表します。
Cは3、Dは4です。C12型は車輪が3個です。前後の1は、主軸の前後にある補助輪の数です。 -
ここに個体番号が記されているのは珍しいので、載せてしまいました。
「R(右)C12 261」です。本来の持ち主は、違う個体のようです。
他の部品はほとんどC12−231ですので、交換されたのはほんの一部のようですね。
この後、しまなみ海道を通って広島へ渡ります。
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