2014/04/25 - 2014/04/25
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太田市世良田町に鎮座する世良田東照宮は3代将軍徳川家光公が現在あるような豪華な日光東照宮に改築した際に、それまであった2代将軍徳川秀忠公が建立した日光東照宮(当時は東照社)の(元和造営)社殿を移築したものとされている。公式ホームページの「東照宮の創祀」には、「寛永16年(1639)天海大僧正は徳川家康公から御下命されていた長楽寺を臨済宗から天台宗へ改宗復興。三代将軍家光公は先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔・唐門・拝殿)を移築。本殿は新築し、東照宮を勧請された。同21年(1644)10月11日には正遷宮が盛大に斎行され、同年12月には群馬県下の神社でも高禄の200石の御朱印が寄せられた。」と記載されている。現在では多宝塔(明治の神仏分離で廃棄)は見られないが、日光東照宮奥社の拝殿と唐門を拝殿と鋳抜門に建て替える際に、拝殿と唐門を移築したものであろう。奥社には本殿に相当するものがなかったために世良田東照宮を創建する際に本殿を新築したと考えるべきである。
そう考えると世良田東照宮の社殿が権現造ではなく、拝殿、唐門と透塀、本殿と分かれて建てられている理由が理解できる。また、本殿も本当に小さいのも唐門と合っており、木造宝塔(現在は青銅製)に見合う大きさなのだろう。
奥社は改築して御本社を改築しないはずがない。では、権現造の社殿は改築時にどうなったのか?Webで調べたが情報は何も得られなかった。
それにしても、数えるほどしかない社殿に施された彫刻が、秀忠公が家康公の遺言を忠実に守って小社を建立したのだと理解できる。勿論、同時期に建立された二荒山神社社殿よりもさらに地味である。
東照宮が権現造でももなく、派手は彫刻も数えるほどしかない小社であったことには正直、驚いた。徳川発祥の地とされる世良田に建立された東照宮にしては不思議な感じがする。
(表紙写真は世良田東照宮本殿)
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世良田東照宮唐門。
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世良田東照宮唐門。
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世良田東照宮唐門(国指定重要文化財)。
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世良田東照宮唐門。
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世良田東照宮唐門の扉。質素なものだ。
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世良田東照宮唐門の扉。
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世良田東照宮唐門の蟇股(かえるまた)。
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世良田東照宮唐門の蟇股(かえるまた)。
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唐門。
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透塀。
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透塀。
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透塀。
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透塀。
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透塀。
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透塀。
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世良田東照宮本殿(国指定重要文化財)。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の扉。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の向拝。
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世良田東照宮本殿。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の高覧。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の高覧。
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世良田東照宮本殿の高覧衝立。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の木鼻(海老虹梁(えびこうりょう)部)。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の懸魚。
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世良田東照宮本殿の高覧。
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世良田東照宮本殿。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の彫刻。
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世良田東照宮本殿の木鼻。
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世良田東照宮本殿の高覧衝立の上の彫刻。
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世良田東照宮本殿の高覧衝立。
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世良田東照宮本殿向拝の海老虹梁(えびこうりょう)。
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世良田東照宮本殿。
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